54.才能あるわよ!
アリシアは就業時間が終わると同時に、ルティーを連れて王宮を出た。今日残業しなかった分、明日に回ってしまうが仕方ない。今日はルティーと親交を深めることが目的だ。
「遅くなるとお家の人が心配するわよね。先にご挨拶に行きましょうか」
「あ、いえ、大丈夫です。私、宿舎に住んでいますので」
「え?」
アリシアは眉を寄せた。そんな話は初耳だ。ルティーは今年で十歳になるが、宿舎で独り住まいするような年齢ではない。
「どうして?」
「あの、私歩くのが遅くて、毎日王宮に来るのに一時間はかかってしまうんです。それがきつくて、その……宿舎ならば十分ほどで着きますし……」
確かに子どもの足では、毎日一時間もかけて来るのは大変だろう。しかし普通、十歳の少女が親と離れて住むことを選ぶだろうか。
アリシアは疑問に感じながらも、今はまだ聞くべきではないと考える。筆頭大将という立場を利用して聞き出したくないのだ。この人ならば大丈夫と信頼してもらい、ルティーの方から話してくれるのがベストである。
「そう。確かに遠いものね。じゃあ今日はルティーとゆっくりデートしましょう」
「そ、そんな! デートなんて恐れ多い……!」
恐縮するルティーに、アリシアはフフフと笑う。するとルティーはアリシアの後方に視線を飛ばし、「あ」と呟いた。
アリシアが振り向くと、そこには急いでこちらに向かってくるジャンの姿が見える。
「あら、ジャンね。どうしたのかしら」
彼は走ってここまで辿り着くと、息を吐き出すように言った。
「なんだ、デートの相手はルティーか……」
「なんだって失礼よ、ジャン」
「ごめん。筆頭は今日、大事な人とデートに行ったってルーシエの奴が言うから……」
どうやらジャンも、ルーシエに踊らされるようにして来たらしい。ルーシエが彼をここに送ったということは、一緒に行動しろということだろうか。人の気持ちを察するという点では、明らかにジャンの方が上だろう。
自分では気付けない点も、ジャンは気付いてくれるかもしれない。そう考えたアリシアは、彼も誘うことにした。
「ジャンも一緒にデートに行かない?」
「邪魔じゃない?」
「私は構わないわ。ルティーはどうかしら」
「そ、そんな、邪魔だなんて! むしろ私の方がお邪魔で……!!」
ルティーは恐縮しきりである。彼女がデートを辞退する前に、アリシアは「行きましょう」と足を踏み出した。
「で、どこに行くの、筆頭」
「考えてないわ。今から考えるのよ」
そう言って、アリシアは適当に歩を進ませながら行き先を考える。しかし、どこに行ったらいいのかまったく出てこない自分に愕然とした。男性とデートで行き先を決められないのは、経験がないのだから仕方ないと言えるだろう。しかし普通の女の子が行きたがるような場所すら思い当たらない、というのはどうだろうか。
出だしから躓いてしまったアリシアは、すがるようにジャンを見た。
「ジャン、どこかいい行き先はある……?」
ジャンは『やっぱり聞くのか』といった顔で、そっと笑みを向けてくる。
「そうだな。プティルテアトルなんかいいと思うけどね」
ジャンがそう言うと、ルティーの顔が一瞬で輝く。しかしアリシアはハテナ状態だ。
「プティルテアトル? なぁに、なにかのお店?」
「小劇場です。そこではプロもアマも、果てはお客まで混じって即興の演劇が行われるんだとか。一度行ってみたかったんです!」
「そこで食事も取れるようになってるしね。どう? 結構破茶滅茶だけど、面白いよ」
「いいわね! 楽しそうだわ!!」
というわけで、すぐに行き先は決まった。ルティーの行きたそうな場所をさらりと提案するあたり、さすがジャンである。
場所を知らないアリシアは、ジャンとルティーについて行く形となった。いつもと違うそのゆっくりとしたジャンの歩調は、ルティーに合わせているのだなとわかる。先ほどの自分はどうだっただろうか。遠慮なくさっさと歩いてしまっていたため、ルティーは追い付くのに必死だったのかもしれない。
そういう細かな配慮が足りないのだなと、アリシアは痛感した。仕事中は彼女が合わせるべきだが、今回はデートであり、アリシアがエスコート役なのだ。次回からは気を付けようと心に決めて、一行は小劇場に入った。
中は小劇場という言葉に見合った広さで、それほど大きい印象は受けない。舞台の幕はまだ下がっていて、その手前に所狭しと並べられているテーブルと椅子には、すでに何組もの客が食事を取っていた。
ジャンが適当な場所に席を取り、飲み物を取ってきてくれる。そして注文を済ませたところで、ジャンに尋ねた。
「ジャンはよくここに来るの?」
「そんなには。いきなり人前に出されるのはちょっとね……俺は前日に言葉を考える派だから」
どういう意味かよく理解できず、聞き返そうとした時に幕が開いた。舞台には一人の男性と二人の女性が立っている。
話が進むと、舞台袖からもう一人の男性が演劇に加わった。この四人がプロなのだろう。舞台設定と四人の関係がわかってきたところで、客席から女性が勝手に舞台に上がっていく。
「ほら、始まったよ。ここからが即興演劇の真骨頂だ」
客の女性が入っていったのを皮切りに、何人もの客が舞台に上がっては降りていく。客が舞台に登るたびに内容が二転三転し、アリシアは大きな声で笑った。
その時、舞台にいたお客役者がアリシア達の座る席を指差し、即興のセリフを吐いた。
「ああ! あそこにいるジャンが君の想い人だな!? そうなんだろう! 出てこい、ジャン! 俺と決闘だ!!」
名指しされたジャンは仕方なしに立ち上がり、舞台へと向かっていく。ジャンはどんな対応をするのかと、ドキドキしながら彼を見送った。ルティーも同じようにキラキラしながら舞台を見つめている。
舞台に上がったジャンは、普段と変わらず気だるそうにそのお客役者を見て言った。
「悪いけど、俺はユーゴと争う気はないよ。争えば、俺が勝つのは目に見えてるし」
「なんだとぉ!? この金持ちの道楽息子め! 金でダリアの気持ちを奪っていったくせに!」
っぷ、とアリシアは息を吹き出す。どうやらジャンは、金持ちの道楽息子という設定にされてしまったらしい。
「金で人の気持ちを買えると思っているなんて、めでたい奴だな。そんなお手軽な女なら、俺はいらないよ」
「なにぃ? じゃあダリアは俺がもらっていいんだな!」
「俺にはもう心に決めた人がいるんでね。アリシア!」
唐突に名前を呼ばれ、アリシアの胸がドキンとなる。しかし舞台上はすごく楽しそうだ。アリシアは喜び勇んで舞台に出ていった。
「なぁに、ジャン!」
「なにと言われると繋げづらいな……見ろ、ユーゴ。彼女が俺の婚約者だ」
「く、なんて美人だ!! だがしかし、ただの村娘じゃないか! やはりお前は、彼女も金の力で……」
「違うわ!」
ユーゴという男の演技を、アリシアは全力で否定する。
「ジャンはジャンよ! 例え生まれが貧乏だったとしても、私は彼を愛したに違いないわ!」
そう言うと、客席から「おお」という感嘆の声と、ピュウという囃し立てる指笛の音がする。
「わかったわね、ユーゴ! ジャンが他の女を愛するなんてあり得ないから、安心しなさい!」
「行こう、アリシア。俺たちの結婚式は明日だ。早く準備を進めないと」
「ええ、ジャン。明日が楽しみね!」
アリシアは差し出された手を取り、二人で舞台を降りた。舞台上ではユーゴたちが演技を続けている。
アリシアとジャンは手を取り合ったままルティーの待つ席まで戻った。そこでようやくジャンはホッと息を吐くことができたようだ。ルティーが拍手でアリシアたちを迎えてくれる。
「お二人とも、素晴らしかったです!!」
「あら、本当? 嬉しいわ!」
「度胸があり過ぎるよ、筆頭は」
「楽しかったわ! 舞台に呼んでくれてありがとう、ジャン!」
「どういたしまして」
アリシアは上機嫌で、再び食事に手をつける。ほんの少し舞台に立てただけだったが、興奮していた。この高揚感は堪らない。癖になりそうだ。
「ルティーも出てきたら」
るんるんと食事を取る横で、ジャンがルティーにそう言っていた。見てみるとルティーは、舞台を見つめたまま、もじもじと手足を動かしている。
「行ってらっしゃい、ルティー! 面白いわよ!」
「で、でも……私みたいな子どもが舞台に出るなんて……」
「大丈夫だよ。舞台にはプロがいるんだから、フォローしてくれる」
ジャンがそう言うと、ルティーは「じゃあ」と言って席を立った。そして堂々と舞台に上がり即興演技を始める。
「あら……上手だわ、ルティー」
「うん。人が違って見えるね」
アリシアとジャンは舞台に上がっても『らしさ』が抜けなかったが、ルティーは元の人格が消え去ってしまっている。
しばし二人はルティーの演技に見入った。プロの中に交じってもまったく見劣りしないその演技に、客席からも感嘆の吐息が漏れている。
「私はもう国に帰らなければ……!!」
そう言って舞台を降りようとするルティーを、ミケルという名のプロの役者が呼び止める。
「お待ちください、小さなレディ! 僕はどうやら、あなたに恋してしまったようだ」
「そんな、私などを……」
「ルティー、あなたを僕の国に連れ帰りたい。実は僕は、隣の国の王子なのです」
食事を取りながら見ていたジャンが「また凄い設定を持ち出してきたな」と苦笑いをしている。
「王子様!? そんな、余計に行けませんわ! 私のような町娘など、分不相応というものです!」
アリシアとジャンは、客席で顔を見合わせた。
「よくこうスラスラとセリフが出てくるよね……」
「分不相応なんて言葉、どこで知ったのかしら」
そんな感想を抱きながら、二人は続けられる即興演技を楽しんだ。結局ルティーはずっと舞台に立ち続け、プロが最後に締め始めた時も、それを察して大きく貢献した。
幕が引くと、惜しみない拍手が舞台に送られる。その壇上から、ルティーが満足げにゆっくりと降りて戻ってきた。
「素晴らしかったわ! ルティー! 才能あるわよ!」
「プロの方が上手く誘導して下さったからで……」
「そんなことないよ。誘導してくれても、そうそう言葉は出てこないもんだから」
絶賛するとルティーは嬉しそうに、それでいて少し恥ずかしそうに笑った。
もしかしたら、彼女はこんな道に進みたかったのかもしれない。
いつか近隣諸国との関係が上手く行き、戦争という不安の種がなくなった時。その時には、是非にもルティーに夢を叶えてもらいたいと、切に思った。




