60.ミツイ、傭兵になる(その1)
サンド・ウォームを倒すのは骨が折れた。
ミツイがひたすら時間稼ぎに徹している間に、ハイネスが精神集中を行い、『浄化』の魔法をかけたのだ。
かなり時間はかかったが、『浄化』の魔法が発現したとたん、サンド・ウォームはぐずぐずと崩れ落ちていった。
キマイラ相手の時には分からなかったが、魔法を発現させているハイネスを、光が取り巻いていた。
金色の輝きである。
エル・バランの講義を思い出して、ミツイは一瞬身を強張らせた。
『火であれば赤、水であれば青、土であれば黄、風は緑だ。それ以外の魔法は白い輝きを放つのが一般的で、ごくごく稀に金や黒といった魔法もあるらしいが、そんなものを使いこなせる者はこの国にはいないだろう』
エルデンシオ王国では、まず使いこなす者がいないという魔法。
『石化』と同じように、おそらく正式名称は他にあるのだろう。
ひくり、と顔を引きつらせながらミツイはサンド・ウォームのなれの果てを見やった。
全身が汗びっしょりである。足がガクガクして歩けそうにない。木の根元に座りこみながら、ハイネスが差し出してきた水をありがたく飲む。こくこくと水分が喉を通過すると、ようやく声が出せるようになった。
「『浄化』ってさ、ロイネヴォルクじゃ誰でも使える魔法なのか?」
紫色のオーラに包まれ魔物化した生き物を、魔物とそれ以外の部分に分離できる魔法。
ただし、魔物化したものを元に戻せるわけではなく、魔物化した相手限定の即死魔法といったところだろう。
発現まで時間がかかるため万能とは言い難いが、魔物化したサンド・ウォームを一撃で倒せるのは尋常ではない大技だった。
「すっげえ便利じゃん」
ミツイの期待した視線に、ハイネスは表情を陰らせて首を振った。
「いいや。『浄化』は魔法ではあるが、……適性のある人間にしか使えない。魔法に長けたエルデンシオ王国なら、使い手もいるかもしれないが、ロイネヴォルクには他にはいないな」
「なんでそんなのを、魔法が苦手なロイネヴォルクで使えるようになったんだ?」
「たまたまだ。私は……、もともと神官の資格がとれるよう修行をしていた。竜騎士になれるほど武芸に秀でている自信がなかったし、魔法への適性もあまりなかったからな。神官の修行の一環として、学んだのだ」
「……神官?」
ミツイはこの世界に来てから、そんなフレーズを聞いたことがあっただろうかと首をかしげた。
エルデンシオ王国では、神殿……ミツイに馴染みの多い例を使えば、神社仏閣や教会といったところだが、そのようなものは見かけなかった。神様がいるならそれくらいありそうなものだ。
そもそもエレオノーラや他の住人たちから、神様についての話題を聞いたこともない。
聞いたとしたら、エル・バランの口からだ。勇者は神に帰属するという説明があった。それくらいだろうか。
「ロイネヴォルク王国において、もっとも価値ある存在なのは、竜だ。そのため、神官になる者はほとんどいない。尊びはしても実益のない神よりは、すぐそばで守護を与えてくれ、竜騎士となるのに欠かせない友である竜の方を優先するのは当然だろう?」
「ああ、うん?そうかも?」
「最たるものが、現在は姫が務めている職だ。ロイネヴォルクでは代々、王族に連なる者が、竜族への最大の敬意の証として大使役を兼ねて竜の里へ赴く。竜騎士誕生のための立会人を務めるために」
「あー、ああ、なるほど」
「だが、私が修行をしていたのは、この世界の根源たる力を司るものに仕えるための職だ」
「根源たる力?」
「そうだ。ミツイは『勇力』という言葉を知っているか?」
「……」
ほんの一瞬、ミツイは口ごもった。それは賢者から聞かされたばかりの情報だったからだ。
だが、黙ったミツイを知らないからだと考えたのか、ハイネスはそのまま言葉を続けた。
「一般的には知られていないだろう。この世で唯一『魔王』に対抗できる存在、『勇者』だけが使えるという力のことを言うらしい。
数多くの『勇者』たちが過去に現れ、そして敗れていったが……、彼らが残した奇跡である『勇力』による技を、一般の者でも使えるように探求する仕事でもある」
「へ?勇者だけが使えるんだろ?それを、他の人間でも使えるのか?」
「『勇力』が使えるのはもちろん、勇者だけだ。
だが、それを魔法に転用したものであれば、他の魔法使いであっても使用可能だ。そうやって世に生み出された魔法もそれなりにある。この魔法の最大の特徴は……、魔獣との契約を必要としないところだ」
ハイネスは、それがさも重要であるかのように声を潜めたが、ミツイは目をぱちくりさせただけだった。
「事の重要性がピンと来ないか?まあ、そうだろう……、エルデンシオ王国では、魔獣と契約が結べないような者は早々いないだろうからな」
ハイネスは苦笑いを浮かべた後、穏やかな表情に戻った。
「私は、魔法への適性能力も低かった。他に、国を護る力を身に着けるための選択肢がなかったんだ。
王子の側近をしていたこともあり、王子が竜騎士の資格を得てからは、再び進路を変えたが……」
ハイネスは決まり悪そうな顔で目をそらした。
ああ、なるほどとミツイは思った。
ヒナージュに相応しくなろうと思ったら、竜騎士になるしかなかったのだ。竜騎士になれば、姫君に求婚することも可能になる。ロイネヴォルク王国において、竜騎士というのはそれだけの価値がある。
(努力家でイケメン……!ああ、ちくしょう、ヒナージュのやつ、うらやましいんだけどー!?)
姫君を恋愛対象にできるハイネスに妬いているのか、一途に想って努力してくれるようなお相手がいるヒナージュに妬いているのか、ミツイにはよく分からない。どちらにしろ色恋沙汰に縁のない自分にはうらやましくてたまらない話だ。
(別に邪魔はしねえけど、できればこう、おれの見えないとこでやってほしい……)
からかい対象のコイバナは大歓迎だったが、そういうレベルを超えている。
この世界にやってきてからというもの、高校のクラスメイトをからかうような、そういう軽いノリの連中に出会えたことが一度もない。日々命がけで生きていると、やっぱり意識が違うのだろうか。
おれも神官に転職したら『浄化』の魔法が使えるかな、と軽い気持ちで尋ねようとした気持ちはどこかへと吹き飛んだ。
「どうしたミツイ」
「いや、なんかこう、世の中の不条理を感じた」
「確かにな……この光景を見たら、それも無理はない」
ミツイの考えていたこととはまったく異なる意味でハイネスはため息を吐き出した。
つられるようにして視線を向けたミツイの顔色が変わる。
ロイネヴォルク王国の首都は、廃墟だった。
戦場跡の惨状を考えれば、首都がこうなっているのは予想ができた。
ロイネヴォルク王国の首都は山の一部を切り崩して作られているらしい。切り立った斜面の一部を切り出し、そのまま形成したという城は、総石造りであり、城下町も高い城壁に囲まれた中に作られている。
平地にあるエルデンシオ王国とは趣が異なり、また、同時にミツイは、自分がずいぶんと高地に連れて来られていることを知った。空が近いというか、雲が低いというか、城の上はさぞ見晴らしがいいだろう。
緑がまばらで、砂交じりの乾いた風が吹き抜けていく。
城下町の周辺には畑などもあった。山の斜面を段々畑として切り開いているらしい。世話をしている人間がいないのか、作物の葉は枯れてしまっていたが、トウモロコシや豆、ジャガイモなどが育てられているようだった。
ロイネヴォルク国内に残った騎士たちは、首都の端あたりを根城として魔物に対してレジスタンス活動を続けているのだという。
今はまだ、資材も武器も足りず、国外に住民たちを逃がした竜騎士たちとの連絡もとれていない。だがいつの日か王国を復興するためには、この地を離れるわけにはいかない。
細い山道を馬で進むと、やがて首都が間近に見えてきた。
「……静かだな」
ハイネスに連れられて、ミツイは首都への入り口をくぐった。
石造りの建物はあちこち崩壊し、通路が崩れ落ちているために移動もままならない。人がいるのかどうかも分からないような瓦礫の山である。
かろうじて形が残っているのは城下町を覆っている高い城壁と、中央にある城のような巨大な建物だった。
ミツイの目に奇妙に映ったのは、城壁と城とに共通して、せり出した板のような形をしたものがあることだった。
目を凝らしてみれば、バルコニーのようなものだが、それにしては大きすぎる。
ジロジロと視線を向けているのが分かったのだろう、ハイネスが説明を加えた。
「あれが不思議か?
竜騎士たちの発着場所だ。彼らは、有事の際にはあそこから飛び立てるようにしている。城壁で敵の侵入を阻み、上空から竜で狙うのだ、この国を狙うには、どうしても低地から攻める必要があり、高地にいる我らからは一目瞭然。ロイネヴォルク王国の首都は、近隣でも随一の難攻不落さで評判だった」
だった、である。
すでにその面影はほとんど残っていないと言っていい。
ミツイにとって救いだったのは、瓦礫の山に見える建物の隙間に、人の姿がないことだった。
人の姿がないということは、戦場跡と異なり、遺体もないということである。
戦いに興奮していたあの時点ならばともかく、平静に戻っている状態ではあまり見たくはない。
「住人は……どうなったんだ?」
「魔物の本軍が攻め入ってくる前に、逃げられるアテのある者たちについてはあらかじめ逃がしていた。
敵が竜を魔物化させると分かった時点で、もはや城壁内に立てこもることのメリットが失われたからな。魔物化の影響が出にくかった竜騎士たちを護衛に、近隣の国々へと脱出をさせた。
最終的にこの城に残っているのは、竜がいなくても戦いたいと志願した兵士たちと、……脱出が叶わずに残された住人だ」
「えっ、な、なんで逃げられなかったんだ?」
「怪我をしていたなど、物理的な理由のある者もいたが。それ以上に、それが魔物化していたからだ」
「っ!」
「ロイネヴォルク王国には、いったん魔物化した人間を、元の人間に戻すことのできるほどの『浄化』の使い手はいない。ならば、魔物化した結果周囲を襲いはじめる可能性がある者を、そうでない者と同じ場所へ避難させるわけにはいかないのは分かるだろう」
「……」
「結果、家族に見捨てられた者たちが、この城の中には残っている。
魔物化が進めば我ら騎士によって討伐される……だが、暴走しないのであれば城内で暮らせる。そういった状況だ」
ハイネスは悔恨を瞳に載せたまま、首を振った。
おそらく彼は、魔物化した住人たちを斬り、あるいは『浄化』してきたのだ。ぐずぐずの姿に変えて。
「……すまないな、ミツイ。君に説明したところで、私の後悔が覆せるわけでもないのに」
「いや。聞くだけしかできねえけど……」
ハイネスは黙って首を振り、淡々と足を進める。
「エルデンシオ王国には特に世話になっているな。第ニ都市と言われる町、その一角には『ロイネヴォルク地区』とも言える居住区ができていると聞く」
「……」
ミツイは黙りこんだ。エルデンシオ王国の首都にいたころ、ロイネヴォルクの民の話などほとんど聞いたことがない。第ニ都市と言えば、ヘルムントの住む場所のはずだった。
「……へるむんがムカつくってそればっかだったけど、あっちにはあっちの事情もあったのかな……」
ミツイは小さく呟き、首を振った。




