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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第九十三話 征服者の眼差し

「大体の情勢は手紙で伝えた通りよ」


 そう言ってボナパルトは紅茶を啜る。


 ボナパルトは戦役中、クルーミル宛てに手紙を送り続けており、クルーミルも大部分の事情を承知している。


 とはいえ、紙面には限りがあるし、敵に奪われることを想定するとどうしても詳細な部分や今後の展望についての話はしにくい。互いの認識を擦り合わせ、今後の見通しについて話すためにも面と向かう必要があった。


「東部地域には三つの敵がある。一つはグーエナスの蹄鉄砦。もう一つはヴィオスの野戦軍。最後の一つは反抗的な諸侯の小規模な襲撃部隊」


 その言葉にクルーミルは頷いた。


「このうち、蹄鉄砦と野戦軍は壊滅させた」


「相変わらず貴女の戦いぶりには驚かされます。改めて感謝を」


 そう言うとクルーミルは繋いでるボナパルトの右手の甲に自らの右手を重ね置いた。柔らかく、温かな感触を感じてボナパルトは悪い気はしなかった。


「貴女が居てくれるおかげでもあるわ」


 軍隊というものは植物の花のようなものであり、目を引くものだがそれ自身では決して存在し得ない。華麗な花をつけるには栄養を吸い上げるしっかりとした根が必要なのだ。特に、ボナパルトの軍勢には根が存在しない。


 軍事物資を買い付ける金や現地民から協力を取り付ける根拠は全てクルーミルから生じている。彼女がいなければ自分の戦いはより苛烈で残酷なものになっていただろう、とボナパルトは想像に難くない。


「残る敵。抵抗を続けている諸侯だけど、これはもう時間の問題よ。彼らは手薄なわが軍の補給部隊を攻撃していたけど、蹄鉄砦と野戦軍が消失した今、わが軍の補給線は短くなり、大部分の兵力を後方の警戒に当てることができる。正面切って戦えば脅威になる相手ではない」


 結局のところ、とボナパルトは一つ小さな溜息をついて続ける。その表情は雨の日の頭痛に苦しむような風でクルーミルは少し身を乗り出してボナパルトの瞳を覗き込んだ。


「結局のところ、パルチザン的な戦闘では侵攻してくる正規軍を撃退することはできない」


 ボナパルトは諸侯による小規模な攻撃をパルチザンとフランス語で表現した。まさらに敵が仕掛けてきている補給部隊や小規模な部隊を襲撃する現地の人々による活動を指す言葉だった。


「彼らが成功するには安全な根拠地、住民の支持、そして何より敵の主力を撃破できる援軍、この三つが欠かせないわ。敵の援軍は撃破した。来援は当分先になる。根拠地はドゼー将軍に攻撃させている。しっかりとした石造の砦ならともかく、そこらにある木造の砦なんか大砲が二門もあれば簡単に落ちる」


 その分析は自軍の優位や戦略の正しさを誇示する熱っぽさはない。クルーミルはボナパルトの眼差しがどこか遠くを見つめているように思えた。


「住民の支持。これも彼らはそのうち失うでしょう。行商人を襲うようなやり口では住民の支持は得られない。軍の敗退と砦の陥落を見れば寝返る者も出るでしょう。……正義のために死ねる人間は多くないから」


 暖炉の火に照らされるボナパルトの瞳はどこか遠くを見ていた。


コルシカ(私の故郷)は、そのように征服された」


 言葉になったものは少ないが、手を伝って感情の嵐に突き飛ばされそうになってクルーミルは手を強く握りしめた。それは草原を走る風のざわめきのようで、小さな子供の悲鳴にも似ていた。


「ごめんなさい」


「謝らないで。別に貴女のせいじゃない。ここに来る前から私は征服者だった。今更そのことを嘆きはしない。征服者であることに少しも後ろ暗いところはないわ」


 ボナパルトは口角を上げて余裕のある笑みを自分を覗き込む相手に向けた。


 この人に渦巻くものを私はまだ何も分かってはいない。征服された人間の心を持つ征服者。そのことはこの人の心を引き裂いてはいないか。後ろ暗いところはないと言うが、その表情は、触れる手から伝わる感情は、そうはいっていない。引き裂かれたこの人の心は、今も血を流し続けているのではないか。幼い日の記憶は今も泣いているのではないか。


 もしそうなら、私にはそれが癒せるのだろうか……とクルーミルはボナパルトの瞳の奥底に思いをはせた。いや、癒さなくてはならない。この人に助けられた自分には、この人を助ける義務がある。そして、義務は常に自らの望む所と一致するのだから。


 ボナパルトは深い眠りに落ちる時のように目を閉じて、数拍の間をおいて目を開けた。そこには戦略家としての顔が蘇っている。


「……クルーミル、ここまでは私の領分。ここからは貴女の領分よ。東部地域を今後どうするか。残る敵をどう処するか。徹底的に打ちのめすも良し、慈悲を与えて許すも良し」


 ボナパルトは女王の持つ権能を侵害することを極力避けているようだった。


「貴女の考えはどうですか?」


「どっちも一長一短ね。我々は東部を越えてさらに『斧打ちの国』に攻め入らなければならない。中途半端に慈悲を示せば侮られて背かれる。中途半端に弾圧すれば恨まれて反乱を起こされる。バランスのとれた慈悲を示すのは難しい。弾圧するなら徹底的にやらなければならない。抵抗したくてもできないほど徹底的に」


 それは遠雷のように恐怖の響きを伴っていた。


「弾圧か、慈悲か。……別の方法を考えている、と言ったらどうでしょうか」


 クルーミルの控えめな声と予想外の返答にボナパルトは眉間にしわを寄せた。


「それは?」


 クルーミルは慎重に糸をつむぐように話始めた。

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