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あなたを忘れるべきかしら?  作者: 長岡更紗
第二章 アリシア編

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49.結婚させておくんだったわ

「ロクロウもグレイも、院には大きな存在だったのね……」


 孤児院を出たアリシアは、独り言のようにそう呟く。


「グレイの方が功績はでかいよ。ロクロウは一時的な者を救ったに過ぎないから。グレイの場合は、将来を見据えてるんだ。……自分がいなくなっても、やっていけるようにって」


 そんな風に言われると、酷く心が痛んだ。

 グレイは自分が若くして死ぬ予感でもあったのだろうかと、ありえない想像までしてしまう。


「……ねぇ、孤児院の周りの警備を強化した方がいいと思う?」

「どうして急に?」


 孤児院は町の中心から離れてひっそりと建っている。そこの人通りは少なく、人攫いが発生する地区でもある。


「おかしいと思ったのよ。この間、トラヴァスが警備ルートの確認に来たんだけど、グレイは受け持ちの地区外であるここの周辺も警備させてたみたいなの」


 トラヴァスは現在、グレイの隊を引き継ぐ形で将代行を務めている。正式な就任はまだだが、恐らくこのまま秋の改編には新たな将として任命されるだろう。

 そのグレイの跡を継いだ形のトラヴァスが、指定外の地区を警備していると知り、アリシアにどういうことか質問に来ていたのだ。

 アリシアは、グレイが勘違いしていた可能性があると結論付け、その警備ルートを外させていた。


「子どもたちに安心感を与えたかったのかもしれないな。近くで人攫いがあったら、やっぱりみんな怯えるし」

「そうよね」


 明日すぐに警備ルートを確認し、変更の許可とその理由を訴えようと心に決めながら、アリシアは馬の手綱を握る。


「ああ、大分遅くなったな……」

「次はどこに行くの?」

「『喫茶アリス』で」


 そう言うとジャンは、来た時よりも若干早く馬を歩かせ、アリシアもそれに合わせる。

 次のデート場所は、喫茶アリス。もしや? と思いながら黙ってついて行くと、そこには喫茶店などなかった。普通の小さな一軒家である。


「ここはもしかして……」

「入ろう」


 ジャンはドアノッカーを叩くこともせず、無遠慮に扉を開けた。するとドアベルがカランカランと綺麗な音を奏で、訪問客を知らせる仕組みになっている。

 ジャンはそれとは別に、玄関先に置いてある呼び鈴を手に取って大きくそれを振った。今度は高い音色のチリンチリンというかわいくも大きなベル音が、部屋中に鳴り響く。


「セリカ! 聞こえる? 入るよ!」

「ちょっと、ジャン!」


 家主が現れる前に上がろうとするジャンを、アリシアは止めた。ジャンはそれでも気にせず中にズカズカ足を踏み入れている。アリシアも仕方なく彼に続いた。


「あ、ジャンさん」

「聞こえなかった?」

「大丈夫、聞こえました。遅くなってごめんなさい」


 ジャンは一歩下がると、出てきた女性とアリシアを対面させた。


「俺たちの上司、アリシア筆頭大将だよ」

「え?」

「アリシア、筆頭大将」

「まぁ!」


 女性は居住まいを正し、スラリと姿勢を伸ばす。そしてゆっくりと頭を垂れた。


「初めまして、セリカと申します。いつも主人がお世話になっております」


 軍隊にいる女とは違い物腰は柔らかで、それでいて一本筋が通っている立ち居振る舞いだ。アリシアとは根本的になにかが違う。


「初めまして、アリシアよ。……ジャンの奥さん?」

「違うよ。どうしてそういうトボけた発想が出てくるかなぁ」


 ジャンが顔を苦らせると、セリカはクスクスと笑みを漏らしている。その姿が妖精のようにかわいらしい。


「失礼いたしました。私はマックスの妻です。アリシア様、どうぞ中へお入り下さいませ」


 勧められるまま、アリシアはジャンと部屋の中に進む。目の前のソファーに座るよう促され、アリシアはそこに座った。なぜかジャンはアリシアの隣には座らず、対面に座っている。


「アリシア様、甘い物はお好きですか? 私が焼いたクッキーがあるのですが」

「あら! いいわね!!」

「ごめん、セリカ。昼食がまだなんだ。なにか適当に作ってもらえる? クッキーはまた今度で」

「わかりました」


 折角のクッキーがお流れになってしまったが、確かに昼食が優先だ。アリシアのお腹の虫は今にも鳴き出しそうである。しかしいきなり来てジャンのこの態度とセリカの対応はどういうことだろうか。マックスは当然仕事で、現在この家にはいない。


「ジャン、マックスがいなくてもよく来るの?」

「あー……どうかな」


 その受け答えにアリシアはムッとした。いつもならさらりと流せるはずのことが、やけに引っかかる。そのアリシアの隠そうともしない顔を見て、ジャンは慌てて言い訳した。


「暇な時は覗きに来てほしいって、マックスに頼まれてるんだよ」

「どうして?」

「うん……まぁ色々と」


 どうにも釈然としない答えではあったが、言いづらくしているので言及はやめておいた。気にならないと言えば嘘になるが、無理に聞き出すほどのことでもない。

 しばらくするとセリカがサラダとスープとパンを持ってやってきた。


「すみません、とりあえずはこちらを召し上がっていてくださいませ。今すぐになにか作って参りますので……」

「ああ、いいよセリカ。突然来たの俺たちだし」

「でも折角アリシア様がいらしてくださってるのに」


 セリカが申し訳なさそうにしているので、アリシアも遠慮するために言い訳した。


「気にしないで。私が我儘を言ったせいで、ジャンも食べるところに困っちゃったのよ」

「……えーと?」


 理解ができていないセリカに、「いいから座って」とジャンはセリカの手を取って促す。セリカは言われるがまま、ジャンの隣に腰を下ろした。

 仲がいいのね、と嫌味を言いそうになるのを、アリシアはぐっとこらえる。


「最近どう、セリカ」

「変わりありませんよ。あ、でも朝だけパートに出始めました」

「へぇ……どんな仕事?」

「そこのホテルのシーツ洗濯係です」

「ふうん。マックスはなんて?」

「働いて家計を助けてくれるのは嬉しいけど、無理はするなって」

「ま、そう言うだろうね……」


 そんな会話を、アリシアはただずっと聞いていた。この家は新築の香りがするし、結婚と同時にローンを組んで買ったのかもしれない。

 しかし部下の家庭内事情を知るのも悪くはないが、ジャンとセリカのこの密着度はどうだろうか。ギリギリ接触するかしないかの位置で座っているのだ。アリシアにはこの二人が怪しく見えて仕方なかった。マックスに頼まれたと言っていたが、本当かどうかも疑わしい。もしかしたらマックスがそう言ったのを利用して、二人はできているのではないかとすら思ってしまう。


「アリシア様、お口に合いませんか?」

「いいえ、美味しいわ。とってもね!」


 この美味しいスープでジャンの胃袋をとらえたのだろうか。アリシアの作るスープとは違って、濃厚トロトロである。それを堪能している間にも、ジャンとセリカは楽しそうに語り合っている。


(なにもそんなに近付かなくてもいいじゃないの)


 ジャンはセリカの耳元に語りかけていて、セリカはくすぐったそうに首をすくめながら笑っている。

 ここで『私帰る』などと言うような子どもではないが、ずっとにこやかに二人を見続けるのも苦痛である。結局アリシアは微妙な顔をしたまま、時が過ぎるのを待った。

 しばらくしてアリシアのそんな態度に不審を抱いたのか、セリカがジャンを見上げている。


「ジャンさん、アリシア様に私のこと言ってないんですか?」

「うん。勝手に言うのも悪いと思って」

「ちゃんと説明して差し上げて。私は構いませんから」

「……わかった」


 そう言うと同時にジャンは食べ終わり、席を立つ。それに合わせて、すでに食べ終わっていたアリシアも立ち上がった。


「じゃあ行くよ。ごちそうさま」

「ありがとう、美味しかったわ」

「ぜひ、またいらしてくださいませ」


 セリカは手作りクッキーをかわいい袋に入れて渡してくれた。アリシアはそれを受け取り、礼を言ってさっさと家から離れる。ジャンは数歩遅れてアリシアを追ってくる形となった。


「筆頭」

「なにかしら」

「セリカは耳が悪いんだ」


 ジャンの言葉に、アリシアは足を止める。


「そうなの? でも私と話してる時はそんな様子はなかったわ」

「筆頭の声は高くてでかいからだよ。低音は聞き取りづらいらしくて、俺の言葉はよく聞き返される」

「……そう。マックスがいてもジャンはあんな感じに彼女に話しかけてるの?」

「もちろん。最初マックスは嫌そうだったけど、セリカに聞き取りのストレスがない方がいいって理解してる」


 アリシアは、理由を聞いてもまだ嫉妬している自分に驚いた。理解はできても納得はできず、なんと言葉を返していいのかわからない。


「ここまで耳が悪くなったのは、割と最近なんだ。結婚する直前まで、セリカの耳はこんなに悪くなかった」


 ジャンはそのまま説明を続けた。

 セリカはとある金持ちの、お嬢様付きの侍女として働いていたらしい。そのお嬢様というがこの上ない我儘で、気に入らないことがあると容赦なくセリカに平手打ちを飛ばしていた。

 セリカは何度も鼓膜が破れ、最終的に左耳はほとんど聞こえなくなってしまったという。その状態になったことを知ったマックスは、即座に仕事を辞めさせて結婚に踏み切ったのだと教えてくれた。


「あのマックスがそんなになるまで気付かなかったの?」

「気付かなかったわけじゃないよ。昔から耳が悪いっていうのは本人から聞いてたし。ただ、そんなに一気に悪くなるなんて思ってなかったんだ」

「そんなところの侍女なんて、早く辞めれさせばよかったでしょうに」

「恩義のある家だって言ってたから、辞めにくかったみたいだな。早く結婚してそれを理由に退職したいと思ってたらしいけど。まぁセリカはああいう性格だから、マックスの負担になりたくなくて黙ってたんだと思う」


 交流のなかったアリシアには『ああいう性格』が今一ピンと来なかった。しかし耳の聞こえが悪化しても、誤魔化して微笑んでいそうなセリカの姿は容易に想像することはできる。


「やっぱりあの時、無理やりにでも結婚させておくんだったわ。そしたらそんなに耳も酷くならなかったかもしれないのに。どうしてみんな、結婚できる時にさっさとしておかないのかしらねっ」


 その言葉を受けたジャンが、いつもの妖しの瞳をアリシアに向けた。


「筆頭は今、結婚できる時だと思うけど」


 ジャンにさらりと言われたアリシアは、息を止めてジャンを見上げたのだった。

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