表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第六章『草長の国』戦争~東部戦役~
109/115

第百二話 裁定

 仲間たちの手によって捕縛されたレスナストは出頭した『驢馬の市』でそのまま警備に捕縛され地下牢に押し込められた。


 シラミの沸いたあちこちぼろきれのようになった毛布を被って眠ることにはなんら苦痛を覚えなかったが、差し出された粗末なスープを飲んだとき、それを美味に感じたことは彼の心にささくれのような痛みを与えるのだった。


 ある晩、もしくは昼に汚水に群がるネズミの一匹がふてぶてしくレスナストの指に噛み付いた。小さいが鋭い痛みを覚えた時、レスナストはネズミの黒曜石のように黒い瞳をじっくりと見た。こいつは泥水を啜る仲間から外れてより良い獲物にありつこうとしたのだ。


「大した度胸だ。俺は貴族の四男でな、あるものと言えばこの身体と馬だけ。農民ならばよかっただろう。羊の番人ならよかっただろう。だが俺の血がそれを許さんのだ。生まれたからには、どこまで通用するか機会を試してみたかった。お前もそうか?」


 ネズミは答えなかった。レスナストはそのネズミを放してやった。それから半刻もしないうちに看守の男が現れて鉄格子を外し、桶に貯められた水で身体を洗う事を尊大に許可した。レスナストは看守の権限を盾にあたかも自分自身が強大な存在であるかのように振る舞う態度に反感を覚えたが、ともかく身体を洗えるのは嬉しかった。ただしヒゲと髪を整えることはできなかった。自決されることを恐れた看守が刃物を渡すのを拒否したのである。それからして、一行は『驢馬の市』にある城館の謁見の間に引きたてられたのだった。


 ◆


 城館は名を灰羊の城と言った。『驢馬の市』を取り囲む城としては最も大きく最も新しい。その名にふさわしく灰色の外壁と屋根を持ち外から見るには地味な印象を与えるが一方でその内側は碧色を基調とした華麗な装飾が咲き乱れ見る者を圧倒するのだ。これは城を建てたパルケルトという貴族の趣味を反映したものだった。レスナストも一度ならず足を運んだ経験があり、謁見の間で美しい令嬢と優美なダンスを踊って喝采を浴びたこともあった。


 今、その広間の玉座には黄金を編み込んだように輝く髪を持つ女王が座し、その隣には対照的な濡れた捨て犬のような人物が立っている。そして玉座へ続く赤い絨毯の左右を輝くような絹の衣に袖を通した貴族たちが固めた。レスナストは彼らの顔に覚えがあった。


 針金のような鉄色の髪と赤みがかった鼻の男はフーゲン伯。聞いた話によれば戦場の土壇場でヴィオス公裏切って離脱し、敗因を作ったという。その横に立っている片腕の男は剣のサオレ。ダーハド王に与しながら女王に寝返り、諸侯へ反乱工作を仕掛けたと聞く。他にも覚えのある貴族が幾人もいる。眼帯を付けたあの男は、グーエナス伯と共に籠城すると言っていた男だ。許されたのか。反対側、最も女王に近い最上位に立っているひときわ背の低い少女はテーケルネト。あのような小娘が最上位を占めているのは東部地域の人材の払底を物語っているではないか?裏切と背信、そして服従が人の形をした者たちが今や女王の忠臣であると言わんばかりに胸を張っているのは笑止な話だろう。とレスナストは口の中で呟いた。


 だが、ここに東部の貴族たちが並んでいるということはどうやら東部全体が女王に帰順したという話は本当らしかった。


 諸侯はレスナストを見るとある者は目を反らし、またある者は顔全体を背けた。そうでない者の中には露骨に見下したような嘲笑を浮かべる者もある。だが、ある一人が鼻を塞ぐような仕草をするのが見えた時、レスナストを鞭で打つような激しい屈辱が襲った。


 身分の違いは何を置いてもまず臭いに出る。貴族は何着も服を持ち風呂に入り、香草を焚くことができる。一方貧しい者は替えの服など持たず、風呂にも入れない。香草など思いもよらない。従って、低い身分の者ほど悪臭を放つ。グルバス語では貴族が平民を(さげす)んで呼ぶ単語は「悪臭」を意味する単語から派生しているのだ。身体を洗ったとはいえ、軽く流す程度では染みついた悪臭はぬぐいようもなかった。


 レスナストは自分がそのような嘲りを受けていることに、そしてそれを甘受しなければならないことに舌を噛んだ。両手を上げることすら叶わぬほど重い手枷が無ければ殴りつけていただろう。両足を結ぶ鎖が無ければ蹴とばしてやっただろうに。できる限りの憎悪を込めてその男を射抜いてやると、男は肩を竦めるのだった。


 ◆

 一行が女王の御前に跪くと、女王と彼らの間に立ちふさがるように女王の側近であるニッケトが進み出て彼らに対する裁きを申し渡した。


「トレグ村のレスナスト。汝に対して女王のお言葉だ。今回の戦乱について、女王はその責任を認め諸侯の叛逆行為を一切不問とする。また、今回の戦乱の償いとして女王は汝の言葉に耳を傾けるであろう。公の場において発言を許す!」


 ニッケトはそう宣言すると蛇が舐めるような目線をレスナストに浴びせかけて引き下がった。レスナストはゆっくりと立ち上がると、大きく息を吸い込み、諸侯の香草が放つ美しい空気を肺一杯に取り込んでから吐き出した。


 トレグ村。久しぶりに耳にした故郷は自分が生まれ育った場所という以外これといって特色のない村だった。家族は元気にしているだろうか。両親は自分のことをまだ一族の名簿に連ねているだろうか。今となっては確かめようもないことである。


「女王陛下のご厚恩に感謝申し上げます。ぜひ陛下の友であるボナパルト殿に尋ねたきことがございます」


 その言葉は不敬に片足を乗せており、ニッケトは眉に皺を寄せた。


「許しましょう」


 クルーミルは精巧な人形を思わせる表情でそれを受け入れ、視線をボナパルトへ送る。シノーの通訳を受けたボナパルトは興味深い質問者の顔を覗き込んだ。髭と垢に汚れた男の瞳は磨かれた宝石のように輝いている。


「ボナパルト殿、私を打ち負かしたあなたにぜひ聞いてみたいことがあるのです。私はなぜ敗れたのでしょうか?何が間違っていたのでしょうか?」


 レスナストは言葉を覚えた赤子のようになぜ?と問いかける。およそ人間は苦しみそのものよりも、その理由が不明瞭であることにより強い苦痛を感じるものでありレスナストも例外ではない。


 通訳を受けたボナパルトはぼさぼさの髪を少し撫でまわし、毛先を人差し指に巻き付けて少し思案したようだった。


「構想としては悪くなかった。少数の軍勢が多数に立ち向かう手段として補給線を攻撃するのは定石であり、私が貴官の立場でも同じようにしただろう。貴官の敗因は一言で言えば……私が一人でなかったことだ」


 ボナパルトの言葉は教官が教え子に諭すような口調であり、儀礼の場でなければ二人は教師とその弟子のようにすら見える。


「私にはクルーミルがいた。この国の正統な統治者が。彼女のおかげで我々は物資を得るのに正当な口実を持っていたし、食料をはじめとした補給物資も不足なく確保できていた。もし彼女がいなければ我々は物資を強引に確保するほかなく住民からも反発を受けただろう。そうなれば貴官は住民からの支持を得られて状況はまた違ったかもしれない」


 ボナパルトは言葉を続ける。低い神経質そうなフランス語がシノーによって格式高いグルバス語に訳されていく。声は細いが不思議とよく耳に馴染む澄んだ声だった。


「貴官のとった戦法はわが軍の主力が……例えばそうだな、ヴィオスの野戦軍かグーエナスの砦か、あるいはそのほかの拠点か……いずれかに対峙して分散している事、自軍の補給を行う安全な拠点を得る事が成功に欠かせない。そしてなにより現地の支持。貴官は成功の条件を欠いた。思いつかなかったのか、実行できなかったのかは別にな」


 後者だ。と却って来た答案にレスナストは口の中で呟いた。


 例えばヴィオスに「ボナパルトと直接対決を避けてひきつけてくれ、その間にこちらがヤツの補給を叩く」などと提案したところで受け入れてもらえるはずはない。大貴族の彼にすればレスナストの提案を聞く必要はないし、何よりヴィオスの軍勢は蹄鉄砦の包囲を破るために急行してきていた。会戦を避けて……などと悠長なことをする余裕はなかったのだ。グーエナスの蹄鉄砦がああも早期に陥落したのは想定外だった。あの城守りの名人がこんなにも短期間に破られるとはレスナストでなくとも想像できなかった。


 悔しさと諦観の間を彷徨うような顔をするレスナストにボナパルトは付け加える。


「私としては()()()()で来られたくないものだ。こんな手は軍事的には相手にしにくい。貴官は私ではなく女王に敗れたのだ。言っている意味はわかるな。女王が寛容を示したことで戦いは急速に終わった。ここに引きたてられるのは貴官らが最後だ。他の諸侯にはもう戦う意味も必要もないからな。……多くの者は貴官ほどに強くはないのだ、そうだろう?」


 その言葉に皮肉や嫌味の色はなかった。ボナパルトの言わんとするところはレスナストには身に染みて分かっていた。ケルクたちが自分を裏切ったのは単にボナパルトの軍勢に圧迫されたからではない。クルーミルによって慈悲が示されたからだ。


「こちらも貴官に一つ聞いてみたいことがあった。貴官が抵抗をやめなかったのはなぜか。女王への反感か?ダーハド王への忠誠か?あるいは、他の何かか?」


「私は己の才覚を試してみたかったのです。それを否だと思われますか」


「……」


 ボナパルトは目の前の敗者に敵意を感じてはいなかった。むしろ共感すら覚えている。侵略者に抵抗しようとして失敗し、裏切りによって果てる男について思うところがあった。一方で、そうした感情が鋭角に心の水面に飛び込んでくるとボナパルトはそれを反射した。相容れぬものが、そこにはある。形式こそ似ているが過去の自分()()がフランスに抵抗したのは故郷愛だったのに対し、この男は己の栄達のためにそうしているのだ。


「こうなったのは残念ですが……閣下、私は閣下のお役に立てませんか?」


 レスナストは最後の跳躍を試みた。が、それは既に頭を切り落とされた鶏がそうと気づかずに羽ばたくのに似ていた。


「戦場でなら貴官の処遇は私が定められたろうが、それ以外の場にあってお前たちを裁くのは女王だ。私ではない」


 その一言はレスナストに死を予感させた。女王は自分を許しはしないだろう。仮に本当に無罪放免となったところで、後ろ盾が無ければ生き延びることができない。自分たちが襲撃した商人や土地の持ち主は決して自分たちを許しはしないのだから。


「……我が才がここで潰えるのは無念です」


「貴官に殺された者たちもそう思ったであろうな」


 レスナストは恭しく一礼をほどこすと女王に向き直る。


「お話は済みましたか」


「はい」


「私は東部の諸侯に責任があります。あなたに対しても同様に。何か償いとして私に望むことはありますか?」


 クルーミルの言葉は楽器を奏でるように場にいる人間の鼓膜を通り過ぎこの一幕の劇を終わらせようとしている。女王の寛大に過ぎる言葉は、生きる者に向けられるものではないとレスナストは確信を深めた。女王の声は死者の魂を慰める歌に似ていた。女王の中で自分たちは既に死人であり、死者に対して人間はいくらでも寛大になれるのが常だ。


「陛下の特別の御恩に甘えまして、お願いがございます。私を女王陛下の敵として、陛下の名において斬首していただければ幸いです」


 その言葉に諸侯は突風に吹かれた林のようにざわめき、隣に立っていたレスナストの元仲間たちは声を上げてなぜかと問いただすが、レスナストは自分を売った者たちに応えなかった。ただ冷ややかな、眼差しを向けるばかりだった。次の瞬間には死が待ち受けていると悟ったとて、レスナストは飛ぶことをやめなかった。一歩でも前へ踏み出して倒れようと決めている。


「それが望みなら叶えましょう」


「慈悲深き女王陛下に万歳」


 レスナストは一片の曇りもない笑顔でそう答えて引き下がった。それと入れ替わるように女王の前に引き出されたのは、レスナストを売った五人の若者たちだった。


 クルーミルは言葉を繰り返した。叛逆行為を不問にすること、償いとして望みを言うことを許可したのだ。レスナストを裏切ったケルクは跪いて女王の慈悲深さに対して思いつく限りの賞賛と感謝の言葉を垂れ流すと、望むことはないと言い切った。他の者たちもそれに続き、ただひたすら従順で無害で、そして無欲な存在であることを示した。


 彼らが発言を終えると、クルーミルは彫刻のように美しい右手を上げて合図を出した。ニッケトがふたたび壁を作るように一行と女王の間に立ちふさがる。


「レスナスト以外の者を逮捕する」


 と短く宣言した。同時に周囲に控えている衛兵たちが五人を取り押さえる。彼らの顔は見る見るうちに青ざめていく。


「女王陛下!これは一体どういう……罪に問わぬと仰ったではありませんか!」


「お前たちには殺人と強盗の罪で告発がなされている!」


 ニッケトが研ぎたての剣のような鋭い言葉で彼らを切りつける。彼らは叛逆を問われなかった。事は叛逆でなく、彼らはダーハド王の家臣ではない。従って彼らの補給馬車への攻撃は戦争行為ではない。となればそれは単なる強盗殺人である。というのがニッケトの理屈だった。


「証人はここへ」


 謁見の間に控えている貴族の何人かが進み出る。彼らは自分の領地を荒された者たちだった。扉が開かれ、暗い灰色のコートで正装した商人が入室し、訴状をニッケトに手渡す。彼らは襲撃行為によって損害を被った商人たちである。何人かは実際に矢で射られ傷を負っている。


「詭弁だ。これは罠だ!」


 ケルクは口角に泡を吹いて叫ぶ。


「報いを受けろ強盗め!」


「悪霊に喰われてしまえ」


 貴族と商人たちが口々に罵声を浴びせてケルクたちを打ち据えた。


「貴様らの身柄は治安院に委ねられる」


 その言葉にケルクは無形の短剣で心臓を突き刺されたように呻いた。


 治安院。『草長の国』の裁判は王が臨席する特別な親裁のほかに貴族同士の紛争を解決する宮廷院と平民の裁判全体を取り扱う治安院とに分かれる。治安院で裁かれるということは、貴族としての名誉を喪失することを意味する。単なる強盗の同類として絞首刑に処されるのは屈辱の極みだった。それならば、敵として、貴族として斬首されるほうがどれだけ名誉な事だろうか。処刑人の斧は縄よりも冷たく、華麗な死をもたらしてくれることだろうか。


「女王陛下!お慈悲を!我々にも斬首刑をお与えください!」


 女王の燃える瞳が彼らを焼き尽くすように見つめている。


 クルーミルはこの一件で民間人を狙う攻撃を行う者をいかに遇するかを全土に知らしめる必要があった。これから先の戦い、斧打ちの国へ攻め入る戦いでは補給路への攻撃はより常套手段となるだろう。それに対する先制の一撃である。合法な戦争行為とは認めない。お前たちのすることは単なる犯罪であり、罪人として裁く。その圧力は来たる戦いでいくらか意味のある行為になるだろう。それはボナパルトを助け、ひいては自分の民を守る役割を果たすに違いない。


 目の前に跪く者たちに哀れみを覚えないわけではなかった。彼らも被害者なのだ。自分が強ければ彼らは民間人に対して強盗紛いの攻撃をする必要などなく、平穏に過ごしていただろう。そうさせたのは自分だ。そんな自分には法的にはともかく道徳的に彼らを批判する権利などない、とクルーミルは承知していた。一方で、彼らによって殺された者、傷つけられたものたちを思えば無罪放免といくわけにもいかなかい。心の中に燃え盛る矛盾を鉄を打つ鍛冶師のように叩き潰して「王」という存在に鍛え直さなければならなかった。


 レスナストはすぐ横で繰り広げられる醜悪な喜劇を凍ったような眼差しで見つめる。女王が自分たちを裁かぬ理由がない。女王は生者と死者の意志で出来た両刃の斧を振り下ろそうとしている。


「見苦しいぞケルク。なるようになるしかないのだ」


 その言葉は冬の凍った風よりもなお冷たかった。ボナパルトは彼らに対して哀れみを向けていたが、自分はそうは思えない。とレスナストは考える。結局のところ、こいつらは自らの意志で自分に与したのだし、自らの意志で自分を裏切り、そしてそれに相応しい最期を遂げようとしているのだ。


「悪かったレスナスト、悪かった……」


「ああ」


 一行は刑場へと引き立てられていき、東部地域は平定された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
最後のやりとりが、上手すぎる
命の終わり方が名誉ある物なれば、、、中世が極まった死生観が感じられますね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ