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初陣(5)

 背後から傷を受けて死ぬなど、戦場では珍しい事でも無い。古来より前例は腐る程有るだろうし、この夜も何百の兵が、逃げ傷で死んだ筈だ。

 だが、一騎打ちの最中、背後から切り付けられた者は――決して、多いとは言えないのではないか。


「老人、ふざけが過ぎるぞ!」


 左馬が嚇怒する。八尺の鉄杖を振りかざし、薊の腕を切った老人の、頭蓋目掛けて打ちかかった。

 今更、老人が味方だなどとのんびりした考えはしない。口にした言葉も、それこそ戯れのようなものでしかない。確実に打ち殺すと誓った一打に――老人は背を向けて、全力で走って逃げた。


「待て!」


「三十六計逃げるに如かぁず! お前達も逃げた方が良いぞ、若い衆!」


 逃げ足の速い事と言ったら、野鼠か兎以上。老人が向かう先は、固く閉ざされた城門だ。

 城壁には弓や鉄砲、或いは大砲まで備えられているやも知れないというのに、老人を狙う飛礫一つ無い。城壁の上に立つ兵士達は、短期間ながら良く訓練された者であるらしかった。

 左馬はその背を追えなかった。老人と自分とを繋ぐ直線状に、狭霧紅野が入り込んだからだ。


「皺首なんか欲しいのか? それより私と一戦、どうだよ?」


「……疲れ知らずだね、見事、見事」


 一人を退け、一人は手助けを受けながらだが仕留め。一騎打ちを三戦連続始めようとしながら、紅野の息は上がっていない。左馬も思わず称賛する程だ。

 然し、槍は圧し折れて投げ捨て、見る限りでは他の得物も持たない紅野は、どうして戦うつもりなのか――答えは見て直ぐに分かるだろう。


「足運びで見えるよ。これ、あんたの流儀だろう?」


 左手の拳を鳩尾の前に、右手の拳を顎の下に。徒手格闘を誘う相手に、左馬は頬をぐにゃりと曲げた。


「上等。だが、下策だ」


 怒りと笑みの入り混じる顔。酔狂な敵を得た悦びと、格闘で己に勝てると過信する愚者への苛立ち。双方を織り交ぜ、左馬もまた、重心を高く置いた構えを作る。

 ざ、ざ、と一定間隔で土を蹴り、体を上下に揺らす。日の本の武術にはあまり見られない、鎧を考慮しない動の型。今にも踏み込まんというその時――


「師匠、集まって来てます! ……敵です!」


 村雨が叫んだ。胸を貫かれた薊を助け起こしながら、その声は寧ろ、自分が助けられたいと懇願するようでもある。


「何故分かる!?」


「もう見えてます! 後ろに!」


 城の明るさと対照的な、朔の夜の暗さ。常人の目では見得ずとも、人外の目は、後方に迫る兵士の姿をようやっと捉えた。

 まず見えたのは、間違いなく友軍。政府軍の旗を掲げ、揃いの兵装に身を包む。数は恐らく――数十という所だろうか。

 だが、彼等は必死で逃げている。恐怖に歪む顔、幾人かは武器を投げ捨てたのか徒手空拳。追われてここまで来たのだろうが――明らかに、敵の土俵に追い込まれただけだ。

 その後方、自分達が抜けてきた森に、幾つか見える槍、刀。それを持つ彼等は、とても政府軍が身に着けているような、揃いの立派な兵装では無かった。

 眼光は強い。勝ちに乗るのだから当然ともいえるだろうが――それ以上に、餓えた獣の目をしている。彼等は勝たねば先が無く、ただの一度も負けは許されない、背水の陣の覚悟を決めていた。

 恐らく比叡山側は、敵の攻勢が緩やかだろう北側に、最大の戦力を用意していた。山の地形を利用し、或る程度まで侵攻した所で、周囲から取り囲めるような配置に。至って単純な伏兵策だが、兵力で押し潰す事だけを前提にしていた政府軍には、きっと有効だったのだろう。

 飽く迄、推測でしかない。だが事実、ここに辿り着いた友軍は数十――大して敵方の兵士は、ざっと見てその十倍は居るのだ。


「……これは」


 村雨に告げられても、ただの人間である左馬には、まだその姿は見えていない。だが、一つ一つの呼吸音が束ねられた騒音は、次第に耳を浸す様になり――


「まずいかも、な」


 ぐおうと地面を揺らし、ときの声が鳴った。






 村雨は軽度の混乱状態にあった。

 裏切りが当然だと割り切れる程、経験は多くないし冷静でもない。数百の敵意に晒された事も無いのだ。

 まず何をすべきか――分からない。手に余る事態が多すぎる。

 遮蔽物の無い平地。背後には十丈の城壁、前方には敵兵の群れ。逃げなければならないが、唯一の逃げ道は前方だ。

 白旗を掲げるか? きっと受け入れられまい。降る兵を飼う余裕は無いだろうし、そもそも乱戦の中で降伏を申し出て、誰が冷静に受諾するのだろう。


「……師匠、どうしたらいいんですか!?」


 左馬は紅野に殴りかかっている、助言は何も得られない。村雨はこの急場を、自分で判断しなければならなかった。

 薊の巨体は大地に横たわったまま、胸から血を流し続けている。身を捩って心臓への直撃は避けたらしいが、それでも胸に空いた穴には、未だに圧し折れた槍が突き刺さっている。

 もう一人、痛打を受けて動けない者――離堂丸もいる。二人抱えて走る事は出来ない、どちらか一人は、村雨以外の誰かに任せねばならない。

 その誰か、とは……? 左馬は紅野と戦っていて、八島は既に逃げ去っている。何処にもいないのだ。

 あてどなく逃げ惑う友軍が、背後からの矢に刈り取られていく。遠くの事で現実味も無い。村雨は今、眼前の危機だけに意識を向けていた。


「おい、チビよ……あれは、知り合いか……?」


「――っ! 薊さん、まだ……!」


 生きてたのかと、村雨は問おうとした。時間の問題だと気付いて、結局は口をつぐむ。瀕死の薊は、虫の羽音の如き声で、だが一声一声を強く吐き出しながら、紅野の姿を指さした。


「……あれが見えた時、お前……知った様な顔をしたな、確か……なら、丁度良いい」


「丁度良いって何が――いや、喋らないで、血が余計に……!」


 言葉を発すれば、薊の喉から血の泡が噴き出す。喋らせずとも死ぬだろうが、口を閉ざせば、死は僅かでも遠ざかる筈だ。


「煩え、お前が黙れ……黙って、っぐ……、聞け」


 然し、薊は己の延命を考えず、焦点が合わぬ目を村雨に向けた。


「大将ってのは、味方の前じゃ……立派でなきゃ、なんねぇ……分かるか? 残酷か、寛容か……どっちかで、なきゃぁ……だから」


 途切れ途切れに吐き出される音に、村雨はしがみ付くように耳を傾ける。何でもいいから助かる道が欲しかった。


「だから、降れ……あれに、直接、掛け合って……そうすりゃ、五分五分だ……」


 それでも尚、提示されたのは博打のような案。勝てば裏切り者、しくじれば死人――どちらに転んでも悲劇だ。

 どうしたら良い――? 答えは誰も授けてくれない。薊の体温は下がり続け、腕に伝わる鼓動も弱まっている。


「でも、え……?」


 過去に一度、助けられている。手土産を持って下れば――怪我人一人は捕虜扱いにして、左馬も説き伏せれば――確かに、迎え入れられる公算は高い。

 何よりも、他に逃げる道が無い。

 逃げ込んできた友軍は何時の間にか、一人も残さず刈り取られていた。数百の敵兵の包囲網を、真っ直ぐに突き破るなど――


「……師匠……師匠!」


「何だ!?」


 徒手格闘による一騎打ち――もはや近代戦と真逆の戦いは、やはり左馬が優位。然し押し切れず、振るう拳に浮かぶ苛立ちを、声にも載せて左馬は答えた。


「降伏しましょう!」


「……はぁ!?」


 村雨は――諦めた。

 弟子の言葉に耳を疑って、左馬は足を止める。紅野はさも当然という顔で、その様子を手も出さずに眺めた。


「もう、もう無理ですってば! これじゃ逃げられない、殺されちゃう、だったら――」


「こいつの首を取り、士気の落ちた敵中を突破する、それだけだ! お前は荷物を担げ、無駄口叩くな!」


「だって、だって――あの数の兵士を! どうやって!?」


 半分は泣き喚く様に、村雨は迫り来る敵軍を指さした。幾百もの凶器が、明確な殺意を以て向かってくる恐怖――冷静で居られる筈が無かった。

 左馬も、或る意味では怯えていたのかも知れない。冷静に判断するなら、こうなる前に自分だけで逃げれば、十分に逃げ切れる可能性は有った。呑気に一騎打ちに興じたが為、もはや三方は敵兵、一方は城壁。道は閉ざされた。

 然し、応とは答えない。左馬は一層、眼前の敵の殺害だけを目的と定める。村雨は茫然と敵兵の群れを見ながら、自分だけでも降伏を認められるにはどうすれば良いかを考え始め――


 ――思考を断ち切る水音。比叡の兵の頭上に、ざあと赤い雨が降り注いだ。






 数百の兵が為す、乱雑にも見えるが固く組み上げられた方陣形。それが、縦一線に断ち切られた。

 首がごろり、上半身がごろり、切り捨てられて転がって、自分の死も気付かず夜空を仰いでいる。降り注いだ赤い雨は、数十の兵士が斬られて吹き上げた、致死量の鮮血の総和であった。

 顔を濡らす血の雨に、怯え、怒り、あらゆる感情を以て狂う兵士達。彼等を遥か後方に置いて、たった一人、真白の振袖で駆ける者が居た。

 右手には血刀、左手には鞘。然し彼女の体には、返り血の一滴たりと触れていない。血の雨を潜って来たにしては、奇妙な格好であるのだが――そこには何ら不思議が無かった。

 刃が肉に沈み、血を吹き上げるより先に、獲物から離れる――彼女がしたのは、たったそれだけの事。それだけの絶技であった。


「……あれは何だ、〝あれ〟は」


 左馬が茫然と呟く。〝ひと〟を示す言葉とは受け取れぬ響きである。事実、松風左馬は、これを何らかの〝現象〟だと誤認さえしたのだ。

 白衣の少女は、刀を軽く振るった。艶紫の刃、鮮やかな妖刀は、己を濡らす血を啜ったかのように一滴の赤も残さず、自らを天下の見参に入れた。

 この少女が死を運んだ――幸運にも刃を向けられなかった者達は、皆、一時に悟った。そして同時に――決して覆せぬ順列を、肺腑の奥まで刻まれた。


「お城、作ったの……? いいなー……紅野、ちょうだい」


 細い声だが、静まり返った戦場には良く響く。わらわの戯れ事の如き懇願――蒼の瞳には、意思の力が欠けていた。

 彼女の目的はなんだろうか。きっと、自分自身の目的など存在しない。行けと言われたから戦地に出向いて、難しい事でも無いから敵を切った、それだけなのだろう。

 己の指向性を持たぬ凶器――狭霧 蒼空そうくうは、眠たげに目を擦り、欠伸をしていた。


「え……あれ、これは……」


 村雨は暫し、血の匂いに酔っていた。鉄臭に混ざる死臭を感じて目を覚まし、亡霊よりも気配の薄い、蒼空の姿を目に止めた。


「……助かった、助かる……?」


 直感的に、嗅ぎ付けた。

 彼我の強弱を知るのは、野生の獣に必須の技能だ。あれは――この場の誰よりも強い。数十、数百の兵士を足したより、ずっとずっと強いのだと知った。

 村雨の体は指示を待たず駆け出そうとして――足首を掴まれる。振り払おうとしたが、それが薊の手だと直ぐに気付いて首を向けた。


「待て、待て……」


「ごめん、出来ない」


 助けろという事かと受け取って――村雨らしくもなく、即座に否を叩き付けた。鎧を身に着けた薊の巨体――重量も然る事ながら半死人。担いで走るなど、出来る筈も無かったからなのだが。

 それでも、普段の村雨ならば懊悩し、苦しみながらその言葉を吐いただろう。他者の為に苦しむ事さえ、きっと余裕の必要な行為なのだ。


「違え……俺じゃあねえ、俺じゃ……あれだ……」


 震える指が、村雨の後方を指し示す――膝を震わせながら立つ離堂丸が居た。

 股間に膝蹴り、喉に拳を三つ。痛みはまだ抜けきらず、恐らく視界も定まらない。十連鎌を持つ手さえ、胸より高くは上がらないのだ。


「あれなら、細いだろ……っかあ、チビに任すのは癪だが、しゃあねえ……」


「余計なお世話です。私はまだ、全然足りない……殺したりないのですから……」


 虚勢を張り、離堂丸が一歩踏み出す。歩幅が狭い――足の力が足りていない。


「チビ、担いで走れ! 真っ直ぐだ!」


「っ……分かった!」


 霞んだ目にもそれが見えたのだろう、薊は離堂丸の言を無視した。

 怒鳴り付けられた村雨は、もはや一時と迷わず、離堂丸を腰から二つ折りにして肩に抱え上げる。そうしてから、蒼空に切り裂かれた陣列の隙間へ、脇目も振らずに駆け出した。

 肩の上で離堂丸が喚いているが、彼女の意見を斟酌することは出来ない。真っ直ぐに、赤く血塗られた草の上を走る。

 後方でまた、わあと声が上がった。勇敢な何人かの兵士が、槍を並べて蒼空に突きかかった。見届けようと振り向いた村雨だが、それが目に映ってから理解するまでに、幾許かの時間を必要とした。

 兵士達が近づくまで、蒼空は一歩たりと動かない。槍が繰り出される直前まで、欠伸を噛み殺しながら待ち構えている。そして、槍が突き出され、穂先が衣服に触れる寸前――蒼空は兵士達の後ろに居て、刀だけが血に濡れていた。

 夜風が身に染みたか、蒼空がくしゃみをした。それを合図とした様に、兵士達の頭が、首の上から滑り落ち、切断面が血を吹き上げる。


「さっき私が言った言葉、あれを訂正しよう」


 後ろに向けていた首を前方に戻すと、村雨を先導する様に、左馬が走っていた。


「師匠……!? 紅野はどうしたんですか?」


「私が逃げた――それはどうでもいい。さっき薊を指して言っただろう、ああいう奴は居るものだと。

 間違いではないさ。但し、それは飽く迄、常識の範疇での事だった」


 振り返らぬまま、左馬が言う。口調は常と変らぬが、声の震えが隠せていない。村雨はこの時初めて、自分の師はどちらかと言えば、真っ当な人間に近いのだと感じた。


「見えたか、あれが」


「……」


 村雨は首を左右に振る。左馬は無言を答えと受け取った。


「私もだ。足捌きも、刀の軌道も、初動に移る第一歩さえ――これだけ離れて、見えなかった」


 犬も猫も馬も、敏捷性を強みとする獣さえ、最初の一歩は遅い。制止した状態から最高速度で動き出せるのは、せいぜいが虫くらいのものだ。

 蒼空は人の身で、それを易々とやってのける。それが左馬には、己自身も体術の達人である彼女には――


「あんなもの、常識で測れるか。あんなものがごろごろ居てたまるか! ふざけるな、ふざけるな……!」


 ――恐ろしくて、ならなかった。

 理解を通り越した存在に対して、人が抱く感情は様々だ。崇拝であったり憧憬であったり、嫉妬であったり。左馬が抱いたのは、憎悪混じりの恐怖であった。


「……あれか、桜を切ったのは」


「はい、間違いないです」


「だろうね」


 多くを語るまでも無い。数語の会話で意図は伝わった。狭霧蒼空の他にそのような芸当ができる者が、日の本に二人はおるまいと、左馬は確信していた。

 もう一度、後方を見やる。城壁の上から二振りの槍が投げ落とされ、それを紅野が受け取った。遠目に見る彼女は嬉々として、蒼空に打ちかかって行った。


「逃げるよ、村雨。今宵はこれ以上、戦う必要を感じない」


「はい、師匠……」


 森へ駆け込み、山の斜面を真っ直ぐに駆け下る。脇目も振らず、足も止めず――二人は、ひた走った。






 そして、夜が明ける。

 〝別夜月壁よるわかつつきのかべ〟は力を取り戻し、外と内を隔絶させた。侵攻した政府軍は、死んだ者と重症の者を除き、全てが山外への退避を完了していた。

 この度の比叡山攻めで、政府軍が用意した兵力は六千。内、二千五百が西側に配置され、残り三方はそれぞれ、おおよそ千と端数が配置されていた。

 一晩の戦闘が終わり、死傷者が数えられている。記録担当の役人が、方々を走り回っていた。


「……これが、戦争ですか?」


 防具を外した村雨は、地面に仰向けになっていた。腕で目を覆ったまま、近くに座っている左馬に聞いた。


「いいや、こんなものじゃないさ」


 左馬は、何処から確保したものか、酒を浴びるように飲んでいる。然し、未だに酔いは回っていない様子だ。


「こんなものじゃない。今宵の私達は、敵の居ない所ばかりを進んでいたからね。

 本当に最前線で、敵の中を突き進んだ連中は――ああ成るんだ」


 酒精の匂いを撒き散らしながら、左馬は遠くを指さす。村雨はそちらを見ようともしなかったが、そこに何が居るかは分かっていた。

 血と膿の悪臭、呻き声。負傷者と、これから死に逝く者と、死体になってしまったものが入り混じる、惨状が展開されていた。

 村雨達が留め置かれているのは、衛生兵を集めた簡易治療所。治療魔術を心得た者達が、重症の兵士から治療に当たっている。

 だが、治療魔術は難易度の高い技術だ。高度な治療を行える術者は少なく、開いた傷を幾らか塞ぎ、出血を抑える程度の施術に留まる者が多い。だから、助からぬ者も多かった。


「……『錆釘』の人達は、どうなりました?」


「それは――」


 左馬も、答えが無い。この混乱では、未だに何も分からぬのだ。

 ただ、被害が無い筈は無いとだけ、悲しいながら断言できる――己の目で、それを見ているのだから。


「本陣守護十人は、全員が生き残った――腕を落としたのが一人、膝をやられたのが一人ぐらいだ」


 丈の長い外套の、長躯の男が――葛桐が、そう言いながら歩いて来た。常に被っている鍔広の帽子は、火の粉が飛んだか、ところどころに焦げ跡が見える。


「葛桐……生きてたんだ、良かった」


「俺は、な。……見てきたが、三方さんぽうの遊軍も被害は少ねぇ。二十人の内、死人は二。八人ばかり大怪我だが、手足を無くしたのは一人しかいねえって話だ」


 首の回りや袖口から除く体毛――それにこびり付いた返り血を削ぎ落としながら、葛桐は村雨の隣に、胡坐で座り込んだ。


「知り合いかい? 丁度良かった、馬鹿弟子を頼む。酒が切れたんでね、代わりを取りに行くよ」


 入れ替わる様に左馬が立ち上がった――言葉は穏やかだが、表情には明確な嫌悪感が浮かんでいる。亜人嫌いの性根は、弟子を取った程度では変わらないのだ。

 酒の臭いが遠ざかるまで、葛桐は苦々しげな顔のまま押し黙り、それから漸く続きを言葉にする。


「……西側から上った連中は、三人しか戻ってねえ。お前と、お前の師匠と、お前が担いできた奴だ」


「いーや、四人よ。俺様も戻って来たもの……はー」


 溜息と共に、次に現れたのは八島陽一郎――火縄銃を九つも背に括り付けた男だった。


「八島さん……!? ね、ねえ、薊さんは――」


 その声を聴いて、村雨は跳ね起きる。彼自身に用件が有るのではなく――余所余所しく思われるかも知れないが――薊の生死を、知りたかったのだ。


「薊さん、は……」


 八島が何を言わずとも、村雨は答えを知って膝から崩れ、地面に伏した。八島の右手は薊の首を、頭髪に指を絡めて掴んでいたのだ。


「連れ帰った」


 軽薄な言葉使いの八島だが、この一言は重かった。葛桐は帽子を傾け、鍔で目を覆い弔意を示す。

 地面に伏して腕に顔を埋め、村雨は肩を震わせる。抑えても抑えきれぬ嗚咽が零れ、涙が袖口を濡らした。


「よしよし、もう泣いていーのよ。悲しいだろうし、辛いだろうし、ねえ……」


「……違う、違うの……」


 左手、血で汚れていない方の手で、八島が村雨の肩を叩く。村雨は首を振って、それから言った。


「……怖かった……こわかったよう……!」


 泣きじゃくる彼女は、死を好む獣では無く、ただの十四歳の少女だった。






 比叡山南側戦線。政府軍千二百名中、死者八十七名、負傷者二百九十六名。

 東側戦線。政府軍千二百名中、死者百四名、負傷者三百二十八名。

 北側戦線。政府軍千百名中、死者二百五十三名、負傷者六百一四名。

 西側戦線。政府軍二千五百名中――死者八八五名、負傷者九百六十八名。

 それが、この戦いの結果、政府軍が得られたものである。


「あー、ちょいちょい。離堂丸さんだっけ、これ受け取ってちょーだいな」


「私ですか……? 何故?」


「いーからいーから、ほい」


 八島は、一人洛中へ帰ろうとする離堂丸を呼び止め、小さな箱を投げ渡した。

 受け取った離堂丸は直ぐに小箱を開け、怪訝な顔をした。


「……指輪ですか? これは?」


「さーあね。俺も渡せって頼まれただけだし、理由もよく知らんのよ。まあ……指の保護と思って、身に着けとけばいーんじゃね?」


「まあ、貰える物なら貰いますが……」


 納得はしないながらも指に通して、上り始めた太陽に翳す。銀色の指輪は朝日を散らして、朱と黄金の中間の色合いを見せた。


「あら、綺麗。血の色が映えそうですね」


「……それでいいならいーのよ、俺は。んじゃ、渡したからもう行くぜ」


 やれやれと溜息を吐いて、八島は離堂丸に背を向ける。暫く歩いて着いたのは、比叡山の麓にある、一際大きな松の木の下。

 傍目には、何の変哲も無いように見えるだろうそこに、八島は胡坐を掻いて座り込む。懐から小さな瓶を――舶来の酒を取り出し、とくとくと地面に注いで――


「……難儀な女に惚れたねぇ、薊さん」


 残った半分は一息に飲み干すと、瓶だけそこへ投げ捨てて立ち去った。

 西洋の暦で言うならば、十一月五日の朝。誰の心情をも汲み取らず、晴れやかで、良い天気だった。

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