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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
14/42

第十四話  双剣娘 悪役人を斬り 火眼魔精 高山民を説くの事

 後刻の再会を約して、シャオローン達は東へ、アーシャ達は西へ向けて、それぞれリシェスモントを後にした。

 シャオローン達はアーシャの勧めに従って、中山のラングフェルトを目指し、数日の後にかの街に至った。

 ラングフェルトの街はラングフェルト県北部に位置し、県の中枢都市である。規模こそ県中部の交通の要衝ペンリーヴルに比して小さいが、街中に大寺を有し、北方にヤパーナ古神道の総本山である“中山五岳ちゅうざんごがく”を望むこの街は、信心深い善男善女や修験者等の訪来引きも切らぬ信仰の象徴たる都市なのであった。

 どのような地方都市にも、訪れる旅人を迎えて余所の情報を得、有為の食客を抱えて威勢を誇るお大尽は存在する。

 ラングフェルトも例外ではなく、アーシャの紹介したキンドリングなる人物も、そのような旦那の一人である。と言うより、中山でも名の知られた大旦那であった。

「邸の場所? 街の者なら誰でも知ってるよ」

 アーシャが笑って指摘した通り、誰に訊いても皆親切に指差し教えてくれる。その道を行くと、果たして長者風の大きな邸宅に当たった。ホーク邸ほどではないにせよ、この地方では一、二を数える富家であろう、とシャオローンは心に思った。

 邸の主人は名をジョスリン=キンドリングと言った。彼は遠来の客を礼儀正しくもてなした。シャオローンがアーシャの紹介でここに来た事を告げると、親しみの色をさらに深くした。しかし、

「アーシャ殿の御紹介とあれば、ゆるりとして戴きたいのはやまやまなのですが、生憎あいにくこちらは今、皆様のお世話を致しかねる状態でして、……」

如何いかにも困り果てた表情で、引き取るよう申し出るのだった。

 シャオローンはその様子を解しかねて、

「何か悩んでおられるのでしょうか? お力になれる事があるやも知れません。差し支えなければ、事情をお聞かせ下さい」

 水を向けると、よほど困っていたのだろう、ジョスリンはぽつぽつ事情を語り出した。

 それは二ヶ月ほど前、県令けんれいとしてレバード=シャークと言う男が赴任して来た事に端を発する。この男、職権を利用して私財を肥やし、身内を重用すると言う典型的な佞官ねいかんで、それも余りに度が過ぎたのか、中央でも扱いかねてこの地に体よく厄介払いしたものらしい。

 シャークは着任後早速、その本領を発揮した。人事の刷新と称して、県の中枢を共に来た取り巻き達で固めてしまったのだ。

 中でも、県の捕盗府長ほとうふちょうに実弟のウィッテンを据えたが、こちらは元は市井しせい閑漢かんかんであり、それが兄の威光と自身の権力を笠に着てやりたい放題、地元のあぶれ者共も手懐けて、その乱行は日に日に酷くなる一方。

 そのうち、ラングフェルト一の庭園を持つキンドリング邸に目を付け、ある日多数のならず者を従えて邸を訪れたウィッテンは、県令の公邸にするとの名目で、このキンドリング邸と現在自分達の住む下屋敷の交換を通告してきたのである。

 余りに無体だとジョスリンが拒否したところ、ウィッテンは声を張り上げて

「我が兄たる県令は、おかみの信を得て現職にあるものである。その命に従わず、また些かも公共に尽くすところなきにも関わらず一身の富貴をむさぼるは、これお上に不忠なると見なさざるを得ぬぞ。本来なら貴様等一族を残らず引っ捕らえて召し上げてもよいところを、こうして換わりの屋敷まで用意してやっていると言うのに、つけ上がりおって!」

と難癖を付け、それからと言うもの邸の周りでならず者共が騒ぎ立てたり、食客や家僕が些細な事で捕盗府にしょっ引かれたりと、有形無形の脅迫を受けて邸の者は心身の休まる暇がないと言うのだ。

「何てひどい!!」

 怒りも露に、ヨシオリが叫ぶ。

「しかし相手は県令、政軍の両権を握っています。捕盗も司法も当てにならぬとなれば、一体私共はどうしたら良いのか……」

とジョスリンは頭を抱えて込んでしまった。

 シャオローンは深く腕組みしていたが、

「真っ当な手段を取るなら、中央の司法府に直訴するより他にないでしょう。今の御時世、官がどこまで信用できるか判りませんが、まだ公正な人物も残っている筈です」

「やはり、そうするより他ないでしょうな……」

 折も折、下男より別の来客を告げる声があった。

「旦那様、捕盗府長様が……」

 それを聞いて、ヨシオリは椅子の音も荒く立ち上がった。慌ててシャオローンとデュクレインが左右から制止する。

「お客人、どうぞお気遣いなく」

 ジョスリンも言い置いて、彼等の前を辞した。


 さて、当主が応対に出てみると、捕盗府長ウィッテンは派手な装いの馬上にあった。その周囲には三十人余りの捕手とりて鉤棒こうぼう刺叉さすまたの類も物々しく控えている。これらは捕盗府長直属の捕盗手ほとうしゅ隊であるとの触れ込みだが、その実態は子飼いの破落戸ごろつき共に過ぎない事は、街の誰もが知っていた。なるほど、皆官服を身に着けてはいるが、その威をもってしても品性の下劣さは隠し仰せそうもない。

 主の姿を認めると、ウィッテンは馬上から尋ねた。

「ジョスリン=キンドリング、今日こそは良い返事を聞かせてくれるであろうな」

「捕盗府長様、換わりの御屋敷では手前共の食客達を賄い切れません。今回の儀、何卒なにとぞ御再考戴きたく……」

「まだ言うか。これは、現在の公邸では県令の業務に障りがあるが故の処置だ。すなわち公務である。貴様のは私事だ。どちらが重いか、自明ではないか」

「何と仰せられましても、受けかねまする。たってと仰有るのであれば、帝都の司法府にて吟味の上、御裁可を戴いてからにしたく存じます」

 この言葉にウィッテンは大いに怒り、

「おのれ、私利をもって県令の仕儀に疑いを挟むとは! もはや叛意は歴然である! 仮借かしゃくはいらん、家の者を一人残らず引っ捕らえろ!!」

 最初からそんな腹でいたのだろう、捕手の群はわっと邸内に押し寄せた。ジョスリンはたちまち刺叉で地に引き倒され、どうする事も出来ない。

 と、その時である。一度押し入った捕手達が、弾かれるように飛び出して来た。

「何っ!?」

 どれも皆手傷を負わされたようで、すぐには立ち得ないでいる。その血煙と埃の中より現われ出たのは、薄紅色の装いに、手にした二刀も勇ましき少女――ヨシオリ。

 一旦は何事かと目を見開いたウィッテンだが、相手が小娘と見るや、意を強くして怒鳴りつけた。

「そこな小娘! 貴様もお上に叛する不逞の輩か!!」

 対するヨシオリ、怯む様子はない。

「当家の客人、ヨシオリ=タイラー! 理の通らない横暴、許さないわ!!」

「タイラーだと!?」

 ウィッテンの顔色が変わった。

「小娘、タイラー家の者か。我が家はシュルス家に繋がる家柄。丁度良い、貴様から血祭りに挙げてくれる!」

 そう言って腰の騎兵刀サーベルを振り上げた時――。

 ヨシオリの姿は既にウィッテンの眼前にあった。

 疾風の如く駆け寄り、ウィッテンの馬のあぶみに足を掛けて伸び上がる。

 シュルスの名を聞いた彼女は、躊躇ためらいなく刀を振り抜いた。反動で後ろに降り立つ。

 ウィッテンは何が起きたか判らない表情のまま、喉首から鮮血を吹き上げて、馬上から逆向けにり落ちた。一堪りもあろう筈がない。

 彼女は動かなくなったウィッテンの首を一太刀で打ち落とし、呆然としている捕手達に投げて寄越よこした。その凄惨な表情、射殺いころされそうなほど険しい眼光に、捕手達は後退あとずさり、我先にと逃げ出した。辛うじてウィッテンの首を抱えて逃げたのが、忠誠心或いは理性を完全には失っていない事の表われであろうか。

 よろよろと立ち上がったジョスリンは、この間の出来事に恐れおののいた。

「ああ、何て事を……」

 シャオローン、デュクレインの姿も、いつかしら場に揃っている。

「兄さん、あたし……」

「済んだ事はいい。それより、これからだ」

 少時シャオローンは黙考していたが、やがてジョスリンに申し述べた。

「御主人、こうなっては是非もありません。すぐに動かせる財貨だけ纏めて、一刻も早くここを離れて下さい」

「ここを離れると言っても、一体どこへ行けばいいのかね?」

嶺北れいほくのウェルウェーヴへ。アーシャ殿はおりませんが、手下の者が匿ってくれましょう。ヨシオリ達に案内させます。後事は私に任せて下さい」

 これを聞いて、驚いたのはヨシオリである。

「兄さん、どうするつもりなの!?」

「私は捕盗府に行く」

「何ですって!?」

「県令は弟を殺されたのだ。誰も捕まえられないとなれば、幾らでも捜索の網を拡げてくるだろう。それでは、いずれ逃げ切れなくなる」

「だったらあたしが行くわ。だってあたしが斬ったんだもの!」

「いや、それは駄目だ」

 シャオローンは承知しない。権力者が私怨を晴らす為に、どれほど苛烈で残虐な拷問を用意しているかと考えると、彼女を行かせるなどとても出来なかったのだ。

「でも……」

 それでも彼女はがえんじかねている。

 シャオローンはデュクレインを見た。ヨシオリはかつて街の自衛団にいて、官人にも知り合いは多かった。自然と官に対する信用が存在する。一方、デュクレインは純然たる在野の士である。自制心のない役人が如何に破廉恥な行いをするか、骨身に染みて彼は知悉ちしつしていた。

 デュクレインは小さく頷き、視線をヨシオリに移した。

 ヨシオリは、デュクレインの遮光鏡サングラスの奥に真摯な眼光を感じて、抗弁を止めた。

「……分かったわ兄さん、あたしはどうすればいい?」

「半月もすれば県令は痺れを切らし、私を処刑しようとするだろう。その時こそ機会だ。私を救い出してくれ」

 ヨシオリが力強く頷く。

 暫くして、ジョスリンと一家の者が出立の準備が出来た事を告げた。

 シャオローンは、ヨシオリに愛用の槍を託し、ジョスリン一家と落ち行くよう促した。

「兄さん、絶対助けに行くからね!」

 去り際の義妹の言葉に、シャオローンは点頭して応えた。

 彼女等が去ってよりほどなく、捕盗府の役人が大挙して現われた。先程の五倍は数える人数である。

 シャオローンは逆らう事なく、神妙にそれへ同行した。

 役所では県令のレバード=シャークが、弟を殺した犯人が護送されて来るのを待ち構えていたが、シャオローンの姿を見ると指を突き付けて怒鳴った。

「我が弟を斬り殺したのは、タイラー家の血を引く小娘だとか。その者は如何いかがした!?」

「……」

 シャオローンは口を開かなかった。

「どうした? 正直に白状すれば、死罪だけは免じてやるぞ」

「……」

「何故答えぬ。さては貴様も、小娘の同族か!」

「……」

 あくまで無言を貫くシャオローン。

「……まあよい。いずれ吐かせてやる。者共、遠慮は要らん。厳しく打ち据えよ!!」

 この後、シャオローンは容赦のない拷問にさらされる事となるのであるが、この話はこれまでとする。


 さて、ヨシオリ達とキンドリング家の一行は、ラングフェルトの街を脱出して、北へ向かっていた。北海ほっかいに突き当たれば嶺北路に出る。そこを西進してウェルウェーヴまで逃げる心積もりだった。

 しかし人数の多さ故、道行きは捗捗はかばかしくなかった。已むなく下男下女や食客達を銘々去らせたものの、足弱な者もある事、急に進みが良くなる筈もなかった。

 数日の後、堪え切れなくなったヨシオリは、自分が先触れとして、ウェルウェーヴに先行する事を主張した。時間は無駄に出来ない、とデュクレインも賛同し、いざ発とうとしたその時である。

「ヨシオリじゃない! こんな所でどうしたの?」

 一同は声の方を見て、一様に驚いた。

「アーシャ!?」

 何とそこには、ルフトケーニッヒ山へ向かった筈のアーシャネオス=カーンがいたのである。

「どうしてここへ?」

「あんた達にラングフェルト行きを勧めた手前、様子を見て置かなくちゃ、と思ってね。手下達はそのまま西へ向かわせてるけど……あれ、ジョスリン?」

 アーシャは一行の中に知った顔を見付けて、言葉を切った。

「これはアーシャ、その後お変わりなく」

 挨拶を返すジョスリン。家族も同行している。その出で立ちは殆ど夜逃げ寸前で、おまけにシャオローンの姿がない。アーシャにはとても只事には思えなかった。

「……何かあったみたいね?」

 そこでジョスリンが、ざっと前後の事情を説明した。

 アーシャは事の重大さに驚いたが、それも一瞬の事、すぐに真顔に戻って、

「それは何が何でも助け出さなきゃ。よし、アタシが一足先に行って、ゴルムに手を貸して貰えるよう頼んでみる。ヨシオリ、一緒に来ておくれ」

「ええ!」

「デュクレインとアリーナは、これからラングフェルトに戻って、街の様子を調べて。大事なのは処刑の日時と場所、それに街の外へ逃げる道筋だよ」

 頷くデュクレインとアリーナ。さらにアーシャは、ここまで付いて来ていたキンドリング家の下男の中から目端の利きそうな者を二、三人選んでデュクレイン達に付け、財貨の入った袋を――「後で返すから」とジョスリンに断った上で――彼等に持たせた。

「この金を牢屋周りに散撒ばらまいて、少しでもシャオローンの待遇を良くするのさ」

 流石にアーシャは、地獄の沙汰以上に牢屋では金がものを言う事を熟知していた。

「ジョスリンはこのまま街道を真っ直ぐ西へ来て下さい。途中、迎えの者を出しておきますので」

 こうして手筈が整うと、各人その役割に従って、行動を開始した。


 ヨシオリとアーシャは可能な限り足を速めて、三日目にはリシェスモントの目と鼻の先まで来ていた。

「これなら今日中にウェルウェーヴに着くよ」

 そう言ってさらに道を急ごうとした時、

「あれは!?」

 往来の真ん中に、不審な一団があった。数人の男達が半円を作って、二人の女性と対峙している。かなり険悪な雰囲気である。

 アーシャはその中に見慣れた人影を見出して、思わず声を掛けた。

「ゴルム!?」

 呼ばれた方も驚いた。

「アーシャの姉貴! 何でこんな所へ?」

「ちょっとあんたに頼み事が出来たんだけど……喧嘩でいりかい?」

「そうじゃねェんです、若ェのがこの女二人連れの旅人を見付けて、カモだってんでちょっかい出したら逆にされちまいましてね。オレ達はたまたま近くにいたんで加勢に入ったんですが、この女なかなか腕が立つようで……」

 確かに、周りには地に伏している奴が幾人もいる。

「あんた、やる事ちっとも変わんないね」

「へぇ……」

 呆れ顔のアーシャに、頭を掻くゴルム。

「先に喧嘩売ってきたのはそっちだよ。頭下げるつもりがないんなら、とことんまで相手してやろうじゃない」

 一方の女性が啖呵たんかを切った。身の丈七尺を越え、黒褐色の細くすらりとした肢体に萌黄色の服を纏い、左肩から腰に黄色の布を掛けて帯で止めている。頭に黄色い染巾バンダナを巻き、黒髪は長く、両耳は大きく尖っている。ダークエルフの女性だ。両手に二本の短刀ダガーを構え、切れ長の両目からは、不気味な赤い眼光と強い敵意が叩き付けられてくる。

 もう一人は身の丈六尺半ば、紺色の鍔広の三角帽を被り、薄青の服の上に紺の貫頭外套ポンチョを被り、そこから覗く手足も薄青の布でくるんでいる。顔立ちは丸っこく、目元口元を引き結んでいるが緊迫した風でもなく、悠然と構えていると見えなくもない。こちらは三つ叉の飛叉ひさを手にしている。

「これ以上頭数を減らされちゃ敵わない。ここはアタシに任せな」

 アーシャはゴルム達を制し、腰の短剣ショートソードを抜いた。

「関わりもないのに、横から手出ししないでくれる?」

「訳有りの助太刀でね。悪く思わないでよっ!」

 言うが早いか、アーシャの早い突きがダークエルフの女性に襲い掛かる。

 彼女はこれを辛くも短刀でさばいた。すかさず空いた手の短刀がアーシャの喉に伸びる。

 アーシャが身を傾けて躱す。

 かされたアーシャの刃が、弧を描いて斬り付けた。

 褐色の身体が一歩飛び退すさる。

「レイ~」

 飛叉を構えた女性が呼び掛けた。

「ミーク、手出し無用よ!」

「ほえ」

 ダークエルフの女性――レイに釘を差されて、ミークは素直にその場に留まった。

 アーシャとレイはさらに十数合打ち合った。左右から代わる代わる攻め立てるレイに対し、アーシャは間合いを調節して得物の長さで優位に立とうとする。これが功を奏し始め、剣撃はアーシャが主導権を握り出した。

「ちっ!」

 攻め手をなくしてレイは、防戦から大きく後ろへ跳んで逃げた。

「姉貴、今ですぜ!」

 もとよりアーシャも、ここで一気に畳み掛けるつもりで踏み込んだ。

 その時である。レイの左腕が大きく振り上げられた。萌黄色の裾を跳ね上げ、細い褐色の脚が露になる。

「くッ!?」

 次の瞬間、アーシャは右手に鋭い痛みを覚えた。短剣が手からこぼれ落ちる。

 右手の甲に五寸ほどの短い矢が刺さっていた。投矢ダートである。どうやらレイが左脚に隠し持っていたらしい。

 今度はレイが風を切って急襲する。その動きは、短剣を拾おうとするアーシャに先んじていた。

「姉貴ぃ!」

 ゴルム達は観念の目を瞑った。

 ――その刹那、薄紅色の影が二人の間に割って入った。

 一双の白刃が二つの短刀を防ぐ。

「今度はあたしが相手よ!!」

 レイの顔色が変じた。

 ヨシオリの二刀がきらめく。その光のはしるところ、たちまちにしてレイは追いまくられる。

 レイは打ち合いの隙から再度投矢を放ったが、これはヨシオリには通じず、いとも簡単に叩き落とされた。

 奥の手を封じられたレイの敗北は、誰の目にも必至の結末だった。

「ヨシオリ、待ちなさい!」

 後ろからの声が、彼女の猛攻に制動を掛けた。

 アーシャである。

「レイとか言ったね? あんたの腕を見込んで、頼みたい事がある」

「……なに?」

「ある男を救け出したい。悪役人を斬った罪で、処刑され掛かっている男だ」

 アーシャはレイに経緯を説いて聞かせた。

 レイは堅い表情を崩さない。両手の短刀も持ったままだ。

「……恐らくあと十日もしない内に、刑は執行される。アタシ達には人数も、それを集める時間もないんだ。もちろん報酬も出す。頼む!」

 応急的に右手に巻いた手布ハンカチには血が滲んでいる。それにも構わず、アーシャは哀訴した。

 しかし、レイは冷然と、

先刻さっきは襲って来て、今度はてのひらを返して頼み事? 幾ら何でも、虫が良すぎやしないかい?」

「その事ならオレが頭を下げる。この通りだっ!」

 ゴルムがレイの前に平伏してみせる。

「フン……だけど、事に加わったら成功しようが失敗しようが、アタシは処刑場荒らしの大罪人の一味にされる訳だ……。険難険難けんのんけんのん。僅かな金の為に、そんな危ない橋渡れると思う?」

 ミークが横から口を挟んだ。

「レイったら、けっこう危ない橋渡ってるじゃん」

「お黙り!」

「ほえ」

 一喝されて、ミークはあっさり下がる。

「クッ……」

 そう来られては、アーシャも説得の手掛かりを失った。無理もない話である。見ず知らずの人間の為に大罪を犯せるほどの強い義侠心の持ち主など、滅多にいるものではない。そもそも、それほどな義人であれば、実利に関わらず応じてくれるだろう。

「……もういいよ、アーシャ」

 すべを失くして立ちすくむアーシャの腕に、ヨシオリがそっと手を添えた。

「ヨシオリ……」

「人が集まらないなら、あたしだけでも行くから」

「!? そんな無茶な……!」

「だって兄さんと約束したもの、『必ず救け出す』って。だから、他の誰の助けがなくても、あたしは行く!」

「……あのね、あんたの腕はよく解ったし、責任を感じるのも当然だろうね。だけど、このまま行ってもあんたもその兄さんも助からない。犬死にだよ」

 レイの非情な指摘。

 しかしヨシオリは頷いた。これにはレイも意外さを禁じ得ない。

「あたしと兄さんは“生まれた日は違っても、死ぬ時は同じ”って誓いを立てたわ。兄さんの生命が危ないなら、あたしは兄さんを助ける為に生命を賭ける。それでもしもダメだったら、あたしも一緒に死ぬだけの事よ……兄さんがここにいても、きっとそう言うわ」

 レイはヨシオリの顔を真っ直ぐに見た。黒檀にも似た瞳の輝きの中に隠れなき強い信頼、燃ゆる真情――一点の曇りもない。

 その左目の少し下に浮かぶ星形のアザが、レイの目に映る。染巾に隠された自分の額の紋様と寸分違わぬ図形――。

「よくそこまで言えるもんだね、血が繋がってるってだけで」

「血なんて繋がってないわ」

「へぇ、義兄妹かい……ひょっとして、惚れてる?」

「どうして? 兄さんは兄さんよ」

 ほんの少しレイの口元がほころんだように見えた。

「あんた、そんな馬鹿正直で、よく今日まで生きて来れたね」

 言葉ほどに、物言いに皮肉な響きはなかった。

 レイは長靴ブーツに取り付けた革の鞘に短刀を仕舞い込むと、相棒に合図した。

「ミーク、行くよ」

「ほえ」

 二人はヨシオリとアーシャの横を通り過ぎて行った。

「レイ!」

 アーシャの叫びにも、レイは振り向かなかった。が、

「人手が要るんだろ。近くに知り合いがいるから、十人ばかり都合してくる」

「……エッ?」

 肩越しの声の意味を二人が理解するまで、一呼吸の間を必要とした。

「じゃあ……」

 目線だけを二人に向けて、レイは口に出した。

「鬼をも恐れぬ女剣豪に、そこまで言わせる男の面を拝んでみたくなったよ」

「レイ……」

「時間がないんだろ。あんた等も早く準備しな。落ち合うのは現地でだ」

 ヨシオリ、アーシャが力強く頷く。

 二、三歩行き掛けてレイは足を止めた。

「そうだ。あんた等の名は?」

 躊躇なく名乗りが返る。

「ヨシオリ=タイラー、またの名を双剣娘そうけんじょう

「アタシはアーシャネオス=カーン。紫眼龍しがんりゅうのアーシャさ」

 振り返るレイ。その動きの力強さ、ひるがえる裾のしなやかさは、二人に自らの判断の正しさを確信させた。

「アタシの名はレイ=デ=ヴィーニィ。火眼魔精かがんませいのレイ、と覚えとくれ」

「アタイは“織女しょくじょ”のミーク=ヒロネだよ」

 黒と紫、赤と黒のそれぞれ二対の視線が、互いの姿を脳裏に焼き付ける。

「じゃ、ラングフェルトで」

 再会を誓って、彼女等は行動を別にした。


 レイとミークはヨシオリ達と別れると、街道を離れて山道へと入っていった。

 リシェスモント、フォークロードの両県とラングフェルト県の境には、千丈万丈の峨々たる山々が連なる、ヤパーナ一の急峻な山岳地帯である。余りの高さ故、その山頂には樹々の姿すら最早なく、岩塊と砂礫と、所によっては万年雪のみが存在する世界。

 そのような不毛な地も山間に行くと、牧畜を主として生活する山の民――“高山民ハイランダース”の集落がある。

“高山民”――作物も満足に育たぬ荒蕪こうぶの地に生きる彼等に、天は二つのものを与えた。強靭な心臓と、頑健かつ俊敏な肉体。この特性をもって、彼等は山を下り、腕利きの傭兵として身過世過みすぎよすぎをした。戦乱の世には、優秀な戦士として必ず彼等の名が挙がった。しかし、世が治まると、彼等の能力は逆に危険視され、時の政権から弾圧された。いつしか彼等の名は、吟遊詩人バードうたわれる戦記に登場する“伝説”となった――。

 しかし、彼等は“伝説”の存在ではなかった。下界との交わりを殆ど断ち、この険しい連山を一族の領域として生き延びてきたのである。

 レイ達はその高山民の集落を目指していた。彼等の戦闘能力の高さは、レイのよく知るところである。助力が得られれば、事は成就し易くなる筈であった。勿論、彼等を動かすにはそれなりの“材料”が必要であるが……。

 とその時、一陣の風が巻き起こった。砂塵を巻き上げて荒れ狂う風に、思わず顔をかばうレイ達。すると、風に乗せて低く詠う声が流れて来た。

“これよりは我等が聖地

 何人たりとも入るを許さず

 邪心なき者は下界へ去れ

 邪心ある者は幽界へ去……”

 風を衝いて、レイは声を張り上げた。

「アタシはレイ=デ=ヴィーニィ! 長老にレイが会いに来た、と伝えとくれ!!」

 途端に脅しの詩は止み、狂風も収まった。そして二人の前には、屈強な体躯の男が立っていた。

「久し振りだな、レイ」

 男がニヤリと笑う。

 レイはわざとらしく手足の埃を払う仕草をして見せ、

「久し振りに来た客人に、大層なお出迎えじゃない、リーベル」

「おいおい、これが慣習しきたりなのはよく知ってる筈じゃないか?」

 言いながら、リーベルはますます相好を崩してみせる。

「長老は元気かい?」

「ああ。レイに会えばもう十は若返るだろうぜ」

 リーベルは笑って、二人を集落へと案内した。

 集落は山間の窪地くぼちにあった。石造りの家が点在する集落の風景が、レイの胸中に微かな懐かしさを湧き起こらせる。

 長老は自宅の部屋で待っていた。調度は何もなく、石の床に獣皮の敷物が布かれている。レイとミークはその上に腰を下ろした。

「レイ、元気そうだな」

 長老が先に声を掛けた。長老と呼ばれてはいるが、歳は五十前後と見受けられる。長い髪にもひげにも白いものが混じっているが、その虎体狼腰こたいろうよう――鍛え上げられた肉体には、一分のゆるみも見られない。

「エウリスも恙無つつがなくて何よりです」

 レイは長老の本名を呼んだ。彼女にはそれが許されているのだ。

「そなたに助けて貰った命だ、粗末には出来んよ」

 鬚の下で顔が豪快に笑った。

 長老エウリスは、若い頃に下界で戦いに身を置いていた事があった。ある戦いで身に毒矢を受け、死を待つばかりだった彼は、通り掛かったレイにその命を救われた。以来彼はレイを救命の恩人として敬い、交流を深めていった。彼女は持っていた薬草が効力を発揮しただけの事、と大して気にしてもいなかったが、彼女がエウリスに対して恩着せがましく振る舞うような人物であったら、交流はとうに絶えていたであろう。

「かの御恩、片時も忘れはせぬ」

 心よりそう言うエウリスに、レイは柄にもなく深々と頭を下げてしまうのである。

「厚かましい物言いですが、その恩をほんの少し返して戴きたくて、今日はこちらに参りました」

 エウリスは一瞬目を見張ったが、

「そなたが無心とは珍しい。言ってくれ」

 では、と前置きしてレイは事の経過を詳しく語った。

「……ほう、それで我が高山民の力を借りたい、と言う事か」

「はい」

「しかしな、レイ。性根も判らぬ見ず知らずの人間の為に、そこまでする必要があるのか?」

「確かに。ですが、その義妹と言う少女――彼女の眼はとても澄んでいました。あの少女にそこまで言わせるからには、義兄たる男も死なせるには惜しい人物か、と……」

「ふぅむ……」

 エウリスは瞑目し、何やら考え込んでいる風だったが、

「……レイ」

「はい」

わし等が下界との交わりを断ったのは、下界の者達が利の為に平気で義を忘れ去る醜劣な本性を、まざまざと見せ付けたからだ」

「存じております」

「祖先の血で示された教訓を、儂等は守らねばならぬ」

「……はい」

「だが、そなたは儂の恩人だ。その恩人が義を成そうと言うのに、儂が助力を拒んだのでは、儂の義がすたる」

「エウリス……」

 エウリスの眼は笑っていた。

「リーベル!」

「ハッ!」

 どこに隠れていたのか、リーベルが突然エウリスの背後に現われた。

「今の話を聞いていたな? すぐに豪の者を十人ばかり選び出し、レイと共に行け!」

「御意!」

 現われた時と同様に、リーベルの姿は忽然と消えた。

「良かったじゃん、レイ!」

 ミークは手放しで喜んでいる。

「エウリス、ありがとうございます」

「何の、儂の方こそ良い話を聞かせて貰ったよ。下界もまだ義は廃れておらん、とな」

 エウリスはおどけた風に片目を瞑った。

「それに、ここらで少しは恩を返しておかんと、いつまでも肩が重くて仕様がないわ」

 言いながら肩やら首やらを回すエウリスの仕草に、ミークは堪え切れなくなってプッと吹き出した。レイはと言うと、唇に指を当てて目を細めている。

 鬚が、前にも増して豪快に笑った。


 こうして、レイと共に屈強の戦士達が山を下り、下界では嶺北の龍が手下を従えて時を待ち、中山の龍が眷属けんぞくを率いて機を窺う事になるのだが、果たしてシャオローンは如何なる難儀に遭うているのであろうか? それは次回で。

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