第八十五話 白馬丘の戦い(後編)
「全軍俺に続け!」
白馬丘に到着するやクレベールはサーベルを抜き放って、師団の先頭に立ち獅子のごとく駆けだした。後に続くフランス軍は突撃に有利な縦隊と、射撃戦に適した横隊とを組み合わせた混合隊形と呼ばれる複雑な陣形を取って突入する。
行軍に適した隊形から即座に攻撃に適した陣形に組み替えるのはクレベールの高い統率力とそれに応えられるフランス軍の質の高さを物語っていた。
五十歩の距離まで肉薄したフランス軍は一斉射撃を浴びせかけて敵陣を乱すと、銃剣突撃に移行し始める。明確な殺意と強烈な戦意をぶつけられる相手は戦意を喪失して武器を交える前から算を乱して崩れ始れた。
その熱狂的な攻撃の矢面に立たされたのは草長の国の一団であったのも不幸だった。彼らはヴィオス公の遠征軍に急遽組み込まれた現地の領主から成る混成部隊である。
「ヴィオス公からのご命令を伝えます。草長の兵は直ちに敵の側面攻撃に対処せよ!」
指揮を任されているフーゲン伯はヴィオス公が派遣した伝令からの報告を受け取り、迫りくるフランス軍を見ながら苦々しい表情を作る。左右には同じように暗い顔をした指揮官たちが集って顔を突き合わせた。フランス軍の別動隊は寝返ってくる手筈ではなかったのか?
「次いで陣中にいる剣のサオレは軍に偽情報をもたらした裏切者であるから、その場で斬り捨てよとのご命令です」
「なに!」
フーゲン伯はすぐ横で平然と構えている剣のサオレを見やった。裏切者であることが暴露された瞬間、サオレは瞬き一つせず自宅の居間にいるように悠然としていた。
「どういうことか、サオレ殿、説明していただこう!」
「ヴィオス公は私の裏切りに気づいていて、信用した振りをしていた、という事ですな。なかなかどうして公は策略に通じておられるわけです」
「認めるということか、我々をボナパルトの罠にかけようとしたのか!」
フーゲンとその部下たちが一斉に剣を抜く。数十人の殺気に取り囲まれてサオレは動じない。
「この度の戦、はたして命を懸けるに相応しい戦でしょうか?」
「……何の話をしている」
「私はボナパルトの回し者になりました。ですが、これもみなあなた方をお救いするためです」
「突然何を言い出すのだ、卿は!」
「私は同胞がむざむざ死んでいくのに耐えられません。どうかフーゲン伯には賢明な判断をしていただきたいのです。もし閣下がご決断されるなら、ボナパルト閣下は寛大な処遇をなさるでしょう」
剣のサオレは自らの背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。これは賭けである。
しかしサオレは勝算がある。真にダーハド王や『斧打ちの国』に忠誠を誓う者たちは『蹄鉄砦』に参集している。この場に残っているのは、決断に欠いて日和見を決め込み、やむを得ずヴィオス公にくっついているような者たちである。そういう相手なら説得も出来るだろう、と。
「今の我々に、あの攻撃を防ぎきる力がありますか? 非礼を承知で申し上げるがこの軍勢の陣立ては最良の物とは言い難く、騎士の質も、歩兵の数も不十分な寄せ集めに過ぎません。それで果たしてあのダーハド王さえ敗退させたボナパルトの軍を破れるとお思いですか。敗走すればヴィオス公は貴殿らに責任を押し付けます。勝ったとして、誰の手柄になります?『斧打ちの国』の貴族共を喜ばせるだけではありませぬか」
フーゲンは左右に控える騎士たちの顔を窺った。それは意見を聞くためというより救いを求める動作である。騎士たちは互いに顔を見合わせると沈黙で以て返答とした。判断がつかぬ。
「我々に貴殿同様、寝返れと、裏切者になれと言うのか」
「そうは言いません。ただ命の危険を冒して戦う価値があるのかどうか、という話です。ボナパルト閣下は敵対していた私をお許しくださった上、ダーハド王に忠誠を誓った諸都市の帰順もお認めになった。慈悲深いお方です。対して貴殿らがお味方している者たちはどうです? あなたがたの親兄弟と戦い、村を略奪した者たちではありませんか。貴殿らは本当にそんな者たちのために命を投げ出すおつもりですか」
一同は顔を見合わせた。言われてみれば、ダーハド王本人ならともかく、その臣下の命で使役されるいわれはない。まして連中はダーハド王に帰順して形式上は同じ臣下である自分たちの領地を略奪しながら強行軍していくような輩なのだ。死に物狂いで働いてやる義理などありはしない。
「皆聞け、これよりフランス軍を攻撃する。矢を射つくすまで戦え! そののちは従軍の義務を果たしたと見做す。各個に判断せよ!」
フーゲン伯が宣言するとサオレは賭けに勝利したことを確信した。
草長の国の軽弓騎兵たちは土煙を立てながらフランス軍の戦列に殺到していく。
◆
「やはりな!」
自軍の右翼にフランス軍の新手が出現したと聞き、ヴィオス公は手を叩いた。やはりフランス軍の降伏は偽りだった。総攻撃をかけずに一旦様子見に回ったのは正しい判断である。そういう確信が公を満たした。
「いかがなさいますか」
「慌てる事はない。既に命令は出してある」
部下に対処を命じたところに、煤と血に鎧を汚したハドリアド伯が姿を見せる。伯は前衛部隊の指揮官としてフランス軍の前衛と交戦していた。
「おお、ハドリアド伯。その姿はいかがした」
「敵にしてやられました。我が前衛は騎士に多くの犠牲を出して敗走しております。我が手勢も多くが討たれました」
「なんと…武名高い卿が敗れるとはな」
貴様が総攻撃を渋ったせいではないか。ハドリアド伯はその遺恨を血の混じった唾と共に吐き捨てて平静を装う。ランヌ将軍率いるライフルを装備した銃兵隊に散々足止めを受けて辛うじて敵陣にたどり着いた頃には数と勢いを失い、数度の斉射で撃退されてしまったのだ。
「されど敵の陣立てが明らかになりました。敵の中央はフランス兵にあらず。草長の歩兵共です」
「ほう!」
ヴィオスはその報告に口内に涎が満ちるのを感じた。
「よもや中央に草長の弱兵を配置するとは。敵の兵力も尽きたと見えるな。思えば戴冠の丘で合戦した時もあやつらは一角を弱兵で補わざるを得なかったと聞く。今回は中央が弱兵か。ボナパルトとやらは大胆と聞くが迂闊の極よ」
「ヴィオス公、兵をお貸しください。中央を破って御覧に入れます!」
「いや、ワシが自ら本隊を率いて一息に破ろう。全軍で総攻撃だ!」
ヴィオスは指揮座から立ち上がると従者に兜を持ってこさせる。敵の策略は既に暴いた。奇策が失敗に終われば後は数の勝負。あのダーハド王でさえ敗退を余儀なくされたボナパルトの軍勢を打ち破る。それはなんと巨大な武勲であろうか。ヴィオスの瞳は戦に臨む戦士と言うよりは、算盤を弾く商人の眼差しに近い。
◆
「敵主力部隊に動きあり!」
前線からの報告を受けてボナパルトは頷いた。
「クレベール師団が突入を始めたが敵は動揺していない。こちらの偽装降伏に感づいていたが確信が持てず判断を保留。こちらの策を看破したと見做してようやく今になって動き出したか。判断が遅い」
ここまでは読み通り。だがボナパルトにとって問題はこれからである。
「ベルティエ。砲兵隊を指揮するマルモンに命令を。ただちに砲20門を率いて中央に進出し、敵に砲撃を集中せよ」
ボナパルトは参謀長に命令を下すと馬に跨った。
「ウジェーヌ。ついてきなさい。中央を視察に行く」
「は、はい司令官閣下!」
「全て予定通り。後は中央が敵を撃退すれば全てが決まる」
ボナパルトはウジェーヌに高らかに宣言した。羊毛軍団の兵士たちは未だ戦場を機動し、敵を攻撃するだけの能力に欠ける。敵側から仕掛けてきてもらう必要があった。ゆえに敵の動きはボナパルトの望むところであったし、見えない操り糸で巧みに手繰った結果でもある。
とはいえ、ボナパルトとしては全く油断ができなかった。敵の攻撃を防ぎきるまで安心はできない。たとえそれが自ら計算したことだとしても。古来より華麗な戦略が力任せの攻撃に粉砕され征服の野望果てた覇者は数多いのだから。
◆
ボナパルトが姿を現すと羊毛軍団の兵士たちからは武器を打ち鳴らす歓呼が沸き、指揮を任されているランポン将軍とソチロタト公が迎えた。
「司令官閣下!」
「ランポン、分かっているな。勝つか負けるかではない。生きるか死ぬかだ。全将兵に部署を死守させろ」
「はっ!」
フランス語で交わされる短い会話の後、意味を掴めなかったソチロタト公が改めて問う。
「ランポン殿、司令官閣下はなんとおっしゃられたのだ?」
耳が遠く、声量の多い問いかけにランポンは一瞬うんざりした表情を作りかけて、慌てて表情筋をしかりつけた。
「この場を死守せよと命じられているのです、公!」
「ああ。そうです!そうしなくては!」
調子はずれに叫ぶとソチロタトは落馬するように馬から転がり降りると、腰に下げていた斧で馬の額を一撃した。その動きは洗練された一流の武芸者のそれであり、ランポンはあまりに自然に行われた動作が何なのか一瞬理解できなかった。馬は苦痛を感じる間もなく血を吹き流しながら崩れ落ちた。返り血に全身を染めながらソチロタトは馬の血で一本の線を引いた。
「聞け! 我が戦士たち。司令官は我らがこの場に踏みとどまることをお望みだ。ワシがこの線より一歩でも退いたら斬れ! ロソータテトの息子、カザゲンの領主ソチロタトが諸君と共に死なん!」
草長の国の貴族たちは馬に跨って戦う事を誇りとする。それは単に騎兵として戦うことを意味しない。馬上にあることが物理的に平民と貴族とを隔てるからであり、万が一の時には素早く戦場を離脱できるからでもあった。
馬から降りるということは、自ら退路を断つということであり平民と同じ立場に降りるという事を意味した。
ソチロタトの行為の意味を正しく理解する徴募兵たちが雷鳴のように叫び声をあげ、武器を振り回して指揮官の決意に賛意を示した。それは戦闘前にボナパルトが彼らを閲兵した時にかけた言葉を聞いた時よりも遥かに大きなうねりを伴う。
その歓呼を見てボナパルトは勝利を確信し、馬から降りると馬の血に塗れたソチロタトの肩に手を置いた。
「ソチロタト公、貴殿にお任せする。私は後方にあって全軍を指揮するが良いな?」
老貴族はボナパルトのフランス語の意味を理解しなかったが、意図を理解して不揃いの歯を見せた。
「そうです!」
◆
ヴィオス公率いる『斧打ちの国』の軍勢は遮るもののない平野に堂々たる陣を敷いた。輝く騎士たちを中心とした突撃隊形は極度に密集し、獲物に急降下する隼を思わせる鋭い三角形で構成され、それぞれ部隊を率いる貴族たちが先頭に立つ。草原を吹き抜ける風のように吹き抜ければたちまち全てを打ち砕けると騎士たちは気炎を吐く。
「密集したか。よし撃て!」
敵が突撃に適した密集陣形を組んだと見るや、羊毛軍団より数百メートル先にあって砲兵隊を指揮を執るマルモン将軍は命令を発した。
彼らが持ち込んだのはこの異世界で鋳造された三ポンド砲だった。フランス軍が用いるそれよりも小型で、砲腔の形も不揃いで威力に劣るがそれでも大砲は大砲であり、その数も20と集中運用がなされて衝撃力を高めている。
「装填!装填急げ!」
「距離1000、仰角調整よし、撃て!」
砲を操作するのは徴募された草長の国の人間である。砲兵要員としてマルモンが数週間みっちりと訓練を施した秘蔵っ子たちである。要所要所にフランス人の砲兵が配置され、微調整を加える。
鉄球が飛び込むたびに騎士たちの陣形は崩れる。甲冑を貫通した砲弾は勢いをそのままに後列に飛び込み、騎士たちの肉体を切り裂いていく。陣形が崩れるたびに陣形を組みなおそうと足が止まり、そこへさらに砲撃が集中して混乱を増幅させていく。
さらに側面からはランヌ指揮する散兵の射撃が集中して勢いを削りにかかる。
「撃ち続けろ。お前たちは歴史に残るぞ。この世界初の砲兵隊だ。お前たちが新しい時代を作るんだ!」
マルモンは興奮気味に二角帽子を振って砲兵たちの間を鼓舞して回った。
平野を数多の死傷者で埋めながらも『斧打ちの国』の主力は数に任せて前進を果たす。槍の穂先は欠けはじめていたが、それでも彼らには希望があった。
「怯むな。ひとたび敵陣に接触すれば相手は草長の弱兵共、一撃で勝敗が決するぞ!下がるな!」
「我らにはもう糧秣が無いのだ。ここで負けたら後がないぞ!」
じりじりと前進する敵にマルモンはありったけの砲撃を浴びせるだけ浴びせると、砲を素早く下げるように指示した。三ポンド砲は少数の馬と数人で簡単に操作できる機敏性を持っており陣地転換も早い。
「来るぞ。槍組構え、銃兵組は射撃はじめ!敵を寄せ付けるな!」
敵が百歩の距離に迫って羊毛軍団を指揮するランポンは叫ぶ。彼の指揮する部隊はマスケット銃を装備するフランス兵とは全く異質な軍隊だった。槍や剣、盾といった中世さながらの装備と原始的な火器で武装し、人間で出来た城壁のごとく重厚な密集陣形を敷いている。
戴冠の丘では一万を数えた兵士たちが脆くも粉砕された。今度は支え切れるか?
ランポンは一瞬の迷いを振り払うように首を振った。
前とは違うのだ。練度は十分、兵士たちの結束も比較にならない。
永遠のように感じられる百歩の距離が埋められ、剣と剣、槍と槍をぶつけ合う衝突が始まった。
矢のように槍先を揃えて突進する騎士たちが槍衾に迎え撃たれ、銃撃を受けて落馬する。先頭の歩兵が剣の切っ先を喉当ての僅かな隙間に差し込まれて絶命する。片方から怒号が発せられれば投げ返すように叫び声が応じた。盾が砕かれ、兜が割られる。両軍の兵士が流した血が小川を作りながら草原を流れていく。敵も味方も貴族も平民も等しく赤い血が流れて混ざり合う。
衝突は激しく、短く、反復された。
『斧打ちの国』の軍勢は波が打ち寄せるように突撃しては羊毛軍団の壁に激突して砕かれる。すると後から第二波、第三波と数の優位を生かそうと次の波が押し寄せていく。羊毛軍団は都合十度繰り返される突撃を尽く退けてみせ、花崗岩でできた巨大な記念碑のように戦場に踏みとどまってみせた。
◆
「今だ! デュマ将軍。全騎兵を繰り出して敵の東側面を襲え! 西からのクレベールと呼応して挟み撃ちにしてやれ」
十二回目の突撃が粉砕されたのを望遠鏡で覗いたボナパルトは鷲のように甲高く叫んだ。待ち望んだ瞬間が訪れた。敵の攻撃は砕かれ、敵は予備兵力を吐き出した。軍隊の限界点。緊張の極限にあって、少しの衝撃で割れ砕ける、そんな瞬間をボナパルトは見逃さなかった。
「ノルケト殿」
ボナパルトはクルーミルの家臣にして、女王の代理人として戦場にいたノルケトの名を呼んだ。
「なんなりと司令官」
「貴殿の重装騎士に全騎兵の穂先を任せたい。甲冑に身を包んだ貴殿らは、我らの騎兵より遥かに衝撃力に勝るからな」
「栄誉をお与えくださり光栄の極。必ずやご期待に沿いましょう!」
ノルケトは喜色満面の笑みを浮かべると配下の騎士たちに号令をかける。
「ミュラ。それと、槍のサオレ殿」
「はっ」
「お前たちの軽騎兵は追撃だ。デュマが敵の陣形を崩したら逃げる敵の背中を斬りつけろ。そして追撃しろ」
「どこまで?」
「地の果てまで追い詰めろ。情けは無用だ」
「はっ!」
◆
ノルケト率いる騎士たちを先頭にフランス軍の騎兵が落雷のような速度で『斧打ちの国』の東側面に襲い掛かった。高らかにラッパを吹き鳴らしてなだれ込むフランス軍は中央部への攻撃に失敗して士気と戦力を消耗した『斧打ちの国』の部隊をまるで薄紙を引き裂くように簡単に切り裂いていく。
それは鷲の狩りのごとく一瞬の事で、戦場の流れは突然にして逆転した。
フランス騎兵の先頭に立つデュマは巨木のような腕をしなやかに滑らせて立ち塞がる敵の首を斬り落として見せる。それに続けとフランス兵たちは戦場に踊りこんでいく。フランス騎兵はクルーミルから提供された小柄で運動性と持久力に長けた草長の国の馬を乗りまわして、これまで馬不足で十分は働きをできなかったうっぷんを晴らすように駆け回った。
「攻撃部隊を再編しろ、もう一息、あと一息で敵は崩れるぞ」
「閣下! 閣下! 敵襲です。敵の騎兵が……!」
「防げ!」
ヴィオス公は事態が加速度的に変化する戦況に当惑した。馬鹿な、敵の策を看破し、こちらは攻撃に出ていたではないか。優勢だったのは我々のはずだ。
「後方にフランス軍、退路が遮断されます!」
「草長の兵はどうしたのだ。何をやっておるのか!」
「それが、敗走したようです」
デュマ率いる騎兵が東側から突入したのと機を同じくして、西側からはクレベールの歩兵がなだれ込み始めていた。
迎撃を命じられた草長の国の騎兵たちは銃の射程に入らぬように遠巻きに矢を射掛けるばかりでクレベールに損害を与えぬまま、矢を射つくして戦場を離脱し始めている。ヴィオス公は軍馬がたてる土煙と前方の敵に集中するあまり、そのことに気が付かなかった。
今やフランス軍は翼を広げ、その影が『斧打ちの国』の軍勢を飲み込み始めていた。
「退路が絶たれる!」
「逃げろ。この戦は負けだ!」
包囲される。その恐怖がもたらす兵士への心理的な打撃は計り知れない。最前線の部隊が目の前に迫りくる敵を懸命に防ごうとしている間、一歩後ろの部隊は次々と戦意を喪失し我が身を守ろうと逃げ崩れ始める。
パニックが広がる。もはや指揮官に打つ手はなかった。
「一瞬にして……たった一撃でわが軍は敗れたというのか? 馬鹿な。あり得ん話だ。私は勝っていた。勝っていたではないか。何を狼狽えておる。攻撃を起せ、敵の中央を破れ、勝利は目前ではないか!」
ヴィオス公は側近たちに叫んだ。
「公、ここにもすぐ敵が殺到してきます。離脱しなくては……!」
「そうか……!ボナパルトめ、罠に気づかせるのが罠だったのか……」
ヴィオス公は混沌の渦の中で唐突に光明を見出した。
「そうか……ハドリアド伯が正しかった。即座に総攻撃に出ておれば……」
「い、いかが致しますか……全軍は既に崩壊し、兵は逃亡しております」
「残った手勢を集めよ。……全軍の最後衛について撤退を掩護する」
ヴィオス公は視界を悪くする兜を脱ぎ捨てた。発汗して興奮した顔に寒風が心地よかった。
「この期に及んでは戦場で敵の剣に斃れることが望みよ……」
全軍は包囲に晒される、とはいえ完全な包囲網を敷くには数が足らぬだろう。いくらかの兵は生き残り戦場を離脱できる。しかし、強行軍で食料は乏しく、『斧打ちの国』への帰路は道中には略奪した土地が広がるのだ。村人や領主たちは復讐を果たそうと血眼になっているに違いない。生きて帰る見込みは殆ど無いも等しいのだ。
日が暮れる頃には『斧打ちの国』の軍勢の大部分が兜を掲げて降伏し、勝敗は決した。
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