第二十二話 双剣娘 怒りて賊に対し 水鏡公主 憤りて官に抗すの事
ルフトケーニッヒ山の麓に、イルリーヴルと言う小さな町がある。
この町はシュヴァルツ山賊団の至近にありながら、前頭目ロボスの時代より賊の難を殆ど受ける事なく来ていた。
その理由は、この町の指導者にあった。
リゥ=チィホア。弱冠十七歳の女性である。しかし若い女性と侮れない。
約一年前、シュヴァルツ山賊団がルフトケーニッヒ山に拠を構えた頃、ロボスはイルリーヴルを補給拠点とすべく町に再三脅しを掛けていた。これを敢然と拒否し、更に山賊の襲撃を実力で追い払い、遂にはロボスをして今後町に一切手出しはしないと約束せしめたのが、当時青年団の纏め役だった彼女である。現在では誰一人認めぬ者はない町の指導者として“水鏡公主”の異名を奉られている。
勿論、彼女一人でその業を為し得た訳ではない。彼女を佐ける友人もまた一能に秀でた者達だった。
クレヴィア=ユーリ=ヴァイセデル。チィホアの一の友人で、文学や歴史についての豊富な知識を有する彼女は、チィホアを頭脳面で補佐する参謀役である。一度読んだ文章は一字一句まで正確に憶え、のみならず書体までそっくりに書き写す技能を持ち、“青娥文士”とも呼ばれている。
シャイナ=ティエン=ナンパオ。一名を“照闇虎”と言う彼女は奥深い山中に住むと言われる流浪の民“サンカ族”の出で、彫刻を得意とする。動きは俊敏で自己流の拳法を使い、気功術と組み合わせる事で指一本で相手を行動不能に出来る。智のクレヴィアと並び、武でチィホアを助ける存在だ。
マクシミリアン=ムスタシュ。茫洋たる風貌に隠されたその素顔は、情報の取り扱いに長けた一流の諜者である。かつての山賊との争いにおいても、彼の収集した情報と的確な分析が町の勝利に大いに貢献した。腕の良い造船技師でもあり、“流泊匠”とアダ名されている。
この四人の才と結束を見て、ロボスの後に山寨を治める事になったシリウスもまたこれを敵に回す愚を冒さず、町に対して不干渉の姿勢を取っていた。これにより両者は互いに黙認の形ではあるが併存していたのである。
しかし今、状況は変わりつつあった。シュヴァルツ山賊団がコーベより官軍の精鋭の討略を受け、野戦を経てシリウスが山寨に逃げ帰り門を堅く閉ざしてから数日が経つ。如何な白狼将と言えども倍する敵――それも率いるは神臂娘――に包囲されては、これを切り抜けるのはかなり苦労するだろう。
そしてイルリーヴルは、或る意味で町の将来を左右するであろうこの戦いを、固唾を呑んで見守っていた――。
「……どうするつもりやろね、白狼将は」
関西訛りの声は、月蒼色の上着に同色の頭巾を被った女性のものだった。さして特徴ある顔立ちとも言えないが、どこか人を惹き付ける風がある。
声の主は、水鏡公主のリゥ=チィホアである。
チィホアは誰に問うでもなく呟いただけであるが、彼女の周囲は敏感に反応した。
「ともかく時間を稼ぐつもりなんだろう。今、シュヴァルツの頭目の半分は山寨を出て各地を廻っていると言うからな。そいつらが帰って来るのを待って、反撃はそれから、ってつもりじゃないか」
答えたのは細面に弦無しの眼鏡を掛け、無精髭に啣え煙草の、何とも締まらない若い男である。しかし、この飄々たる外見が彼の最大の武器である事をこの場の誰もが知悉している。
諜報に掛けては練達の士、マクシミリアン=ムスタシュは、自身の分析を開陳してみせた。
「しかも白狼将は攻めよりも守りに長けていると評判だ。それも官軍の足を鈍らせるに十分だと思うが」
「と言っても、その頭目達が帰って来なければ埒が開かないんだよね。それまで官軍が黙っててくれるかな?」
彼の言葉を薙ぎ取ったのは、端整な容貌の青年だった。いや、大多数の人はそう信じるだろう。しかし、その声は青年のもの、と言うには高過ぎた。
シャイナ=ティエン=ナンパオ。一見では中性的な魅力を秘めた麗しい青年に見えなくもないが、歴とした女性である。
シャイナの指摘の正しさは、チィホアもマクシミリアンも認めざるを得ない。シリウスの待つ援軍はいつ来るのかもその戦力も全く未知数だ。まして神臂娘――白狼将に勝るとも劣らないこの名将が、果報を待って無為に時を過ごすとは思えない。
「とにかく、今まで通り不干渉を貫くことだよ。下手に手を出せば、こっちに火の粉が降りかかって来る」
「そうやろな……」
そやけど……、と内心でチィホアは付け加える。
シリウスとは一度会った事がある。だが、その泰然とした挙措と鷹揚な言動に、彼を讃える世上の声の正しさを彼女は信じた。彼のような人間が一人いなくなると、この地上から大きな面白味が一つ消えるような気がする。
「なぁクレヴィア、あんたはどう思……う……」
チィホアは絶句した。
話を向けた一の友人は、いつの間にやら壁に背を預けて完全に寝入っている。返事の代わりに静かな寝息が聞こえて来た。こうなるとちょっとやそっとでは起きない事を、友人達――特にチィホアはよく知っていた。
「……シャイナ」
「仕方ないなぁ。恨むんなら、チィホアを恨んでよ」
後半は、クレヴィアに向けた言葉である。シャイナはその手に気を込めて、クレヴィアの項に翳した――
「ひゃぁぁぁぁーーっ!?」
がばっ、と飛び起きるクレヴィア。
辺りを見回し、状況を悟ると、彼女の至福の時間を奪い去った犯人に恨みがましい目を向ける。
「シャイナぁ……」
当のシャイナはどこ吹く風だ。
「クレヴィア、まだお陽様は高いよ」
「あんた、相変わらずええ神経してるなぁ。こんな場で寝れるて」
友人二人から立て続けに皮肉を投げ掛けられた。が、クレヴィアにはさして堪えた風もない。
「ちゃんと聞いてたってばぁ……」
「ほな、うちらはどうしたらええ思う?」
生成色の衣服に豊かな身を包み、“烏の濡れ羽色”にも例えられる見事な長い黒髪を指で弄びながら、クレヴィアは答えた。
「白狼将が守りに入ったら、戦局は簡単には動かないと思うわ。でも、それが即山賊団の勝利を意味する訳じゃない。現状ではどっちに転ぶか判らない以上、どっち付かずの蝙蝠に徹するしかないわ。シュヴァルツには可能な限り関わり合いにならないようにして、下手な動きは見せない事よ」
眠そうな外見の下で、彼女の頭脳は状況を的確に分析している。
「やっぱ、それしかないか……」
余所から流れて来た自分達と違い、イルリーヴル出身のクレヴィアは町への愛着も一塩である事は皆承知している。外せば町を危機に晒す、そんな博打は打たないだろう。
結局、当面この戦に無関心を装い、表向きは普通の町と同じように息を潜めて推移を見守る、と言う方針が定まった。
そこへ、チィホアを呼ぶ声があった。旅人が数人、訪ねて来たらしい。
チィホアが出向くと、曰く、西へ向かう途上で知らずこの戦に出会し、大層困惑していると言う。
「……陽も既に西に傾き、無理に次の街に向かうより、今日はこの地で宿を取りたいと思っています。ついては、お宿を御紹介戴けませんでしょうか」
一団で最も年長と思しき美しい女性がこう頼むと、チィホアは言下に、
「それやったら、うちに泊まっていき。部屋数はあるから」
「でも、御迷惑ではありませんか?」
「構へん構へん。こんな広い家、他に使い様ないし、こんなんしょっちゅうやし。それにこの戦、ひょっとしたら長引くかも知れんさかい、好きなだけおってもろてええよ」
女性は連れの者達と相談した。
「では、お言葉に甘えさせて戴きます」
深々と頭を下げる。
「ちょっと訊くけど、戦場ってどんな雰囲気やった?」
「そうですね。街道沿いまで陣が張られていて、物々しい雰囲気ではありましたが、往来の改めもそんなに厳しくはありませんでしたわ。尤も、私達は何故か曰くありげな視線を何度も向けられましたが」
「はぁ……」
そらそうやろな、とチィホアは思った。
まず取り合わせが妙だ。男一人に女が四人。それも男は全身白尽くめの鎧に遮光鏡、見るからに戦士と言う佇まいをしているが、女の方は少女が二人と妙齢の女性が二人。
少女の一人は腰に二刀を差し、きりりとした面立ちで、もう一人は輝くような赤毛に愛くるしい笑顔の美少女である。女性は、一人は紺のマントを纏い、戦士にぴたりと寄り添っている。そしてもう一人、一団を代表していた女性は、この世のものとは思えないほど美しかった。
これでは兵士達が騒ぐのも当然だろう。同性のチィホアでさえ、視線を逸らし難い思いがふと心を過ぎった。
一見すると冒険者の一団に見えなくもないが、それにしては冒険者達が持つような一種独特の雰囲気がない。さては相当身分ある女性か。でも自分で交渉しているところを見ると、彼女は守り役で他に止ん事無き身分の方がいて、戦士はその護衛役、そんなところだろうか……。
そんな事をつらつら考えながら、彼女は客人達を部屋へと案内した。
「他にもお客さんおるけど、夕ご飯の時に紹介するさかい、下に降りて来て」
「解りました。何から何までありがとうございます」
丁寧に礼をする麗人に、えらいまた作法のしっかりした、良家の御令嬢かも知れん、とチィホアはますます想像を巡らすのだった。
その晩、事件が起こった。
外から漏れ聞こえる喧騒に、チィホアは眠りから引き起こされた。窓に駆け寄り、外を見る。
窓の向こうが赤い。
「火事か!?」
手早く着替え、邸の外に飛び出した。
東の方に、立ち上る炎とそれに照らされる黒煙が見える。異変に気付いた町の衆も次々に家を出て来た。
そこに、一人の男が煤塗れになって駆けて来る。
「た、大姐! 大変だ!!」
チィホアを尊称で呼ぶのは、青年団の一人エイルだった。よく見ると煤だけでなく、血の痕も見える。
「エイル! どないしたん!?」
絶え絶えの息を必死に継ぎつつ、エイルは伝えた。
「ルフトケーニッヒ山の連中が……家を襲って……」
「山賊やて!?」
俄には信じられない事だった。一年前の協定以来、町が山賊の襲撃を受けた事など一度もない。まして、今のシュヴァルツの頭領はあの白狼将だ。それが――
だが、現実に町の者が襲われ、被害が出ている。先にやるべき事をやらなければならない。
「そいつらは、まだおるんか?」
「あぁ、暴れてる」
「何にしても、これ以上好きにさせたらあかん。シャイナ! みな連れてって、その暴れてるの捕まえてきて」
「了解!」
シャイナを先頭に、青年団が炎の方へ駆け出す。
「いつもの訓練通りやるんやで」
「判ってる!」
「クレヴィアは怪我した人の面倒看たって……」
てきぱきと指示を出す中、チィホアは邸の戸口から、先刻の旅人達が心配そうに眺めているのに気付いた。
「あぁお客さん、騒がせてごめんなぁ」
「……山賊ですって? ルフトケーニッヒ山の……?」
小柄な方の少女が問う。
「うん……そういうことらしいねんけど、何やおかしいねんけどなぁ。まあ、この辺りは大丈夫やし、何も心配せんでええから、部屋でゆっくりしとって」
それだけ言うと、チィホアは自ら現場へ向かって行った。
「うそよ……シリウスがそんなことするはずない――」
思わず漏れた少女の声は、彼女には届かなかった。
チィホアが現場に到着すると、まだ火を放たれた家は明々と炎を上げていた。どうやら、暴漢は一軒だけでは満足せず、隣家も襲ったようだった。近くの川から水を運んでいるが、火勢は一向に収まらない。が、皮肉な事に、それが周囲の様子を明るく照らし出していた。
暴漢は十数人、どれも屈強そうな男達だ――これを青年団の者達が、三人一組になって一人に相対している。彼我の差をよく弁えた、理に適った戦法である。
既に賊の大半は捕らえられ、その中で、シャイナは一際大きな賊と渡り合っていた。白いシャツに黒のベスト、赤い鉢巻を巻き、黒髪は後ろの一房だけが長い。
賊は相手を若僧と呑んで掛かり、物も言わずに斬り掛かる。
だが、シャイナはその剣をさらりと躱し、がら空きの相手の首筋に手刀を軽く打ち込んだ。それだけで、屈強な男が地面に崩れ落ちる。
町の者は歓声を上げ、賊共には動揺が走った。
この若僧、徒者ではない。どう討ち掛かろうか、と思案して足が止まる。
その時、暗闇から人影が飛び出して来た。
薄紅色の装束に二刀差しも凛々しい、小柄な少女。
「あっ、お客さん!」
チィホアが息を呑んだ。館に泊まっている少女だ。
少女はシャイナの横に並ぶと、
「ここはあたしに任せて」
とだけ言い、二刀を抜いて両手に構えた。
「それに、あいつらにききたいこともあるし」
心做しか、怒りに震えているように見える。
「あなた、どこのどちらさん?」
シャイナが当惑した眼差しを向けたが、少女は少しも動じない。敵味方を問わず、困惑混じりの異様な雰囲気に包まれる。
賊の一人が鼻で笑う。
「お嬢ちゃん、その可愛らしい顔に傷が付かないうちに、お家に帰った方がいいと思うぜぇ」
言いながらも、先の若僧の事もあり、気は抜いていない――つもりだった。だが、気が付けば少女は脇を摺り抜け、同時に腹部に鈍痛を感じ、そして意識を消失した。
周りで見ている者にとっても、一瞬何が起こったか判らなかった。
少女は瞬時に間合いを詰め、駆け抜け様に賊の腹を刀の峰で薙ぎ払ったのだ。
「小娘が!!」
呆気に取られたのも束の間、他の賊がわっと一斉に掛かる。
しかし乱戦は少女の望むところであった。少女は右に出て左に舞い、或いは進み或いは退き、二刀の煌めくところ一人また一人と倒して行く。殺しはせず、手足を狙い、確実に無力化している。
あっと言う間に数人が地に倒れ伏した。
残る賊は戦意を失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。
だが、周りを囲んでいた筈の青年団も予想外の展開に気を取られ、その隙を衝かれて、賊共を包囲の外へ逃がしてしまう。
「しまった!」
シャイナ達が慌てて追う。しかし賊の足も速い。このままでは逃げ切られてしまう。
その先に、一人の人影があった。
「ランダイ!!」
炎の照り返しから窺える姿は、七尺余りの大柄な身体に藍色の服を纏った女性である。長い萌黄色の髪がなければ、少年と見間違われても不思議ではない。その右手には数枚の手札が握られている。
「剣!」
一声叫ぶや、彼女は手札の一枚を賊に投げ付けた。
空を飛ぶ手札が、小さな剣へと姿を変える。
「何っ!?」
剣は一人の賊の右腕に突き立った。驚きと痛みで仰向けに転がる。
残る賊は一瞬躊躇したが、後ろから追手が迫って来る。再び彼女目掛けて突進する。
彼女は動じる事なく、二枚目の手札を賊の足元へ投じた。
「炎!」
手札は地面に刺さると、巨大な火柱を上げた。
「わぁっ!?」
先頭の賊は勢い余って火柱に突っ込んだ。
「あ、熱いーっ!!」
火達磨になる賊。衣服に着いた火を消そうと地面を転げ廻る。
残るは、完全に足が止まった一人。
夜の気を切り裂いて風が鳴った。
賊の首に鋼線が絡み付く。
「グッ!?」
賊は苦悶の表情で首の自由を取り戻そうとするが、獲物を捕らえた鋼線は容易に逃がしはしない。
空を渡る鋼線の先、闇の中から一人の男が現われた。全身白尽くめの衣装に黒い遮光鏡。
先に炎に巻かれてのたうち回った賊は、既に赤毛の美少女の手で縛り上げられている。
終わった、と誰もがホッとした、その時である。
「動くな!!」
怒号が周囲を圧した。一同の視線が集中する。
まだ賊が残っていたのだ。右手に白刃を閃かせ、左腕で小柄な少女の首を押さえ付けている。
「ツィーア!!」
編んだ金髪を頭に巻き付け、氷青色の大粒な瞳も愛らしい少女が、身動きもならず痛々しい姿を晒している。
一旦は包囲を逃れたが前後を塞がれ進退窮まった賊が、破れかぶれで手近の少女を人質に取ったものと見えた。
「いいか!! こいつの命が惜しかったら、おれがいいと言うまで妙な動きするんじゃねぇぞ!!」
賊は少女を抱えたまま、じりじりと動き始めた。誰も動かない。動けない。
だが、この男は逃げようと必死になる余り、重要な事を見落としていた。
「ギャッ!?」
突然、賊が悲鳴を上げ、身体を仰け反らせた。
少女が帯に挟んでいた剣で、男の脇腹を刺したのだ。
こんな少女が武器を持っているとは思っても見なかった男にとって、これは完全な不意打ちだった。
力の緩んだ腕を振り解くと、少女は軽やかな動きで男の背後に回り、その背中を思い切り突き飛ばした。
男の上体が泳ぐ。
「いいよ、ツィーア!」
賞賛の言葉と共に、駆け寄ったシャイナが男の額を指で弾く。それだけで賊は白目を向き、がくりと首を垂れて落ちた。
「よくやったよ。強くなったね、ツィーア」
少女の頭を撫でるシャイナ。
「シャイナさんのお蔭です」
ツィーアと呼ばれた少女はにっこりと微笑んだ。
しかし彼等にはまだやる事があった。火を着けられた家々の消火をしなければならない。
まだ燃え盛る家を前に、チィホアは消火の差配を取っていた。そこへ、銀髪の美女が歩み寄る。
「私も助力致しますわ」
「お客さん?」
彼女は炎の壁の前に立つと、右手を横に振り出した。
「水精召喚!」
たちまちにして、彼女の前に水の人形が現われる。
「水幕!」
人形はその姿を広げて一枚の大きな布のようになり、炎の上に覆い被さった。
辺りが水の蒸気に包まれる。
蒸気が晴れると、あれほどの猛勢を誇った炎は跡形もなく消えていた。
チィホア以下、町の者達が唖然と立ち尽くす。
やがて、それが拍手と歓声に取って代わられた。
賊共を全て拘束し、負傷者を手当し、鎮火を確認して、くたくたに疲れ果てていたがチィホアは、主立った者達を集めた。
その場にはチィホア達と、彼女の館に宿を求めた五人――もうお判りであろう、彼女等は先に関中でシャオローン達と分かれてルフトケーニッヒ山を目指していたヨシオリ、チャール、ジョイ、デュクレインそしてアリーナである。それにあの人質になり掛けた少女ツィーアと、不思議な手札を使う藍色の服の大柄な女性ランダイも一緒にいた。ここで彼女等について触れておこう。
ツィーア、本名はルクレツィア=スーンと言う。関中の街オルダーラの出身で、修学を理由に関西に来ていた。彼女の両親と、イルリーヴルの指導者であったチィホアの叔父夫婦――彼女の養父母が友人だった関係で、彼女の元に下宿しているのである。馬が好きで、人並み外れた馬の乗り手である。アダ名を“小飛燕”と言い、なるほどあの修羅場で見せた動きは正に飛翔する燕のようであった。
手札の女性は、これもチィホアの客人であった。イルリーヴルの南五十里ほどの地にある街アハトシュヴァンツ出身であったが、継父との折り合いが悪く家出したとか。今は神仏を専門に描く絵師をしているが、描かれた絵に念を込めて実体化させる“仙画の法”を会得しており、名を“藍彩画師”のシャオ=ランダイと言う。
「ご苦労さん、ランダイ。お客さんらも、手伝うてくれておおきに」
まずチィホアが礼を言い、そして薄紅色の少女に対して口火を切った。
「それにしても、あんたが双剣娘のヨシオリ=タイラーやったってねぇ……」
彼女にこの情報を齎したのは、言うまでもなくマクシミリアンである。彼は、双剣娘に関して知り得る全てを彼女に伝えていた。
従って、今の彼女の素性を、チィホアは知っている。
単刀直入に訊いた。
「……あの男らに憶えある?」
「ないわ」
「せやったら、正体吐かせれる?」
「やってみる。やらせてちょうだい」
彼女にすれば、シュヴァルツの名を騙られた怒りがある。
勿論、その言葉を額面通り受け取るほど、チィホアはお人好しではない。
「クレヴィア、シャイナ、彼女に付いたって」
三人で部屋を出た。
「……で、お客さんらには、何でこの町に来たんか、一つ正直なところを訊かせてほしいんやけど?」
これにはチャールが答える役に回った。
彼女は、アハトプリンツで聖騎士をしていた事、とある事件でシャオローンと言うシュヴァルツの一員と知り合った事等を語った。
彼の誘いを受け、ルフトケーニッヒ山を目指す道中、ウェストキャピタルで彼女達は、コーベの官軍がシュヴァルツ山賊団討伐に動き出した事を知った。慌てて駆け付けたが既に山は包囲されており、山寨に入る事は不可能だった。そこで、戦況を観察すべくイルリーヴルを拠点に選んだのだった。
「勝手に選ばれてもこっちも困るんやけどね……」
チィホアが小さくぼやいた時、
「判ったよ、連中の正体」
シャイナが部屋に戻って来た。クレヴィアも続く。
「お疲れさん、割と早かったね。で、何者やった?」
チィホアの問いに、二人は気まずそうに顔を見合わせた。そしてクレヴィアが苦々しく答える。
「最低よ……官軍だって」
――監禁した賊達の元に三人が訪れた時、相手を小娘と侮る気持ちがあったのだろう、彼等はまだまだ威勢が良かった。
「おい、小娘。こんなことをして、ただで済むと思うなよ。シュヴァルツの山賊団の恐ろしさは、お前らもよく知ってるだろう。じきに頭領が仲間を引き連れて押し掛けてくるぜ。そうすりゃお前らはみな殺しだ。さぁ、命が惜しかったらさっさとおれたちの縄をときやがれ!」
ヨシオリの瞳が険難な光に煌めく。
「頭領、ですって?」
「知らんか、小娘。おれたちシュヴァルツ山賊団の頭領、白狼将のシリウス様をよ」
刹那、ヨシオリが白刃を抜き、男の首筋に当てた。その冷ややかな感触に、さしもの男も二の句が継げない。
「あんたたちみたいな下衆が、シリウスの名を口にしないで!」
「な、なにをぅ!?」
「正体を白状しなさい!」
激高するヨシオリ。が、男達は容易に口を割りそうにない。
「一寸相談があるんだけど」
そこに割り込むクレヴィア。
「ねぇ、確か山賊って、首だけ持って行っても捕盗府から賞金が出るのよね。この人達、自分で山賊って言ってるんだし、そうしない? もし、本当は山賊じゃない、て言うんだったら後で大変だけど、自分で言ってるぐらいだから間違いないでしょ?」
「首だけ?」
「えぇ。だってこんなに沢山連れて行くの、大変じゃない」
あっけらかんとした表情から語られる話の内容に、賊達も流石に頬が引き攣った。
「ちょ……ちょっと待ってくれ……」
しかしこの哀願はシャイナにすげなく無視される。
「それは良い考えだ。賞金で焼けた家も直せるし。でも首から下はどうする? こっちの始末も大変だよ」
「そうねぇ、河に流したら下流で大騒ぎになるかも知れないし……官軍の遺体置場にぽんと放り出しといたら、勝手に片付けてくれるんじゃないかしら?」
「じゃあ、そうしようか」
「そうね、部屋汚れちゃうけど。ヨシオリ、お願いしていいかしら」
それまで口を挟む事も出来ず、二人の遣り取りを唖然と見守っていたヨシオリだが、小さく頷いて白刃を手に賊に躙り寄る。
賊達の恐怖と周章は頂点に達した。
クレヴィアが改めて問い質す。
「で、あくまで山賊と言い張るか、本当の事を喋って無事に帰るか、どっちが良い?」
ヨシオリが白刃を提げたまま、男の斜め後ろにすっと移動する。
男は黙ったまま動かない。本当は逃げ出したいのだが、身体が動かないのだ。
男の真後ろにシャイナがいた。人差し指が軽く男の項に触れている。それだけの事なのに、何故か男は椅子から動けなかった。
「……貴方も上からの命令で仕方なかったのでしょう? なら悪いのは命じた方で、その為に貴方が命を落とすなんて、馬鹿らしいと思うわ。そうじゃない?」
この言葉が効いた。男は助かったように、自分達はシュヴァルツ山賊団討伐軍の一将カーワンド=フル麾下の部隊の者で、小隊長に唆されて略奪目的でイルリーヴルに侵入した、と洗い浚い全てを喋り始めた。
クレヴィアは無言で聞いていた。実のところ、彼女は最初から官軍を疑っていた。非常の時に官がどれほど信用ならないものであるか、先年町がシュヴァルツ山賊団の脅しを受けていた際の役人達の対応から、彼女は痛いほど学んでいる。だが、自分の推察が的中していたからと言って、それを喜ぶ事も出来なかった。
念の為にもう二、三人から聞き出して、その供述が一致している事を確認してから、彼女達はチィホアに報告しに戻って来た。
「ほんまに最低やね」
溜息と共に、チィホアが毒吐く。
「神臂娘が統率してるから今回はきっちりしてるか思てたけど、そうゆう奴はどこにでもおるんやな」
「それで、あいつ等をどうする?」
「うちが勝手に処分したら後々問題になるし、朝になったら引っ立てて、官軍に抗議してくるわ。もうだいぶ遅なったし、今日は休も」
「何て事を――」
翌日、事の次第を聞いたマリアは常にもなく激した。
麾下の兵が作戦行動中に、山賊を偽って略奪に及ぶとは。彼女にとってこれほど不名誉で破廉恥な行為はない。
「その蛮行に参加した者は?」
「全員、こっちに引き渡された」
「一応、本人から事情は聞いておいて。尤も、山賊の形では申し開きの仕様もないでしょうけど。事実なら即時処断します」
主将の冷厳たる口調に、ヤンは彼女の怒りの大きさを思い知った。この蛮行の代償は高く付く事になるだろう。彼に言わせれば、愚か者に相応の報いが下るだけなのだが。
そしてマリアは町の代表者――チィホアに会って部下の蛮行を謝罪し、被害の補償を約束した。その毅然として且つ情理を尽くした対応に、チィホアは神臂娘及び官軍に対する評価を些か改めて帰って行った。
引き渡された兵士に対する尋問は、ヤンと督戦官のフルマーが行った。中には往生際悪く詭弁を並べる者もいたが、督戦官の追及にあっさりと馬脚を現わし、全員が略奪目的で町に押し入った事を認めた。
翌日、マリアは全員を陣頭で処刑した。
この執行は事前にイルリーヴルにも伝えられ、町の代表としてチィホアを招いた上で、公開で行われた。衆目の前で執行されなければ、軍の統制に民が不信感を抱く。彼女は流石に弁えていた。同時に彼女は、彼等を統べる将であるカーワンドも監督不行届として譴責を加えた。
こうした一連の処分に、チィホア始め町の者達は大いに納得し、官軍に対する悪感情は氷解したのである。
一時的には。
二、三日後、チィホアの元をクレヴィアが訪ねて来た。
チィホアが言う。
「神臂娘ってお上には珍しく、話の分かる人やん」
この友人の見解に、クレヴィアは小首を傾げて見せた。
「そうかな……? と言うか、解り過ぎてる人だと思うけど」
「どないしたん?」
クレヴィアはチィホアに一枚の紙を見せた。
近辺の地図に、官軍の配置が書き込まれている。官軍の陣は、既にルフトケーニッヒ山を半ば以上取り込めていた。先に問題を起こしたカーワンドの陣は、町から最も遠い最東端、ウェストキャピタル方面に陣を移している。
「ふぅん、上役も退げられたんやな」
「そうね、それは良いんだけど、問題はこっち」
クレヴィアが地図の一点を指し示すと、チィホアは急に眉根を寄せた。
「ちょお、これ……」
マリアの本陣がやや北に動き、イルリーヴルとルフトケーニッヒ山の中間に位置した。同時に陣形も緩やかな凸陣に変化している。これだけなら、山賊に対して町の盾になっているように見える。しかし、後詰めのシュラの隊も街道から北に、町の西縁に沿って陣を伸ばしていた。
「……町が東西から官軍に挟まれてしもてるやん!」
「とも思えるでしょ?」
「どういうつもりや……!?」
「ちょっと鮮やかに勝ち過ぎちゃったかな」
「それって、うちらが警戒されてるゆうこと?」
確かに、被害は焼失家屋二軒と怪我人十数人で済んだ。十数人の正規兵を相手に互角の戦いを演じた事になる。特にヨシオリの剣技は双剣娘の名に相応しく、官軍の将もかくやと思わせる域に達していた。
それらの情報を或いは略奪を目論んで処断された兵士達より聞き出し、疑念を抱かせたのかも知れなかった。
いや実際、その疑念は或る面で正鵠を射ていた。イルリーヴルは安全の保証と引き換えに、山賊団の存在を黙認しているのである。裏取引とは言わないまでも、少なくともお上に対して清廉潔白、と胸を張れる立場ではなかった。
「……でも、何か腹立つな」
そもそもイルリーヴルがこんな立場を取らざるを得なかったのは、官の無策が原因ではないか。山賊の被害に対してお上が全く動いてくれないから、自分達の力で山賊の横槍を排除し、相互不干渉の協定を交わしたのである。それを棚上げして山賊との癒着を疑い、警戒する官の論理に、チィホアは釈然としない思いを抱いた。主将たるマリアの差配には些かの不手際もなく、個人的には好感さえ持っている。だが、官と言う組織への憤りに似た感情は、シリウスに対する微かな共感と結び付いて、勃然と或る決意を彼女の内に生じさせた。
「一ぺん、ギャフンて言わしたりたいなあ」
「チィホア?」
「このまま黙ってんのも癪やんか。シリウスを助けるんやないけど、一ぺんでええからこっちの意地を見せたりたい思うわ」
チィホアの決意に、意外にも一番の友人は目を悪戯っぽく輝かせて言った。
「じゃあ、やってみる?」
これにはチィホアが目を丸くした。
「クレヴィア?」
「神臂娘には悪いけど、私もお上に言いたい事はあるから、丁度良い機会だわ」
彼女にしてみれば、町を守ってくれるつもりがないなら、例え官軍であろうと速やかに退場願いたい、と言ったところだろう。何より他ならぬチィホアの意志である。
「そんなこと、できるん?」
「一応ね。一回だけなら、相手が神臂娘でも通用すると思うわ」
こうして、投じられた一石が波紋となって大きく拡がり、次には文士の一書が智将を釘付けにし、天女は翼を得て北へ羽搏くと言う事になるのであるが、クレヴィアが胸中に略す策とは果たして? それは次回で。




