08.仕えるべきは
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ルーシエとジャンが旅立ち、それと時を同じくしてフラッシュもいつの間にかどこかに消えた。
マックスはクロバース隊に異動になり、ルティーはアンナ付きの医療班として、今もアリシアが使っていた執務室で仕事をしている。
書類はほぼ片付け終わり、ルティーが細かな部分の掃除をしている時だった。外に出ていた新筆頭大将が、部屋に戻ってきたのは。
「あ、おかえりなさいませ、アンナ様」
「ただいま、ルティー。任せっきりですまなかった」
「いいえ、これが私の仕事ですので……」
と言いながら、なにか違和感を感じたルティーは首を傾げる。いつものアンナではないような、そんな感覚。でも、不快ではなく、むしろ不思議な安らぎを感じた。そう、まるで、アリシアと共にいる時のような……
「あ、もしかして……っ」
ルティーはハッと気づき、声を上げた。アンナの体から、今までにない魔法力のようなオーラを感じる。そう、アリシアが習得していた、あの救済の異能のような。
「気づいたか」
「それは、アリシア様の……」
「ああ、この身に習得するのが一番いいと思った」
一瞬、不安に駆られたルティーだったが、なにも言わなかった。アンナ自身が決めたのだ。口を挟むべきことではない。アンナになにがあっても対応できるように、自分は自分のできることをするだけだ。
「すまないが、デゴラ隊の補佐官に資料を頼んであるんだ。取りに行ってもらえるか?」
「はい、かしこまりました」
お使いを頼まれたルティーは、部屋を出てデゴラの補佐官の執務室へと向かった。そこで気のよさそうな若い男の補佐官が、ニコニコと話しかけてくれる。
「ああ、アンナ様の付き人さん? これだよ。ちょっと多いけど大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「ここに、受け取りのサインだけもらえる……っつ!」
補佐官はそう言うなり眉を顰め、指を押さえた。そこから血がボタボタと滴っている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「いっつつ……ああ、気にしないで、カミソリを仕込まれたんだよ。ボク、この春に大抜擢でデゴラ様の補佐官になったからね。やっかむ連中が多いのさ。デゴラ様には黙っててもらえるかな。心配かけたくないし、こんなこと、実力見せればすぐ収まるしね」
そうは言ったが、かなり深く切ってしまったようで、手で押さえる程度では血は収まりそうにない。ルティーは思わず自分の右手を出し、そして。
「ん? どうしたの?」
固まってしまったルティーに、補佐官が首を傾げる。
(魔法を使っては、いけないわ……)
ふと蘇る悪夢。魔法力が尽きた瞬間、最も守りたい人が……守らなければいけない人が負傷したら。
(でも、これくらい……)
しかし『これくらい』の傷でも、同じだけの魔法力を使うのだ。むしろ、魔法を行使するなら命に関わる者だけに厳選すべきだろう。
「あの、救急箱はどこですか? 私、医療班にも所属してますので、手当させてください」
ルティーは救急箱から必要な物を取り出し、手早く処置した。そして頼まれた資料を持って、部屋を出る。
魔法力があるというのに、怪我人を治さなかったのは初めてだ。咎められないかと、まだドキドキしている。
(これでよかったのよね? だって、死ぬような大怪我じゃなかったんだし……)
その時、外からガヤガヤと人が入ってきた。すると、聞くともなしに会話が耳に入ってくる。
「馬車の事故だってよ。馬が暴走して、通行人が何人も……中に乗ってたやつらもヤバイらしい」
それを聞いた途端、ルティーは走り出しそうになった。自分なら助けられる、そう思ったのだ。
しかし、一体何人の人が重症だというのだろう。全員を治し切れるかわからない。今のルティーの魔法力では、十人治せたらいい方だ。できれば全員を治してあげたいルティーにとって、それはジレンマだった。
特に最後の魔法力で治す時、同じような重傷者がいたらどちらを治すべきなのだろうか。ルティーは今までに何度かそんな事態に直面している。
(どうしよう……行って治した方が……)
しかし最低でも一回分の魔法力は、アンナになにかあった時のために残さなければならない。だが、重傷者が何人もいる場面で、それは難しい話だ。
魔法力というのは、魔力持ちにはどのくらい残っているかわかってしまう。ルティーが魔法力を温存して退散したりすれば、批難は必至だろう。一度その場に行けば、魔法力が空になるまで解放してもらえないに決まっている。
(見殺しにはできない……けど……)
最後の魔法力を残しておくというのも一つの手ではあるが、いつなん時、アンナが戦場に向かわなければいけないかわからない。アンナが負傷し、ルティーが治す。一度目はそれでいいだろう。しかし治ればまたアンナは戦場に赴くはずだ。その時に再度アンナが負傷をすれば。
ルティーはそう考え、ゾッとした。
アリシアの時と同じことが起こってしまうではないか。
(私は、またあの時と同じことを繰り返すつもり? あんな思いを、またしたいの!?)
アリシアの付き人でありながら、彼女を治すことなく逝かせてしまった。仕方なかった、などとは言い訳にすらならない。あの時に決めたはずではないか。
助けると決めた人を必ず救うと。
すべてを犠牲にしてでも、大切な人を救うという覚悟を。
ルティーは外に出ることはせず、アンナの待つ執務室へと戻ってきた。そこには、元アリシアの机で颯爽と仕事をこなすアンナが座っている。
そのアンナが、ルティーを見てニコリと微笑んだ。
「おかえり、ルティー。ありがとう」
夕暮れ時の光がアンナを背中から照らし、柔らかな空気の波動となってルティーの心に届く。
(仕えるべきは、この方以外にあり得ないわ)
ルティーはそう、確信を強めた。
先ほどルティーは『命の選定』は難しいと思っていたが、なんてことはない。重傷者がアンナと一般兵ならば、どちらを治すか?
アンナに決まっている。
簡単な答えだった。
アンナだけを見ていればいい。
もうあんな思いをしたくないのならば。
己に覚悟があるのならば。
誰より救いたい人がいるのならば。
ルティーはもう、迷うことはなかった。
「アンナ様」
「うん? どうした?」
ルティーは若く美しい筆頭大将に、ニコリと笑った。
「紅茶とコーヒー、どちらがよろしいですか?」
「そうだな……コーヒーをもらおう」
そう言ってアンナは、引き出しの中からカタンと写真立てを出した。休憩時にはいつもそうしているようだ。
ルティーはそれを見て、コーヒーを淹れた。カップを、二つ分。
その両方をアンナの机の上に置くと、アンナは少し驚いたように顔を上げ、ルティーを見た。そして目を細めて、ほんの少し笑みを浮かべて。
「……ありがとう、ルティー……」
そう言ってアンナはコーヒーに口をつける。
アンナが『彼』と休息を取る姿を、ルティーは少し離れたところから目の端で見つめた。
その姿は、若く、美しく、気高く、ルティーの心は震える。
自分にとって、アンナ以上に価値のある人間などいない。
アンナのことが、この上なく好きなのだ。
ルティーは心に誓う。
二度と、二度とあんな悲しいことは起こさせない。
この若く美しい筆頭大将のためだけに魔法を使う、と。
──アンナ様のためだけに。
次回、最終話です。
10月15日20時過ぎに更新します。




