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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
21/42

第二十一話  白狼将 官軍と力戦し 神臂娘 賊寨を重囲すの事

 突如飛来した巨大な鳥、即ちロックはリンネとシャオローンの頭上を二、三度旋回した後に高度を下げ、忽然こつぜんと姿を消した。

 真紅の翼と燃えるような冠毛を持つ鵬。その色彩の持ち主を、シャオローンは――翼竜ワイバーンとしてのシャオローンはよく知っていた。自分と同じく魔軍の第二空戦師団に所属していた、空戦隊長のジョイ。

 その名が、リンネの口から発せられたのである。

「やはり、貴女は――!」

 シャオローンが再び彼女に問いただそうとした時、樹間から飛び出して来る人影があった。そのままの勢いでこちらに向かって来る。

 人影は三つ。一人はジョイ――人間のジョイ=ユーフェミア。これは彼の予想の範疇はんちゅうにあった。しかし、残る二つは……

「兄さん!」

 ヨシオリだった。これにはシャオローンも驚いた。一歩遅れてチャールが続く。

「ヨシオリ! どうしてここへ!?」

 アハトプリンツで別れてから半月余り。関西かんせいルフトケーニッヒ山へ向かっていたヨシオリ達が、何故最北の島に姿を現わしたのか。思い掛けない再会に、ただならぬ事態が生じた事を彼は知覚した。

「何があったんだ?」

 義兄の問い掛けに、奔騰ほんとうする感情に崩れそうだったヨシオリの顔が、一瞬にして張り詰めたものに変わった。その変化がシャオローンに事態の緊迫を悟らせる。

 彼女は端的に、義兄に関西の急を告げた。

「兄さん、すぐに戻って! ルフトケーニッヒ山が……シリウスたちが危ないの!!」


 ここで話は一月ほど前にさかのぼる。

 シャオローン達が有為の人材を求めて各地に旅立った後も、ルフトケーニッヒ山に残ったシリウス達はシュヴァルツ山賊団の地歩を固めるべく、着々と動いていた。と言うより、動かぬ訳には行かなかった。

 シュヴァルツ山賊団も今や、五百人を越える大所帯となっている。しかもこれが、前の首領ロボスの頃からの山賊と、シリウスに付き従って山寨さんさいに入った元官軍兵士の混成軍――言わば呉越同舟ごえつどうしゅう有様ありさまである。そこに感情的な軋轢あつれきが生じない筈はなかった。これを何とか収めた上で、官軍にも対処し得る一軍に組織化せねばならないシリウス等首脳部の苦心は並々ならぬものがあった。

 その他にも、この大所帯を維持する為の衣食住を整え、山寨と周囲の地形を把握して不意に備えるなど、シリウスと二人の副頭は大車輪の働きを余儀なくされていた。

 幸い、食に関してはオビアットが野菜畑を管理している。彼の農才は大いに山寨の助けとなった。

 そのオビアットの知り合いで、トシーロ=テンと言うハーフエルフの魔法使い(マジックユーザー)が山寨に身を寄せていた。

 混血であるが故に故郷のエルフ村から出され、その為か容易に他人と打ち解けず、やや自己中心的なところがあるが、オビアットの事は信用しているようだった。九尺の長身に、エルフらしからぬ横幅のある体格だが武芸はからっきし。しかし幻術師イリュージョニストとしての能力は高く、アダ名を“華光子かこうし”と言うのだとか。

 そして、シャオローンからの紹介状を携えたアーシャネオス=カーン、かの嶺北れいほく紫眼龍しがんりゅうもシュヴァルツ山賊団の門を叩いていた。ヒロの旧知でもある彼女は、すぐに山寨に受け容れられ、席次を得る事となった。

 この頃には、山賊団もかなり落ち着いてシリウス達の仕事も一段落し、彼等も一様に暫しの寧日ねいじつむさぼっているところであった。

 そこへ、急報がもたらされたのである。

 関西最大の軍事都市コーベ――それは取りも直さず、この地に駐在する軍勢が帝都ていとに次ぐヤパーナ第二の豪強を誇る事を意味する――より、シュヴァルツ山賊団の討伐を掲げた兵馬が進発したと言うのだ。

 その数、数千。更に討伐軍の陣容を聞いて、シリウスでさえ一瞬言葉を失った。

「よりによって神臂娘しんぴじょうか……」

 主将は、“神臂娘”の呼び名も巷間こうかんに高い女将軍マリア=イーグ。左右の副将はこれも勇猛で鳴る“神雷火じんらいか”のヤン=ヒル=ディーンに“大開山だいかいざん”のカオス=テンペラス。とすれば、その他の将兵も凡将弱卒ぼんしょうじゃくそつではあり得まい。やがて押し寄せて来る軍勢は、間違いなくコーベの最精鋭と言えた。

「僕達も高く評価されたもんだな」

 軽口にまぎらわせてはいるが、ヒロの眼光は真剣そのものだ。

「それにしても、こないによるてなぁ。しかもコーベから」

 意外さを隠せないカメ。シリウスにとってもこれは大きな誤算だった。先頃、ウェストキャピタルからの討伐軍を大いに打ち破った事で、暫くの間は新たな来襲はないと踏んでいたからだ。だからこそ、シャオローン達七人を仲間集めの旅に送り出したのだが、それが良く言えば誇り高い、悪く言えば尊大なウェストキャピタルがこうもあっさりとコーベに泣き付くとは。シリウスにしてみれば、かの地の人の気性をよく知っていたが故の違算いさんだったのだろう。

 だが、逡巡しゅんじゅんしてはいられない。座して待っても、重囲に取り囲まれるだけである。シリウスは逸早いちはやく主立った面々を取り集めた。

「打って出る」

 即決である。

「まずは一当たり、例の手で当たってみよう」

「“釣野伏つりのぶせ”やな」

「そうだ。カメ、ヒロ、二人で敵をおびき出してくれ」

「まかしとき」

「相手はあの神臂娘だ。コーエンのようには行かない」

「わかってるて!」

 乗って来なければ無理に誘うな――言外の指示を、気心の知れた副官は正確に読み取っていた。

「他の方は、取り敢えず山寨を固めて貰います」

「やれやれ、来た早々大した騒ぎになったもんだね」

 アーシャが肩をすくめる。

「ま、そうでなくっちゃ、来た甲斐がないってもんだ」

 日ならずして、シュヴァルツの一軍は迫り来る討伐軍と対峙した。


 カメ、ヒロ率いる先鋒に相見あいまみえたのは、討伐軍の二人の副将である。

 一方の将は赤い板金鎧プレートメイルに赤の手甲ガントレット、青の脚甲グリーブ、青いヘルメットに面頬を着け、その奥より眼光鋭い目が覗いている。右手には一丈二尺の画桿がかん大矛おおぼこを携え、青毛の馬に騎乗する凛乎りんこたるこの将こそヤン=ヒル=ディーン、一名を神雷火と言う。

 片や、恰幅かっぷくのある体躯に獣面を彫った胴丸を着込み、黄の兜をかぶったいかつい顔、黄毛の馬にまたがり、手には異名の由来である六十二斤の金蘸斧きんさんぷを持つ。まさしく大開山のカオス=テンペラスであった。

 二人の騎将がずい、と前に歩み出る。

「シリウス=プラトニーナ! 帝国政府並びに軍に対する反逆の罪により、貴官を討伐に参った! まだ前非を悔いる良心があるなら、直ちに陣前に出て降伏せよ!」

 神雷火の大音声だいおんじょうが戦場をびりびりと震わせる。

 しかし、対するカメとヒロに動じる気配はない。それどころか、

「黙って聞いていれば、笑わせてくれるぜ。官の腐敗も見抜けないようなでくの坊に、僕達が捕らえられるならやってもらおうじゃないか」

「せやせや。痛い目見ぃひんうちに帰るか、いっそこっちに来ぃな。歓迎するで」

と混ぜっ返す始末。これが官軍の二将の怒りに火を点けた。二人におめき掛かる二将。

 何十合か渡り合って、カメとヒロは馬首を返して逃げ出した。それを二将が猛然と追う。

 そして、二将は策にはまった。

 気が付いた時には、周囲を伏兵に囲まれていた。

 釣野伏せがまたも見事に決まった。

「退却だ、退けーっ!!」

 慌てて転進する二将を、今度はカメとヒロが追う。

 ここまではシリウスの作戦通りだ。後は二将を首尾よく捕らえるか討つか出来れば言う事はない。いや、コーベ切っての勇将である二人をここで逃がせば後々厄介な事になる。追う者と追われる者は、それぞれの理由で必死に馬を走らせた。

 しかし、二将をかなり追い詰めた辺りで、前方にふっと騎影が現われた。

 白馬に騎乗している小柄な人影は、女性のように見えた。山吹色の髪に碧い瞳、羽飾りの付いた頭帯を巻き、白い半身鎧ハーフプレートを身に纏っている。腰には細身の剣がげられている。

 その姿を認めたカオス、必死の表情に安堵の色がにじむ。

「すまん、はめられた」

 横を駆け抜け様にヤンがびる。

「いいから、ここは私に任せて」

「頼む」

 二人を見送ると、女将じょしょうは追って来る賊の二雄に正対した。

 おもむろに右手を振り上げる。

 カメもヒロも、前方の女将の存在には気付いていたが、それでも馬足を緩めずに駆け抜けようとする。

「やっ!」

 彼女の右手が振り下ろされる。

 直後、カメは僚友の姿が馬上から消えたのを、視界の端に認めた。

「ヒロ!?」

 慌ててカメは手綱を返す。

 地面に投げ出されたヒロは額から血を流し、完全に気を失っている。

 何が起こったのかいぶかった瞬間、正面を向いたカメの鼻に激痛が走った。たまらず手綱を放し、鼻を押さえて鞍上から転落する。

 こうなっては、二将を追うどころではない。後方から追い付いて来た手下達が大慌てで二人を助け出し、元来た道を引き返して行った。

 負傷した二人の姿に、シリウスは驚いた。

「どうした! 何があったんだ!?」

 既に意識を取り戻していたヒロが、悔しさを表わしながら状況を説明する。

「面目ない、でも一体あれは何だったんだろう」

 それを聞いたシリウス、険しい顔色で呟いた。

「神臂娘が出てきたか……」

 そして二人を打ち負かした女将軍の事を説明した。

「せや、あのぃこいん、どっかで見覚えある思たわ……あれがマリア=イーグやった」

 士官学校の一級上で、内外に評判轟いていた才媛の事を、カメは漸く記憶の底から引っ張り出していた。

「もっと早く思い出せよ」

 ヒロが僚友に毒吐どくづく。

 神臂娘の由来――それは彼女、マリア=イーグが百発百中の腕前を誇るつぶての名手である事にあった。礫と言っても馬鹿には出来ない、当たり所によっては十分に死命を制せらるだけの稜角りょうかく堅質けんしつを持っている。そして彼女はそれを可能にする技量を備えていた。

 カメとヒロがこの程度の怪我けがで済んだのは、ヤンとカオスを無事に自軍に収容する為の時間稼ぎとして、マリアが手加減したからに他ならない。

 シリウスは二人を傷養生の為に山寨に引き上げた。

 そして、官軍に対面するように陣を築いて自身とアーシャがそこに入り、オビアットとトシーロにロイを付けて後方に留め、山寨との連絡線を確保させた。

 どう考えても、こちらが不利だった。しかし、官軍の損失も少なくはない筈だ。再編成の為に軍を下げるか、恥辱をすすごうと急戦を求めて来るか、それとも――


 翌朝、官軍がときの声を上げて陣に押し寄せた。

 率いる将は昨日に引き続きヤンとカオスである。

“雪辱に燃えて飛び出して来たか……それとも、復讐心を買って神臂娘が許したのか”

 シリウスは迎え討つべく、自ら陣頭に立った。

 これを見て吠える官軍の二将。

「おう、首魁しゅかい自ら出馬とは願ってもない。捕らえてやるから神妙にしろ!」

「大言は僕を捕らえてからにしてくれないか」

「もっともだ。では、オレの実力を見せてやろう!」

 まず先に飛び出したのはカオスだった。

 たちまちにして斧槍ハルバードと金蘸斧の打ち合いが始まった。

 体格で一回り劣るシリウスだがその打ち込みは鋭く、カオスは自分でも驚くほど守勢に立たされていた。

 二、三十合も打ち合った頃、勝ちを制せないカオスに代わってヤンが助太刀に入った。

「流石は噂に聞く白狼将はくろうしょう。次はおれの矛を受けてもらおう!」

 今度は彼の大矛がシリウスを狙う。彼はあらゆる長柄武器を得意とするが、中でも彼が傾倒するいにしえの勇将ジンライにならい、一丈二尺の画桿の大矛を愛用していた。

 しかしシリウスの斧槍はヤンの矛先を巧みに躱し、時に逆襲を試みて、ヤンの心胆を寒からしめた。

「ヤン! 今度こそオレがしとめてやるぞ!」

 再びカオスが討って出る。

 二人の勇将を左右に、シリウスは更に数十合渡り合った。さしもの彼にも疲れの色が現われてきた。額から汗がしたたり落ち、肩は呼吸の度に大きく上下する。

 今はこれまでか。

むを得ん、勝負は後日!」

 シリウスはさっと馬を返した。

「逃げるな、白狼将!」

 追うヤンとカオス。しかしその馬足は彼に遥か及ばない。

 シリウスは陣に帰り着くと、アーシャを呼んで直ちに迎撃の準備を整えた。

 程無く、二将を先頭に官軍の勢が姿を現わした。追って来た勢いそのままにシリウスの陣に攻め掛かるかと思いきや、軍勢は矢の届かないぎりぎりの所でぴたりと動きを止めた。そのままじっと見据えるかのごとき構えである。

「妙だな……何故速戦を挑んで来ない?」

 その呟きを耳に留めたアーシャ、

「初戦で痛い目に遭ってるから、連中も慎重になってるんじゃない?」

 その意見は十分頷けるものであった。が、彼はまだ納得しなかった。

 勇猛で鳴る二将――それも初戦の雪辱に燃えているに違いない――が、敢えて制力的な用兵に徹している。それも、奇策を恐れての慎重さと言うより、ほとばしる戦意を無理矢理押し止めているかのような、殺気立った不気味な沈黙だ。如何いかなる目的が、彼等の足を止めているのか。

 足を止める……それはこちらも同じ状況だ……

「まさか……」

 シリウスの中に、一つの仮説が浮かんだ。そうであれば、二将の行動に説明が付く。但し、結果は最悪だ。

「シリウス?」

 黙り込んだシリウスをアーシャが訝る。

「アーシャ、部下を率いてオビアット達の陣へ急いでくれ。官軍には気取られぬように」

「! 向こうが襲われてる、っていうのかい?」

 シリウスの眼光は険しい。

 してやられた。――初戦に敗れた二将を敢えてぶつけてきたのも、二将が復讐心もあらわに猛勢を繰り出さないのも、自分を長く足止めしてその間に山寨との連絡を断つ、神臂娘の策略だ。

「わかった」

 すぐさまきびすを返すアーシャ。その部下達も誰に命ぜられるでもなく、自然に彼女に付いて行く。

 彼女等は元は盗賊団、隠密裏の行動は御手の物だろう。シリウスはそこに望みを託した。


 一方、こちらは山寨より駆り出されたオビアット。

 彼の口は不安の言葉しかつむぎ出さなかった。

「今が収穫の大事な時期なのに……大丈夫かな、ぼくのトマト」

 やれやれ、とばかりに後ろでロイがかぶりを振っている。

 しかし今は新たな、そして巨大な厄難が彼等に迫り、押し潰そうとしていた。

 遥か前方より聞こえる馬蹄の響き。それは、敵の襲来を意味する。

「ど、どうしよう。こっちにこんなに来るなんて、聞いてないよ」

 狼狽ろうばいも無理はない。せいぜいが野菜泥棒を追い払う為に覚えた程度の武芸しか持たぬオビアットである。多勢の、それも官軍を相手にすると考えただけで、膝の力が抜けそうになる。

 そんな彼を支えたのは、知己ちきのトシーロだった。

「落ち着けよ、オビアット。ここにはぼくの幻術がある。ここで逃げたら、官軍はそのまま山に攻め上る。いいか、そうしたら、お前自慢のトマト畑も台無しになっちゃうんだぞ」

 その言葉は、崩れそうなオビアットをかろうじて踏み止まらせた。

「……そうだよね、ぼくのトマト畑は、ぼくが守らなくちゃ」

「その意気、その意気」

「来たぞっ!!」

 ロイの叫びが飛ぶ。

 既に、敵の騎兵が駆けて来るその姿が見て取れる。先頭は白い半身鎧を身に纏った、山吹色の髪の女将軍だ。

「弓! 射って!!」

 空を裂き、矢が飛ぶ。

 敵の足が一瞬鈍る。

「トシーロ!!」

 オビアットの声よりも早く、トシーロは呪文の詠唱に入っていた。

濃霧フォッグ!」

 彼が手を前にかざした瞬間、騎兵の動きが停まった。何かに狼狽おびえるように、しきりと周囲を見回している。

「し、将軍! 霧で周りが全く見えません! こ、これは一体!?」

 官軍の将兵の動転振りは一通りではなかった。何処いずこからともなく差してきた霧によって、すぐ目の前にあった賊の陣が隠されたばかりでなく、自らの置かれた位置すら定かではなくなったのである。さしもの神臂娘も足を止めざるを得なかった。

「これは魔法か、それとも幻術の類か……」

 そこへ矢の雨が降ってきた。矢数は決して多くないが、外れる矢もまた少なく、官兵は一人また一人と馬から落ち、矢に当たって倒れる。

「矢の届かぬ所まで退がれ!」

 マリアは号令し、飛来する矢とは反対の方向へ軍を退かせた。

 隠行してきたアーシャ達が到着したのは、丁度そんな折だった。

「……シリウスの予想が当たったね」

 彼女の眼前、官軍はオビアットの陣に突入しようとしていた。しかし何故か急に停止し、矢を浴びて一旦引き下がる。

「トシーロが何かやったようだね」

 流石に勘が鋭い。

「どうします、姉貴? 今なら連中、混乱してますぜ」

「止めときな。どうせ一時の事さ。それより、オビアット達と合流するのが優先だ」

 こうして建て直しを図る官軍を後目しりめに、彼女達はオビアットの陣に入った。

「状況はどうだい?」

 挨拶もそこそこに、彼女はオビアットとトシーロに問うた。

「一回来たけど、ぼくの幻術で追い払ってやったよ」

「一体全体、どうしてぼく達の方に来るんだろう」

 アーシャは肩を竦め、手下達から斥候せっこうの情報を収集し始める。聞けば、再編成を終えた官軍が再び寄せて来る構えだと言う。

「そんなの、またぼくの幻術で蹴散けちらしてやるよ!」

 しかしアーシャは、それには答えず別の事を口にした。

「ここの見張りから、連絡が全くないね」

 それは、官軍の集結地点の南に派遣した斥候だった。

「それじゃあ……」

「怪しいね。ダイマン、手勢を伏せといてくれる?」

「わかりやした」

 アーシャの指示を受け、ダイマンと数十人が南の街道筋に向かう。暫くして、次の報が来た。

「官軍がまた来ましたぜ!」

 正面から官軍の騎馬が隊伍を組んで進んで来た。

「任せろ! ぼくの出番だ!」

 トシーロは意気揚々と、柵の後ろで幻術の構えを取る。しかし――

「あれぇ?」

 官軍は様子を窺うかのように、一里も手前で進軍を止めた。そこは弓矢は勿論、幻術の範囲からも外れている。

「これじゃ届かないよ……」

 不満気に口をとがらすトシーロ。アーシャも疑念を抱いた。おかしい――

「あ、姉貴ぃ! 大変だぁっ」

 静寂せいじゃくを破る叫声きょうせい

 振り返って彼女が見たものは、這々のていで逃げ帰って来る手下達と、顔面を真紅に染め、仲間二人の肩を借りて漸く歩いているダイマンの姿だった。

「ダイマン! 何があった!?」

 アーシャの姿を認め、ダイマンは安堵と無念の入り雑じった表情を浮かべる。

「……あ、姉貴、面目ねぇ……ちくしょう、あの女め、妙なもの投げつけやがって……」

 女? 妙なものを投げる?

 アーシャの背にぞく、と怖気おぞけが走った。

 神臂娘が来るか――。

「弓を使える者は、南の柵へ! 街道筋に敵が見えたらすぐ射掛けるんだ! トシーロもこちらの敵を足止めし、絶対近付けさせるんじゃないよ!!」

 正面の本隊は、アーシャ自身が止めるつもりだった。だが一旦敵が動き出したら、自分の力だけで止められるのか。捕盗府ほとうふ下吏かりとの切った張ったは馴れっこのアーシャだったが、正規軍の相手となると勝手が違う。

 間もなく、南より喚声が沸き起こった。

 トシーロが柵越しに立つ。

白闇ホワイト・アウト!!」

 相手の視界を漂白し、空間識くうかんしきを失わせる高度な幻術だ。

 官兵の足が止まった。騎兵は平衡を失って落馬し、歩兵はその場にへたり込む。

「見たか!」

 だが、この幻術をのがれ得た者が委細構わず駆けて来る。先頭は白馬を駆る山吹色の髪の女将軍。

「そこ!」

 マリアの手を離れた礫――飛蝗石ひこうせきが、神臂娘の名に違わず、トシーロの頭を直撃する。

「わっ!?」

 敢え無く引っ繰り返ったトシーロ。南の柵は大混戦に陥った。


 同じ頃、官軍はアーシャの守る正面にも押し寄せていた。

 先頭切って駆けて来るのは、青鈍あおにび色の長袖の上衣に銀糸で装飾を施した革の胴鎧を着、乳脂クリーム色の洋袴ズボンに同じく装飾をあしらった革帯、飾りの付いた鍔広つばひろの帽子を被った眉目秀麗びもくしゅうれいな若者である。腰に刺突剣レイピアを提げ、白馬に跨るその姿は、凄惨であるべき戦場に凡そ似合わぬ、優美且つ貴介きかいな風をかもし出していた。

「……あの貴族の坊ちゃんが、どうやら主将のようね」

 主将を討てば、敵の士気は砕ける。それしか方法はなさそうだった。アーシャは傍らの若者に合図した。

「行くよ、オビアット!」

「う、うん!」

 柵の近くに来て、前に立ちはだかる人影を認めた若者は、軍勢を留めて自ら一騎進み出る。

「僕はハリールト侯爵家こうしゃくけの長子ラスティーナです。そこのお嬢さん方、賊の仲間とお見受けしますが、僕と戦おうと言うのですか?」

 育ちの良さから来るのであろう鷹揚おうような物言いが、かえってアーシャのかんさわる。

「その大口を閉じな。言っとくけどね、あんたのその貴族風になびくような奴は、ここには一人だっていやしないよ」

「これは勇ましいお嬢さんだ。その勇敢さに敬意を表して、僕がこの剣でお相手しましょう」

 馬を下り、ラスティーナは刺突剣を顔前に構えた。

「礼儀です。お名前を伺いましょう」

「別に覚えといて貰わなくてもいいけどね。紫眼龍のアーシャ、アーシャネオス=カーンさ!」

 アーシャは短剣ショートソードを手に躍り掛かった。

 たちまちにしてアーシャとラスティーナ、短剣と刺突剣が切り結ぶ。

 アーシャの短剣は狙いも鋭くラスティーナを襲うが、彼も言うだけの事はある剣士だった。刺突剣で巧みに攻撃を受け流す、その動きもまた流麗。

「ほほう、なかなかの腕前ですね」

「気取ってんじゃないよ!」

 この余裕が彼女には堪らなく面憎つらにくい。貴族の坊ちゃん、と侮る気持ちはとうに消えていたが、全力を賭しても尚この男を捉え切れないのだ。

「……ではそろそろ、僕の剣技をお目に掛けましょう」

 ラスティーナが攻勢に転じた。

 無数の鋭い突きがアーシャの防御を崩しに掛かる。刺突剣の剣先は徐々に速度を上げ、彼女の身体を否応なくかすめる。見る間に劣勢に追い込まれるアーシャ。

「アーシャ!!」

 オビアットがラスティーナに打ち掛かった。

 飛び退すさって躱すラスティーナ。オビアットはすきを振り回して彼に挑んだ。が、相手の方が一枚上手だった。

「なかなか美男子だけど、得物が無粋ぶすいだな」

 一度彼が攻めに回ると、オビアットはすべもなくあしらわれて、遂には均衡バランスを崩して転倒した。

「オビアット!」

 アーシャがオビアットをかばうように割って入る。

 ラスティーナは傲然ごうぜんと言い放った。

「この通り、僕と貴女方では力の差は歴然です。今の内に降伏なさっては如何いかがです?」

 二人はじっとラスティーナをにらみ付けた。答えなど決まっている。だが、その場合にこの局面を打開する術が見付からない。

 長い沈黙が続く。

 その時、山の方から鬨の声が押し寄せて来た。

「何っ!?」

 見れば、百人程の集団が突然に沸き起こり、一斉に官軍へ向かって突き進んで来る。皆雑多ななりで、先頭の騎将は頭に包帯を巻いた金髪の男だ。

「ヒロ!」

 味方と知って、アーシャ達は大いに勢い付いた。逆に予期せぬ敵の襲来に、官軍は狼狽を見せる。

「まだ敵が伏せていたのか!」

 ラスティーナは敵勢に包囲される危険を考え、形ばかりの抵抗を示すとすぐに退いた。

 援軍が陣に着くと、皆歓声を上げてこれを迎えた。アーシャがヒロの元に駆け寄る。

「ありがとう。お陰で助かったよ。それにしても、よく来れたわね?」

「シリウスの差し金さ」

 アーシャ達を送り出した後、シリウスは山寨に指示を飛ばしていた。一隊を山より下ろし、オビアットの陣が敵の襲撃を受けていたら官軍の側面を突け、と。

「こっちが突貫すれば敵は必ず退く、って言うから。なら怪我人の僕でも大丈夫だろうってね」

 まだ痛みが残るのだろう、少し顔をゆがめながらヒロは笑った。アーシャも漸く顔をほころばせる。

「南の街道筋からも敵が来てる。後ろへ回っておどかしてやってくれる?」

「よし来た。任せろ!」

 二人は官軍を挟み撃ちにすべく分かれて動き出した。

 結果として、この手が当たった。

 マリアはこの動きを知ると、敢えて危険を冒す事なく全軍を退却させたのである。


「ハリールト侯爵家のラスティーナ……“水龍侯すいりゅうこう”か」

 報告を聞いて、シリウスは沈思した。水龍侯のラスティーナと言えば、凡そ七百年前にヤパーナにその名を知らしめた勇者ルトの後胤こういんとして、西奥せいおくブレスモントに名高い名家ハリールト侯爵家の跡取りであり、始祖ルトの再来とも評されている大器である。

 どうやらコーベは本気でシュヴァルツを叩き潰しに掛かって来たらしい。

 神臂娘、神雷火、大開山と言ったコーベでも名うての勇将達に加え、ラスティーナ=ハリールトのような将までがくつわを並べる官軍に対し、こちらはカメ、ヒロ、トシーロが傷を負った。陣容の差は明白である。

「――陣を退こう。山寨で敵を防ぐ」

 流石のシリウスも、万策尽きた思いだった。こんな時キャロルやシセイの魔法、ヨシオリやデュクレインの武技、そしてシャオローンの剛毅があったら、と遠く思いをせずにはいられない。

 そう、戻って来る彼等の為にも、ここで山寨を守り通さねばならない……。

 ともかくは、立てもって時間を稼ぐ。官軍が諦めて退けば良し、あわよくば旅立った誰かが帰還すれば、戦力の整った時点で逆襲に転じる。他に取るべき道はない、これがシリウスに残された活路であった。


 そして、もう一人。

「一両日中に、彼等は山寨に退くでしょうね」

 軍議の席上、マリアはそう予見した。

「勝ち色の見えない戦にいたずらに時を費やすほど、白狼将は愚かではないわ。得意の堅守で持久戦に持ち込んで、自軍の再建と我々の瓦解を目論もくろんでいるでしょう」

「ならば、敵の退きに乗じて追い討ちを掛けるのはどうだ?」

 ヤンの言葉に、マリアは首を振った。

「それは白狼将が最も警戒するところでしょうね。相応の備えはしているもの、と見ないと」

「では、どうする?」

「賊軍の退却が確認できたら、我が軍も前進して山寨を包囲します。その役目はラスティーナとジャン、そしてカーワンドに」

 ジャン、本名ジャン=ガルフィードはラスティーナの友人で、共にブレスモントの戦士隊長を務める間柄である。両手に二剣を操る家伝の流派「風裂二剣流ふうれつにけんりゅう」を修めると同時に、風の魔法も使える魔道戦士で、“風浪子ふうろうし”の異名を持つ。

 いま一人のカーワンド=フルは、ヤパーナ西方の島ノインシュタート島の街ロンカップで県軍に在籍している若手将校である。右手に長剣ロングソード、左手に盾剣シールドソード――丸盾ラウンドシールドに刃を取り付けた独自の得物を扱い、人一倍性急な性格から“急進攻きゅうしんこう”とアダ名されている。

「同時に、長期戦への備えを司令部に要求します。補給の確保はシュラ、貴官に一任します」

 シュラ=ガルフィードはジャンの双子の弟で、“氷浪子(ひょうろうし)”と呼ばれている。兄と同じく「風裂二剣流」を使うが、故あって兄が出奔しゅっぽんした為、流派を継ぐ事になった。しかし彼は兄の身を案じ、家を出てここまで付いて来たのである。激情家の兄に比べ、穏和で人当たりが良く機転も利く彼は、後方支援任務に打って付けだった。

 更にヤンとカオスには本陣の両翼を固めるよう指示して、マリアは全員に厳命した。

「これより先の戦は、我々と賊との我慢比べです。相手は只の山賊ではない、要地にる知謀の将。焦らず冷静に事に当たり、決して短兵急たんぺいきゅうに攻める事のなき様」

「ハッ!」

 これは、彼女が自身に課したいましめでもあった。これまでの二戦で白狼将が噂に違わぬ将器である事を改めて確認した。奇計百出きけいひゃくしゅつの敵に対しては、逆に正攻法で重厚に攻めるべき。

 司令部からの命令は『シュヴァルツ山賊団の速やかなる排除』であるが、拙速せっそくを求めれば敵の詭計きけいに遭う。それほどの智将を向こうに回した戦いで、ここは巧遅こうちに徹する道を彼女は選択したのである。

 翌朝、マリアの予想通り賊陣はもぬけの殻になっていた。

 戦闘のあったその夜のうちに軍勢を退かせた機敏、敵にその行動を悟らせる事なく一夜にして撤退を完了させる統率力、やはり白狼将の能力は低く見る事は危険だ……。

 それを確認すると、マリアは堂々と軍勢を進め、事前の決定通りに布陣させた。

 即ち、ルフトケーニッヒ山のふもとを取り巻くようにラスティーナ、ジャン、カーワンドが陣を並べる。その数里後方にマリアが本陣を構え、両脇をヤンとカオスが固める。最後方ではシュラが街道沿いに陣取っていた。

 まこと兵法にかなった陣立てである。官軍はいずれ徐々に両翼を延ばし、遂にはルフトケーニッヒ山をその手中にからめ取るであろう。

 対するルフトケーニッヒ山は、沈黙したままだ。

 戦線は膠着こうちゃくした。

 だが、この布陣が後に思いも寄らぬ波紋を生じる事になろうとは、更にはその波紋が戦いの行く末を大きく揺さぶる事になろうとは、この時点では誰も予想だにし得なかったのである。


 こうして、白狼将と神臂娘が互いの知略を尽くして堂々と渡り合い、それがやがて群星を呼びましこの地につどわせる事となるのであるが、両者の対決にこの後如何なる展開が待ち受けているのか? それは次回で。

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