第百五話 傭兵団
草原を貫く大河、サオレ河は草長の国の人間にとって単なる大河以上の意味を持つ。それは命の水をもたらす存在であり、それは降水の少ない地にあって農業用水をもたらしてくれる存在であり、水車を動かす存在である。その源流は草長の国と斧打ちの国を隔てる大山脈にあり、伝説では母なる大山脈から流れ出る乳がサオレ河の正体とされている。
王都を流れるサオレ河の支流には水量を計測する装置があり、専門の官職が置かれている。サオレ河の流れを管理するのは王の義務の一つであり、特権でもあった。その測量官がサオレ河の増水を知らせたのは、東部戦役が終了してひと月ほど経った日のことである。それはすなわち、春の訪れを意味した。
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来たるべき斧打ちの国への侵攻に向けてクルーミルとボナパルトは国内の政治改革に務めていたが、中でも心を砕いたのは当然ながら軍についてである。春の到来と期を同じくするように草長の国各地から召集された軍勢が王都に結集しつつあった。
陽光を浴びて黄金のように輝く諸侯の戦旗が林立し、王都の郊外は一足先に草原の開花を迎えたように鮮やかだった。その数はゆうに万に達しようかという数になり、地平線を埋め尽くす勢いでさらに大街道を通って延々と人馬の波がもう一本の大河を成す。攻城戦で打ち砕かれた城壁にはその景色を見ようと住民がよじ登って王の軍勢に手を振っている。
クルーミルの求めに応じて結集したのは諸侯の軍勢だけではない。自らを剣として売り込む傭兵たちもまた王都に結集しつつあった。
今回の戦役にクルーミルは傭兵団を多数雇い入れている。それは草長の国の下級貴族が組織する者たちであったり、王の統制が及ばぬ辺境の遊牧民が組織する者だあったり、異国から流入してきた者たちであったり、出自はそれぞれだった。共通しているのは彼らは一様に戦技に長け、対価を支払う限りにおいて忠実であり、そしてなにより即戦力として期待できることだった。
その傭兵集団の中に、赤地に三つの白い十字架を重ねた戦旗を掲げるアンブローツィ傭兵団という集団が存在した。
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王宮に参内した傭兵隊長を見て、ボナパルトは僅かに眉を動かした。銀色に輝く板金鎧に包まれた長身。腰にさげた短剣。肩まで伸びた艶やかな黒髪。大粒のエメラルドを加工したように輝く瞳と整った顎。それは戦争を司る神マルスの妻ベローナを思わせるような戦士と女性らしさを兼ね備えた人物であり、戦場で剣を振るうよりもドレスを着て踊るか、さもなければローマの芸術家たちに女神のモデルを提供するほうが似合うようにボナパルトには見える。
「スフィラ・アンブローツィが陛下に拝謁致します」
ヴァイオリンの響きを思わせる美しい声にクルーミルは右手を軽く上げて応じた。
「歓迎します」
彼女が率いるアンブローツィ傭兵団こそ、クルーミルが西方諸都市から招き寄せた傭兵団だった。スフィラが恭しく兵士の名簿を差し出すと、傍に控えていたクルーミルの家臣ノルケトがそれを受け取る。
「土地はいかがでしたか?」
クルーミルの柔らかな問いかけにスフィラは背筋を伸ばした。
「大変良い土地です。陛下のご厚恩に我が軍団は最後の血の一滴まで報いる事でしょう」
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アンブローツィ傭兵団は西方諸都市で名を馳せた歴戦の傭兵団である。その歴史はスフィラの父、ベルバンド・アンブローツィに始まる。ベルバンドは西方諸都市の中でも裕福な都市で銀行業を生業とし、その資金力を背景に傭兵事業に手を出した。最初は武力を背景に借金を踏み倒そうとする小城主や領主に対する武力として整備し始めた存在だったが、諸都市の間で大連盟戦争と呼ばれる大規模で慢性的な衝突が始まるとにわかにその重要性は高まった。比較的質の良い装備と定期的な給与支払いによって規律の高い軍団は各地で善戦し、特に結成当初から小規模な砦や城に対する攻城戦で名を馳せてその名声を高めていった。
戦争が慢性化すると各都市は抱え込んだ大軍の維持費に難儀するようになり、給料支払いの滞った兵士たちは敵の領地も味方の領地もお構いなしに略奪して回るようになり、家や畑を焼かれ行き場を失くした民が大勢出て彼らが新たな兵士となって戦争を継続する、という図式が誕生するようになった。
それに伴ってアンブローツィ傭兵団も行き場のない兵士とそれに追従する家族や商人の一団で万を超えるちょっとした移動する街のような集団になっていた。
その頃になるとベルバンドは片手間で始めたはずの傭兵団にかかりきりになり、銀行の資金繰りが破綻するまでひたすらに手塩にかけて育てた傭兵団の面倒を見るようになり、兵士たちもまたベルバンドのことを実の父親のように慕うようになっていた。スフィラはそんな父と父が築いた家族ともいえる軍隊と共に育っていた。
やがてスフィラが生まれた時に始まっていた大連盟戦争はスフィラが22歳の誕生日を迎える頃に終結した。ベルバンドは終戦の前夜に娘と軍隊を残して過労によって世を去った。
戦争が終われば兵士は必要なくなる。各都市が雇い入れた傭兵たちはそれぞれ故郷に帰っていったがアンブローツィ傭兵団の面々は帰る場所など無く、行くアテは無かった。武装した集団でも金払いがあるうちはどこも歓迎するが、戦争の終結によってもはや傭兵に金を払う都市はなく、ベルバンドの銀行業もとうの昔に破綻していた。彼らをおいて無責任に解散を宣言しても良かったのだが、スフィラにはそれができなかった。家族を見捨てる事、父の遺産を粗末にすること、そして雇用契約を結んだ経営者として従業員を切り捨てることができなかった。
そこに舞い込んできたのが、草長の国のクルーミルからの傭兵契約だった。支払う対価こそ相場の半額ほどであるが、その代わりとして草長の国における市民権と耕作に適した土地が約されている。
とはいえ流浪の軍勢にとって都合の良い話だが、都合の良すぎる話でもありスフィラは一旦この話を保留し、様子を観察していた。そこでスフィラは「ボナパルト」という傭兵隊長が指揮する傭兵団が草長の国に入り、戦勝を重ね、女王に厚遇されているとの話を聞きつけた。民間人に紛れて出向いてみれば、確かにボナパルトの兵士たちは小規模な都市を築き、定住しているようであった。どうやら、話は本当のようだ。それに、クルーミルには勝ち目がある。
そう見たスフィラは軍を起し、新たな居場所を求めて兵士と共に荒野を進軍してきたのであった。この国にそれがあると信じて。
王都にたどり着く前にスフィラが案内された土地は王領の一部で無人の地だった。家畜を養うに足る牧草はあるが、土地は手つかずでありこれから耕作しなければならない。大地に水を引き、鋤を入れ、草を取り除いて耕作しなければならない。とはいえ、土地自体はそれなりに地味豊かであったのでスフィラは満足することにした。この地には定住できるだろう。
スフィラは条件に満足し、とうとう王都へ参内したのだった。
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「そちらの方が王の友、ボナパルト殿でしょうか?」
スフィラが尋ねると、クルーミルはボナパルトのほうを向いてうなずた。
「そうだ」
「貴官のご高名は西方にも届いています。全傭兵の希望。勝利の人。あなたの元で戦えることを光栄に思います!」
きりっと形の良い眉を吊り上げて敬礼するスフィラにボナパルトはしばらくして返事をした。
「それは結構。早速だが役に立ってもらおうか」
ボナパルトは椅子から立ち上がると、謁見の間の奥、諸侯が控える会議室へとスフィラを誘った。




