第四十二話 密議
ボナパルトは大商人ネーヴェンの屋敷の訪問を終え、部下たちに命令を下すとクルーミルの待つ青の間と呼ばれる一室に向かった。王の私室とも呼べる部屋である。先日の包囲戦の中にあってこの部屋は戦火を受けずに済んでいたので会談の場に選ばれている。扉の前に控える召使が重々しく扉を開けると部屋にはクルーミルの姿が見えた。
「ナポレオン。どうぞおかけください」
クルーミルのよく通る声と手招きする仕草でボナパルトは椅子に腰を下ろした。木の上から何かの動物の毛皮が張られた座り心地の良い椅子だった。
「状況の説明をして」
ボナパルトは差し出されたクルーミルの手を取るとそっけなく伝える。ボナパルトの知る限り、この宮殿には謁見の間と食堂にそれぞれ通訳を介さないで済む呪いがある部屋がある。にも拘わらずクルーミルは直接こうして手をとることでの会話を好んでいる。
「反乱に加わったものたちはことごとく捕らえました。サーパマド伯とロッソワム公が首謀者で間違いありません。ロッソワム公は死にましたが、他は全てこの宮殿の地下に監禁して、先ほどいくつか尋問しました」
クルーミルは言う。そして一呼吸おいて続けた。
「サーパマド伯が弁解をしています」
「どのように?」
ボナパルトは反逆者の弁解というものに少し興味があった。
「それが、自分は女王に背いたのではなく女王のそばにあって、玉座を奪わんとするボナパルトとその手下を討つために立ち上がったのだ……と。もしお許しいただけるなら今後は女王に忠誠を誓うと言っています」
クルーミルはその透き通るように輝く金の髪を左右に振った。明らかに罪を逃れるための後付けの主張である。
「へえ……」
ボナパルトは意地悪く笑みを浮かべた。
「その話を信じたのか、幾人か伯の減刑を願い出てきています。中にはテルマルタル伯の名も……どうやら、事が失敗したときに備えて手紙を事前に用意し、自分が捕まるのと同時に中立だった貴族たちにばらまいたようです」
テルマルタルの名にボナパルトは眉をしかめて表情を曇らせた。王の前でも着席の特権を認められているほどの『草長の国』有数の勢力を持つ一族。あの老人。
「あなたはどう思いますか?」
「連中が何を言おうが私には関係ない。彼らは背中から攻撃してきた。それだけで私には彼らを倒す百の理由になる。監禁場所から逃げ出されても、身柄を取り戻すと他の連中が集まってきても面倒よ。手早く処刑することを勧めるわ」
ボナパルトは断固とした口調で応じる。クルーミルは机の上に置いた自分の手の甲を見つめた。
即刻処刑するべきか。そうかもしれない。もし躊躇すればボナパルトをはじめ、自分の側で戦ってきた貴族たちに示しがつかない。王の権威はますます蔑ろにされることだろう。
一方でそれは処刑されるサーパマド伯とその縁者、そして心情的に彼らに味方する貴族たちの反感を買うことになる。自分にはサーパマド伯とその一派を処刑するに十分な大義名分があるが、大義名分などは力のある人間の意向一つでどうにでもなる。彼らはサーパマド伯が素早く用意した「女王ではなく、ボナパルトを討つために立った」という主張を盾にして「女王のために動いた者を処刑するとはなんたる非道!」と言い立てるに違いない。
もし、サーパマド伯を処刑すればテルマルタル伯をはじめ、彼に連なる貴族からの報復を覚悟しなければならない。もし、処刑を躊躇えば今度はクルーミル側の貴族たち、そして何よりボナパルトが許さないだろう。
クルーミルは視線をボナパルトへと向けた。雨に濡れの痩せた捨て犬を思わせる不機嫌そうな表情と、燃やし尽くした灰のように輝く青灰色の瞳。
この人は躊躇うことがあるのだろうか。反乱の知らせを受けた時、彼女はすぐに都に引き返すことを決断した。彼女と初めて宮殿に入った時、彼女は列席する貴族たちに向かって勝利を約束した。浜辺に姿を現した時もそうだった。私の味方をしてくれると言った。どことも知れぬ中、どうなるともわからぬ中。もし、この人のように力と決断力があれば、私は多くを失わずに済んだのだろうか。
クルーミルは大きく息を吸って吐いた。
「サーパマド伯らを処刑します」
ボナパルトは黙ってクルーミルの顔を見つめる。燃えるような赤く大きな瞳。
「ですが、今すぐにではありません。『王都』を奪還した後です。しばらくは減刑の声に応じた振りをしておきます」
「そのワケは?」
「捕らえた者たちを尋問し、取り調べて背後関係を明らかにさせるのにもう少し時間が必要です。取り逃した者たちも少なからずいるでしょう。せっかく「反逆者を裁く」という大義名分を手に入れたのですからこれを活用して内側の敵を一息に片付けます」
クルーミルは握った手に力を込めた。彼女の手が少し汗をかいているのがボナパルトにはわかった。
「それに『王都』を取り戻せば減刑を願い出てきたテルマルタル伯ら中立派も態度を変えるでしょう。彼らが減刑の願い出を取り下げ、処刑に同意する機会を与えます。今処刑してしまっては、彼らが態度を改める機会を損ないます」
ボナパルトは頷いた。中立派の減刑の願いを無視して処刑した後『王都』を落としたのでは中立派も願い出を無視された手前、態度を変えにくい。『王都』を落として力を示し中立派のほうからクルーミルの側へ歩み寄ってくるのを待ち、彼らの同意を取り付けてから処刑すれば、話はまた違ってくる。
「私の軍隊を背景に、王の決定を貴族たちに押し付けるという手は?」
「今でも十分すぎるほど貴女の力に頼っています。なんでもかんでも貴女の軍隊に頼るわけにはいきません。それには限りがあります。貴族たちは時に抑えつける必要がありますが、出来る限り向こうから進んで私に従うようにしたいのです」
クルーミルはしっかりとした口調でそう言った後、語尾を小さくしながら「と、思うのですがどうでしょうか?」と付け加えた。ボナパルトはくすりと笑う。
「別に、貴女が女王なんだから、貴女が決めたらいいじゃない。悪くないと思うわ」
「本当ですか?」
「貴女って明るくて、善い人そうで、お人好しに見えるから、そういう決断ができないんじゃないかと思ってた」
「そう見えるんですか?」
「少しね」
「……善い人ですか。失望しましたか。相手の話に乗った振りをして騙すような手を考えつくことに」
「いいえ」
「これからも、善い人だと思ってもらえますか?」
「そう思ってほしいの?」
クルーミルは沈黙した。
「ともかく……善は急げよ」
話したくないか、言葉に詰まっているのを察したボナパルトは話題を転じることにした。
日が傾く頃、ボナパルトはクルーミルの部屋を出た。入れ替わるようにしてクルーミルの重臣アビドードが部屋を訪ねる。
「女王陛下」
うやうやしく一礼する家臣の姿を見て、クルーミルは笑顔をつくった。
「アビドード。傷の手当は済みましたか? 今回は本当によく守ってくれました」
クルーミルは腕を伸ばして自分より背の高い家臣の肩の傷に触れた。
「昔、姫様が木の上から落ちて来たのを抱き留めた時の傷に比べれば、なんということはありません」
その言葉にクルーミルは少し微笑み、そして頬を膨らませた。
「いつの話をしているのですか」
「遠い昔の話でございます。して、ボナパルト殿はなんと」
「私の提案を受け入れてくださいました。捕らえた者たちはしばらく取り調べます」
「かしこまりました」
「もうしばらく、この都の守りをお願いします」
「はっ。今回の一件は敵に付け入る隙を与えた私の失態。これ以上、陛下のご期待を裏切る真似は致しません」
「あなたのせいではありません。あなたはよく守ってくれました」
「ありがたきお言葉です」
「私は夜にはここを発ちます」
「はっ。……は?」
「夜にここを発ちます。ナポレオンと共に馬車に乗って『王都』に戻ります」
目を丸くする元教育係の家臣を見てクルーミルはいたずらをした子供のように笑った。
「ボナパルトめ、姫様を次から次へと行ったり来たり連れまわして……」
アビドードは口をへの字に曲げてそれが声になるのを抑えた。




