第九十八話 大誓約(前編)
諸侯を集めた会議はクルーミルの所有する屋敷の一室で行われる。四方はそれほど広くなく、壁は漆喰で塗り固められて白い。だが床には朱色を基調とした豪奢な絨毯が敷かれていて、窓から差し込む陽光をして下から光り輝いているような趣があった。
席にはクルーミルが座る上座を除けば全員が着席している。席の序列順に西部諸侯を束ねて影響力の強い老人、テルマルタル伯。高齢の補佐役としてその孫息子の若者ウルバルト。老人は時折思い出したかのように咳をしては、孫息子が代読する女王からの提案書に耳を貸している。
その反対側に東部諸侯を代表するテーケルネト。その顔は若干青ざめており、膝の上で握りしめた両手をじっと見つめている。まだ子供と言って良い彼女が東部諸侯の代表として現れたのは東部諸侯に絶対的なまとめ役がおらず、ボナパルトとの交渉で成果を上げることができた彼女にそのまま役割が回って来たからに過ぎない。
最下の席には『川辺の都』の商人、ネーヴェンが温和な表情を浮かべて着席している。ネーヴェンは元々一都市の裕福な商人に過ぎなかったが、女王とボナパルトに真っ先に資金を提供して見返りにフランス軍に物資を納入する商人たちの一切を取り仕切る顔役に収まってその財産と影響力を飛躍的に強化させていた。政治的影響力、経済的影響力、共に草長の国で随一と言ってよい大商人に成りあがっており今回は「商人たちの代表」という身分で出席している。ネーヴェンは机に置かれた提案書を開くことすらせずただ悠然と足元の豪奢な絨毯に描かれた模様を眺めている。ちょうど王冠が彼の足元に描かれていた。
扉が開かれ、クルーミルが入室すると全員が立ち上がって一礼する。クルーミルの後からは女王の重臣であるアビドード、王の友であるボナパルトが続く。ボナパルトの姿を認めた時、全員の視線が一瞬女王からボナパルトへ移った。ボナパルトの横にはキリキリと音を立てる機械車椅子に乗った通訳のシノーが従っていたが、少なくとも彼女は政治的には無視される。
アビドードとボナパルトは扉の傍に用意された席に着席し、女王や諸侯と同じテーブルには付かなかった。
「友よ。座ってください」
クルーミルが厳かに宣言し、会議が始まった。
◆
入室前にクルーミルから手渡されたフランス語訳の提案書を見ながらボナパルトは息を吐く。
議題は女王の贖罪、大天幕…議会の開設である。だが議会とは手段であってそれ自体が目的ではない。真の狙いは国政の統合と軍事力を整えるための税制の改革にあり、その延長線上には常備軍に裏打ちされた強力な王権がある。クルーミル自身は自身の罪の償い、国家統合としての大天幕と話していたが裏には王権強化の意図が潜んでいる。王国規模での課税承認機関である大天幕にて諸侯の関税収入を王の元に一本化し、それを以って軍勢を養うのだ。
そして結論も既に出ている。諸侯はこれを認める。認めざるを得ない。この場にいる人間の数が力関係全てを暗に物語っているのだ。
クルーミル側にはクルーミル、アビドード、自分の三人。諸侯側にはテルマルタル、ネーヴェン、テーケルネトで三人で互角に見える。だが実のところクルーミル側の三人が一致しているのに対して、諸侯側は団結しているわけではない。3対3に見えて実は3対1対1対1。必要とあれば彼らを各個に撃破できる盤面は周到に整えられている。
だが問題はクルーミルがそれを実行できるかどうかだ。もし彼らがクルーミルの提案を拒否すれば力づくでそれを認めさせなければならない。もし、拒否された時は……
「ボナパルト様、お気づきになりましたか?この絨毯はかつて統一王が諸侯らを平らげた折に当時の最有力だった遊牧民の長から贈られた品で、その由来を辿ると絨毯織の女神によって編まれたという品なのです」
シノーが完璧なフランス語で流れるように耳に言葉を流し込んでくるのをボナパルトは片手をあげて制止した。
普段ならクルーミルの傍らにいて通訳を受けるのだが今回はそうもいかない。自分がクルーミルの横に座っているというのはあまりに「強すぎる」諸侯に無用の圧力をかけかねないし、見ようによってはクルーミルが自分の傀儡になっているようにも見えてしまう。若干の距離を置かねばならない。理屈の上では当然だ。と思いつつ、ボナパルトは手の温もりを思い出さずにはいられなかった。
◆
「王の務めとは何か。それは第一に臣下を守ることにあります。敵を防ぎ、公平な法を敷くことです。私はかつてその務めを果たせずその結果、多くの者たちが傷つき草原に血が流れました。これは全て私の罪です。この罪を償い、二度と同じ過ちを犯さぬことが私の責務です。まず第一にこの戦乱の元凶となったのは王家の継承問題でした。大部分の諸侯はこれになんら関与する間もなく、翻弄されるがままでした。この不公平を是正するために大天幕の常設。そして、戦乱を二度と起こさないために国防のための国軍の強化。それを実施するための税制改革。この三つが私の罪を償い、責務を果たすための手段であると確信しています。諸侯のお考えをお聞かせください」
クルーミルは静かに、だが断固とした口調で訴えかけた。
「女王陛下のお考えは大変賢明であると思います。罪を認め臣下の声に耳を貸そうというその謙虚な姿勢はまさに御父君にも劣らぬ名君の証。国軍の強化は是非にも必要な措置であると私も思います。我が国は『斧打ちの国』をはじめ、様々な敵に狙われております。それを防ぐための軍の強化は何より欠かせぬものでありましょう。安全のためなら、諸侯は喜んで税制改革にも賛同するでしょうな。私は陛下を支持することを誓約致しましょう」
最初に返答したのはテルマルタル伯だった。椅子に腰かけ、時折孫息子に背中をさすられながらの咳まじりのしわがれた声は、しかし明朗に女王を支持する言葉を紡ぎ、通訳を受けたボナパルトは眉を曲げた。
「あの老人か」
クルーミルの提案に反発するとしたらあの老人こそが最大の障壁になる。とボナパルトとクルーミルは読んでいた。かの老人はこの中では最大の軍事力を有しており、またこの改革で最も損をする人物であるからだ。国王と影響力のある重臣が政治をしている現在の体制にあって、東部諸侯が没落した今、テルマルタルは女王に強い影響力を及ぼすことができる。大天幕の常設はその利点を殺すことになる。第二に、税制の改革は諸侯が持っている領内の関税権を王の元に一本化して奪うものであり、諸侯の経済的自立性を大きく損なうものであるからだ。
強硬に反発し、必要とあらば武力に訴えることも必要であろう、とボナパルトは踏んでいた。が、老人は驚くほどあっさりと女王の支持を明言したのだ。何か裏があるに違いないが……
続いてネーヴェンが起立して発言した。
「女王陛下の賢明なる判断と恩寵に草原の全商人は謝意を示すでしょう」
ネーヴェンにとって、これはただひたすら得るものがある話だった。これまで公には認められなかった平民の国政参政権。忌わしい諸侯の関税の廃止。全て望ましい話である。関税が廃止されれば市場は活況を呈すだろう。物流は盛んになり商人も民も多いに潤う。関税という保護から外れる業者や、領主と結びついて特権を得ている商人たちは抵抗するだろうが、王権を背後にすればそれらを排除するのは容易い。しょせんそれらは敗者に過ぎない。無能者が淘汰されて奪われるのは至極当然の話ではないか?それが嫌なら強くなるしかないのだ。自分のように。
これはひな鳥が親に餌を貰うように与えられた幸運ではない。自分の勝利である。とネーヴェンは確信していた。自分はクルーミルに対して多額の金を貸し付けている。その自分が望んでいる政策が実施されようとしているのだ。クルーミルは自分に譲歩した。金の力は、ついに王さえ動かしたのだ。
ネーヴェンは温和な表情の下に沸騰する血を隠していた。机の下の足が小刻みに震えている。
大変結構なことだ。国軍の強化がされればダーハド王を仕留める確率は上がるだろう。あの男の首が斬り落とされ、晒される瞬間を朝に夜に思い続けているのだ。そしてクルーミル、お前も死ぬべきなのだ。お前が罪を償うにはそれしかない。妻の仇を討つ時は近づいてきている。そしてそれを加速しなければならないのだ。ネーヴェンは熱病にかかったような瞳でクルーミルを見やった。
本来であれば、平民が貴族より先に発言することは許されない。本来であれば。それが無視されたのはテーケルネトの立場がいかに弱いかを如実に物語っていた。東部諸侯は統一した政治的・軍事的指導者を欠き、現在のところフランス軍に制圧されつつある。彼女の発言権はあってな無きようなものだった。
テルマルタルとネーヴェンが賛同した今、会議は何事もなく終わりに向かいつつある。ボナパルトが席を立とうとしたその時、テーケルネトは不意に立ち上がった。目の前に父と一族が死ぬ原因になった人物がいる。覆せぬまでも一矢を浴びせずにはいられない。
「陛下のお考えには賛同致しかねます!」




