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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第四章『草長の国』戦争~王都戦役~
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第四十一話 仮面の裏側

 『川辺の都』の反乱が鎮圧された翌日。ボナパルトはネーヴェン商会の豪華なレンガ造りの屋敷の客室に招かれていた。上質な少し赤みを帯びた木でできた机を挟んでボナパルトとネーヴェンが向かい合う。


「ボナパルト様。招待に応じて貴重なお時間をありがとうございます」


 その言葉が通訳を介さず、自然に理解できたのでボナパルトは天井を見上げた。


「ああ。ここには通訳の呪いがかかっています。ボナパルト様も王宮で御覧になったかと思われますが……ここにもそういう呪いがあるのです。これがあると、商売が何かと便利なもので」


「なるほど。ネーヴェン殿に時間を割くのは当然だ。軍の費用についても、今回の反乱に際してご子息の働きにも、組合の協力にも礼を言う必要があるからな」


 ネーヴェンは人懐こい笑みを浮かべた。商人とは大が付くほどになっても、こういう表情が上手いのかとボナパルトは少し感嘆した。


「閣下には我が息子をお助けいただいたとか。こちらこそお礼を申し上げます」


「敵中を駆けて手紙を届けてくれた。勇敢で良いご子息をお持ちだ。今回の戦いの一番の功労者と言えるだろう。良い軍人になる」


「過分のお言葉です。あれは私の一人息子。家を継がせるつもりですので……親としては、危ない真似はあまりしてほしくないのですが……」


「子供は自由にさせるのが一番だ。褒めてやるといい」


「閣下の仰る通りです。お呼びだてした件なのですが、我が商会と関係の深いいくつかの都市組合とが閣下にさらに資金を提供することで合意しました。近日中に詳細をお渡しできます」


 ボナパルトはテーブルに置かれていた熱い茶を一口飲んだ。


「ネーヴェン殿。助力には感謝するとしか言いようがない。……今回は直接血を流して我々の味方をしていただいた。だが商人がそこまでするか。私としてはあなたの笑顔の裏側が気になる。単刀直入に聞こう。何を望んでいる?」


「以前にもお話した通り、我々に有利な国内改革です。今回お味方したのは我々の投資が無駄にならないようにするため。また、我々の利益守るためでもあります。そして何より、商人の信用の問題です。資金提供する味方が増えましたのは、閣下がダーハドを、あの無敗の王を負かしたことで閣下の期待が高まっている証拠でございます。なんら裏はございません」


 ボナパルトはネーヴェンのにこやかな顔を見つめた。そして奇妙な違和感を覚えていた。戦場を何度も経験した人間に備わる独特の感性が、ネーヴェンから発される僅かな殺気を捉えていたのかもしれない。


「本当に?」


「……」


 ネーヴェンはしばし笑みを浮かべていたが、やがて一つ大きなため息をついた。


「この際、隠し立てはしますまい。信用、そう信用に関わりますからな。閣下には全てお話します」


 ネーヴェンの表情からは笑みが消えていた。


「我が息子、リニーヴェン。あれの母、つまり私の妻がおりました。妻はとても気立ても頭もよく、仕事でも家庭でも私を支えてくれました。私のように仕事しか知らぬ男には勿体ないほど良い妻でした」


「……」


「ですが、ダーハドとクルーミル女王の戦争が私からあの子の母を、私の妻を奪い去りました。ダーハドの放った騎兵の矢が。私も御覧の通り、片目と足を失いました」


「つまり、復讐か」


「その通りです。私は、震えました。ダーハドの部下、ツォーダフとドルダフトンを倒した閣下の武勇に。この方ならきっと我が妻の仇を討ってくれるに違いないと。そして私の目に狂いはなかった。閣下は見事にダーハドを打ち負かしてくださった!」


「……」


「我が喜びの深さがお分かりでしょうか。私は妻の仇を討つためなら財産など投げ捨てても構わないのです」


 ネーヴェンは興奮した口調でそう告げた。


「なぜそれを隠した?」


「復讐の人情話など、閣下はお信じになりますまい。ですので、最初は利害の話をしたのです」


「なるほど」


「閣下はこれからも勝利なさる。私がそれを支えましょう。必ずやダーハドを打ち滅ぼしていただきたい。そして新たな統一王を!」


「私は私の目的のために戦ってる。残念だが、ネーヴェン殿の復讐のためではない。あまり期待はしないほうがいい」


「我々は見ているものは違いますが、たどり着く場所は同じだと、そう信じております」


「なんにせよ、ネーヴェン殿の本心が聞けたのは良かった。利害が一致し、心情まで一致しているなら私たちの協力関係はこれからもより多くの成果を出せる」


「私もそう思います。……閣下、もう一つお耳に入れたいことが」


「なんだ」


 ネーヴェンは呼吸を整え、囁くような声色で告げた。


「これは噂なのですが、実はこの反乱、クルーミル女王は承知していて、あえて見逃したという話があるのです」


「何を根拠に?」


 ボナパルトは大して驚きもせずに応じた。


「今回の反乱にはおそらく、女王陛下に逆らう一派の大半が参加したことでしょう。あえて彼らに反乱を起こさせ、一網打尽にした……というわけです。そしてあわよくば兵器庫を破壊して閣下の力を削ぎ、自らの権力を固めようという企みがあったとか。ダーハド王を追い返し、間もなく『王都』も奪還する……そうなると、閣下と閣下の軍隊は女王にとっては悩みの種です」


 ボナパルトはそれを聞いて笑った。


「下手な陰謀家か、何にでも誰かの策略を見出そうとする人間の考えそうなことだ。確かに敵対する連中を激発させるのは悪くない。だが、反乱が成功したらどうするつもりなのだ。私の軍隊がこれほど早く移動してこなければ、都は反乱軍の手に落ち、補給線を絶たれておしまいだ。それにクルーミルが私の力を削ぐ必要はない。少なくとも今のところはな。もし彼女が私を狙うとしたらダーハドの首を取り、『斧打ちの国』を滅ぼした後だ。そのほうが都合がよい」


「仰る通りです。出来の悪い作り話の類でしょう。が、一応お耳に入れておきます。情報は多いに越したことはございませんでしょう」


「確かにな。……そろそろ私は宮殿に戻る。仕事の山が待っている」


 ボナパルトは席を立った。


「お見送りいたします」


「いや結構。ネーヴェン殿にも仕事があるだろう……」


 ボナパルトは二角帽を被ると、使用人が開いた扉から足早に出て行った。


 入れ替わるように、フードを被った初老の男が入って来た。


「ご主人様、ご首尾はいかがでしたか」


「まだまだ種を蒔いたにすぎんよ。だが私にはわかるとも。ダーハドに勝つほどの人物が、クルーミルごときの下に居て、その手足となるに甘んじるわけがない。野心があるに違いないのだ。無いならないで、芽吹かせる。必ずな……」


 ネーヴェンは冷たい仮面のような表情になっていた。


「我が妻を殺したダーハドは生かしておかん。だが、クルーミルめも許すつもりなどない。あやつが戦に負けなければよかったのだ。ボナパルト殿は私の希望だ。あのお方を必ず新たな統一王にしてみせるぞ」





 オーロー宮に戻ったボナパルトは早速、執務室としている部屋でカファレリ将軍から詳しい損害状況の報告を受けた。


「全体の損害は兵八十一名が死亡。百名が負傷です。死者のうち三十名は軍病院の患者でした。各拠点が攻撃を受けました。火薬庫の火薬が一部破壊されています。砲が一門破損しました。修復は可能です。戦死者の名簿を作成中です」


 疲労の色が強く残るカファレリ将軍の報告をボナパルトは黙って聞いた。二百名近い損失。戦場での損害に匹敵する。兵士の補充が見込めないボナパルトにとっては手痛い損失である。


「負傷者の中には大佐が一人います」


 そう言ってカファレリ将軍の横に控えていたマルモンが血の滲む包帯がまかれた腕を差し出した。


「……そうか。カファレリ将軍、ご苦労だった。不眠不休の防戦で疲れているだろう。部屋に戻って休むと良い。マルモン大佐、残れ」


 カファレリは一礼すると部屋をでた。後にはボナパルトとマルモンだけが残る。


「さてマルモン。任務よ」


 ボナパルトは口調を転じた。他人に向けるものから、親しい身内に向けるものへ。


「腕を負傷しているんですがね」


「唾でもつけときなさい。私は明日にでも『王都』に戻る。連れて来た師団はヴィアル将軍に指揮させてここに残す。アンタは師団から二個中隊ばかり引き抜いて、この『川辺の都』の治安回復に努めること。組織的な抵抗は潰したけど、残党が強盗の類に転じて騒乱を起こすかもしれない。最悪なのは、殺気だった兵士がその騒乱に過剰に反応して現地住民と衝突することよ。これを取り締まりなさい」


 マルモンの口元に浮かんでいた薄い笑みが消えた。


「了解しました」


「現地住民にヤサシクしなさい。でも、相手がこっちを侮るようなら容赦なく対処しなさい。わが軍の規律と安全が最優先よ」


「さじ加減が難しいな」


「だからアンタにやらせる。トゥーロン攻めから私と一緒のアンタなら背中を預けるに足るわ」


 マルモンはボナパルトが将軍に昇進するきっかけとなった戦い、フランス南部の港街トゥーロンの包囲戦の頃からボナパルトと交友のある人物だった。


「それは責任重大だな」


「それともう一つ。私たちには大砲が要る。この世界での大砲製造を検討する委員会を立ち上げるわ。大砲製造に必要なあらゆる物事を管理する。アンタはその委員長よ。大砲を作りなさい」


「俺が?なんで?」


「アンタが信用できる砲兵指揮官だからよ。命令よ。分かった?」


「分かりましたとも……やれやれ」


 マルモンは苦笑いした。


「それにしても、お前随分変わったな」


「なにが」


「いや、イタリアに居た頃なら反乱を起こした街や村なんか、焼き払ってただろうになって」


「……力づくで反乱を鎮圧した結果、さらなる反乱を招いたわ。力に力をぶつけていると結局はより多く血を流せるほうが勝つ。イタリアと違って、この世界じゃ兵隊の補充が無いのよ」


「それだけか?」


「何が言いたいの」


「あの女王の手前、自分を良く見せようとしてるんじゃないかと思ってな……」


「オーギュスト・マルモン大佐、仕事に取り掛かりなさい」


 ボナパルトはマルモンを追い出すと、この世界では貴重なガラスが使われた窓を開けた。微かに煙臭いが新鮮な空気が彼女の肺を満たした。





 攻撃を受けて半分破壊され、木片や折れた矢が散らばり、殺気立った兵士たちがうろつくオーロー宮でリニーヴェン少年はコンテの姿を捜していた。兵士たちに尋ねると、いつもの研究室に戻っていると言う。


「コンテ先生……?」


 研究室の扉を開くのに力が必要だった。扉を壊そうと衝撃が加えられたせいか、たてつけが悪くなっていたからだ。研究室の中は、いつにもまして奇妙な匂いがした。鼻から突きさすような刺激臭と卵が腐ったような臭いが満ちている。部屋の中にはガラス片や、破られた紙で散らかっている。そしてその残骸の中にそびえたつようにコンテは立っていた。


「先生!」


 リニーヴェンは駆け寄ってその手をとった。


「リニーヴェンくんか。みたまえよ、見事に全部壊されてしまったな」


 コンテの声は明るく、笑っていた。


「君は立派に伝令を務めてくれた。おかげで私も研究者たちも助かったよ。お礼を言う」


「先生、これをお返しします」


 リニーヴェンが取り出したのはフランスの拳銃だった。伝令に出る前にコンテが渡したものだった。


「おや、使ったようだね」


「……はい。人を傷つけました」


「そうか。気に病むことは無い。これを渡したのは私だ。銃が恐ろしかったかい?」


「はい」


「そうか。そうだな。これは簡単に人の命を奪う道具だ。だが、人の命を救う道具でもある。これのおかげで君も、私たちも命拾いした」


「分かっています」


「君は気に病むタイプか。軍人には向かないな。そうだ、せっかく来てくれたんだから、手伝ってくれたまえよ。御覧の通り実験室は滅茶苦茶になってしまったが、幸い実験道具の類は『剣造りの市』の工房でいくらでも用意できる。前よりさらに改良したいいヤツをね。ここのガラクタ共を外に出そう」


 コンテは笑みを浮かべて、リニーヴェンの背中を叩いた。


「はい先生。お手伝いします」


 少年も笑みを浮かべた。

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