第百四話 血の定め
レスナストらの処刑ののち、しばらくボナパルトとクルーミルはそれぞれの仕事に追われていた。
ボナパルトには東部地域に展開した部隊の再編、補給、休養、そしてあらたな戦役に向けた準備があり、クルーミルには東部地域の諸侯との事後処理や政治交渉などが山積していたからである。
ようやく二人が王都で再会する余裕を得たのはちょうど二週間ほどたってからだった。
昼過ぎに質素な昼食を胃袋に流し込んだボナパルトが王宮の居室を訪ねると、クルーミルは部屋が明るくなったと見紛うほど見事な金の髪を揺らして友を歓迎した。
「ナポレオン!お待ちしてました。どうぞ、おかけください」
「顔、インクがついてるわよ。右の頬」
コルシカ訛りのあるフランス語で女王が両手を広げて歓迎の意を示すと、ボナパルトはそっけなく返した。
手紙を書く途中で居眠りをして机に突っ伏したときについたであろうインク汚れを指摘されてクルーミルは頬を赤くし、侍女のスーイラに濡れたタオルを持ってくるように命じる。
「お恥ずかしいところをおみせしましたね」
「別に。相変わらず仕事熱心なようで何よりだわ」
ボナパルトは視線を女王の執務机へ向ける。何枚もの羊皮紙が束ねられて置いてあり、何枚かは壁に立てかけられた板にピン止めされていた。
「……」
そのまま視線を近くの暖炉のほうへ向けると、薪の上で何枚かの手紙が燃えていた。
「燃えてるのはなんの手紙?」
ボナパルトはあえて聞いた。
「言葉を選んで貴女を中傷するような手紙です。諸侯が熱心に送ってくるのですよ」
クルーミルは表情を消し、火かき棒で燃える手紙を粉々に砕いた。
「そ。まあ、そうでしょうね」
返答を聞いてボナパルトは冗談っぽく肩をすくめてみせた。諸侯にとっては女王に近しい軍事力の持ち主など面白かろうはずもない。クルーミルが事実を自分に告げたことに満足だった。
「で、本題に入りましょう。大事な手紙が来たそうね」
スーイラが持ってきたタオルで顔を拭いたクルーミルは、彼女に飲み物と菓子を持ってくるように命じて下がらせる。
「はい。姉からの手紙が届きました」
◆
クルーミルの姉。彼女は精霊と交信する術に長け、フランス軍を帰国させる術を知るかもしれない。とボナパルトは聞かされていた。そのことについてクルーミルが姉に問い合わせた返事が今になってようやく届いたというのだ。
「それで?」
見上げるボナパルトにクルーミルは静かに答える。
「術はあるそうです。しかしそれを教えるには条件があると」
「何?」
「私が斧打ちの国の支配権を握る。それが条件だそうです。そのために協力するとも」
予想外の回答にボナパルトは唇を噛んだ。
「貴女の姉はダーハドと敵対している?ちょっと事情が分からないわね」
クルーミルはボナパルトの瞳を覗き込む。
「私にも疑問です。第二王妃の子である私と違って兄と姉は同じ第一王妃の子。争う理由が分かりません。姉も自分の国を持っていますし不仲になったとは聞いていません」
クルーミルは繋いでいるボナパルトの右手を確かめるように揉みながら話を続ける。
「ですが、重臣たちの間で何かあったのかもしれません。私と違って、兄と姉には代々王家に仕える有力な氏族がついています。彼らは頼もしい王朝の柱であると同時に、頭痛の種です」
そう伝えるクルーミルの顔は暖炉の火に照らされて影が濃くなったように見えた。
「ダーハド王の元には有力氏族の評議会があります。兄の王妃の一族はその氏族の一つ、イルバド家から出ているのですよ。兄や姉よりも、むしろかの家の者たちこそが私を憎んでいます。そのイルバド家と並んで有力な氏族がクグルスス家です。どちらも我が氏族の前には王を出したこともある有力氏族です」
「……」
ボナパルトは手持無沙汰の自分の右手の指を軽く噛む。
「有力氏族ねえ……貴女には?」
クルーミルは首を振った。金の粉が舞うように髪が揺れる。
「私にはそうした氏族の助力はありませんでした。私と共にあったのは古い氏族ではなく、父王が低い身分から取り立てた家臣たちでした。彼らはよく尽くしてくれました。……アビドード以外は、みな死んでしまいました。私の愚かさ故です」
ボナパルトはクルーミルの父、グルバス王がなぜそうしたのか思考の尾を掴んだように思えた。有力な氏族というものは、王家を支える柱であると同時に、王家を簒奪する潜在的な脅威でもある。国をあえて分割したのは、王家を生き残らせる戦略の一つだったのかもしれない。有力氏族の血の入らない娘に国を与え、その周りを自ら選び抜いた新参の忠臣たちに固めさせる。そういう戦略の影を垣間見た。
「……話を戻せば、貴女の姉は同じ家の一員である兄を、貴女に害させる手伝いをすると言ってるのね」
「そういうことになります」
「あからさまに罠ね。でも、私たちはこの罠に飛び込む他にない」
クルーミルは頷いた。クルーミルにとってみれば、どのみち攻め込む他にない。ボナパルトにしてみれば、帰国の方法をチラつかされている以上進むしかないのだ。
「おそらく、いえ間違いなく貴女の姉は、貴女に兄を殺させ、その上で貴女を始末する気でいるでしょうね」
自分とクルーミルがダーハドを打倒し、自分とその軍勢は帰国する。クルーミルの姉にとってこんなに美味しい話はないだろう。後は武力が著しく弱体化したクルーミルを政治的にも軍事的にも料理すれば良いのだから。とボナパルトは計算式を組み立てた。まったく狡猾な姉だ。
「……そう思います」
ボナパルトの青灰色の瞳が鈍く輝いてクルーミルを射抜く。クルーミルは頷いた。クルーミルが手紙を出したのはボナパルトが自分たちが漂流したのだと打ち明けられてすぐだった。いかにダーハドに悟られぬように慎重に連絡をとったとして、何カ月もかかるような距離ではない。つまり、姉は自分とボナパルトがダーハドを倒す見込みがあるか慎重に見極めていたのだろう。
「罠があっても私は進むしかない。今一度確認しておくわ。私は貴女の兄、場合によっては姉も。両方とも殺す。私の邪魔をする者はだれであろうと排除するわ。貴女は自分の兄姉の死体と対面することになる。その覚悟はしておきなさいよ」
ボナパルトは改めて念を押した。兄姉殺し。その覚悟はある、と前に聞いたが、ボナパルトはポケットの中に入れた鍵を確かめるように重ねて問う。人間の命は平等だが、等価ではない。血を分けた兄姉を殺すのは見ず知らずの他人を殺すのとはわけが違うのだ。クルーミルが怖気づくのも想定に入れている。
クルーミルはその燃え盛るような赤い瞳でボナパルトを見つめ返した。
「いいえ。それは違いますナポレオン。貴女が殺すのではありません。私が殺すのです。兄と、場合によっては姉も。私が……」
その眼差しにボナパルトは手にかいた汗を隠せなかった。兄姉殺し。たとえそれが己の玉座を賭け、己の証明を賭けたものであっても、それはボナパルトにさえ躊躇を抱かせるものだった。クルーミルの中には間違いなく覇者の血が流れている。
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