62.どうにかなりそうだわ!
シャッという、カーテンの開かれる音で目が覚めた。
朝日がアリシアの目に入り、眉を寄せて薄目を開ける。
「う、眩しいわ……」
「おはよう、母さん。そろそろ起きて支度しないと、間に合わないわよ!」
「うー……今何時?」
「七時半」
「うっそ! 後三十分で始業じゃない!!」
アリシアはベッドから飛び降り、服を着替え始める。
「もう~、どうしてもっと早く起こしてくれなかったのよぉおお」
「自分で起きてくるかと思って。ご飯できてるわよ」
「助かるわ、ありがとう!」
すでにテーブルの上には朝食が置いてあって、アリシアはすぐさま口の中に詰め込み始めた。
「アンナはもう食べたの?」
「ええ、ぐっすり寝たせいかお腹が空いて、先にいただいちゃったわ」
「よく……眠れたの?」
「久々に、たっぷり」
「そう」
アリシアは目を細めてアンナを見た。が、のんびりしている暇はなく、せわしなく手と口を動かす。
「母さん、部屋から必要な物を持ってきてあげるわ。もっとゆっくり食べて」
「悪いわね。じゃあ私の剣と、クローゼットから騎士服を持ってきてちょうだい。あと、机の上に書類の入った封筒が置いてあるからそれも。中は見ないでね」
「わかってる」
アンナに必要な物を持って来てもらい、食事を終えると騎士服に袖を通した。髪をとかして準備ができると、ほっと一息つく。
「よし、間に合いそうね」
「じゃあ母さん、私も行くから、また後でね」
「ええ」
二人はアンナの部屋を出て、それぞれの執務室に向かった。急いで準備をし過ぎたせいか、いつもより早い時間だ。
アリシアが己の執務室の扉を開けると、そこにはいつもの銀髪の男の姿はなかった。しかし、代わりに黒髪の男が立っている。
「おはよう、筆頭」
「おはよう、ジャン。ルーシエは?」
「昨日、フラッシュと飲んでるところに来て、ここの鍵を渡してくれた。だから今日は、始業ギリギリまで来ないと思う」
昨日ジャンはフラッシュに自分の思いを教えたのだろう。フラッシュがどういう反応をしたのかが気になる。
「フラッシュは、なにか言ってた?」
「なんか……よくわからない理由をつけて、散々飲み食いしてきた」
「よくわからない理由?」
「筆頭と付き合いたいなら、懐のでかさを見せろとか」
「それって、ただ食べたかっただけじゃない?」
「多分ね。次の日が休みだったら、俺が破産するまで食べてただろうな」
どうやら相当お金を使ってしまったようである。やっぱり、と言ったところだろうか。
「ふふ、災難だったわね」
「俺の方はいいよ。それより、アンナはなんて……?」
若干不安気なジャンに、アリシアは笑顔を向けた。
「付き合っていいかって聞いたら、もちろんよってあっさりだったわ」
「……本当に?」
「ええ、本当よ。まだ相手があなただとは言ってないから、今度一緒に行って驚かせちゃいましょう!」
「うん……いいね」
ジャンが嬉しそうに、髪を掻き上げながら笑みを漏らしている。それだけで、アリシアはもう止まらなくなる。
ジャンが愛おしい。今すぐに縛りつけて自分の物にしたい。
「長い間待たせてごめんなさい、ジャン! これからはずっと私と一緒にいて! 私があなたを幸せにしてあげるわ! 私と結婚してちょうだい!」
その言葉にジャンは目を見開いたが、直後に苦虫を噛み潰したような顔に変わる。あれ? とアリシアは首を捻らせた。
「ごめん、断る」
「えっ!?」
告白すれば百パーセント成功だと思っていたアリシアは、狼狽えた。まさか、今まで待たせてしまった復讐をしているのだろうか。同じ期間待たせられては、おばあちゃんになってしまう。
さぁてどうしようかと仁王立ちで腕組みをすると、ジャンはそっと息を吐いた。
「どうして筆頭が言っちゃうかなぁ……。プロポーズくらい、俺にさせて。男らしく決めたいと、ずっと考えてたんだからさ」
そう言うとジャンはゆっくりとこちらに近づいてくる。そしてアリシアの手を取ると、そっと跪いた。
その姿を見るだけで、アリシアの鼓動が波打つ。
「ジャン……どうしよう、心臓が破裂しそうだわ」
「倒れないでよ。俺の言葉、ちゃんと最後まで聞いて」
アリシアがこくこくと頷くと、ジャンはいつものようにクスっと笑った。キュンと鳴く胸を、アリシアは逆の手で抑える。
ジャンはそんなアリシアの姿を見て微笑み、そして真顔になった。
「アリシア。ずっとあなたが好きだった。ずっとあなたと一緒にいたいと思ってた。そしてこれからもずっとそばにいて、あなたを守りたい。あなたと共に生きたい」
「ジャン……」
「俺と結婚して。アリシア」
アリシアの顔がカッと熱くなった。脳に酸素が回っていない気がする。頭がクラクラして、本当に倒れそうだ。
「……どうしよう……」
「まさか、また悩んでるんじゃないよね……」
「嬉しくて、どうにかなりそうだわ!」
立ち上がったジャンに、アリシアは勢いよく飛びつく。
「おっと」
「ありがとう、ジャン! 私、結婚するわ! あなたと!」
「……アリシアッ」
そのままジャンに強く抱き締められる。その腕の、そして指の力の強さが、ジャンの心の喜びを表しているかのようで。
それを感受したアリシアは、己の気持ちを知らせるために、ジャンの背中に優しく手を巻き付ける。
互いに抱擁を交わしたジャンは、絞り出すような声を出した。
「ようやく……ようやく、手に入れられた……!」
ジャンの言葉に痛切な思いを感じたアリシアは、言葉を詰まらせながらも伝える。
「本当に長く待たせてしまったわね……あなたより年上の私は、どうしたってあなたより先に逝ってしまうんでしょうけど……死ぬまで、あなたのそばにいさせてちょうだい」
「うん……アリシアの最期は、俺が看取るよ。一生そばにいるから。安心して長生きして」
一生そばにいる。彼は、雷神のようにいきなり消えてしまったりはしないだろう。
アリシアは、自然と涙が溢れた。安心感というものは人に涙を流させるものだということを、初めて知って。
「アリシア……」
「ごめんなさい。なんだか胸がいっぱいになっちゃって……」
「……うん」
頷きながら、ジャンは時計と扉を気にしていた。もう始業時刻だ。ルーシエたちが中に入れず、困っているかもしれない。アリシアは涙を拭うと、ジャンを見上げていつものようにニッと微笑んだ。
「さぁ、仕事の時間よ! 詳しい話は後でしましょう!」
「わかった。扉を開けるよ」
「ええ、お願いするわ」
許可を得たジャンが扉を開けると、そこにはルーシエ、フラッシュ、それにマックスとルティーが立っていた。皆一様にこちらに向かってニコニコ、ニヤニヤしている。
「やっぱりいたのか……」
「わはははっ! やるなぁ、ジャン! 見直したぜっ」
ジャンがあきれるように言うと、フラッシュはなんの悪気もなくバシバシとジャンの背中を叩き続ける。
「フラッシュ、こういう時は何事もなかったように入るのが礼儀だろ!」
「いいじゃねーの! 祝い事なんだし」
マックスに叱責を食らってもフラッシュはものともせず、笑みを絶やしていない。
「そうですね。こういう時に、心から祝福するのはいいでしょう」
「じゃあ、言っていいんですね!?」
歓喜の声を上げて尋ねるルティーに、ルーシエは頷きを見せた。するとルティーは嬉しそうに大きく口を広げる。
「アリシア様、ジャンさん! ようございました! おめでとうございます!」
その言葉を皮切りに、部下たちが次々と祝いの言葉を口にしてくれる。
「おめでとうございます、筆頭!」
「筆頭、結婚してもまた奢ってください!」
「アリシア様のご決意、胸に響きました。心からお祝い申し上げます」
「アリシア様! 結婚式をなさるなら、ドレス選びのお手伝いをさせてくださいませ!」
結婚式。まだちゃんと考えていないが、できればしたい。別に今すぐというわけではなく、結婚して落ち着いてからでもいいのだ。特に急ぐ必要はないのだから。
「そうね。その時には、ルティーにも一緒に選んでもらうわ」
嬉しそうに「ありがとうございますっ」とルティーが頭を下げる隣で、ルーシエは「よかったですね」と柔和な笑顔をジャンに向けていた。




