24.一緒に寝たの?
アリシアが着替えを済ませてカーテンを開けると、そこは雪景色だった。年末は降らなかったので、久々の雪である。
「道理で昨夜は冷えたはずだわ」
寒そうな外を見ると、体が勝手にぶるりと震えた。
ふと、宿舎にいるジャンは凍えてはいないだろうかと気になる。しかし彼が宣言した通りならば、昨夜ジャンは宿舎にいなかったはずだ。
そう考えると、アリシアの胸は痛んだ。ジャンが誰と過ごそうと自由であるはずで、胸を痛める必要はないというのに。
その日は仕事始めとなる騎士が多いため、隊長以上の者が集められ、王レイナルドからの言葉があった。その後アリシアも休暇でたるんだ騎士たちに檄を飛ばす。毎年の恒例行事ではあるが、そうすることで自分の気も引き締まるのだ。
それが終わると自分の執務室に戻り、直属の部下たちを執務室に入らせた。
「筆頭、今年も見事な新年の挨拶でした」
「やっぱ筆頭のあの怒声がないと、年が明けた気がしねーもんな!」
「怒声ではなく叱咤激励ですよ、フラッシュ」
「いつも思うけど、よくぶっつけ本番であれだけの演説ができるね……前日に言葉を考えたりはしてないんだろ?」
「もちろん! だって昨日は爆睡しちゃってたもの!」
「「「「胸を張って言わないでください」」」」
アリシアがジャンの質問に答えると、部下四人に同時に突っ込まれてしまった。それでもフンっとアリシアは鼻息を鳴らす。
「演説なんて、その時に思ったことをそのまま言葉にすればいいのよ。難しいものじゃないわ」
「よ! さっすが筆頭!」
「簡単に言いますけど、中々できませんよ……ルーシエならともかく、俺やジャンは前日に演説を考える派だな……」
「ん? 俺は!?」
「フラッシュは当日に、中身のない演説を楽しそうにする派」
「わはは! そんな風に見えてんのかぁ!」
「言えてますね」
「中身空っぽだな」
「あははっ! でもフラッシュの演説は、中身空っぽでも説得力がありそうねぇ」
「ていうか、そもそも俺が演説することなんかないんだよなー。みんな想像力豊かだぜ!」
明らかに馬鹿にされているにも関わらず、まったく意に介さずにさらりと流して笑ったフラッシュを見て、みんなはまた笑った。
アリシアの執務室で直属の部下四人が揃うと、こちらでもまた新年の恒例行事だ。
「さて、今年もまた一年が始まったわ。ルーシエ」
「はい」
「あなたは今年も私の副官として補佐をしてもらうわよ。胃薬は常備しておきなさい」
「……はい」
ルーシエはすでに胃を押さえながら返事をしている。アリシアはそんなルーシエに笑顔を向けた後、ジャンに向いた。
「ジャン」
「うん」
「あなたには諜報活動をしてもらってるけど、あまり独断で行動しないこと。私がいない時は、ちゃんとルーシエの指示を聞きなさい」
「……わかったよ」
いつも通り気だるそうにそう答えたジャンから、視線を順に移動させる。
「フラッシュ」
「うっす!」
「あなたはいつも通り大暴れしてなさい。それが一番よ」
「まっかせてください!!」
フラッシュは嬉しそうに、肩口に拳を当てる敬礼のポーズを取っている。それを確認して、最後にアリシアはマックスに視線を向けた。
「マックス」
「っは!」
「あなたの陰に徹する姿は評価するけど、今年はもっと前に出て行きなさい。私の直属の部下で、あなただけ周りの評価が低いのは、私が許せないわ」
「……けど筆頭、みんなと比べて俺だけ特化した技術はないですし……」
「なに言ってるの!? あなたは私が選んだ私の部下なのよ! 自信を持ちなさい!」
「……っは! ありがとうございます!」
マックスを叱責した直後、アリシアは笑みを浮かべる。そしてもう一度顔を引き締めて見せた。
「隣のフィデル国とは相変わらずの緊張状態。今は平和でも、なにがきっかけで戦争が起こるかわからないわ。私たちの役目はまず、戦争が起こらないようにすること。そして、有事の際には全力で戦うこと。これを忘れず、今年も一年頑張ってちょうだい」
「はい!」
「うん」
「っは!」
「うっす!」
部下たちの返事を聞いて、アリシアは頷く。
「今年もよろしくお願いするわ! さぁ、仕事に戻って!」
フラッシュはオッシャーと気合を入れて出ていった。それに続いて部屋を出ようとするジャンに、ルーシエが声をかける。
「ジャン。昨日はどちらに泊まったんです?」
アリシアの心臓がドキンと鳴り、ルーシエを見た。彼はまっすぐジャンを見据えていて、こちらを見ようとはしていない。しかし、アリシアを気遣っての言葉には違いないだろう。アリシアが一番知りたかった質問を、彼が代わりにしてくれたのだ。
「別に……」
「別にではわかりませんよ」
「……アリスのとこだよ」
そう言うとジャンは諜報活動に出るために部屋を後にする。残ったのは副官であるルーシエと、自称雑用係のマックスだ。
二人はアリシアの執務室でデスクワークをすることがあるため、それぞれに机を与えている。マックスは色々な人に用事を頼まれてしまうため、あまり執務室にいることはないが、そのせいで自分の仕事が溜まってしまっているのだろう。今日は腰を据えて己の仕事に取りかかるようだった。
「……アリス?」
どこかで聞いた覚えのあるその名前に、アリシアは首を傾げた。そんなアリシアを無視するかのように、二人は各仕事に取りかかっている。
「誰だったかしら……ルーシエ、わかる?」
「そんな女性は存じませんが、マックスなら知っているのではないでしょうか」
ルーシエの言葉を受けて、マックスは実に恨めしそうにルーシエを睨んでいる。その姿を見て、アリシアは唐突に思い出した。
「ああ、そう言えば! 以前マックスが女装した時につけた偽名が、アリスだったわね!」
「……うう」
嫌なことを思い出された、とでも言うように、マックスは顔を伏せている。そんなマックスに遠慮もなくアリシアは詰め寄った。
「ジャンは昨日、マックスの家に行ったの?」
「はい……宿舎は寒いからって。たまに来るんですけど、ハッキリ言って迷惑です」
「一緒に寝たの?」
「その言い方やめてください……雑魚寝ですよ、雑魚寝」
「女装はしたの?」
「するわけないじゃないですか! 俺は男ですよ!」
マックスは憤慨し、口をへの字に曲げている。それとは対照的にアリシアはホッとして口元を緩めた。
「そう、よかったわ……」
「それは災難でしたね、マックス。休みには彼女を呼ぶ予定だったのでしょう?」
「あ、ルーシエっ」
「彼女!?」
アリシアは目を見開いた。部下たちはそれぞれに誰かと付き合ったり別れたりしていたようだったが、こうして面と向かって彼女がいると言われたのは初めてだ。言ったのはルーシエではあったが。
「マックス、あなた今、恋人がいるの!?」
「……う、それは……」
「いますよ。もう五年も前から」
「そんなに長く付き合ってるの!? どうして結婚しないの、今すぐ結婚なさい!!」
アリシアがすぐに結婚を勧めるのは、雷神と結婚できなかった無念がどこかに引っかかっているからだ。誰にもあんな気持ちを味わってほしくはない。
「くそ……空気読めよルーシエ……」
「マックス、今日の仕事はもういいわ! 婚姻届を取っていらっしゃい!」
「筆頭……プロポーズする時くらい、自分で決めます……」
「そう言ってマックスはしないですよね? アリシア様を差し置いて、自分だけ結婚するわけにいかないと思っていますから」
「ル、ルーシエ!」
マックスは慌てて席から立ち上がり、何事か言い訳しようと手をもきゃもきゃさせている。しかしアリシアはそんなマックスに、冷たい目を送った。
「マックス、どういう意味? 私に遠慮してるの」
「っは、いえ、それはその……」
「してるのね」
「……はい……」
アリシアに凄まれたマックスはシュンと肩を落とし、項垂れている。
「そう言えば、あなたが宿舎を出てアパートに住み始めたのは五年前だったわね。私も早く気付くべきだったわ」
「……いえ」
「その恋人とは、将来をちゃんと考えているんでしょう?」
「はい、いつかは」
真っ直ぐに答えるマックスがいやに男らしく見える。小柄で中性的なマックスを見てそう思ったのは初めてかもしれない。そんな彼に、アリシアは微笑んだ。
「あんまり女の子を待たせるものじゃないわ。いつか、なんて日はないの。いつまでに結婚するのかきっちり決めて、彼女を安心させてあげなさい」
「ですが……」
「まだ私に遠慮するつもり?」
「……人に結婚を勧めておいて、筆頭の方こそどうなんですか。誰かいい人はいないんですか?」
睨むようにマックスに問われ、少し間を空けてからアリシアは答えた。
「私のことはいいのよ。ロクロウがいつか戻ってくるかもしれないし」
「いつかなんて日はないと言ったのは、筆頭ですが。いつまでか、ご自身で期限は決められてるんですか?」
そう言われて、アリシアは口を噤んだ。アリシアはロクロウを、お婆ちゃんになるまで待つつもりでいる。長生きしてロクロウに会うためだけに、甘いお菓子も少し我慢して。
しかし一生待つと言えば、それは嘘になってしまうだろう。あの時、アリシアはジャンに甘えてしまったのだ。寂しさに耐えられなくなった時、雷神の代わりをすると言ってくれたジャンに。
本当に一生雷神を待つのであれば、そのいつかは死ぬまでだ、と胸を張って答えられたはずだ。しかしジャンの言葉を受け入れたことで、その期限は曖昧になってしまった。アリシアが孤独に耐え切れなくなった時、なのである。つまりそれは「いつまで」ではなく、「いつか」になってしまったということだ。
なにも言えないでいるアリシアに、マックスは苦しそうに眉を寄せた。
「……どうしてジャンは昨日、俺の家に泊まりに来たんですか?」
「……寒かったから、でしょう?」
「あいつ、何度も寝言で筆頭の名前を呼んでました。それも、呼び捨てで」
「……」
「なんか、いつもと様子も違ったし」
どんな様子だったか、なんて聞くのは愚問だろう。アリシアにははっきりと想像できた。昨日、王宮の前で吐いたあの台詞。その時の表情。それを、マックスの家に行ってからでもしていたに違いない。
「前から感じてたけど、ジャンは筆頭のことを……」
「マックス」
言葉をルーシエに遮断されたマックスは、ハッと息を飲んでいる。それでも彼は、そんなジャンを見てしまったからなのか、声を荒げて続けた。
「筆頭は、どうしてジャンがうちに来たことを気にするんですか? それでもまだロクロウさんのことを愛してるって言えますか? ジャンがあんなにも……っ」
「マックス!」
再度言葉を遮られたマックスは、ぐっとこらえて言葉を飲み込んだ。そしてそのままアリシアに背を向けて、ドアノブに手をかける。
「すみません、頭を冷やしてきます」
そう言って、彼は出ていった。コツコツと足音が遠去かっていき、アリシアは動けぬまま立ち尽くす。やがてその足音が聞こえなくなると、そっと椅子に座った。
見ると、ルーシエは何事もなかったかのように、自分の仕事をこなし始めた。
「ルーシエ……」
「なんでしょうか、アリシア様」
「私の態度は、そんなにみんなを勘違いさせるものかしら」
「いいえ。むしろ勘違いなさっているのはアリシア様の方かと」
ルーシエの答えに、アリシアは首を捻らせる。アリシアの態度は、周りにジャンが好きだと勘違いさせるものであると思っていたが、それを否定されてしまった。
「私が勘違い? どういう意味?」
「憶測で物を言うべきではありませんでしたね。忘れてください」
「っむ」
こういう時のルーシエは頑固だ。絶対に口を割ってくれないことを、アリシアは知っている。アリシアは諦めて、自分の仕事に取りかかることにした、その時。
「彼とならきっと、幸せになれると思っていますよ」
手は作業を続けながら、そっとルーシエが呟いていた。




