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あなたを忘れるべきかしら?  作者: 長岡更紗
第二章 アリシア編

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53.手伝ってくれないの!?

 ある日、アリシアはトラヴァスの隊の様子を見にきていた。

 彼はなんでもそつなくこなせる男なので、傍目には隊の連携もうまくいっている。しかし、トラヴァスの思い通りの隊というわけにはいかないようだった。それはそうだろう。編成したのは、グレイである。トラヴァスの意向がひとつも考慮されていない隊では、使い勝手が悪くても仕方ない。

 そんな隊を見事に統率しているトラヴァスには舌を捲くが、このままの編成では少々かわいそうだ。


「どう? トラヴァス。なにか不都合はない?」

「さすがグレイの編成した隊といったところでしょうか。各小隊を率いる人選がいい。似た考えの者を小隊にまとめることで、隊内の諍いを減らすことに繋がっている。それ自体は今後も続けていきたいのですが、正直、私の思い描く隊とかけ離れているのは事実です」


 トラヴァスの言葉に、アリシアは首肯する。


「まぁ、当然出てくる不満よね。でもあと半年は辛抱してちょうだい。秋の改編の際には、あなたの意向を極力組むようにするわ」

「ありがとうございます。つきましては別の隊から引き抜きたい者が何名かいるのですが、ご助力いただけませんか」

「誰かしら」

「クロバース隊からフェブルス、デゴラ隊からウェイ、テイド隊からローズ。この三名は絶対に私の隊に欲しいのです」


 どの人物も、有能な若手騎士だ。各将が簡単に彼らを手放してくれるとは思えない。しかしトラヴァスの強い瞳を見て、アリシアは頷いた。


「わかったわ。どうにか交渉してみましょう」

「助かります」

「……あら? そう言えばローズって……」


 そう言って、アリシアはトラヴァスを見た。トラヴァスは一瞬だけ苦い顔をし、しかしすぐに元の無表情に戻る。


「私の別れた恋人です」

「え!? 別れてたの!?」

「はい。五ヶ月程前に」


 アリシアは目を丸めた。つい最近まで、二人の仲のよい姿が目撃されていたはずだ。アリシアの隊の者が、トラヴァスは将になったら結婚するのではとよく噂していたのだ。

 五ヶ月前というと、グレイが死んだ直後くらいだろうか。無粋なのでなにがあったのか聞くつもりはないが、驚きである。


「そう……別れた彼女を、自分の隊に引き入れるの?」

「ええ。私の副官は、彼女しかありえません」

「ローズの方は大丈夫かしら」

「問題ないはずです。ちゃんと公私をわけて考えられる人物ですので」


 きっぱりと言い切ったトラヴァスを見て、アリシアはそれを信じた。


「わかったわ。他にも引き抜きたい者はいるんでしょう。時間ができたら私の執務室に来なさい。一緒に編成を考えてあげるわ。すべての希望には沿えないでしょうけど」

「ありがとうございます」


 その後も訓練を見て、特に問題なしと判断する。ここからさらにトラヴァス好みの隊に改編するとどうなるのか、楽しみさえ感じながらその場をあとにした。

 自分の執務室に戻ってきたアリシアは、中にルーシエしかいないことを確認して問いかける。


「あら、ルティーは?」

「軍医のゾルダンさんがいらして、医務室の方へ行きました。国境での小競り合いで、重傷を負った者を癒しに」

「そう。ルティーも魔法の方は大分慣れてきたみたいね」

「そうですね。魔法力も少しずつ上がっているようですし」


 ルティーは普段、この執務室で幼年学校の勉強をしている。わからないことがあればルーシエやマックスに聞いているようだ。二人によれば、ルティーは特に頭がいいというわけではないものの、礼儀作法や言葉遣い、振る舞いなどは、教えると一瞬でものにしてしまうらしかった。

 それをアリシアも感じたのは、フラッシュとカールが同時にこの執務室に現れた時だ。

 その時のルティーはかわいそうなほど、怯えて震えていた。そんな姿を見たルーシエが、彼女にこう言ったのである。


『ルティー。筆頭大将の付き人という人物が、恐れ慄いてはいけません。誰を見ても、凛としていなければならないのです。アリシア様に恥をかかせないためにも。わかりますね?』


 その言葉の直後、ルティーは目に見えて変わった。子犬のように怯えるだけだったルティーが、シャンと背筋を伸ばすと、目付きまで変わったのだ。そしてルティーはフラッシュとカールに、笑みさえ見せてこう言った。

『フラッシュさん、カールさん、今まで失礼な態度を取って申し訳ありませんでした。今後精進して参りますので、どうかお目こぼしをお願いいたします』と。

 その優雅に腰を落とすルティーを見た瞬間、アリシアはゾクリときた。一瞬で別人に変化したのかと思ったほどだ。

 しかし、彼女は恐怖を克服しているわけではなく。フラッシュとカールが部屋を去った直後、小刻みに体を震わせていたのである。アリシアに恥をかかせてはいけないと、懸命に演技をしていたのだった。

 そんなことがあってから、ルティーは誰と会っても子犬のような態度をとらなくはなったが、彼女を一足飛びに大人にしてしまったように感じて、アリシアは申し訳ない気分になっていた。

 本来ならば、幼年学校で無邪気に友人と走り回っている年頃だろう。なのに水の書を習得できたという理由だけで、ルティーは友人たちと離れ、大人の振る舞いをせざるを得なくなっているのだ。

 先ほどルティーを連れていったという軍医のゾルダンも、本来のルティーは苦手な人物のはずである。今はそんな素振りを見せることもしないが、やはり少し心配だ。


「ルーシエ、最近のルティーはどう?」

「そうですね、頑張っていますよ。元々礼儀は正しいですし、付き人としての素質は十分にあります。魔法の方も余程相性がよかったのか、今のところ、暴発もなく順調ですし」


 基本的に、〝書〟にはリスクが存在する。異能の書しかり、魔法の書もまたしかりだ。

 リスクはそれぞれ違うが、魔法の書の多くは暴発してしまうというリスクがある。しかしルティーは余程水の魔法と相性がよかったのだろう。今まで一度も暴発していないというのは、大したものだ。

 アリシアはそちらの心配よりも、別のことが気になった。


「フラッシュがここに来ることもあるでしょう。その時の反応は?」

「過剰に反応することはなくなっています。ごく普通に過ごしていますね」

「無理しているんじゃないのかしら……」

「どうでしょうか。そんな素振りはひとつも見せなくなりましたが」


 さすがに慣れてきたのだろうか。もしも恐怖心を押し隠しているだけなら、大した演技っぷりである。


「そもそもどうしてルティーは、怯える人と怯えない人がいるのかしらね。体が大きい人が怖いというわけでもなさそうだし」

「声が大きく、身振り手振りの大きい人が苦手のようですね。理由はわかりませんが」

「そう……」


 アリシアがその後の言葉を繋がずにいると、ルーシエが「気になりますか」と聞いてくる。その問いに、アリシアはコクリと頷いた。


「苦手な人を克服したというなら問題ないけれど……我慢してるだけなら、なんとかしてあげたいわ」

「そうですね。ではよろしくお願いします」

「え!? 手伝ってくれないの!?」

「代わりにアリシア様のお仕事を手伝いますよ」


 そう会話をしている合間にも、ルーシエの手は忙しく動いている。ルーシエは普段の仕事に加え、ルティーの勉強を見てあげたり、付き人としての教育をしたりと、仕事が増えてしまっているのだ。とてもじゃないが、そんなことにまでは手が回らないのだろう。


「大丈夫よ、自分の仕事は自分でするわ。ルティーのこともなんとかするわよ。私の付き人だもの」

「それでこそアリシア様です」


 いつもながらなんとなく乗せられてる気がするも、そう言われて嫌な気はしない。

 結局ノリノリになったアリシアはその日、仕事終わりにルティーを連れ出すことに決めたのだった。

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