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異世界リクルーター  作者: 味敦
第一章 ミツイ 異世界に降り立つ
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7.ミツイ、魔法使いになる(その2)


 エル・バランの家にやってきてから、1週間が過ぎた。

 屋敷の掃除はまだ終わっていない。朝から晩まで続けているが、数年分の埃がたまりにたまった家は、思いのほか難物だった。

 朝、夜の食事については外に食べに出ている。昼食は朝のうちに買ったものを弁当として食べる。公衆浴場が近いため、毎日埃まみれでやってくるミツイは、当初うさんくさがられたが、やがてエル・バランの家の掃除をしていると知れて3日目には同情されるようになった。外目からも手入れがされていない屋敷である、どれほど面倒な掃除かと思われたらしい。

 心配していたが、魔法文字らしきものは見ていない。壁の汚れなどはあちこちにあるので、そのうちどれかかもしれないのだが、区別がつかないので放っておくことにした。汚れと間違えて消してしまっているかもしれないが、そんなことを気にする余裕はない。


「あー、くそう……。今日はもういいだろ、おれ、疲れた……」


 ベッドにぐったりと横になり、ミツイは寝入ろうとした。

 掃除が終わらない理由のもうひとつは、これだ。ミツイのサボり癖である。一日中雑巾を絞っていたら手がかじかんでくるし、床を水拭きしていると全身が痛い。さらには監視の目がないので、集中力が切れるともうだめだ、続かない。1週間で屋敷の半分は掃除を終えたのだし、もういいんじゃないだろうか、そもそも掃除の用具が箒とちりとりと雑巾とバケツだけなのだ、洗剤とかがあればもう少し汚れを落としやすいだろうに。


 だが、幸いなことに、しばらくサボればまた再開する気になる。掃除が進まない要因には脱線もあると思うのだが、話し相手もなく、誘惑されるゲームやマンガもない状況だと、掃除が娯楽だ。目に見えて変化があるので、ひそかな達成感がある。磨けば綺麗になる床は、一種のゲームのようだった。


 餞別にもらった杖を使った鍛錬も行っている。同じことばかりしていると気が滅入るのだ。床に這いつくばり、雑巾がけを続けていると腰と背中にクる。全身運動で体をほぐして、なんとかしのいでいる状態だ。素振り程度だが習っておいてよかった。


 毎日掃除をしているうちに、心ひそかに決めたこともある。

 エル・バランに、自分の身の上を打ち明けて相談しよう、というものだ。

 この世界にやってきてもう2週間近い。何の間違いだかは分からないが、ミツイがこの世界に来てしまった以上、原因はあるのだろう。それに先例があってもおかしくない。先例があれば帰還の方法だってあるはずだ。

 エル・バランは宮廷魔術師だという。それなら、一般人に尋ねるよりも答えが返ってくる可能性が高いのではないか。


「ウチが来るといっつも寝とるなあ」


 ベッドの上で悶々と考えていると、キャシーが呆れたように見下ろしてきた。


「うわ、また現れた!ってか、なんでいつもノックもせずに部屋に入ってくるんだよ!?」


 キャシーは時折やってくる。エル・バランの屋敷内に部屋はあるが、住んでいるわけではないらしく、ミツイが心折れてサボろうとすると顔を見せるのである。


「みんなのアイドル、キャシーちゃんやんか。もっと喜んだらどうや」


 そんなことを言われても、言われるからこそ喜べない。掃除を手伝ってくれるわけでもないし。ただ、キャシーの存在はありがたくもあった。本の部屋から出ても来ないエル・バランとは会話がなく、また食事を一緒するわけでもないので、ミツイは会話に飢えている。


「なあ、いつまで続くんだ、この掃除。てか、あれだよな、おれ、頑張ってるよな?」

「うんうん、見違えるようや。床にこないな装飾がされてるなん、ウチはじめて知った」


 褒められたのに、なぜか馬鹿にされてる気がして、ミツイはハアと息を吐いた。

 屋敷内の床には、全室に渡って模様が描かれている。部屋によって模様が違うため、装飾なのかあるいは魔法文字というものなのか、ミツイには判断つかない。とりあえず水拭きでは消えない類の模様なのだ。


 この世界の文字はミツイにとっては絵のように見える。絵に文字が組み合わされているようで、法則性は今のところ見出せていない。店屋の看板に書かれた文字から、「○○屋」のようなことが分かるのでは、と思ったのだが、そちらの方も期待薄だった。パン屋や公衆浴場など必要な店については、連想させる絵が看板になっているので、文字が読めなくても分かるので困らないのだが。


「とりあえずは、エル・バランの研究が一息つくまでやなあ。だいぶ進んだんとちゃう?」

「何を研究してんだ?エルさんは」

「よく知らんなあ。今は魔法文字についてみたいやけど」

「あれ、キャシーは仕事仲間って……」


 ミツイが聞き返そうとした瞬間だった。


 ドオン!ドンドンドン!


 足元から響く音に、ミツイが仰天する。真下から突き上げられるような衝撃が来た。

 地震かとベッドにしがみつこうとするミツイだが、ベッドごと宙に放られるような感覚に声も出ない。


「なっ……なん……」

「あかん!エル・バランの阿呆、失敗しよったな!」


 キャシーが飛び上がりながら叫び、急いで部屋を出て行く。

 不穏な言葉を聞いたような気がして、取り残されたミツイは呆然と入り口を見やった。


「おれも、行くべきか?部屋に篭ってた方が安全か……?」


 迷いはしたが、部屋にいても不安なだけだ。それに、もし脱出の必要があれば二階にいるのは問題だった。ミツイは、もし戻って来れなくても困らないようになけなしの荷物をすべて持って部屋を出た。




 廊下はすでに異常だった。

 床の模様が白く発光している。例えるなら夜中に見えるネオンのような輝き方だ。イルミネーションと呼べば美しいが、肌に触れたら病気になりそうな色なので、避けて歩いた。歩きづらくてたまらない。

 ミツイは慎重に足元に気をつけながら階段へ向かう。再び衝撃が来ることへと備えつつ、細心の注意を払って階段を下りていく。


 玄関ホールにエル・バランが佇んでいた。珍しい、とミツイは思う。エル・バランが本の部屋から出ているところを、ミツイははじめて見た。

 エル・バランの足元には巨大な魔方陣が光を発している。黒ずくめで銀の髪を宙に浮かべた彼女を中心に据え、光の螺旋が円を描く。魔方陣にはこの世界の文字が描かれているようだが、ミツイには読めない。

 エル・バランはゆっくりとミツイの方へと振り向いた。


「キャサリアテルマはどこだ」

「……は?」

「キャサリアテルマだ。おまえの世話を申し付けていた」

「……キャシーのことか?それなら、あかん、とかって叫んで部屋を出てったけど」

「また逃げたか」


 エル・バランは小さく吐き捨てるように言ってから、玄関へと歩を進める。エル・バランが動くのに合わせて魔法陣もまた移動していく。床に描かれた絵が水平移動する様子は奇妙だ。


「ついて来い」


 有無を言わせぬ言い方に、ミツイはおそるおそる従った。どうやらエル・バランの動きに合わせて移動しているらしい魔法陣を踏むのは精神的にも躊躇われたので、光を放つ部位に触れないよう、これまた注意して歩く。




 エル・バランは玄関を抜けると、門へ向けて移動する。両サイドに石像が並んでいた一帯だ。

 どこへ行くのかと固唾を呑んで見守るミツイの目の前で、エル・バランは石像に触れた。


「なっ……!」


 灰色に染まっていた石像が、色を取り戻して息を吹き返す。

 精巧だとは思っていたが、動き出してみればいかにもリアルだった。

 灰色に染まった姿では凹凸程度にしか分からなかったものが、動き出してはじめて分かる。

 服装は千差万別、性別も男女共にいる。身に着けている物を見ると、魔術師風のローブ姿や、騎士、平民など多種に渡っていた。総勢、10名。


「なななな……い、石が、人になった!」

「異なる。石が人になるのではない、人が石になったのだ。それを解除したのみ」


 淡々と告げて、エル・バランはため息をついた。そのとたん、魔法陣が消え失せる。

 よろりとよろけて額に手をやり、エル・バランは首を振った。


「さすがに消耗が大きいか。イレーヌめ、面倒な土産を残しおって」


 元の姿に戻ったらしい10名の人々は、疑問を口にしながらエル・バランへと説明を求める。

 右から左から声をかけられて辟易した様子のエル・バランへ、騎士風の男が代表して声をかけた。


「そこにおわすのは宮廷魔術師エル・バラン殿とお見受けする。此度の事態、説明をお願いしたい。

 我々はいったい?ここはどこでございますか」

「おまえたちは魔法で石化していたのだ。治療を求められ、この屋敷に集められたが、このたび解呪に成功した。

 どのくらい石化していたのかは個人差もあるだろう。自分で確認しろ」

「し、しかし……。石化魔法というと、いったい誰に。エル・バラン殿、まさか……」

「自分だとでも?」

「いえいえ、とんでもない!ただ、その、お心当たりがあればと」


 ぴくりと眉根を寄せて、不機嫌極まりない、といった風にエル・バランは口を開く。


「知らん。衛視団で調査をしているらしいから、そちらに聞け」

「……はっ、失礼しました」


 深々と頭を下げた後、騎士風の男は引き下がった。状況が掴めていない他の者たちを促し、屋敷を出ていこうとする。


「我らは衛視団へと向かいましょう。おのおの方、覚えておられることもあるかと思います。衛視団に話した後、それぞれの家へお送りいたします」

「けど、騎士さん。魔法だなんて、こう、大丈夫なのか?おれたちは」

「エル・バラン殿は宮廷魔術師です。後遺症が残るような治療はされません。それよりも、お早く。長くいてはエル・バラン殿のご負担となりますゆえ」


 エル・バランの機嫌を損なうのは失策と見たらしい、騎士風の男は早々と退散を決め込んだ。

 騎士風の男に連れられ、ぞろぞろと一同が屋敷を出て行く。その様子を見やりながら、ふと視線を感じてミツイはエル・バランへと顔を向けた。

 物問いたげな視線だが、ミツイには心当たりがない。首をかしげて見返していると、エル・バランはあさっての方向へと目をそらした。


(なんだったんだ、いったい?)


 全員がいなくなった後、門が閉じる。と、それを狙ったかのようなタイミングでキャシーが草陰から姿を見せた。


「いやぁ、急にやるからビックリしたで。巻き込まれたらどないするつもりやったん」

「別にいいだろう、そのくらい」

「よかないわ!ウチにとったら死活問題やで!慰謝料を要求するとこや!」

「勝手にしろ」


 ぎゃいのぎゃいのと騒ぐキャシーを尻目に、エル・バランはミツイへ声をかけた。


「ミツイだったな。ご苦労だった」

「え?いや、おれは、なにも?」


 自分が何をしたというのだろう。本気で分からず首をかしげたミツイの様子に、エル・バランがキャシーを睨む。


「キャサリアテルマ、説明してないのか」

「ちゃんとしたで?ミツイの最初の仕事は掃除やって」

「……説明になっていないだろう」

「だったら自分でしたらええやん。他人任せにして怒るんは筋違いやで?」


 頭痛を抑えるかのように額に指を当て、イライラした様子で首を振った後、エル・バランはミツイを呼んだ。


「清掃だ」

「は?」

「屋敷の陣を復元するには、あれしかなかった。魔法文字による術は、通常よりも固定値が高い。解呪するのには、自分の魔力では増幅が必要となる」

「ええと?……ああ、そういうことか」


 つまり。先ほどの労いはミツイの掃除に対してだったのだ。石化していた人間を元に戻すと知っていれば、もう少し掃除にも気合が入ったのに、とミツイは思ったが、飽きやすい自分ではやっぱりこの程度のスピードでしかなかったかもしれない。


「さっきの解呪魔法ってさ、石化して腕が落ちた場合でも有効なのか?」

「可能だが、すでに欠損しているのであれば、神官の上位魔法の方が有効だ。誰か、石化した者でもいるのか?」

「あ、ああ。うん……、衛視団に。けど、神官さんに頼まないとって、そういや言ってた気がする」

「そうだろう。自分の魔法は、解呪はしても治癒はしない。神官の魔法は解呪はしないが状態異常を治癒できる。症状の回復という意味合いでは似ているが、大きく異なる」


 クールビューティだが、この人はいい人らしい。男か女かいまだによく分からないし、イケメンは死ね、なんて思った時期もあったけど悪かったな。ミツイはそう結論づけた。


「なあ、エルさん。相談したいことがあるんだけど、いいか?」

「……エルさん?」


 ミツイの呼称に戸惑うエル・バラン。気にせずミツイは言葉を続けた。


「実はさ、ちょっと信じられないだろうけど、おれ……」


 ぐきゅるるるるるるる~~~~


 神妙な口調で身の上話を始めようとしたミツイは、奇妙な音に遮られた。

 何の音だ、と周囲を見回そうとしたミツイは、目の前の長身の美形がふらりと倒れこむのにぎょっとする。

 美形は倒れても美形らしい。くたっとした様子で地面に膝をつく。


「あーあ、限界やな」

「ちょっ、キャシー?エルさん、どうしたんだよ、これ?」

「腹ペコで倒れたんよ。1週間、なーんも食べてへんもん。その上後先考えんとあないな魔法使いおって。自業自得や」


 話ができるのはもう少し先らしかった。


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