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あなたを忘れるべきかしら?  作者: 長岡更紗
第二章 アリシア編

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59/88

48.それ以外でお願いするわ

 アリシアは執務室でカレンダーを見た。

 季節は春。グレイがいなくなった悲しみの冬は終わった。これからは優しい春が来ればいいとアリシアは切に願う。


「あら……? 私、この日休みだったかしら」


 目を通していると、出勤だった日がなぜか休みに変わっているのを見て、アリシアは首を捻らせる。

 それを見ていたルティーが説明してくれた。


「先ほどジャンさんがいらして、勝手に書いていかれました。ルーシエさんはそれを見てもなにも文句を言ってませんでしたので、アリシア様もわかってらっしゃることなんだと思ってたんですが、違うんですか?」

「ジャンが? いえ、なにも聞いてないけれど……」


 実は、こうやって休みを書き換えられるのは初めてではない。諜報活動をしているジャンはルーシエに報告した後、またすぐに次の仕事に赴いてしばらく帰ってこないことも多い。

 アリシアと接触する機会が少なくなると、諜報活動に出ている自分の休みは中々変えられないので、アリシアの方の休みを勝手に変更してしまうのだ。それを見ていたルーシエがなにも言わなかったというならば、その日アリシアが休んでも問題ないと判断したからだろう。

 ジャンの休みを確認してみると、やはりその日、彼もまた休みであった。


「もう、仕方ないわね」


 そう言いながらもアリシアの頬は緩む。最近は多忙な日々を送っていたので、ジャンと一日ゆっくり過ごせるのは久々だ。

 そんな風に考えていると、ルーシエがどこからか戻ってきた。


「あら、おかえりなさい。どこ行ってたの?」

「申し訳ありません、アリシア様。急遽休みを変更する必要がありまして、各方面にスケジュールの調整に出ておりました」

「あら、そう……それでどうにかなった?」

「はい、問題ありません。その日はゆっくりお休みください」


 ルーシエの許可を得て、アリシアは胸を躍らせる。ルーシエはこちらを見て目を細め、ルティーは「アリシア様かわいいです」と呟いていた。


 その、休日当日。

 ジャンはいつもと同じようにアリシアの部屋でミルクティーを飲む。が、それを飲み終えると彼は立ち上がった。


「筆頭、今日は出掛けよう」

「あら、珍しいわね。どこに?」

「どこでもいいよ、適当にぶらぶら。デート気分を味わいたい」


 思えばジャンと休日を過ごしても、あまり外を出歩かない。一緒に食事を作り、部屋で食べることが多いのだ。たまにはデート気分で外食もいいかもしれないとアリシアは立ち上がった。


 時刻は午前十時で、昼食を食べるにはまだ早い時間だった。今日は平日なので、繁華街も休日のような賑やかさはない。


「どこか行きたいところはある?」

「うーん、思い当たらないわねぇ。思えば私、デートなんて初めてだわ」


 雷神と一緒にいた日々を思い返すも、彼とも一緒に出掛けた記憶はなかった。アリシアが家に帰ると彼はいつも家にいて、共に部屋で過ごしていたのだ。

 アリシアが休日の時は雷神が遺跡に出掛けていて、帰って来るのは夕方であったので、二人でイチャイチャ外を出歩くなどしたことがない。例え一緒に出掛けたとしても、人前でイチャイチャしてくれるような人ではなかったが。


「初めて? 本当に?」

「ええ。あ、フラッシュとはよく二人で飲みに行くわね。奢れってうるさいのよ、誰にも奢ってもらえないからって。まぁ私もフラッシュと飲むのは楽しいからいいんだけど、居酒屋でもデートっていうのかしら?」


 アリシアがフラッシュの話をすると、ジャンは笑みを忘れた顔で言葉を発する。


「そんなの俺は、絶対にデートなんて認めないから」

「やっぱりそうよねぇ」


 アリシアには、デートの定義が今一よくわからなかった。

 一組の男女が出掛けることがデートであるなら、仕事上アリシアは何度も経験しているが、それはデートにはならないのだろう。

 仲の良い男女が居酒屋で酒を酌み交わすというのも、どうやらデートの定義には当て嵌らないらしい。

 すでに恋人同士となっている二人が、遊行目的で行動を共にすることがデートだというのはわかる。

 しかし恋愛関係に進みつつある二人が、連れだって外出することはどうなのだろうか。これはデートと言えるだろうか。

 ジャンは『デート気分』と言っていただけなので、デートと認識しているのかは微妙なところだ。それなのに明らかに期待して「デートは初めて」と言ってしまった自分が恥ずかしくなった。


「筆頭は初デートか……どうしようかな」


 ジャンが前髪を掻き上げながら前を見据えていて、アリシアは彼の深い緑色の瞳を見る。デートと認識させてしまったのは自分の言葉のせいかもしれなかったが、それでも素直に嬉しい。


「一般的なデートコースってどんなものなの?」

「そうだな……相手にもよるけど、ショッピングは定番だね。それから食事。中央通りにあるハノーク帝国料理専門店は割と使える。スイーツが絶品で、女の子に受けがいいんだ。高級志向ならルカス料理かな。ラフな感じで行きたいならサエスエル国料理かファレンテイン料理がお勧め。あとは美術館を巡ったり、演奏会に行ったり、演劇を見るのもいい。少し遠出になるけど、湖畔に出てボートに乗るのもいいよ。そこから見るサンセットは絶景だから」


 ジャンに滞りなく答えられて、アリシアは感心した。そんなに多くのデートスポットがあるものなのかと、なにも知らない自分に驚いたくらいだ。

 しかし。


「じゃあ、それ以外でお願いするわ」

「……え?」


 アリシアが当然のように言い放つと、ジャンは困惑気味に聞き返してくる。


「聞こえなかったの? それ以外で、と言ったのよ。それだけじゃなく、あなたが今まで行ったことのあるデートコースは使わないでちょうだい」


 アリシアの意図を理解したであろうジャンは頭を抱えた。


「無茶言うよ、筆頭は……」

「私は初めてのデートなのよ。あなたが別の女と行ったところには、行きたくないわ」

「……それ、嫉妬?」


 言い当てられて、カッとアリシアの顔が赤くなる。無意識に出た感情だったが、言われてみれば確かに嫉妬だった。


「筆頭……」

「そう、ね……ごめんなさい、醜い嫉妬だったわ。ジャンが誰とどこでデートしていても、関係ないはずなのにね。今の私の言葉は忘れてちょうだい」


 羞恥と燻る嫉妬で、心はまだささくれ立ったままだ。つい棘のある言葉でそう答えると、ジャンはかぶりを振った。


「いや。折角嫉妬してくれたんだ。今からデートコースを考えるから、ちょっと待って」


 ジャンは眉間に指を置くようにして考えを巡らせている。ストレイア中のほとんどを行き尽くしているのかと問いたくなるくらいに、あそこでもないここでもないと口をへの字に曲げていた。

 そしてやがて、ジャンはパッと頭を上げる。


「よし、決めた」

「本当?」

「うん。デートらしくなくなるけど、それでもいいなら」

「いいわ。誰も経験したことのないデートなんて、楽しそうだもの。ワクワクするわ」

「……そんなキラキラした顔されても、遺跡には行かないからね」


 宝箱を見つけた時のような顔でもしていたのか、ジャンにそう言われてしまい、アリシアは「わかってるわよ」と苦笑いで答える。


「で、最初はどこに行くの?」

「孤児院に行くよ。歩いて行くには遠すぎるから、厩舎から馬を連れてこよう」


 孤児院。それは確かに普通のデートコースでは使わない場所だろう。昔はよく孤児院に通っていたアリシアであったが、筆頭大将となってからは忙しすぎて足が遠のいている。


「嫌なら別のコースを考えるけど」

「いえ、いいわ。今の孤児院がどんなになってるか気になるし」

「じゃあ行こう」


 二人は王宮の厩舎に向かうと自分の馬を連れ出した。急ぐ必要もなく、会話をしながらカッポカッポと馬を歩かせる。

 馬を走らせられるのは基本的に大通りだけなので、孤児院に近付くと馬を最寄りの厩舎に繋いだ。そして今度は徒歩で孤児院に向かう。


「何年ぶりかな……ここに来るの」

「もうずっと来てなかったの?」

「前院長が死んだ時に、グレイを送って来たくらいだよ。前の院長がいた頃は、たまに覗くくらいはしたけどね」


 思えば、グレイとジャンは同じ孤児院出身だった。二人の年齢差は十二もあるので、ここで出会ったことはなかったであろうが。


「……懐かしいな」


 ジャンは孤児院に一歩踏み入れると、そう呟いた。雷神と打ち合っていた日々を思い出しているのだろうか。親に要らない子だからと言われたことは、追想していないといいけれど、とアリシアは考える。

 二人は院長に挨拶をするため、院の中へと足を踏み入れた。すると何人もの子どもたちが礼儀正しく挨拶をしてくれる。そこかしこで子どもらしい声も聞こえた。


「院長先生ー! お客様だよー!!」

「はぁい、どなたかしらぁ」


 子どもたちに呼ばれて出てきたのは、まだ若い女性の院長だった。その院長の姿を見て、ジャンは目を少し見張り、女性の方も驚き喜ぶように一歩前に出た。


「あらぁ……ジャンくん、お久しぶりだわぁ」

「シュゼットが院長をしていたのか」

「えぇ……アリシア様もお久しぶりでございます」


 シュゼットという名前に聞き覚えのあったアリシアは、記憶を掘り起こした。確か彼女も孤児院出身で、ジャンと同い年だったか。


「ええ、久しぶり」


 握手を交わすと院長室に招かれ、三人は色々な話をした。

 現在の孤児院の経営状況を聞くと、細々とながらもなんとかやっていけているようだった。

 そしてどうやら彼女を院長に推したのは、グレイだったらしい。シュゼットは院を卒業してからも孤児院を気にかける、一番の人間だった。グレイに説得され、その考えに同調したシュゼットは、仕事を辞めて院長になる決意をしたのだそうだ。


「思えば、私たちの時代が一番賑やかで、子どもたちの結束も強かったわよねぇ」

「ロクロウがいたからだよ。ロクロウが一人一人の個性を引き出して夢を与えた。みんなそれに共感したり、応援したりして結束が強まったんだ」

「そうよねぇ……『ロクロウ世代』がいなくなった院は、前院長おじいちゃんにみんな固執していたものねぇ。『グレイ世代』で緩和されていたけれど、彼が孤児院を出るとまた元に戻ってしまって」


 そう言うと、シュゼットは大きく溜め息を吐いた。


「……グレイ君は、口出ししないから自分たちでなんとかしていけ……なんて厳しいことを言いつつ、色々と支援してくれていたの。私が経営に困って泣きつくと、色んなイベントや催し物を考えてくれたり、子どもたちとの接し方のアドバイスをくれたり……直接なにかをしてくれるわけではなかったけど、この孤児院のことを真剣に考えてくれる、唯一の人だったのに……」


 そのシュゼットの瞳から、一雫の涙が流れる。グレイはすでにこの世の人ではないのだ。その事実は、彼女を苦しめるものだろう。


「シュゼット、大丈夫?」


 そのアリシアの問いをどう捉えたのかわからないが、シュゼットはコクリと力強く首肯した。


「大丈夫です。前院長おじいちゃんとグレイ君の思いが詰まったこの場所を、ただ親のいない子どもたちが住まう場所にしたりはしません。夢と笑顔溢れる、強い絆で結ばれた院にしてみせます」


 シュゼットの決意の言葉のバックに、絶え間なく楽しげな子どもたちの声が聞こえる。アリシアとジャンは、今の孤児院の姿を見られた気がしてそこを出た。

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