28.これが、あなたの望んだ〝力〟なのですか?!
フリッツとルナリアの仲を知ったレイナルドは激昂し、二人を一ヶ月の謹慎処分、その後も監視をつけることとなった。
ヒルデにルトガー、そしてシウリスも相手サイドに怒りを高めている。
一般の騎士には詳しい事情を知らせていないが、二人の謹慎と監視の強化、そして王族のピリピリした態度でなんとなく察してはいるようだ。
「王宮の空気が悪いわぁ……」
「寒い時期ですが、ちゃんと換気はしておりますよ」
「換気で人の心もスッキリできないものかしら」
「それは難しいですね」
副官のルーシエは少し困ったように笑っている。
やはり、レイナルドに言わない方がよかったのだろうか。しかし、万一のことがあってからでは遅いし、可哀想だが引き離すしかなかっただろう。
ヒルデとシウリスは会うたび『そっちが唆した、被害者はこっちだ』と言い張りあっていて、険悪な雰囲気に周りの騎士は身が持たなくなっている。
すでにあれから一ヶ月以上経って年も明け、二人の謹慎は解けている。しかし厳しい監視と当人の保護者であるヒルデとシウリスが、二人の対面を決して許さなかった。昔のまま普通の兄妹仲でいてくれたなら、と思ったところでどうしようもない。
異常な状況の中で、お互いだけが気を許し合える関係だったのだから、そうなるのも仕方なかったと言えるのかもしれないが。
「まぁ、考えていても仕方ないわね。仕事するわ」
「ではアリシア様、こちらの書類を……」
ルーシエが紙の束を持って来て、ドサっとアリシアの机の上に置いたその時だった。執務室の扉が唐突に開かれる。
「筆頭!!」
いつもは規則正しくノックするはずのマックスが、慌てて飛び込んできた。
緊急事態だと察したアリシアはすぐに席を立ち、剣を携える。
「どうしたの!?」
「ルナリア王女様が、暗殺されました!!」
「なんですって!?」
アリシアは机の書類をそのままに、マックスとともに部屋を飛び出す。
「なにがあったの?!」
「まだよくわかってません! 護衛の騎士も一緒に死んでいます!」
急いでマックスの後についていくと、そこはルナリアの部屋だった。中ではルナリアが仰向けに、護衛の騎士が彼女に被さるように倒れている。
「誰も触っていない?」
「はい、最初に発見した時のままだと思います」
「マックス、医療班を呼んできて」
「はっ!」
マックスがすぐに出ていき、アリシアは辺りにいた騎士たちを避けさせて中に入った。
「発見者は誰?」
「はい、私です……」
周りを見回しながら聞くと、バルコスという髪の薄い古参騎士が震える手を上げた。完全なるリーン派の人間だ。特にルナリアを慕っていたので、その死に狼狽は隠せないようだった。
「その時の状況を聞かせてちょうだい」
そう言いながら、アリシアは手をルナリアの首に当てる。すでに脈はなく、人形のように横たわっているだけだ。
ざっと見るに大きな外傷はない。騎士の方も同様で、抜剣すらしていない。おそらくは毒殺だろう。蘇生術を施しても、解毒剤がないのでは意味がない。
アリシアの胸がざわざわ音を立てる中、バルコスは説明を始めた。
「ルナリア様の部屋の前で、私は警備をしていました……交代の時間までにはまだ十分ほどあったのですが、もう次の警備兵がやってきて、交代してしまったのです……っ」
「警備交代の際には、次の騎士の顔と名前をしっかり覚えておくようにと言っていたはずだけど?」
「すみませんっ! 最近は若い兵が多くて覚えきれず……っ」
「処罰は後でするわ。続けて」
真っ青な顔で冷や汗を掻いているバルコスを見て、怒りを覚えながらも先を促す。
「休憩所に行くと、ニコラがいたんです……その時に、今日の次の警備は彼だったと思い出しまして……」
しどろもどろで説明する隣から、そのニコラが前に出てきた。
「まだ僕が交代に行ってないのに、バルコスさんが休憩所に来るからビックリしたんですよ! 交代してないのに休憩しに来ちゃったんですかって聞いたら、次の警備騎士が来たからって言われて! 次の警備は僕だから、そんなはずはないって、急いで二人でルナリア様の部屋に戻ったんです!」
「そうしたら、もうこんな状況だったというわけ?」
「はい……っ」
粗方の話を聞き終えたところで、マックスが医療班のゾルダン医師を連れて戻ってきた。
ゾルダンは慌てず騒がず、部屋の中へと入ってくる。
「マックス、バルコスを調査室に連れていって、こうなった経緯を聞き、交代すると言った警備兵の特徴を聞き出してちょうだい。そのあとはルーシエに報告、必要な指示はそっちで出してもらって」
「はっ! バルコスさん、こちらへ同行願います」
マックスがとぼとぼと歩くバルコスを連れて出ていくと同時に、目の前に来ていた大柄のゾルダン医師が溜め息を吐いた。
「どうですか、ゾルダン先生」
「毒殺、だろうな。この状態ではもう医師にできることはなんもないわ」
すでに事切れている状態の二人を見て、ゾルダンは頭を振った。
なんの毒が使われたのかの調査には時間がかかるし、蘇生への道は完全に断たれている。
もう、受け入れる以外にはないだろう。ルナリアの愛らしい顔を見て、どうしてこんな幼い子が殺されなければいけなかったのかと心を痛める。
暗い気持ちに陥っていると、遠くからズンズンと足音が聞こえ、周りにいた騎士が敬礼を始めた。
誰か王族が来たのだと判断し、アリシアとゾルダンも立ち上がると、肩口に拳を当てる敬礼をする。
「どけ!! なにがあった!! なに……が……ッ!!」
まだ十七歳だというのに一九〇センチはあろうかという大きな体が、扉から入ってくる。
そして倒れているルナリアの姿を見て、彼は一瞬固まってしまった。
「シウリス様……」
なんと声をかけていいのかわからず、シウリスの動向を見守るしかなかった。
シウリスはよろよろとルナリアに近付くと、護衛騎士の遺体を蹴り飛ばし、ルナリアの体を抱きしめる。
「ルナリア、ルナリアーーーーッ!!」
その絶望色に染まったシウリスの顔を、アリシアは知っている。
ラファエラが殺された時。マーディアを殺してしまった時。そして……これで三度目だ。
その中でも今回は、アリシアの胸まで引き裂かれそうになった。シウリスは悲しみと憎しみと恨みで、気が狂ったように叫んでいる。溢れ出ている涙が、逆に恐ろしく感じるくらいに。
ルナリアの名を叫ぶ慟哭は、誰にも止められずただ見守るしかなかった。
誰もが沈鬱な表情を見せる中、しかしただ一人、その状況を壊す人物が廊下から顔を覗かせる。
「あら、騒がしいと思ったら、小娘が死んだの?」
高飛車な笑い声と共に、ヒルデが入ってきたのだ。そんな彼女をシウリスが業火をほとばしらせながら睨みつける。
ヒルデは一瞬ビクリとしたが、負けまいと不敵に笑っていた。
「わたくしのフリッツを誘惑するから、きっと罰が当たったのね」
シウリスの顔に怒りが加わり、憎悪の瞳は戦慄を呼ぶ。未だかつてこんな形相を、アリシアは見たことがない。背筋を凍りつかせながら、二人を見るしかなかった。
「貴様がッ!! ルナリアを!! 殺したんだろうッ!!」
「んま、なにを証拠にそんなことを? それ以上言うと、いくら義理の息子でも、ただじゃおきませんわよ」
オーッホッホと勝利のような笑い声だけを残してヒルデは去っていく。
ヒルデを嗜めたかったがそんなことはできようはずもなく、ただ悔しさを噛み締めた。アリシアでさえもこうなのだから、シウリスはどれだけつらく苦しいだろうか。
彼はすごい形相のままルナリアを抱きしめていたが、しばらくするとその顔からふと表情が消えた。そしてそっとルナリアの遺体を床に戻すと、ゾルダンの方に顔を向けている。
「ルナリアをきれいにしてやれ、ゾルダン」
「は、はい! かしこまりました!」
「アリシア、話がある。お前の執務室でよい」
「っは。ではこちらへ」
アリシアはルナリアの部屋を後にし、己の執務室へと向かった。
シウリスは闘技場で剣技を磨いていたのか、紺鉄色の騎士服だ。もちろん、王族とわかる特別仕様であったが。
常に貪欲に力を追い求めるシウリスが後ろを歩いている。アリシアはその威圧感と殺気で押しつぶされそうになりながらも、執務室に辿り着いた。
扉を開けると、そこにはルーシエ、ジャン、フラッシュ、マックスら直属の部下たちが勢揃いしている。
「あ! ひっ、とー……」
扉を開いたアリシアの後ろの存在に気付いたフラッシュが、慌てて敬礼をした。続いて皆も敬礼し、シウリスを迎え入れる。
「こいつらがお前の直属の部下か」
「はい、左からルーシエ、ジャン……」
「名前はいい。こいつら全員を殺すことになるかもしれんからな」
聞き捨てならない言葉に、皆の空気がピリッと強張る。
もちろん、ここにいる者に殺される理由などなに一つない。
「どういう意味か、伺ってもよろしいでしょうか」
「貴様らには、ルナリア殺害の犯人探しをしてもらう」
「はい、それはもちろんですが……」
アリシアはシリウスの意図がわからず、眉根に力を入れた。
つい今まで表情のなかったシウリスの顔に、再び怒りが灯っている。彼は拳をグッと強く握ると、怒声を吐いた。
「そして、直接手を下した者だけではなく、黒幕も必ず見つけ出せ!」
黒幕、とは、おそらくヒルデのことを言っているのだろう。
まずは犯人を捕まえて拷問、依頼主の名前を聞き出すというのはセオリーではあるが、黒幕の名前にヒルデが上がってくるとは限らない。
「まるで、裏に誰かがいると思っていらっしゃるような口ぶりですが、その根拠は……」
「ヒルデに決まっているだろう」
氷のように冷たい物言いに、アリシアは思わず口を閉じた。その代わりとでも言うように、今度はルーシエが声を上げる。
「恐れながら申し上げます。王妃様以外にも、糸を引く者がいる可能性はあると思われますが」
「いいか、よく聞け。俺は今、〝ヒルデに決まっている〟と言った」
ここにいる全員が、シウリスの言葉にゴクリと息を飲んだ。考えるだに恐ろしいことを、この王子は平気で言ってのけたのだ。
「シウリス様、つまり、それは……」
「全力で証拠を探せ。なければ……作れ」
ゾゾゾ……ッと背中に悪寒が走ったのは、アリシアだけではなかっただろう。
しかしシウリスはこの場にいるものをさらに凍りつかせる言動を続ける。
「わかっているとは思うが、このことは他言無用だ。もしも漏洩したり証拠を作り出せなかった時には……」
シウリスはその体躯に見合った長剣を抜き、ひとりひとりの首に向けている。
切っ先が遠くとも、無防備に剥き出された首は、彼の身体能力を持ってすればゼロ距離に等しいものだ。
「その首、俺が一人残らず胴から切り離してくれる。覚えておけ」
その復讐に狂った本気の眼光。言う通りにできなければ、本当に全員の首が斬り落とされるだろう。
部下を守ってシウリスと戦えるか? アリシアの答えは否だった。
この王子は強過ぎる。おそらく、このストレイアに存在する誰も、彼には勝てない。シウリスの持つ、深い復讐の剣には。
(シウリス様……これが、あなたの望んだ〝力〟なのですか!?)
アリシアはそう諭したくも、声にすることはなかった。己と、そして大切な部下たちの死期を早めてしまうのを恐れて。
ルナリアという、唯一の希望が失われた。
彼はもう、修羅と化してしまったのだ。
「ック、ハハハハ!!」
剣を抜かれ、凍りついた一同を見て、なにがおかしいのかシウリスは笑った。
この王子の考えていることは、アリシアにはもうさっぱりわからない。
「貴様らにも一瞬、絶望の色が窺えたぞ?」
俺の気持ちがわかったかと言わんばかりにシウリスはそう言った。
こんな歪んだ方法でしか、自分の気持ちを表現できなくなってしまったのだろうか。もう彼を元に戻す方法など、存在しないのだろうか。
「ふん、まぁよい」
カシャンと剣を納め、歪んだニヤリとした恐ろしい笑みをアリシアに寄越してくる。冷や汗がアリシアの頬を伝う。
「もし見事証拠を集めた暁には……そうだな、なんでも望むものを一つ叶えてやろう。俺は優しいからな?」
そう、絶望色の笑みだけを残して、シウリスはようやくアリシアの執務室から出て行ったのだった。




