60.少し離れてるかもしれないけど
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アリシアは七時に仕事を終わらせると、アンナを誘って食事に出ることにした。グレイが死んでから、アンナはあまり外食をしている様子はなかった。最初は断られるかもしれないと思ったが、部屋で食べる提案をされることもなく、すんなり承諾してくれた。
少しは癒えたということだろうか。それともやはり無理をしているだけだろうか。
二人は伝統的なストレイア料理店でしばらく時間を過ごした。互いに酒は飲まず、日常会話だけが繰り広げられる。
食事に誘ったはいいが、人目のあるところで付き合いたい人がいるとは言えなかった。結局はそのまま食事を終えて王宮に戻ることとなる。
「久々に母さんとゆっくり話せたわね」
「そうね……でももっとゆっくりと話したいのよ。いいかしら?」
「構わないわよ。じゃあ私の部屋に来る?」
アンナに誘われ、アリシアは娘の部屋に入った。同じ王宮の一室でも、部屋の広さはアリシアの部屋の半分ほどだ。
家と同じような、調度品にこだわるアンナらしい部屋だった。そして机の上には、グレイの写真が飾られている。グレイはぎこちない笑顔でこちらを向いていて、その顔を見るだけで涙が出てきそうになった。
アンナはいつも、仕事中は執務室にこの写真を持っていっている。そして机の引き出しに忍ばせておき、仕事が終わるとこの部屋に持って帰ってきているのだ。
常にグレイと一緒にいたいのだろう。
「母さん、なにか飲む?」
「じゃあ、紅茶をもらおうかしら」
部屋の真ん中には丸テーブルが置いてあり、そこには四つの椅子が備え付けられている。
なぜ四つなのかは、容易に想像することができた。今はもう、そのすべての席が埋まることはない。
アリシアは四つの椅子のうちの一つに腰掛け、アンナが紅茶を淹れてくれるのを待った。心なしか、アンナの背中が寂しそうに見える。先ほど料理店で話をした時には、いたって普通であったのだが。
「はい、どうぞ。砂糖はこれね」
「ありがとう」
「母さんは本当に紅茶が好きね」
「ジャンがいつもミルクティーを要求してくるもの。ついでに自分のを淹れてたら、いつの間にか紅茶好きになってたわ」
アリシアはいつものように砂糖を入れた。自分の部屋にいる時はジャムを入れたりもする。ジャンがいい顔をしないので、少な目ではあるが。ちなみにジャンは、ミルクは入れるが砂糖は入れない。
「グレイは、どちらかというとコーヒーが好きだったわ。なんにも入れず、ブラックで。だから私もいつの間にかコーヒーが好きになっちゃって……」
そう言ってアンナが飲むのは、やはりコーヒーだった。それを飲みながら、アンナは写真立ての中のグレイに視線を送っている。そして視線はそのままに、アリシアに静かに聞いた。
「……父さんは、コーヒー派だった? 紅茶派だった?」
アリシアは、紅茶を飲む手を止めた。
アンナが雷神のことを聞いてくるのは珍しい。アンナがグレイと付き合い始めた時に一度詳しい話をしたことがあったくらいで、それ以降はあまりこの手の会話はしなかった。
「父さんはね、緑茶派よ」
「リョクチャ?」
「ええ、色んな種類があったけど、中でも玉露っていうお茶を好んで飲んでたわね」
「初めて聞いたわ。ギョクロ? 美味しいの、それ」
「父さんが淹れると美味しいのよねぇ。温度とか、淹れ方にコツがあるみたいで。母さんが淹れると、渋くて不味かったわ」
そう答えると、アンナは少し目を細めた。
「飲み物一つで、色んな思い出があるわよね……」
視線はずっと写真の中のグレイに向けられたまま。グレイが死んで、まだ一年も経っていないのだ。やはりすぐに気持ちを切り替えられないに違いない。
(付き合いたい人がいるだなんて……今言っても大丈夫かしら……)
やっぱり今はまだ……と考えかけて、アリシアは首を振った。アンナに言えなかったなどと、ジャンに伝えたくはない。
「……どうしたの? 母さん」
アリシアの様子をおかしく思ったのか、アンナが視線を戻した。言うと決めたなら、引き伸ばしても仕方のないことだ。
「アンナ、聞いてほしいことがあるの」
「なぁに? あらたまって」
「母さんね、好きな人がいるのよ」
スパッと伝えると、アンナは大きく目を見張って固まった。アンナが言葉を詰まらせるのは、本当に珍しい。
「それでね、私はその人と付き合いたいと思ってるの」
「そう……母さんにそんな人がいたのね。驚きだわ」
娘相手にこんな話をするのは初めてだ。あまり緊張などしたことのないアリシアだったが、さすがにアンナの反応が気になった。
しかしアンナは特に嫌な顔もせず、純粋に驚いている。
「いい……かしら……」
「なにが?」
おそるおそる聞くと、首を傾げられてしまった。アリシアは逃げずに、再度真っ直ぐに問いかける。
「母さん、その人と付き合っても、構わないかしら」
「え? もちろんよ。好きなんでしょう? どうして私に聞くの?」
さも当然のようにそう言われ、アリシアは拍子抜けした。ここで『あなたは婚約者を失ったばかりなのに』と言っては、逆にアンナにつらい思いをさせてしまいそうだ。
少し黙していると、「あ、もしかして……」とアンナは少し顔を歪めた。なにを言われるのかとアリシアは構えてしまう。
「ちょっと、年が離れ過ぎてない?」
予想外の言葉に、ドキンと心臓が鳴る。相手がジャンと気付いたのか、アンナはそんなことを言い出した。
年が離れ過ぎている。確かにその通りだ。アリシアとジャンは十二歳差である。そういう意味では、ジャンとアンナも同じ年齢差だ。カップリング的には、男の方が年上のジャンとアンナの方がお似合いだろう。
「……確かに、少し離れてるかもしれないけど……」
「あ、反対してるわけじゃないのよ! ただ、意外で……」
「意外?」
意外だろうか。アリシアの周りにいつもいる男性と言えば、ジャンしかいないというのに。
「彼女と別れたの、不思議に思ってたのよね……まさか、母さんのことが好きだったなんて……」
「……彼女?」
「トラヴァスってそういうこと全然言ってくれなくて」
「ちょっ!! っとっとっと!」
とんでもない天然ボケをかます娘に、アリシアはストップをかけた。まったくこの娘は誰に似たのか、頭が痛い。
「ちょっと待って、アンナ」
「え?」
「トラヴァスじゃないわよ」
アリシアがそう言うと、アンナはホッとしたように息を吐いた。
「あ、そうなのね。びっくりしたわ」
「母さんの方がびっくりしたわよ!」
「だってトラヴァス、最近足繁く母さんのところに通ってるから」
「秋の改編に向けて、色々相談に乗ってあげてるだけ」
「そうよね、トラヴァスのわけないわよね。年の差があり過ぎるものね」
そう言うと互いに飲み物を口にし、一息つく。しかし余計にジャンだと言い出しにくくなってしまった。トラヴァスほど年が離れていないとは言え、アンナにとってジャンは、身近なお兄さんといった存在だったのだ。そんなジャンが母親であるアリシアと付き合うとなれば、アンナは複雑な心境になるかもしれない。
「で、母さんは誰と付き合いたいの?」
そう問われて思考を巡らす。答えないという選択肢はない。が、ジャンと答えてその反応を見るのが少し怖い。
「今度、その人を連れてくるわ」
「誰かしら……気になるけど、ちゃんとお付き合いが始まってから紹介してもらった方がいいかもね。これから告白するんでしょう?」
「ええ、まぁ……そうなる……かしら」
告白すれば百パーセント成功することはわかっているのだが、アンナが勘違いしてくれているのをいいことに、そのまま合わせた。
一応付き合ってもよいという許可は得たことだし、これでジャンと正式に付き合えるようになるだろう。ほっと一安心である。
しかしアンナは見せていた笑みを一転、少し陰りを見せた。その視線は、アリシアの胸のあたりに注がれている。
「母さんはその人と付き合い始めたら、救済の書を取り出すの?」
雷神からのプレゼントである救済の書を習得したままにしておく、というのは、新しい恋人に失礼だとでも思ったのだろう。アリシアもまた、そう考えていた節があった。あの時、ルーシエに諭されるまでは。




