44.どうして……!
王都に着いた時、すでに夜中となっていた。アリシアたちの到着時間を予想していたのか、ルーシエが町の入り口で待機している。彼の姿を見つけて、アリシアは馬を降りると同時に叫んだ。
「ルーシエ!! 一体なにがあったの!? グレイが死んだなんて……本当なの!?」
「お静かに。馬車にお乗り換え下さい。中で説明いたします」
アリシアとジャンは馬を他の兵に任せ、ルーシエが用意した馬車に乗り込む。ルーシエは御者に出すよう伝え、彼は二人の前に座した。
「アリシア様、グレイ様の死は事実です。シウリス様の執務室で、その兇刃に倒れました」
「どうして……どんなお怒りを買ったというの?」
「わかりません……私も対応に追われてまだ状況を把握できていないこともありますが……」
「アンナは……」
「ご自宅で塞いでおります。グレイ様が亡くなったのが……もう日を跨いでおりますので、昨日の朝となります。本来ならば今日葬儀を入れるべきですが、アンナ様がどうしても嫌だとおっしゃいまして……グレイ様のご遺体は、現在アリシア様のご自宅に安置されております」
「……っ」
アリシアは言葉を詰まらせた。今アンナはグレイの遺体を前に、泣き伏しているのだろうか。思い出のたくさん詰まった家で、たった一人。
「……うちに急いで……」
「はい……」
グレイが死んだ。それは、事実。
アリシアは現実を突きつけられて、歯を食いしばった。
来月には結婚だったというのに。つい数日前まで、幸せな日々が続くと思っていたのに。
娘の気持ちを考えると、勝手に体が震えた。
「……筆頭……っ」
ジャンがそんなアリシアを抱き寄せて包んでくれる。アリシアはそれにすがるように彼の腕を握り、馬車に揺られていた。
そうすること、数十分。
「アリシア様、着きました」
馬が止まり、アリシアはゆっくりと馬車を降りた。家の前に二人の男が立っているのを見て、アリシアは声をかける。
「トラヴァス、カール……」
アンナとグレイの、軍学校時代からの友人だ。
「アリシア筆頭……」
「来てくれてたのね、ありがとう……アンナの様子は……?」
そう問うとトラヴァスは首を横に振り、カールは悔しそうに地を見つめている。
「玄関すら開けてもらえません……さすがに明日には葬儀に出さなくてはいけないと思い、勝手だとは思いましたが予定を入れました。それをアンナ様に伝えたいのですが……」
「わかったわ、わざわざありがとう。私から伝えておくから、今日は二人ともお帰りなさい」
「けど」
「行くぞ、カール。……アリシア筆頭、失礼いたします」
二人は去り行き、アリシアは玄関の扉の鍵を開ける。しかし扉を開く前に、後ろを振り返った。
「ルーシエ、ジャン。二人はここでいいわ。もう夜も遅いし、ゆっくり休んで」
「……はい」
「筆頭……一緒にいなくて平気?」
「ええ、ありがとう……大丈夫よ」
そう言ってアリシアは一人、家へと帰った。中は外と変わらず寒く冷たい。
そんな中、アリシアは灯りの漏れる部屋へと移動した。聞こえてくるのは、アンナのすすり泣く声。その悲痛な声に、アリシアの胸はギュッと絞めつけられる。
「アンナ……」
そこに、アンナはいた。すでに棺に入れられたグレイの頬を撫でながら。ただただ滝のような涙を流しながら。一人悲しみに包まれた愛おしい娘が、そこにいた。
「母さん……」
アンナは視線をグレイからアリシアに移す。アリシアの姿を確認した瞬間、アンナは顔を崩した。
「母さん……! グレイが、シウリス様に……!」
「アンナ……一体、どうしてこんなことに!?」
「わからない……わからないのよ!!」
アリシアはアンナに駆け寄り、その体をグッと抱き締める。冷え切った体から流れる涙は、氷のように冷たくアリシアを濡らした。
「アンナ……!!」
娘を抱き締めながら、アリシアはグレイの顔を確認する。
そこにはなにか大きな決意をしたかのような精悍な顔立ちをした男が、硬く目を瞑っていた。
「グ、グレイ……!」
その二度と戻らぬ顔を見てしまうと、一気に涙が押し寄せ、アリシアの頬を濡らす。
「グレイ……グレイ! 返事なさい……アンナをこんなに泣かせて、許さないわよ……っ」
涙はアンナに負けじと次から次へと降りてきては、床に転がり散らばる。
「あなたの幸せはこれからじゃない……! アンナと結婚して、子どもを作って……あなたなら、筆頭大将にだってなれた! それなのに……っ」
「っ、母さん……」
「グレイ……なにがあったの……どうしてアンナを置いて逝ってしまったの! ……っ、どうして……!」
アリシアの言葉はそこで途切れる。アリシアは嗚咽を抑えきれず、泣き叫び続けた。同じように涙を流し続ける、アンナと共に。
しかし二人がどんなに泣き叫んでも、グレイはもうその瞼を開けることはなかった。
やがて窓から光が差し込み、アリシアとアンナはぐったりとした体を互いから離す。二人で一晩中泣いたせいか、アンナの涙は一時的に止まっていた。そんなアンナに、アリシアはそっと促す。
「アンナ……明日、グレイを葬儀に出してあげましょう……」
「……嫌よ」
アンナはグレイの顔を見て、そしてまた涙を滲ませる。葬儀に出せば、もうこの顔を見られなくなる。触れられなくなる。その恐怖は、どれほどのものだろうか。だがずっとこのままにしておくわけにはいかない。
「グレイをこのまま置いておくのはかわいそうよ。……ちゃんと、幸せの神様の元に送ってあげましょう」
「幸せの神様なんて、嘘っぱちだわ!!」
アンナは突如大声を出し、涙を飛び散らせながらアリシアを睨むように見上げる。
「幸せの神様がいるなら、どうしてグレイはこんな目に遭うの!? グレイがなにをしたっていうの!!」
「アンナ……」
「神様なんていやしないわ!! そんなもの、ただの迷信よ!」
「アンナ……!!」
「本当に神様がいるなら、グレイを生き返らせてよっ!!!! グレイを……グレイを──」
「アンナっ!!!!」
再び泣き崩れるアンナを、アリシアは支えた。わんわんと大声で泣き叫ぶ娘を、しっかりとこの世に繋ぎ止めるように。
「アンナ、神様はいるわ。グレイをちゃんと送り出してあげなきゃ、生まれ変わることもできないのよ。そんなの、かわいそうだと思わない……?」
「う……ひっく……う、生まれ……変わる、な、なんて……ひっく……あり得ない、わ……」
「あり得るわよ。きっとグレイはもう一度この世に生を受ける。また、あなたに会うために」
「わ、私に……ひっ、会う、ために……?」
「ええ、そうよ。グレイならやるわ。どんな手段を使ってでも。そうでしょう?」
アリシアとアンナは、同時に棺の中を覗き込む。動くはずのないその表情が、なぜか少し微笑んでいるように見えて、二人は顔を見合わせた。
「……ぐすっ。本当だわ……なんとかするって、そう言ってる……」
「でしょう? 信じて、送り出してあげましょう」
アリシアがそう言うと、アンナは無言で立ち上がって部屋を出ていく。そしてまたすぐに戻ってきたかと思うと、その手には一枚の紙と鋏があった。
「なぁに……写真?」
アリシアがそれを見ると、そこには幸せそうな二人がぎこちない笑顔で写っている。アンナはその写真の真ん中に、ゆっくりと鋏を入れていった。
「……なにしてるの?」
折角の写真に鋏を入れる娘が理解できず、眉を寄せながらその動作を見守る。鋏は二人の間を通過し、二枚の写真が出来上がった。グレイのぎこちない笑顔の写真と、アンナのぎこちない笑顔の写真だ。
「グレイ……生まれ変わった時、迷わないようにその写真を持っていって……私はあなたの写真を持って、ずっと帰りを待ってるから……」
そう言ってアンナは自身の写真をグレイに握らせた。アリシアはそんな娘に頬を寄せ、そっと頭を撫でたのだった。




