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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
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第六十七話 蹄鉄砦の戦い

 ボナパルトは右手を目の高さまで上げ、振り下ろした。その仕草はあまりに自然だったのでウジェーヌは一瞬その動作の意味を掴みかねた。まるで何気ない手の運動のような雰囲気で行われたのだ。


 直後、轟音が世界を圧した。数百の落雷が一斉に落ちるような衝撃がその場にいる全員を震わせる。


 数秒の間をおいて黒い球形の稲妻が『蹄鉄砦』の城壁を打ち据えた。けたたましい音を立てて城壁を形作っていたレンガや石が砕けていく。砕け散った破片が城壁に立っていた見張りに高速で襲い掛かり、その皮膚をナイフのように切り裂いていく。それを立ち上る煙が覆い隠す。さえぎられた視界の中で建物が倒壊する音、傷ついた兵士の叫び、砲撃の威力に動揺する者たちの悲鳴の三重奏が始まる。


 恐るべき破壊は始まったばかりだった。城壁が震えて数秒と立たぬうちに、今度は場内のいたるところに鉄球が降り注ぎ屋根や天幕を突き破って混沌と破壊をまき散らした。蹴倒されたろうそくや松明の火がそこらの布にまとわりついて燃え上がる。


「これが大砲か!」


 グーエナスは城門を守る最も高い塔の上から感嘆した。部下に悟られぬように平静に努めたはずだったがその声は確かに震えている。その威力は聞いてはいたが、これほどとは。ボナパルトを雷鳴の主と呼ぶ者たちの言葉は偽りではなかった。


「悪霊使いどもめ! 呪われろ!」


 隣で部下が叫ぶ。それは熱いものに触れた時にとっさに手を引っ込めるのに似ていた。怒りを叫ばずにはいられない。そうでなければ悲鳴が出ただろう。


「武器をとれる者は城壁に集え! 戦えぬものを地下倉庫へ隠せ! 消火班を組織して火を消せ。敵に備えよ!」


 グーエナスは次々に命令を発する。その言葉で部下たちが我を取り戻す。


 城壁ではパニックになった兵士たちの一部が狂ったように敵陣めがけて矢を放った。それらは距離がありすぎてむなしく赤茶けた土に突き刺さるばかりで何一つ効果があるものではなかった。射程外である、ということは承知していた。それでも、撃ち返さなければとてもその場に踏みとどまる勇気がでなかった。一方的に撃たれるということほど、兵士の心を挫くものもない。


 フランス砲兵隊は相手の攻撃を受けることなく、一方的にその力を発揮していく。それはまさしく破壊を司る神だった。重砲から発射される砲弾の一つが角ばった城壁の一角を吹き飛ばす。自重によって出来ていた城壁はバランスを崩してガラガラと連鎖的に崩落していく。その光景に、壕に身をひそめるフランス兵たちから雄たけびが上がる。


「いいぞやっちまえ!」


「皆殺しだ!」


 城門に近い塔に砲弾が命中すると、ボウ、と輝く炎が立ち上りさながら巨大な蝋燭か灯台のようになった。塔の上に据え付けられていた投石機の横に積まれていた陶器の火炎壺に倒された松明が引火したのだった。火炎壺の中に詰まっていた油が燃え盛り、フランス兵に投げ込まれるはずだった地獄の業火が傍にいた三人の兵士に抱き着くのを手始めに、滴る油の流れに沿って塔を上から下へ、舐めるように広がり数十人を燃やした。


 生きながら火葬される者たちの絶叫が砲撃以上に城兵たちを恐怖に陥れる。苦しみに耐えかねた兵士たちが火だるまになって城壁から飛び降りていく。その様子に、友軍の砲撃に称賛の声を送っていたフランス兵たちも思わず口を閉ざした。


 砲撃を始めて四時間余り、十門の重砲は六つの塔を破壊し、城壁を三か所崩落させた。崩れ落ちた城壁は瓦礫によってゆるやかな傾斜路を作っており、そこから城内になだれ込める。


「突撃縦隊! 選抜歩兵は前へ!」


 城壁に近い壕にひしめくフランス兵の間に緊張が走る。いよいよ、自分たちがあの地獄へ飛び込むときが来た。彼らはクレベール師団に所属している第七十五半旅団だった。


 士気上がるフランス兵の戦列の前を、ブツブツとグルバス語を唱える男女が横切る。白い布一枚を身体に巻き付けている、およそ戦場に似つかわしくない二人だった。


「精霊よ、我らを見つめたまえ。精霊よ、我らを見つめたまえ……」


「あれはなんだ」


 クレベールの問いに部下のヴェルディエが応じる。


「あれは司令官閣下の命令で連れてこられた交信者です。精霊の妨害を防ぐために、加護の呪いを唱えさせてるんだとか……」


「まじないだって?ボナパルトがか?ばかばかしい。神も聖書も信じてない癖に!」


 クレベールは半ば嘲笑し、半ば呆れた。『川辺の都』でドルダフトン公に軍を恐慌状態に陥らされたのがよほど不味かったらしい。


「お前たち、俺のケツにしっかりついてこいよ!」


 獅子のたてがみを思わせる風貌のクレベールがサーベルを抜き兵士たちを鼓舞する。その言葉は比喩ではなかった。突撃の最先頭に立つのはこの猛々しい師団長本人である。


「突撃!」


 号令を合図に鎖を解かれた猟犬のような獰猛さで兵士たちが飛び出していく。小銃の先に着けられた銃剣のギラギラした光が波のごとく城壁に押し寄せる。


「我らも続け! 女王の為に!」


 駆け出していくフランス兵に競い合うようにして『草長の国』の兵士たちも突き進む。彼らはノルケトが率いて来た若い貴族から成る兵士たちだった。一様に陽光を反射して輝く鎧に身を固め、ガチャガチャと音を立てながら、身軽なフランス兵に負けない筋力で駆けていく。


 城壁から放たれた矢がフランス兵を捉える。誰かが悲鳴を上げて崩れ落ちるが、意にも介さない。兵士たちは仲間の死体を踏み越えて突き進む。ひとたび突撃が始まれば、足を止めることこそ危険だった。


「うっ」


 瓦礫を踏み越えたクレベールはその先に予想外のものを見た。


「バリケードだ!」


 崩れた城壁の内側に即席の壁が築かれている。馬車や荷車に石を積み、それを連ねて基礎を作り、その隙間を盾やひっくり返した机で埋めているのだ。そしてその背後には弓をつがえた射手が待ち構えている。


「こん畜生。奴ら、城壁が破られるのを見越してたな!」


 矢が放たれ、狭い突入路から侵入したフランス兵たちは恰好の標的となってなぎ倒された。


「怯むな、突っ込め!」


「フランス万歳! 共和国万歳!」


 クレベールは前進を命令する。兵士は後から後から押し寄せて来るのだ。ここで突撃の勢いを殺されるわけにはいかない。フランス兵たちは熱に浮かされたように叫び声を上げながら死の間に身を投げ出していった。


 フランス兵たちが発砲し、弾丸が木製の盾を突き破って射手を倒す。次いでフランス兵はバリケードによじ登るとマスケット銃を短槍替わりに振り回し、手あたり次第に突き立てた。フランス兵が怯むと、入れ替わるようにしてノルケトの歩兵が前に出る。剣と剣、刃と刃がぶつかる場所において、やはり金属の鎧は何より有効だった。


「下がるな! お前たちの背後にいる家族を思え! 子供を思え! 決して下がるな!」


 最前線の渦中に乗り出していたのはクレベールだけではない。グーエナスもまた巨体に相応しい大きな鉄製の盾を振り回して押し寄せるフランス兵に立ち向かっていた。グーエナス個人の武勇は比類なく、挑みかかった四人のフランス兵が盾の一撃で突き飛ばされた。

 司令官の武勇に引っ張られ、背後にある大切なものに背中を押され『斧打ちの国』の戦士たちも決死の粘りを見せる。鉄製の兜と鎧、それに盾と剣で武装した戦士たちは布の服とマスケット銃で武装したフランス兵よりはるかに接近戦に強かった。もはや戦いは巧みな作戦や戦術といった頭脳の戦いから、闘争心と腕力のみがモノを言う原始的なものに回帰していった。


「その姿! 盾のグーエナス殿とお見受けした!」


 即席で築かれた荷車の防壁の上によじ登ったノルケトが叫ぶ。その声の先には盾を振ってフランス兵を打ち据えるグーエナスの姿があった。


「我が名はノルケト、その首頂戴する!」


 ノルケトは全身を固める数十キロにもなる鎧の事など、まるで存在しないかのように跳躍した。それは鍛錬で得た若い筋肉の力に他ならない。鉄と肉の衝撃を受けて、大盾を構えるグーエナスは一歩も怯まなかった。それどころかはじき返しすらした。


「やるな若造。殺すには惜しい」


 そこへ全身に返り血を浴びて赤く染まった髪を振り乱したクレベールが乱入する。グーエナスは思考ではなく直観で自分に挑みかかって来る人物が攻撃の指揮官だと悟った。風格が違う、気配がほかの兵士とは全くの別物なのだ。


 三人は争う。クレベールもグーエナスに至っては互いのことを知らなかった。個人的な恨みなど持ちようもない。しかし互いが信じる目的と正義が命じるままに三人はサーベルと盾をぶつけ合った。()()()()()()およそほかの動物は考えもつかない、最も人間らしい動機によって、三人は太古の昔から続く、動物じみた闘争に身を置いていた。この場にいるすべての人間が、そうだった。


 ノルケトもクレベールも練達の武芸者だったが、グーエナスはそれを上回った。強力な速度と質量を兼ね備えた盾の一撃がクレベールを荷車の上から突き落とした。


「クレベール殿!」


 ノルケトが荷車の上から状況を確認した時、既にフランス兵たちは至る所で押し戻され、突入してきた城壁の裂け目に雪崩を打って逃れようとしていた。


「噂にたがわぬ、グーエナス殿の武勇見事。後日再戦を!」


 ノルケトは荷車から飛び降りると、下で失神しているクレベールを担ぎ上げた。


「一時後退! 後退!」


 ◆


 クレベールは身を起こした。自分は確か、城壁から落ちたのだ。次の瞬間激しい痛みと吐き気が襲ってきてクレベールは苦悶した。


「クレベール」


 平静を通り越して冷たさすら感じる言葉にクレベールが顔を上げると、そこにはボナパルトの姿があった。


「司令官閣下」


「動かないほうがいい。頭を激しく打っている」


 クレベールは自分の頭に包帯が巻かれているのに気付いた。指で触れるとぐじりと嫌な感触がして、血が滲んでいる。あたりを見回せば、自分と同じように負傷した兵士たちが幾人もいた。どうやら臨時の野戦救護所に運び込まれたらしい。


「わが軍は撃退された。お前を拾ってきたのはノルケトだ。礼を言っておけ」


 淡々としたその言葉にクレベールは全身の血が沸騰するのを感じた。


「再攻撃を! 俺がもう一度指揮を執る!」


「だめだ。攻撃は中止する。第二波のレイニエ師団の攻撃も中断させた。貴官の半旅団の損害は百人だ」


「クソっ!」


 クレベールは拳を地面に打ち付け、叫んだ。


 手負いの獅子の咆哮を背にボナパルトは他の負傷兵たちを見回る。矢傷と切り傷が目立つ。


「よく頑張ってくれた。貴官らの勇戦は比類ないものだった」


 腕に包帯を巻いた兵士の一人にボナパルトは話しかける。その声色は優しく、冬の日の光のように穏やかで温かった。


「閣下、我々が不甲斐ないばかりに失敗しました。もう一度やらせてください!今度は上手くやります!」


「閣下! 再攻撃を!」


 司令官の姿を見て、負傷兵たちは口々に言う。


「お前たちの不屈の精神は賞賛に値する! そうだ。我々は失敗したが、決して打ち負かされてはいない。準備を整え、新たな算段をつけて再び攻撃を命じるだろう。それまでしっかり休んで傷を癒せ。熱い豚肉のスープを手配しておいたからな」


 兵士たちの間で陽気な笑いが響いた。


「司令官、司令官閣下!」


 そこへ副官のウジェーヌが駆け寄って来た。表情は暗く、喋る前から緊急事態であることを物語っている。


「『斧打ちの国』方面に警戒のための哨戒線を張っているデュマ将軍から報告が届きました。敵軍が接近しているようです。それと、補給部門のリニーヴェン代表が至急お話したいことがあるとのことです。もう一つ、面会を求めている地元貴族がいます……」


 ボナパルトは矢継ぎ早に報告をするウジェーヌに向き直った。


「次から次へと。幸運は一人で来る。不幸は友を連れてくる。とはよく言ったものね。さて、どうしようかしら」


 ボナパルトは負傷兵の血で濡れた手を気にせず、そのまま二角帽子を被って司令部のあるテントのほうへ歩み出した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦争で敵を撃ち倒したと聞くと聞こえが良いのだけど、同じ人間をミンチにしているという事実の解像度があがるとやはりくるものがある。 それでも、勝利という二文字には抗えない魅力があって、それを授…
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