少し昔のお話(2)
餅は餅屋と言うべきか、盗人は盗人への警戒を怠らないものであるらしい。熊越斬波の一党は、ねぐらとする山ばかりでなく、少し離れた何か所かに、盗品を分散して隠しているという。
子分を襲った十人の内、たった一人生かして残した男を脅し、吐かせた所に寄れば、確かに冴威牙の読み通り、町からそう遠くない所にも隠し場所が有るとの事であった。
どうやらそこは、遠出をする際の拠点として寝泊りする為に、簡素な小屋となっている。その床下に、盗品の内の幾らか――町に近いので、直ぐに使えるような金銭も含め――が、隠してあるというのだ。
壁も薄く、内側の喧騒が漏れ聞こえるような造りだが、森の中の事、聞き咎めるものもなく、獣も好んで近寄らない。この日も小屋の内からは、酒に酔った男の声が喧しく聞こえていた。
冴威牙はそこへ、窓から飛び込んだ。
小屋には五人ばかりが居たが、最初に蹴り倒した一人を除き、悉くを踏み殺して、忽ちに制圧してしまったのである。
残酷な事この上も無いが、冴威牙には特有の、子供のそれともまた違う残酷さが生来備わっていた。もしかするとそれは、狩人としては天性の素質であったのだろうが、無頼を気取って背伸びをするのがせいぜいの子分連中には、空恐ろしく映るばかりでもあった。
「ほうら、どうって事ねぇ」
冴威牙はそううそぶいて、小屋の中に無造作に置かれていた、舶来の装飾品を手に掴んでいた。
大陸ではさして高級品でもないが、きらびやかな首飾りやら、指輪やら、とにかく光る金属である。財貨の光は常に人の心を惑わせるものだが、冴威牙も例に漏れず、手の中の輝きを楽しんでいた。
だが、引き連れてきた面々はそうではない。むしろ暗い顔をして俯いているので、
「どうしたてめぇら、別に独り占めしようって訳じゃねえんだ、好きに取れよ」
と、手に持っている幾つかをぐいと突き出した。
然し素直に受け取る者はおらず、それで冴威牙の表情に不機嫌なものが混ざると、夕霧が、冴威牙と他の面々の間に割り入って、
「……あんた、とんでもない事をしたよ」
酷く怯えた、犬にでも例えるなら尾を腹に巻き込んで前足を畳んだような顔で言うのだった。
「あぁ? なんだ、先に手ぇ出して来たのはこいつらだしなぁ。それに今更、人死に程度でビビってるような女じゃねえだろ?」
「そんな事じゃあないよ! ……よりによってあんた、熊越斬波の仲間を殺っちまうなんて……!」
「熊だか猪だか知らねえが、そんなもん、捕まえて鍋で煮て喰えばいいじゃねえか。怖がるな、怖がるな」
「あんたはまるで分かっちゃいない! あっちは本物だよ、本物の悪党だ! あんたがぞろぞろ連れ回してる、悪童に毛が生えた程度の半端者とは訳が違――」
夕霧は切々と訴えたのだが、そこで言葉が途切れる。冴威牙が大きな手で、夕霧の口を塞ぐように顔を掴んだのである。
「うるせぇ、静かにしろ」
たった今、何人も無感動に殺したばかりの男が凄めば、ワルとは言えど、うら若い女の事、震え上がるばかりである。声も出せぬまま涙目になり、かくかくと幾度も頷いた。
それを冴威牙は見ていなかった。
鼻をひくつかせ、何か臭いを追って――にぃ、と笑うのである。
「逃げられるじゃねぇかよう、なあ?」
誰か、小屋の外へ出ていた者が居たらしい。それが戻って来るのを、鋭敏な鼻で嗅ぎ付けたのである。
動くなとだけ言い残し、冴威牙は小屋の外へ出ると、少し離れた茂みに潜り込んだ。
茂みの中より見ていると、やがて、男が一人、酔いも醒めぬ赤ら顔の、千鳥足で戻って来た。
川で水浴びでもしてきたのか、髪が水に濡れており、衣服の帯の結び目も乱雑である。
だが、冴威牙はその男の、そういう仔細な部分を全く見ていなかった。
冴威牙の目は、男が引きずるように連れ歩いている少女に向いていたのである。
こちらも水浴びの後か――いや、水を浴びせられた後と見える。髪ばかりでなく、纏う衣までびっしょりと濡れている。
ほつれや、強く引いて破れたと見える箇所があちこちに有り、布の質も合わせ、それ一枚で外を歩くような衣服には見えないが、少女はそんなものを着せられて腕を引かれている。
顔に、真新しい痣が有る。
時折袖が捲れ上がって見える腕にも、指の形や縄の形に痣が残っている。
少なくともその女は、望んで男に従っているようには、とても見えなかった。
然し何より冴威牙の目を釘付けにした奇異は、少女の背。衣が大きくくり抜かれて、そこから一対の、白鳥とも紛う大きな翼が突き出しているのである。
折り畳んでさえ衣の内には収まらず、広げれば片方が、或いは一丈程にもなるだろうか。
羽の一つ一つが、混じり気の無い真白の絹の如き色艶と、精緻に計算されたが如く美を示す形状の比率を選び、それが幾百幾千、何らかの完全な秩序の元に整列しているのである。
粗末な衣服、惨めな境遇に比べて、その翼はあまりに美しかった。
「ぅおっ……」
冴威牙は息を飲んだ。そして、必ずその少女を、酔漢の手より奪い取らんと決め、茂みより躍り出た。
「だ――誰だっ!?」
冴威牙は、子分達が怯えている事も有るので、戻って来たこの男を、最初は無傷で捕らえるつもりで居た。然しそんな仏心は、少女の翼が力無く虚空を仰いだ時、綿埃のように吹き飛ばされたのである。
男の問いに答えず、冴威牙は男の顎を蹴り上げ、空を仰いだ男が崩れ落ちるより早く、晒された喉笛を鋭い牙で噛み千切った。
仰向けに倒れた酔漢は、何が起こったか良く分からぬような顔で死んでいる。それを少女が、虚ろな目でぼうっと見下ろしていたかと思うと――
「…………っ!!」
驚く事に少女は、酔漢の亡骸の腹に跨り、両の眼球を指で抉り出したのである。
二つ空洞が増え、生前の醜面より尚も無残になった顔を見ても、少女は飽き足らなかった。爪で頬を抉り、鼻を拳で叩き、立ち上がって幾度も幾度も、爪の割れた足で、亡骸の顔を踏み付けた。
「おい」
亡骸の顔が崩れて、元の顔立ちが分からぬようになった頃、冴威牙は少女の腰に腕を回して引き寄せた。
濡れた前髪が、額や頬にへばりついているが――冴威牙が指でそれを除けると、はっとする程に整った顔立ちが露わになる。
冴威牙は、少女の顔を眺めた。
近づいた顔は涙に濡れ、目の光も弱弱しい。然しその瞼は大きく開かれ、冴威牙の顔を真っ直ぐに見返している。
呆けたように開かれた唇は打ち震え、何か声を絞り出そうとしているようにも見える。
その声に先んじて、冴威牙は言った。
「こいつらが、憎いか」
少女が何をされたかなど、冴威牙には聞かずとも分かる。
言葉にするも悍ましい行為を、想像するまでも無く、鋭敏な鼻が嗅ぎ付けている。
少女は一度頷き、冴威牙は少女を抱き寄せたままで小屋へと戻った。
小屋の中に残されていた連中は、冴威牙の横に立つ女を見ると、ぎょっとした顔になった。
「さ――冴威牙、なんだいそいつは」
特に狼狽を見せたのは夕霧で、冴威牙の空いている左腕を掴み、口を尖らせて問うた。
「拾った。俺のもんだ」
その問いを払いのけるようにして、冴威牙は小屋の中を見渡す。
死体が四つ、生きているが意識の無い者が一人。その一人の元へ寄って――膝を、踏んだ。
ごきん。
「ぎゃあっ!?」
膝を砕かれた男は苦痛に跳ね起きるが、冴威牙は構わず、もう片方の膝、両肘と、死にはしないが動けなくなる部位を踏み砕いて行く。
それから、肉斬りにでも使っていたのだろう、薄汚れた短刀を手に取った。
刃毀れが有り、切れ味は鈍そうだったが意に介さず、
「そらよ」
と、少女に渡した。
未だ涙の止まぬ少女は、短刀を受け取ると、四肢を砕かれた男の腹に跨った。
忽ち、身の毛もよだつ悲鳴が響く。
少女は、憎き相手を即死させぬよう、わざと浅く、肩や肋骨の上に、短刀を振り下ろしたのである。
何度も、何度も。
許してくれ、助けてくれと男が叫ぶが、その口に短刀の柄を叩き付け、刃を圧し折った。
噛み付かれる事が無くなったと見るや、口中に指を突っ込み、喉に爪を立てて掻き毟った。
鼻と耳を削いだ。
頬の肉を丸く切り取った。
片目を短刀で、片目を指でくり抜いた。
それでも、急所を刺しはしなかった。
決して楽に殺さぬよう、他の四人分の苦痛をも与えるよう、少女は無感動の目に涙を湛えたまま、時間を掛けて男を損壊した。
「い……イかれてやがるっ! なんだってそんな女――」
夕霧が少女を指差して、冴威牙の腕を引く。
小屋の外へ出ようとしているらしかったが、冴威牙は夕霧を引きずるようにして、床板に広がる血溜まりの中へ踏み込んだ。
「いーい女だなぁ。そう思うだろ?」
返り血で赤く染まった少女を、冴威牙は再び、腰を抱いて引き寄せる。
「名前は?」
「……紫漣」
「そうか。紫漣、お前は俺のもんにする、文句はねえな?」
答えの代わりに紫漣は、冴威牙の胸に顔を埋め、ようやっと、声を上げて泣いた。
それからまた、数日ばかりが経った。
冴威牙が紫漣を突然に連れ帰った事は、案外にも彼の子分達に動揺を生むものではなかった。
元々が唐突に行動する男である。それに振り回されるのも、すっかり慣れてしまっていたのだ。
加えて、根が単純な男どもは、容姿に優れた紫漣を歓迎する事はあれ、疎む理由は無かったのである。
また、紫漣自身が、良く彼等の輪に馴染んだ。
商家の小者のように、掃除やら片付けやら小回りを利かせてこなすし、まだ笑みは固いが、愛想も良く振り撒く。
自分から多くを語る事は無いが、少なくとも自分達を見て嫌な顔をしない女というのは、無頼の彼等には貴重な存在なのであった。
その紫漣だが、彼等のねぐらである、巨大な掘立小屋を良く抜け出す。
そういう場合、湖のほとりにある木の上、横へ張り出した枝に腰掛けているのが常だった。
何処か遠くへと、双眸に朝露よりも儚き雫を宿したまま、視線を飛ばしているのだった。
特に背の高い、七丈にも及ぶ樹上で翼を休める紫漣の姿は、俗世と切り離された神秘を湛えているかの如く在った。
「おーうい、紫漣よ」
その絵の中に、多分に俗世の気を纏って、冴威牙が割り込んだ。
紫漣と違い空を飛べぬ身であるので、樹皮に指を引っ掛け、えっちらおっちらと昇って来たものである。
特に頑丈な枝を見繕って横になった冴威牙は、器用に片手だけで枝を掴み、落ちぬように平衡を保った。
「あ……冴威牙様っ」
紫漣は、かんばせから憂いを取り払い、冴威牙の横に身を移す。
彼の名を呼ぶ声はうわずり、まだ涙も乾かぬ目に浮かぶは恋の色。誰かが見ていたとしたら、紫漣が抱く慕情は明らかであっただろう。
翼の片側を冴威牙の身に、布団のように被せ、肌寒い西風への守りとした。白翼は、空を舞う折は良く風を叩き、また身を覆えば、良く風を防いだ。
「いつもいつも、こんな所で何やってんだ? 何か面白いもんでも見えるのか?」
紫漣が見ていた方角に、冴威牙も視線を飛ばす。見えるのは、何処まで言っても山やら森やら、獣の巣ばかりである。
「……西の空を見ていました。誰か、知る顔が飛んでいないかと」
「俺が知る限り、空を飛べるような女は――いや、男も女も含めて、お前以外に知らねぇがなぁ」
「飛べる者も、居るのです。……私の両親だって」
そう言った紫漣の顔に陰りが差す。冴威牙は目だけを横へ向け、その色を盗み見た。
「両親なぁ……」
「ええ。何処に居るのかも分かりません、生きているかも分かりません。私がまだ幼かった頃、引き離されてそれっきりです。
いつか、故郷の西国の空から、父母が並んで私を迎えに来ないかなぁって、何時も待っているのです、私」
「ふうん」
冴威牙は努めて無感動に、口を閉じたままで応じた。
それから、ほんの少しだけ間を開けて、
「……本当に来るとでも、思ってんのか。絶対にねえぞ、俺達みてえなのに、そういう機会はねえ。
余所の国は違うらしいがこの国じゃあな、人間様が絶対に正しくて、俺達みてえなのは〝犬畜生に等しい〟だの言われてんだ。引き離されて、どうせお前、小銭で売られたかなんかだろ」
「………………」
「餓鬼なら生かしただろうし、一度金を出して買っちまったら、飽きてもただ捨てるのは惜しむだろうがよ……面倒な親を生かしておく理由なんざねえよ。
この国の連中は臆病でな、俺達がてめぇらに似てるからって、餓鬼には半端な仏心を掛けたりするもんだが、デカくなりゃ話は別だ。犬を棒で追い払うのと同じで、平気で殺しちまうんだよ」
常より幾分か饒舌に、冴威牙は語った。
意地が悪いと言われれば否定の出来ぬ冴威牙だが、こんな具合に、誰かの希望を言葉で踏み躙るような事は、普段ならばしない。もっと単純に、拳足を振り回す男である筈だ。
だが、冴威牙は何故か、己にも何故と分からぬまま、紫漣が言いもせぬ内に、彼女が抱く些細な夢を否定した。彼らしからぬ仕打ちであった。
そして――冴威牙が無責任に予想した紫漣の境遇は、大筋の所で当たっていた。
京より遥かに西、源平の戦が潰えた地に生まれ、十にもならぬ内に、両親と引き剥がされ、酔狂な金持ちに売られた。
初めは、言葉を話す珍鳥として。そして、童子でなくなってからは、無聊に弄ぶ玩具として使われた。
ただの女であれば、ひと所に留まって飼い殺されていただろう。然し日の本の悪習か、有翼の女を長く手元に置くのは気味が悪いと、二年と手元に置く者は居なかったのだ。
飽きられ売られる度、値は低く、境遇は悪くなった。そして流れ着いた先の田舎商家から、熊越斬波の一派が奪い取り――冴威牙の元で、ようやく漂泊の身は休まる枝を得たのである。
その止まり木が、僅かの望みさえ捨てろと言った。然し紫漣は、もう嘆きはしなかった。
「……冴威牙様は、お優しいのですね」
「はァ?」
「まるで自分の事のように、私を思ってくださる」
冴威牙の体に被せていた片翼に、もう片方の翼が、掻き抱くように重なる。
「この国に在っては、私達が夢を見るなど許されない。そんな事、とうの昔に知っていた筈でしたのに……時々、忘れてしまうのです。冴威牙様はそんな私の目を覚まそうとしてくださる。お優しい方でなくて何でしょうか」
「………………」
何を言っているのか――冴威牙は、そう問い質そうとした。
渾身の皮肉を利かせて、冴威牙が向けた意地の悪い言葉を、何倍も鋭く刺し返そうとしたのか、そういう思いさえ抱いた。
だが、違う。違うと、直ぐにも気付く。
紫漣は骨髄にまで、諦めるという事が染みついているのだ。主と見なした者が否を言うなら、数年来の希望さえ、反故の書簡にして捨ててしまう、屈従の病に侵されていた。
それを冴威牙が、哀れに思ったかと言えば、きっとそうでは無かったのだろう。
他者を哀れむには遅い程、冴威牙もまた、ねじくれて育ってしまった男――少年である。誰かの苦しみに寄り添い、苦境を共有するという事は、毛頭思いもせぬ身である。
だからこの時、冴威牙が抱いた思いというのは、憤りに近かった。
「俺が――俺達が成り上がれねぇなんて、誰が決めた」
彼にも、そして紫漣にも共通している性質は――〝人間〟を完全な同種と見なせない、という事であった。
姿形は似ているかも知れないが、〝あれ〟は〝われ〟と違うものだという感覚を、生まれつきに備えているのである。
冴威牙は、人を殺すを好むでもないが、まるで躊躇いもしない。
紫漣とて、己を穢した男が同種であったのなら、殺しはすれど、あのように執拗な損壊はしなかっただろう。
「あいつらがどう決めたかは知らねえが、そんな決まりに俺達が、黙って有難く手を合わせる必要があるか。俺達があいつらを従えて、でかい館の奥座敷で、踏ん反り返って悪い道理が有るかよ!
……今は確かに、そんな事はあり得ねぇ。俺達は犬猫と同列で、あいつらは人間様だがよ……!」
彼らは、彼我を完全に分けている。
だからこそ彼らは、互いを、全く理由を待たぬまま、同種であると信じられた。
「見てろ、俺は従わねえぞ! 俺があいつらを従えて、城を取る、国を取る……俺が上に立つ!」
「冴威牙様、それは誠よりの――」
「当たり前だ! 何をしようが、何年掛かろうが……あいつらを俺達の前に平伏させて、今の道理を覆す! ……必ずだ!」
冴威牙の憤りは、ただ女の為ではない。己と同じ存在が、〝望まぬ〟ことが当然であると信じねば生きられぬ、この国への――己が為の、憤りであった。
いや、咆哮である。
獅子吼と呼ぶにはまだ幼い、遠吠えでしかないが、それは確かに、同じ枝に止まる紫漣の心を打った。
「――嗚呼、やっと」
枝の上で紫漣は、冴威牙にしなだれかかる。
その様を、風下から見ている者が居た。
熱に浮かされ、また風も鼻の助けにならず、周囲の異変を察知できぬ冴威牙を見ている者――
それは、鬼のような顔をした、夕霧であった。




