40.あら、お姫様だっこ
一曲目が終わり二曲目が始まると、アリシアたちはフロアから端の方に移動する。
「もう踊らないの」
「ええ……アンナたちのダンスも見たいし」
アリシアは二人の姿を探し、そして見つけた。アンナとグレイは今の心情を表すかのように、とても軽やかに踊っている。しかしグレイはやや緊張の面持ちでたまに苦笑いを浮かべ、アンナはそんなグレイと何事か言葉を交わして、華やかな笑顔を見せていた。
「へぇ、さすがだな。短期間で仕上げたみたいだけど、ホールドはしっかりしてるし、アンナの大きなスウェイにも対応できてるよ。なにより、楽しそうなのがいい」
「本当ね。定番の足型だけど、あの二人が踊るとよく映えて……」
親でさえ見たことがない表情で優雅に踊る娘の姿はやけに美しく見え、アリシアは思わず涙ぐむ。
「……アリシア?」
「ダメね。なんだか急に涙もろくなっちゃって。年だから仕方ないのかしら」
「本当は自分が年だなんて思っていないくせに」
「思ってるわよ。あなたより十二も年上なのよ、私は」
「そんな理由で断るのだけはやめてよ。くだらない」
アリシアは現在四十四歳、ジャンはまだ男盛りの三十二歳だ。
救済の異能を習得しているおかげか、大きな体力の衰えも見た目の老化もあまり感じないが、不老不死というわけにはいかないのだ。どうしたって今後の彼の人生を考えてしまう。
以前ジャンに甘えておきながら、勝手だとは思う。しかしこれからでも彼の人生は修正可能なはずだ。
そんなアリシアの考えを読み取ったのか、ジャンは次の言葉を紡いだ。
「大切にするよ。ロクロウみたいに急にいなくなったりしない。絶対に」
そう言われて、またも揺らいでしまっているのをアリシアは感じた。ここで甘えてしまっていいのだろうかという葛藤が生じる。答えはまだ、出せそうにない。
「……この曲が終わったら、シウリス様にご挨拶に行きましょうか」
「……わかった」
明らかに逃げるような返事をしてしまった罪悪感から、ふと視線を泳がせた。するとシウリスの近くに変な機械を構える者がいて、アリシアはそれを注視する。
「ジャン、あれはもしかして、カメラ?」
「うん。最新型だな。あれなら一分から二分で撮ることができるらしいよ」
「すごいわねぇ。私が子どもの頃なんて、八時間以上かかるって聞いたことがあるわ。たった三十年ほどでこんなに時間が短縮できるものなのね」
「十年後には三秒くらいで撮れるようになるよ」
「そんなには無理じゃない?」
「古代人だって、メモリークリスタルを作ってるだろ。不可能じゃないと思う」
そう言われて、メモリークリスタルを思い出した。いつかそんな機械ができるのだろうか。動く雷神を、好きな時に好きなだけ見られるのだろうかと考えて、動かずとも写真だけでも撮っておけばよかったと後悔する。
写真を撮るにはコネとカネが必要であったが、雷神に頼めばどうにかなったはずだった。人のお金を使ってどうこうするという考えが嫌で言わなかったが、そんなちっぽけなプライドなど気にしなければよかったのだ。こんなことを思っても、今さらであったが。
「今……さら……?」
「……アリシア?」
そう、今さらだった。アリシアが雷神との写真を撮らなかったことを後悔するのは。だが今、目の前で幸せに踊る娘と息子は違う。二人にはこんなことで後悔などしてほしくない。
アリシアは一人大きく頷く。それを見たジャンは半眼になり、疑惑の視線をこちらに向けていた。
二曲目が終わると、アンナとグレイを呼び寄せシウリスの元へと向かう。
シウリスは足を組み、つまらなそうに頬杖をつきながら座していたが、アリシアたちが目の前に行くとその頬杖を外した。
「シウリス様、ご成人おめでとうございます。筆頭大将アリシア以下四名、お祝いに上がりました。一同シウリス様のご健勝とご多幸を……」
「いい、アリシア。くだらん挨拶ばかりでうんざりしていたところだ」
「っは」
シウリスは座っていても大きく、威圧感がある。一九〇センチ以上あるその体躯から繰り出される剣技は凄まじく、もうアリシアはシウリスには敵わないだろうという自覚があった。おそらくグレイもアンナもそう思っているはずだ。この先誰も、彼を超えられる者は現れないだろう。
「アンナ」
「はい」
名前を呼ばれたアンナは、伸びていた背筋をさらに伸ばす。
「来月に結婚だったか?」
「はい」
「そこにいる、グレイだったな」
視線だけを動かし、シウリスはグレイに照準を当てた。なんとも言えぬ嫌な空気が流れる。シウリスはなぜか喉で笑い始め、皆はなにも言えずに息を飲んだ。そして一言、吐き捨てるように言った。
「穢らわしい」
と。
アリシアには、意味がわからなかった。アリシアだけではなく、アンナもグレイもジャンも、誰一人理解できていないだろう。しかしその意味を詳しく聞ける者など、この世にはいない。皆が無言を貫いていると、シウリスが口の端を上げた。
「どうした? 言いたいことがあるんじゃないのか? 結婚の祝いになにを所望しに来た? 金か土地か名誉か……」
「いえ、シウリス様。私たちはそのような物は……」
「なにかいただけるのでしたら、一つお願いがございます」
アンナが否定する前に、アリシアは跪いて頭を垂れた。アンナは驚いて「母さん」と言いかけて「筆頭!?」と言い直している。
「ほう。なんだ、言ってみろ」
「どうかこの二人に、『しゃしん』を撮らせてやっていただけませんか」
「……ふん」
写真は今でも高価な物だ。今回このカメラマンも他国から呼び寄せたに違いない。こんなチャンス、滅多にないことである。
「写真か……っく。それはいいなぁ。思い出の一つくらい、残しておかんとな?」
「では、シウリス様……!」
「他ならんアリシアの頼みだ。おい、お前。この二人を撮ってやれ」
「ありがとうございます!!」
アリシアが床に額をつけんばかりに頭を下げると、後ろにいた三人も同時に頭を下げる。視線だけで振り返ると、アンナとグレイが信じられないとばかりに驚き、そして顔を見合わせて喜び合っていた。
アリシアたちはシウリスの前から下がると、カメラマンのところまで移動した。シウリスの方を確認すると、次の祝辞の相手につまらなそうに頬杖をついている。
「まったく、無茶するよ……」
「こうでもしなきゃ、一般人に写真なんて無理よ」
「そうだけど」
娘と息子に素晴らしいプレゼントができたと、アリシアは喜んだ。見ると二人はカメラの前でぎこちない笑顔を作っている。
「ほらほら、なんて顔をしてるの! スマイルスマイルー」
「そうは言っても、二分間このままなのよ……」
「喋るなアンナ……ブレるぞ」
二人は腹話術師さながらに口を動かさず会話をしている。それを見てアリシアはぷっと吹き出した。アンナは笑われたことにムッとしたのか、こっちを睨んでいる。
「アンナ、怒るのは後だ……俺はあんたの笑った顔の方がいいからな」
「わ、わかってるわ……私だって、あなたの笑顔の写真がほしいもの」
「……俺、ちゃんと笑えてるかな……」
「多分、微妙ね」
「く……」
そんなやり取りがおかしくて、アリシアは一人ケラケラと笑った。
「あーおかしい! 写真って面白いのねぇ、ジャン」
「いいな。俺もほしいよ」
「ん?」
「アリシアの、笑顔の写真」
目を流しながら言われて、アリシアは自分でもびっくりするほど顔が熱くなったのを感じた。そしてそれを収めるために、視線をジャンから外す。
「娘の前では、筆頭って呼んでちょうだい」
「……うん」
ジャンの気持ちはうすうす気付いてはいたが、あんな風にまっすぐ告白されては意識せざるを得なかった。
そしてふと思う。ジャンの写真が欲しい、と。もう一度シウリスに掛け合ってみようかとも思った。しかしまだ恋人でもなんでもないというのに、そんなことをあのシウリスに頼めるはずもなく、アリシアは断念する。
「なんだか、母さんの様子がおかしくない?」
「筆頭も色々あるんだろ」
「母さん、でしょ」
「う……早く二分経ってくれ……」
若い二人のそんな会話が聞こえてきて、アリシアはいつものように顔を上げた。本当にジャンの写真が欲しいと思うならば、筆頭大将という立場を利用してどうにかなる。今に拘る必要はないと結論付けると、いつもの自分に戻れた。
「はい、二分経ちました。動いて結構ですよ」
カメラマンがにこやかに言い、二人はホッと息を吐いている。
「やっと終わったな」
「どんな風に撮れているのかしら。気になるわね」
「現像に少々時間をいただきますが、明後日にはお届けできるかと思います」
「そう、ありがとう。楽しみにしているわ」
折角の写真だ。本当にうまく撮れていればいい。二人とも少し引きつってはいたが、幸せな様子は変わらず写し出されているだろう。
出来上がった写真を二人して覗き込む姿を想像し、アリシアは自然と笑みが零れた。そんなアリシアにジャンは問いかけてくる。
「これからどうする、筆頭」
「後はパーティを楽しみましょう。あなたたちも自由になさいな」
「わかったわ。もう少し踊っていきましょう、グレイ」
「仰せのままに。女王様」
二人がつつき合いしながらフロアに戻る姿を見送り、アリシアはジャンを見上げた。
「私たちはどうしましょうか」
「俺たちも踊らなきゃじゃない。小さなお姫様を虜にするために」
「そうね……じゃ、踊りましょう」
そうして二人はまた踊り始めた。アンナとグレイも、周りの視線を虜にしながらくるくると楽しそうに舞っている。底知れぬ体力の二組はそれから休むことなく踊り続け、その時間を楽しんだ。
そしてやがて、終演の時刻が近付いてきた時。ジャンがふと視線を寄越してくる。
「アリシア、ルティーの様子がさっきからおかしい」
その言葉にすぐダンスをやめ、アリシアは彼女の方を確認する。ルティーは壁にもたれて座り込んでしまっていた。
「どうしたのかしら、行ってくるわ」
「あ、待ってアリシア。トラヴァスが行ってくれてる」
フロアでジッと様子を見ていると、トラヴァスがルティーに近付き、何事かを話しかけてくれている。そして彼はおもむろに彼女を抱き上げ、どこかに連れていってしまった。
「あら、お姫様抱っこ」
「寝ちゃってたのかな。もう十一時だし。多分家まで送り届けてくれるよ」
「そうね」
そうして二人はダンスを再開した。ルティーの目を気にしなくてよくなったアリシアは自由に踊り、ジャンもまたそれに合わせて楽しそうに踊ったのだった。




