第五十六話 螺旋を描く武器
徴募兵軍団に昇進と勲章の制度を示して鼓舞した後、ボナパルトはその足で「王都」にある、フランス軍に割り当てられた屋敷の一つに向かった。クルーミルは王宮で片付ける仕事が山積しており別れる事となった。
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「お待ちしておりました閣下」
屋敷の正門でボナパルトはそこで旧知の部下であるマルモン将軍のほかに、ボナパルトが遠征軍に随行させていた学者団の一員である二コラ・コンテとガスパール・モンジュの歓待を受けた。背が高く左目に眼帯を付けたコンテと、背が低く大きく尖った鼻を持つモンジュは対照的に見える。
「大砲委員会の報告です」
進み出たマルモンが報告書の束を渡す。ボナパルトはそれを一瞥すると横に控えていた副官のウジェーヌに束を押し付けた。
「それで、進捗は」
不愛想に、ぶっきらぼうに尋ねるのはボナパルト。その口調は大抵の人間が聞けば印象を悪くするだろうが意に介さず、マルモンは自信に満ちた笑みを口元に浮かべたままボナパルトを中庭に案内した。
化粧石が敷き詰められた美しい回廊を通った先、手入れがされた花々が咲き乱れる中庭に、明らかに場違いな、異質な物体が置いてあるのをボナパルトは見た。
「これはなんだ?」
「この世界で最初に鋳造されるであろう大砲、その模型です」
胸を張って答えたのはモンジュだった。ボナパルトは改めてその物体を見る。大砲。確かに大砲であるには違いないだろう。しかしその大きさは現在のフランス軍が装備している砲よりも遥かに小さく、砲それ自体よりも、砲を乗せる砲架や、車輪のほうがはるかに大きい。
「大砲委員会は現在調達可能な資源、現地の技術水準、軍に要求される性能、あらゆる観点から望ましい大砲とは何かを慎重かつ迅速に検討しました。速やかに供給でき、安価で、量産に向き、なおかつ扱いやすい砲。それがこの三ポンド砲です」
モンジュは自信に満ちた表情で説明する。
「青銅製、砲重量三百キロ。馬一頭ないし、兵士四人で牽引して移動させることができます。製造コストも抑えられ、配備も容易。射程と威力には若干不足がありますが、この世界の密集した陣形を組む敵には十分な打撃を与えられます」
ボナパルトは頷いた。
大砲から発射される砲丸はそのまま、あるいは地面を飛び跳ねながら敵の戦列に飛び込み兵士の手足や胴体を引きちぎる。兵が縦に並んでいれば七、八人を容易に貫通する。
戦列歩兵が横に広く、薄い陣形を組む理由の一つだ。縦に並ぶ人間が少なければ、砲弾に貫通される人数も少なくなる。
この世界の歩兵は巨大な塊のごとき密集陣形を組んで戦う。それは槍や剣で戦う接近戦に強く、指揮のしやすさと敗走を防止するには適した陣形だが砲撃には著しく弱いのだ。確かに、このような小さな大砲から発射される小さな砲弾でも十分に打撃を与えられるだろう。
「よし。この冬の間に何門揃えられる?」
「現状では三十門。これと並行して、六ポンド、十二ポンドといった大型の大砲を製造する設備も準備中です。将来的には十分な質と量を備えた大砲を用意できるでしょう。それに伴い、消費する火薬の製造工場も整えつつあります」
モンジュは革命によって急速にフランス軍が拡大した時期に大砲製造と火薬調達の責任者だった人物である。彼の両目には戦争のための工場が急速に立ち並ぶ情景が既に映っていた。無数の銃と大砲、火薬が彼の指揮する工場から生み出されるのだ。
「よし。野戦ではこれを使おう。しかしこの砲では城壁を崩すには威力が足りないな」
「それにはこちらです」
モンジュは小型の三ポンド砲の横にあるものを指差した。巨大な臼か、坩堝を思わせるそれは臼砲と呼ばれる代物だった。カノン砲と違い、砲弾を高く打ち上げる兵器だ。
「十二インチ臼砲。強度の問題から砲身を分厚くせざるを得ず、重さはわが軍のものよりも嵩みましたが威力は十分です。移動には適しませんが、城攻めなら問題ありません」
「小さな大砲と、重量のある大砲がこれからの私の武器か」
「もっと時間と予算があれば、我々はフランス本国と同じものを作るでしょう。しかし、兵器にとって重要なのは完成度よりも、必要な時に必要な場所にあるかどうか。そうではありませんか?」
モンジュが言うとボナパルトは苦笑した。
「その通りだ。これらを製造したまえ。砲の操作要員の訓練も並行して行うように」
「承知しました。我が工場から生み出される兵器がこの世界に自由と平等をもたらす事でしょう! 共和国万歳! 行こう祖国の子らよ栄光の日が来た~」
モンジュは元気よく応じた。吐き出されるその息にアルコールの臭いがしたのをボナパルトは感じる。モンジュはそのまま気分が高じたのかラ・マルセイエーズの一節を歌い始めた。彼は筋金入りと言って良い共和主義者だった。
「飲んでるな、博士」
「はい! 飲んでおります閣下。酒は勇気と活力を与えてくれますので!」
「ほどほどにな」
ボナパルトはあえてそれをとがめようとはしなかった。仕事をするなら酒を飲んでいようが何をしていようが問題ではない。
「閣下、大砲とは別に報告したいことがあります」
モンジュの脇からコンテが顔を出す。フランス軍と学者たちにとってこの英才が作り出す工作道具の数々は欠かせないものだった。
「聞こう」
コンテが取り出したのは小銃だった。見た目はフランス軍が使うマスケット銃となんら変わらない。
「我々は量産速度を重視してハンド・カノンを製造していましたが、それと並行して製作を進めていた小銃が完成しました。数は少ないですが、満足いく銃を供給できると思います」
「それは朗報だな。ハンド・カノンは威力はともかく、命中精度に劣るし、銃剣もつけられないから白兵戦能力にも欠ける」
「この銃には少し細工をしておりまして、銃口を覗いてみていただけますか」
ボナパルトは言われるまま銃口を望遠鏡のように覗き込んだ。真っ暗闇が広がっているが、よく見ると螺旋状の溝が掘ってある。
「ライフルか」
「はい。施条してあります。弾丸に回転を加えることで、弾道を安定させ命中精度を高めます」
「狩猟や散兵、騎兵用の銃向けの奴だな、これは」
「ええ。費用がかかり、装填時間も長いので数と射撃速度を重視する軍には不向きです。しかしこの世界では火薬が貴重です。射撃回数よりも、命中精度のほうを重視するべきではないでしょうか?」
「一理あるな。しかし全軍に装備させるほどの数は揃えられないだろう。一部の歩兵だけが装備しても戦局には影響しない。いま必要な武器ではないな。マスケット銃を生産するのに注力したまえ」
「いや、待ってくれ。この銃は必要だ」
口を挟んだのは徴募兵軍団を指揮するランヌ将軍だった。
「士気も練度も低い徴募兵たちには散兵の援護が必要だ。その散兵にこいつを装備させる。数は一個中隊分、百丁もあればいい。正確な射撃で敵が倒れれば兵士の士気を高められる」
ボナパルトはその言葉に、稲妻のような閃きを得た。
「それに付け加えよう。勲章を与えた兵士たちにライフル銃を装備させる。しかし、命中率の高いライフルであることは秘密にする。命中率の低いマスケット銃を魔法のように命中させる勇者たちを前面に押し出す。コンテ、ライフル銃を生産したまえ。それと、学者たちが狩猟用に持ち込んだライフルもあるはずだ。それらも全部供出させろ」
「ええ? ああ、わかりました。直ちに用意します」
コンテはボナパルトの言葉が二言の会話のうちに百八十度変わったことに多少の驚きを禁じ得ない。この人ときたら、理に適うとみればすぐに態度をひるがえすのだ。
ボナパルトの頭の中に新しい軍隊の下書きができ始めていた。小型の大砲と命中精度の高い散兵に支援され、ハンド・カノンに守られ、敵部隊に向かって前進する槍兵の集団。練度の低さを火力で補い、昇進と名誉への期待で士気を高めた軍団。
戦列歩兵から幾分か時代を巻き戻す事になる、ボナパルトの時代から見れば古い戦い方。しかし、このグルバスにおいては全く新しい時代の戦い方になるのだ。




