63.あなたの気が変わらないうちに
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その日、仕事が終わると、待ってくれていたジャンと外食に出た。
ルカス料理店に入ると、奥の部屋へと案内される。前もって予約していたのだろう。中に入るとすぐに料理が運ばれてくる。以前ジャンが、高級志向ならルカス料理と言っていたことを思い出した。
「好きなだけ食べてよ。ここの店、かなりいい味出すから」
「高いんでしょう? 昨日フラッシュに奢ったばかりなのに、大丈夫なの?」
「大丈夫。そのくらいの余裕はあるし」
足りなければ自分が出せばいいが、それではジャンの顔を潰してしまう。アリシアは食べすぎないようにと心に決めて、ルカス料理に手をつけた。
「具体的にこれからどうするか、話を詰めないといけないな」
「そうねぇ。やっぱりまずは住む家よね。いいところがあればいいんだけど」
「適当に仮住まい決めていいかな。終の住処はそれからじっくり探そう。俺は今すぐにでもアリシアと一緒に暮らしたい」
ジャンの真剣な物言いに、アリシアは目をとろけさせながら頷いてみせる。
「ええ、そうね。じゃあ、任せるわ」
「わかった、すぐに決めてくるよ。結婚式はどうする」
「特に急ぐつもりはなかったんだけど、やっぱり早い方がいいわね」
「ルティーが楽しみにしてるから?」
「それもあるんだけど……」
アリシアは少し言い淀み、一度ジャンから視線を外す。
これは言うべきことだろうか、と一瞬考えた。
しかし彼と家族になるなら、この話題を避けたりしたくはない。
「なに」
ジャンはアリシアの態度に眉を寄せた。そんなジャンに、アリシアは真っ直ぐ視線を戻す。
「結婚式に、ジャンのご家族も招待しない?」
「……え?」
予想外の言葉を受けたであろうジャンは、少し目を見広げた後、黙した。
ジャンと結婚するということは、彼の家族とも家族になるということである。アリシアの両親はすでにいないが、ジャンがアンナのところへ挨拶に行くのと同じように、アリシアもまた彼の家族に会わなければなるまい。
当然、結婚式には出席してもらいたかった。もしも、ジャンがいいというならば。
「どうかしら。もちろんジャンの気持ちが優先だけど、私はちゃんとご挨拶したいわ」
「……ろくな両親じゃないよ」
「いつから会ってないんだったかしら?」
「オルト軍学校にいた時に会ったのが最後。もう二十年近く会ってない」
「ジャン」
アリシアはそっと微笑み、目を細めた。
「そんなに長く会っていないなら、ろくな両親じゃないだなんて、言い切れないんじゃない?」
「言い切れるよ。普通は子どもを捨てたりなんか、しない」
ジャンはしかめっ面で、視線だけを横にずらした。捨てられたという事実を彼の口から言わせたことで、傷つけてしまったかもしれない。しかし、それでもアリシアは続けた。
「そうね。でも、それから二十八年よ。あなたを捨てて、二十八年。人が変わるには、十分な歳月だわ」
「変わらないよ、あの人たちは。もうこの話はやめよう。今日は最高の一日にしたいんだ」
無理に切り上げようとするジャンに、アリシアは首を振る。
「人は変わるものよ。あなたがロクロウと出会って変わったように。私に出会って変わったように。あなたの両親に、なにもなかったわけがないもの」
「また変な出会いをしてなきゃいいけど」
「え?」
「こっちの話」
ジャンはプイと横を向いて、まったく視線を合わさないでいる。変な出会いというのは、ジャンの母親がのめり込んでしまったという占い師のことだろうか。確かに、またそんな人に騙されていないという保証はないのだが。
「じゃあ、結婚式に招待は無理でも、一度ご挨拶に伺わせてもらえないかしら」
「物好きだな。そこまでする必要あるわけ」
「あるわよ! ジャンがこの世に生まれたのは、間違いなくご両親のおかげなのよ? 感謝の気持ちを伝えておきたいの」
そう言うと、やはりジャンは黙ってしまった。視線を落とし、なにかを考えあぐねている。
「ジャン、会いに行きましょう。あなたの弟が言ってたじゃない。両親が会いたがってるって。絶対に、悪いことにはならないわ」
「絶対に? 言い切れる?」
「言い切れるわ」
強い視線を送ると、ジャンは顔をそっとあげた。そのまま彼の目を見続けると、ジャンはフッと顔を和らげる。
「アリシアにそう言われると、そんな気になってくるから不思議だな……」
「じゃあ……!」
「わかった、一度会いに行くよ。アリシアも一緒に来てくれるんだろ」
「ええ、もちろんよ!!」
アリシアが満面の笑みを見せると、ジャンは少し苦笑いを漏らす。でもよかった、とアリシアは胸を撫で下ろした。
以前、ジャンの弟ジョルジュの言っていた言葉が、ずっと気になっていたのだ。『父さんも母さんも、ずっと悔いているんだ』という、その言葉が。
親の立場でものを考えてしまって申し訳なかったが、このままずっと子どもに会えないというのはつらすぎるだろう。ジャン自身も、両親とずっと絶縁状態でいるよりは、心の傷も少しは修復されるかもしれない。
「じゃあ、これを食べたらすぐに挨拶に伺いましょう!」
「………………ええっ!?」
滅多に大声を出さぬジャンが、目を見広げて口をあんぐり開けた。その顔を見て、アリシアは笑う。
「うっふふ。善は急げって言うじゃない! あなたの気が変わらないうちに、さっさと行っておきましょう」
「すぐになんて、冗談じゃないよ。言ったろ、今日は最高の一日にしたいんだって」
「あら、両親と和解できれば、それこそ最高の一日になるわよ!」
アリシアの真っ直ぐな言葉を受けたジャンは、少しあきれたように息を吐き「かなわないな、あなたには……」と漏らした。その言葉を承諾と捉えたアリシアは、にっこりと笑ってみせたのだった。
ルカス料理を堪能した二人は、店を出ると歩を進めた。その向かう先は。
「ご両親はどこに住んでいるの?」
「昔と変わってなければ、ルーナ地区の西側」
「ルーナ地区はこっちじゃないじゃないの」
「先にジョルジュのところに行くよ……ワンクッションほしい」
ジャンは迷わずに歩き始める。両親との仲のように、弟とは険悪ではないらしい。
「弟さんのお家には行ったことはあるの?」
「うん、ジョルジュが結婚した後に一度だけ。嫁さんを見せたくて仕方なかったみたいだから」
「あら、そうなの」
そう言ってジャンは振り向き、アリシアの顔を見て目を細めた。
「今なら、ジョルジュの気持ちがわかる」
クスリと笑みを零した唇から、ジャンはそんな言葉を紡いだ。
先にジョルジュに、と言っていたが、ジャン自身が弟にアリシアを見てもらいたかったのだろう。そんなジャンの気持ちがわかって、アリシアも自然と笑みを漏らした。
夜道をしばらく歩くと、一軒の大きな家に辿り着く。ジャンは臆することなく、そのドアノッカーを叩いた。中からは明るい光と声が漏れていて、温かみのある家だという印象を受ける。
「はい、どちら様ー?」
ガチャリと扉を開けて対応してくれたのは、目的の人物、ジョルジュ本人だった。
「あ! 兄貴!」
「夜分に悪い。今、大丈夫か?」
ジャンにそう問われたジョルジュは一度家の中に振り返り、そして視線をジャンに戻した。
「いくらでも入ってくれて構わないんだけど………今、父さんと母さんが、孫を見に来てるんだ」
父さんと母さん、という言葉を聞いて、ジャンの顔は明らかに引きつっている。ワンクッション置くつもりが、ダイレクトになってしまったようだ。
「ジャン」
アリシアはジャンの背中に手を置き、一歩前に出た。
「アリシア様、お久しぶりです」
「久しぶり、ジョルジュ。私たち、上げてもらってもいいかしら?」
「アリシア……ッ」
ジャンが眉を寄せてアリシアを見る。そんなジャンにアリシアは頷いて見せた。
「行きましょう。どっちにしろ、会いに行くつもりだったんじゃない。手間が省けたと思いましょう」
「兄貴……本当に? 入ってくれよ、父さんも母さんも喜ぶ!」
恋人と弟に促されたジャンは、仕方なしに足を一歩、家の中へと踏み入れた。




