04.俺たちは帰ってくるから
アリシアの執務室で、本人不在のまま、部下たちは当然のようにそこに集まっていた。
ジャン、ルーシエ、マックス、フラッシュ、そしてルティーという面々である。
アリシアの葬儀が終わった翌日、いつものように彼女の執務室に来ても、当然ながら筆頭大将はいなかった。
始業の時間になっても五名はそこを離れることはなく、各々思考を燻らせている。
しばらくそうしているとノックの音が聞こえ、ルーシエが入室を促した。扉の向こう側から、トラヴァスが顔を出す。
「失礼します。先ほどの会議で、アンナ様が次の筆頭大将となることが決定しました。その通達と、貴殿らの処遇についての書類をお持ちしたので、確認をお願いします」
「ありがとうございます」
ルーシエがそれを受け取り、書類に目を落としている。
「ああ、トラヴァスさんも……いいえ、トラヴァス様も正式に将に就任なさるのですね。おめでとうございます」
「もともとグレイが抜けていたところに入っていて、さらにアンナの昇進で将の人数が足りなかったので。頭数合わせのようなものです」
「そんなことはありませんよ。あなたの実力です」
ルーシエがそう言うと、トラヴァスは相変わらずの無表情で「ありがとうございます」と扉を閉めて行ってしまった。
そしてジャンは、ルーシエから二枚の紙を渡される。一枚は新しい筆頭大将アンナの就任と、それに伴い、トラヴァスが将に昇進する旨が書かれてあった。もう一枚は、ジャン自身への通達だ。筆頭大将アンナの隊に異動、若しくはフゼック隊に異動であった。どちらかジャンの希望を汲んでくれるらしい。
「どうすっかなぁ……」
呟いたのはフラッシュだった。そう声に出すということは、ジャンと似たことが書かれていたのだろう。
「ルーシエはなんて書かれてんだ?」
「アンナ様の隊、もしくはデゴラ様かソフィア様かトラヴァス様、それからテイド様とイトリー様の隊からのお誘いが来てます」
「そっか……俺はフゼック隊かゼオ隊だな。まぁ、ルーシエとかぶることはないとは思ってたけど……マックス、ジャン、お前らは?」
聞かれてジャンはフラッシュに紙を渡した。それを見てフラッシュは「アンナ隊かスウェル隊か」と呟く。
「……俺は、クロバース隊のみだった」
マックスの言葉を最後に、しばし四人は口を閉ざした。この通達では、四人一緒にはいられないことが確定している。
重い沈黙を破ったのは、ここにいる五人目だった。
「申し訳ございません、私、失礼してもよろしいでしょうか」
その声に皆は視線を下げた。アリシアの付き人であった人物は、少し険しい顔をして立っている。
「ルティー……お前はなんて書かれてたんだ?」
「医療班への配属、それだけです。すみません、急ぎますので失礼します」
フラッシュの問いに素気無く答えたルティーは、足早に部屋を去っていった。
アリシアが死んだ今、彼女はどうするつもりだろうか。
「辞めるつもりかな、ルティーは……」
ジャンがそう溢すと、マックスが顔をくしゃりと歪めるのが見えた。
「私は辞めますが」
そう言い切った人物を、ジャンは横目で見る。マックスの顔がさらに歪み、そして視線を落としていた。そしてやはり、フラッシュが口を開く。
「もったいねーんじゃねぇの。それだけ誘いがあって……」
「関係ありません。私が仕えるべきはアリシア様であって、他の誰でもないのですから……」
ルーシエの言葉に、フラッシュはもうなにも言うことはしなかった。ルーシエならばそう言うだろうと、きっとなんとなくわかっていたのだ。
「ジャンは、どうするんですか?」
「俺は……」
アンナの隊か、フゼックの隊か。
選ぶまでもない、アンナの隊だ。アリシアを死なせてしまった罪を償うためにも、アンナの隊に入って働くべきだろう。
そう思った瞬間、アリシアの最期の言葉の続きが、ジャンの頭に唐突に浮かんできた。
(あの時、アリシアは……俺に、アンナを頼むと言いたかったのか……)
アンナを。誰よりも大切な娘を。
死の間際、そう思うのは自然なことだ。アリシアは、きっとそう言いたかったに違いない。
しかし、そうだというならば。
(どうして……アリシアは、頼むと言わなかった……?)
頼む、という言葉くらい、伝える暇はあったはずだ。なのにアリシアはあの時、明らかに口を閉ざすようにして言葉を飲み込んだ。言葉を発するのを止めた、そのわけ。
(俺は、アンナのそばにいない方がいいってことか……)
ジャンはそう理解した。大切な人の娘だからこそ、そばにいない方がいいのだと。
アンナはすでに、ジャンよりも強くなっている。
力だけがすべてではないと。自身の能力でアリシアを守れると。そう思っていたジャンだったが、結局その思いはアリシアが亡くなったことで打ち砕かれてしまった。
ターシャがジャンを守って死に。アリシアがジャンを守って死に。アンナにまで同じ轍を踏ませてはならない。
自分がそばにいることで、アンナを危機に陥らせるなどさせたくなかった。ジャンに頼むと言わなかったのは、そういうことを危惧していたのかもしれないと思い立つ。
アンナの隊には入れない。かといって、フゼックの隊で命をかけられる気もしなかった。ルーシエと同じだ。アリシアがいたからこそ。アリシアだったからこそ。ジャンは騎士となり、戦乱に身を投じてきたのだから。
「俺も……辞める」
「……辞めて、どうするんだよ……」
ほんの少しだけ、責めるような口調でマックスが口を開く。彼は縋るような、それでいてどこか諦めたような、そんな顔をしていた。
ジャンはふと、長年愛用した短剣に手を置いた。いつだったか、雷神にもらった物だ。さすが古代コムリコッツ人の短剣というべきか、今も当時と変わらず使用することができる。
まだ、アリシアの死を知らぬ雷神。なぜか、急に彼に会いたいと思った。でも会ってなにを言いたいのかはわからない。雷神をぶん殴りたいような、アリシアを失った悲しみを共有したいような、苦しみを理解してほしいような。
それでいて、彼女の死を知らずにのうのうとトレジャーハントしているだろう男を、貶めてやりたいような。複雑な気持ちだった。
だが彼に会いたいという思いは、小さなマッチの火に枯れ草を与えたかのように、急速に燃え上がった。
「ロクロウに会いに行く」
次の瞬間、ジャンはそうきっぱりと言い切っていた。
「ロクロウって……トレジャーハンターしてるっていう、アンナの父親だろ? 遺跡を巡らなきゃいけねぇんじゃねぇの?」
「ああ。俺もトレジャーハンターになる必要があるだろうな」
フラッシュの問いに、ジャンは淡々とそう答えた。雷神を探すだけでは、いずれ金は尽きるだろう。ならば遺跡に眠るお宝を発掘して、金策をしなければならない。つまり、トレジャーハントを。
そんなジャンを見て、マックスは声を上げる。
「ジャン、なにを考えて……どうして彼に会う必要が……」
「お伴しますよ、ジャン」
マックスの声を遮ったのは、ほんのりと笑顔を見せる、ルーシエ。ジャンもまた、そんなルーシエを見て少し笑った。周りから見ると目から怪光線が出ていると言われてしまう、悪魔的な笑みを。
「ああ……頼む」
あのコムリコッツの遺跡をソロで行くのは危険だ。それは身に染みてよくわかっている。
ルーシエがいればその頭脳で、数多にある仕掛けのパターンを解析することも、深入りしてはいけない時の線引きもしてくれるだろう。元々ルーシエはそのつもりだったに違いない。ジャンが雷神を探すと言い出すことも織り込み済みで、先に辞めると言い放ったのだ。
だからジャンは、名乗りを上げたルーシエに遠慮することなく頼めた。
「そっか……まぁ、いいんじゃねーの。ルーシエがいれば、安心だしな」
「フラッシュはどうするんだ」
「俺も騎士は辞めることにするぜ」
あっさりと言ってのけたフラッシュに、マックスは目を尖らせた。
「なに言ってんだよ、フラッシュ! お前みたいな脳筋、騎士以外の天職ないだろっ」
「うわ、ひでー」
マックスの言い草に気を悪くするでもなく、フラッシュは困ったようにしながらも、少し口の端を上げる。
「いつか復帰するかもしれねぇけど、今は、な……適当に食いつなぎながら、先のこと考えるぜ」
「この……単細胞……」
マックスはらしくない憎まれ口を叩くと、皆から目を逸らした。ジャンもルーシエもフラッシュも。全員騎士を辞めるのだ。フラッシュもストレイアを出るつもりでいるだろう。
「オルト軍学校の時から……ここまでみんなでやってきたのに……っ」
マックスは苦しみを吐き出すかのようにそう言い、悔しげに拳を握り締める。その様子を、ジャンを始め、皆が見ていた。
マックスは騎士を辞めることはしないだろう。辞められるはずがない。安定した収入を得る必要があるのだ。家庭を持ち、守るものがこの地にある、マックスには。
彼は、共に騎士でいたかったのだろう。例え同じ部隊でなくとも。環境が変わるのを誰よりも嫌うマックスは、皆と一緒にいたかったのだ。
できることなら共に行こうと言いたかった。マックスの索敵能力は、遺跡探査で大いに役立つに違いない。しかしそれができないとわかっているジャンは、喉から誘いの言葉が出てきそうになる声を引っ掴み、腹の奥に押し込めた。
マックスを惑わせてはならない。これが唯一、ジャンにできる優しさだった。
「たまには遊びに来るよ」
「そうですよ。一生の別れではありません。またこの四人が巡り会い、共に過ごせる時がきっときます。ですからマックスは、この地で私たちの帰る場所となり、その象徴でいてください」
「その通りだぜ! だから女みたいに泣くんじゃねぇよ、マックス!」
「な、泣いてなんかないっ!!」
そう反論しながらマックスは、腕でグイッと目元を拭った。そして掠れた声で、自身を納得させるように声を振り絞る。
「お別れ、なんだな……」
グイッと拭き上げたはずの目から、耐え切れなかった涙がコロリと滑り落ち、悪戯に床を弾いた。その場にいた誰もがハッと息を飲み、言葉を詰まらせる。
この地から仲間がいなくなる悲しみ。それぞれに意味を見出すための期間。
でも、別れではない。きっといつか、四人で笑い会える時がくる。
「大丈夫。俺達は帰ってくるから」
そう言ってジャンはマックスの前髪に手櫛を通す。マックスはジャンを見上げて口を強く結ぶと、そのままコクリと頭を垂れて頷いた。
その姿を見て、ジャンはフッと笑う。
(大丈夫だ。アリシアが死んで、どうにかなってしまいそうだったけど……俺にはまだ、生きられる理由がある)
俯いたままのマックスの足元で、踊り続ける涙。
仲間三人は、そんなマックスを温かい目で見守り続けた。
必ずここに戻ってくる。
そう、心に刻んで。




