57.ミツイ、珠拾いになる(その3)
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ミツイは目を覚ました。
見下ろしている人影に見覚えがある。女だ。背の高い女である。耳が不自然に尖っていて、額の左右に二本の角が生えている。肌の色は透けるような白で、髪の色は美しいまでの銀色だった。人間ではないのだろうと思うが、ではなにかと聞かれるとミツイには答えられない。一番近いのは鬼だろうか。
ミツイが寝かされているのはドームの中だった。大きさは直径7メートルほどの、小さく暗い部屋の中だ。
「これで五回目のやり直しか」
女は呆れたように言った。
「一度目は逃げ損ねて狼に食い殺された。二度目は娘に信用を得られずに飢えて死んだ。三度目は娘を逃がそうとして共倒れ。四度目は娘を置いて一人で囮になろうとして、結局娘だけ死なせた。
……五度目はどうだ?」
ミツイは返事ができなかった。血の色が広がるシーノの姿を思い出して、ミツイは目を閉じた。襲われた場面はいつも見ることができない。ミツイにその覚悟がないから、わざと見えないようになっているらしい。ホラー映画もスプラッタ映画も、殺人ミステリーだって見ることはできるが、知り合いの死ぬ場面はやはり嫌だ。
「いつまで続けるんだ、これ」
「おまえが知るまでだ」
「……知る?」
「おまえは生きるということを理解していない。生きるということは、死なないということではない。仕事をするということもまたそうだ。ただ働いているつもりになって、賃金を得ることは、仕事をしているとは言わない」
「……」
ミツイは目を閉じた。脳裏に浮かぶのはシーノの笑顔だった。
彼女は仕事にやりがいを感じている。父親が人生をかけて手がけた仕事を、誇りを持って続けている。自分の仕事が誰かの喜びにつながると考え、またそれに喜びを感じているのだろう。
シーノのところで働くのは楽しかった。礼として食事を得るという、ただそれだけのことだが、泳ぎができるという自分に、シーノは価値を感じてくれていたし、役に立てているという実感があった。
ミツイは、求婚のための宝石なんてものに価値は覚えない。それがどれほどの金銭価値があるかどうかにも興味を持ったことはなかった。だが、シーノがこれだけ熱く語るものに、価値がないわけがない。
「先人に敬意を払うことができないのは、おまえの中で、彼らが生きていると考えていないからだ。
この世界を、どこか幻かなにかのように感じているのだろう」
「シーノは幻で、この世界は本物なのか?」
「おまえの中では、どうだ」
「……どっちも、本物だと思う」
「ならばそうだ」
「どっちも幻だって言えば、そうなるのか?」
「思うことは可能だ。世の大半のことは、誰かの思い込みによって形成される。誰もが思い込めば、もはやそれは現実だ。真実がどうであったかは、誰にも分からず、また誰にとっても価値がないことになる。
おまえはシーノもこの世界も本物だと考えた。ならば、それが真実だ」
「違うんじゃねえか……」
ミツイは目を閉じた。泣きたいのに、涙が出なかった。ひどく空虚だった。喉の奥が渇いて、何も考えたくない。
記憶を消され、倒れているところからはじまる。
シーノに助けられて、彼女のところで働いて、狼を連れた男に殺される。
角の生えた女の狙いは分からないが、ミツイが正解を見出すまでこれは続くのだろう。
どうしたらいいのか分からない。名前も憶えていない『ミツイ』は、必死だった。目の前の状況に対して精一杯生きるのに、どうしてもうまくいかない。どうしたらうまくいくのか、ミツイには分からない。
「あの娘は、おまえの運命の中から抜いてきた姿だ。未来か、あるいは過去において、大きな影響を与える存在。
それが女の形をしていたことさえ、私の干渉するところではない」
ミツイは何も言えず、ポケットに手を入れた。
虹色真珠が一つ、ポケットに入っていた。透かせて見た後、邪魔なのでポケットに突っ込んだせいか。記憶を失くしても体の経験は続いているのだろう。剣が徐々にサビていくのも、おそらくはそのためだ。このまま剣の手入れの仕方を覚えることができなければ、いずれ狼を斬ることもできなくなる。
シーノの姿は、知り合いの少女に似ていた。だから、『過去において、大きな影響を与える存在』なんだろうとミツイは思う。
エルデンシオ王国に来てからというもの思い出しもしなかったが、それまでは毎日のように顔を見ていた少女だ。
それを、自分のせいで何度も殺される。……そういう映像を見せられる。体験させられる。悪夢だ。
「なんでだ?どうして、あんな……」
「おまえはそれしか聞かないな。考えろ。すべてのことには意味がある。どんなに無意味なことであってもおまえの人生にとっては意味があるのだ。
流されて生きるな。考えて生きれば、すべてのことには意味ができる。流されて生きた者には残らないものが残る。
それはおまえ一人に対してではない。おまえと関わったすべての者にとっても同様だ」
分からない。ミツイは首を振り、だが考えるのを放棄するのは止めにした。
足りない頭で考える、そうでなければ意味がない。
目の前の女は、ミツイを虐げて苛めているわけではない。精神をすり減らして苦しむミツイを見て喜びはしない。
ミツイのために魔力を使って、五回もの繰り返しをさせている。その時間と労力をかけてくれたことを、むしろ感謝しなくてはならない。
「泣いたら、楽になるかな」
「気晴らしにはなるだろう」
虹色真珠を陽に透かせようとして、ミツイは違和感を覚えた。ドームの中にいるのに、陽の光がさしこむわけがない。仕方なしにポケットに再度突っ込んで、ゆっくりと起き上がり、改めて周囲を見回す。
角の生えた女によってこのドームの中に寝かされて、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。
体内時間が正しければ、五回の繰り返しによって、累積一か月近い時間が流れているはずだった。
どうして泣くことさえできないのだろう。シーノの死を、現実のものだと思っていないのだろうか。薄情者、と自分を責める声を脳裏に聞いて、ミツイは奥歯を噛んだ。
「……もう一度チャンスはあるのか?今度こそ、シーノを助けるパターンも、あるんだよな?」
「ない」
角の生えた女は言った。
「残念ながら、もう時間がない」
この経験がゲームなどではないことは、ミツイは分かっていた。
シーノの存在も、狼を連れた男の存在も、目の前にいる角の生えた女が作った幻であり、その幻覚と現実が入り混じる世界にミツイは閉じ込められていたのだ。それが、ミツイにとって必要なものであると角の生えた女は言ったのだ。
弟子にして欲しいと尋ねたミツイは、四日間無視をされた。五日目に、この場所に連れて来られた。
「時間がない?」
では、自分はこの試練をクリアできなかったのだ。
膨大な時間をかけて、その目的を達成することもできないまま、このみじめな気持を引きずっておれは山を下りるのか。
「勇者が召喚されたのだ」
「……は?」
角の生えた女は、冗談を言っている顔ではなかった。
「いずれ勇者になれる器として、4番目の人物が召喚された。名に4の意味を持つ人物だ。おまえの時は所在を見失った各国上層部も、今度こそは逃すまい。
すでにロイネヴォルクが陥落している。魔王の脅威を身近に感じた人間は、どんな理不尽な真似でも平気でやることだろう」
角の生えた女は真剣だった。彼女が偽りを口にしたところも見たことがない。だが、それでも嘘だと言いたくなるのはどうしてだ。真実味を感じないのは、なぜだ。
「ちょっ……え、マジかよ?本気で言ってんの?ゆ、勇者?」
「私が一度でも冗談を言ったことがあったか?」
「ねえな。ああ、いや、そうじゃねえよ。ええーっと。そ、そうだ、……本当なんですか、それ」
相手から返答をもらいたかったら、こちらも敬意を示さなくてはならない。それが、一か月の間に、ミツイがようやく得た教訓である。
「この世界において、勇者は必ず魔王に挑まされる。そうでなければ勇者としては認められない。勇者として召喚した以上、勇者ではないとなれば、次を召喚するために殺される。それだけだ」
「な、なんでだよ?わざわざ喚んだのはそっちだろう?」
「神に祝福され、あらゆる加護が与えられるという勇者は、理を越えた存在になる。『勇力』が使えるようになる。『勇力』は、量が決まっているため、一度に複数の勇者が誕生した場合、それぞれの持分しか使えない。
総量が決まっているのだから、候補が複数いては弱体化するだけだ。だから見込みのない候補は殺しておく。
今は4番目だが、5番目、6番目と続くだろうな。
かつて召喚した勇者が魔王を倒した例は、一度しかない。その際には合計で700人以上の勇者が挑んで死んだ。
まっとうな戦士が勇者に転職した例の方がまだ成功率が高い」
「うげっ……」
ミツイは言葉を飲み込んだ。理不尽だと叫びたい一方で、アルガートのことを思い出した。
魔王とは魔物の王である。それは、ロイネヴォルクを襲い、竜騎士が敗走する原因となった存在のことだ。
一か月の繰り返しの間に、ミツイにも理解できるようになっていた。
魔物が人間を襲っているというのは本当のことだ。平和に見えるエルデンシオ王国のすぐ隣の国でそんなことが起きている。
間近に迫る脅威に、エレオノーラはともかく、ヘルムントたちがやろうとしていたことの片鱗が見える。
「……あの」
ミツイは問うた。
「その勇者候補も、日本から来るんですか?」
「ニホンというのがおまえの故国であれば、その可能性は高い。おまえは名に三の意味を持つ人物として召喚されている。召喚師は、法則を超えることはできない。それができるのは勇者のみだ」
「3の意味?……え、つまり、おれが三井だから、たまたま?そういう理由なのか?」
「たまたまだが、条件に合致していることは間違いない。召喚した際に召喚者の元へとたどり着かなかったのは、召喚中に事故が起きたか、あるいは召喚師の実力不足だ」
ミツイは愕然とした。
この世界にやってきた理由について、深く考えたことはなかったが、何かの間違いだとばかり思っていた。
残念なことに、何かの間違いであったことには違いないようだ。『召喚してはみたが、失敗だったから殺す』そういう対象。
「もうひとつ、聞いてもいいですか」
「どうした」
「その理屈で言うと。おれも、勇者になれるんですよね?」
「勇者になれる器として、召喚されたのだ。可能性はゼロではないだろう。可能性がゼロではなかったことが災いして命を狙われる対象とされているが、おそらくはこの一か月の間に死亡認定されて、次の勇者を召喚することにしたのだろうな」
角の生えた女の推測は、エレオノーラやエル・バランの語る推測とは違う。
賢者と呼ばれる女性の推測だ、むしろ正しいと思わない方が嘘だった。
一か月ほど前、ミツイはエレオノーラに希望の職種を伝えた。
”強くなれる仕事がいい””『これをしたい』って思った時に、それが実現できる職業””剣とか魔法とか使うような”
エレオノーラは言った。
『では、一つ試してみましょうか』
なんという話だろう。
つまり、ミツイはエレオノーラにこう告げていたということだ。
”おれは、勇者になりたい。守りたいものを、守ると自信を持って言えるような男に”
そして、失敗した。もう五回も。
「……ゴメン、エレオノーラさん」
ミツイは呟き、それからポケットの中から取り出した虹色真珠を見下ろした。
「ゴメン、シーノ」
再度ポケットにねじり入れて、ミツイはドームの中で立ち上がった。
残念ながら、ミツイという名前だけでは、ミツイは勇者にはなれなかった。賢者の試練をクリアすることができなかったのだ。シーノ一人守ることもできず、それどころか自分の身さえ守れない、ちっぽけな存在だった。
「どうするつもりだ?」
角の生えた女の問いかけに、ミツイはしばらく考えた。やりたいことはハッキリしているが、それをするための方法が分からない。
「とりあえず、エルデンシオ王国に戻りたいと思います。
おれに何ができるのかは分からないけど。とにかくあの国の状況が知りたい。おれは何ができなくて、でも、何がしたいのか。今度こそちゃんとそれを考えてみたい。
竜の里に行って、チビスケとリールディエルにまず連絡して……。可能であればリールディエルに人里まで送ってもらえないかと思ってるんですが」
「エルデンシオ王国か。ロイネヴォルクではなく?」
「魔王軍に襲われてるって状況なら、いきなりロイネヴォルクに行ってもおれにできることはないし。
それに。ロイネヴォルクに行くなら、それこそアルガートに話を聞きたい。
賢者の弟子って仕事を紹介してくれたエレオノーラさんに、残念な結果とはいえ、報告もしといた方がいいと思いますし」
ぎこちない丁寧語を使うミツイに、角の生えた女は笑った。
「竜の里に向かうのは止しておけ。契約を終えている竜であれば、本当に危険を感じて呼び出せばそれに応える。竜の里の方が安全だからな、人里に下りるのであれば、寄り道をするな」
そうか、とミツイは納得してうなずいた。チビスケは会えばついてこようとするだろう。わざわざ幼竜を竜の里に連れていったのに、それでは意味がない。幼竜である間、チビスケは危険感知以上の能力を発揮できないのだ。
「餞別だ。目を閉じろ」
「え?」
「おまえは召喚された存在だ。その最初の地点に導くくらいなら、私にもできる」
それはつまり、人里まで送ってくれるという意味だった。おそらくは、エルデンシオ王国首都のすぐそばまで。
「ありがとうございます、……その、賢者さま」
ミツイはそう呼んで、深々と頭を下げた。
様づけしている自分がひどく照れくさく、だが他に呼びかけが思いつかなかった。
賢者の手が大きく円を描く。それに応えるように魔法陣がミツイを囲んだ。転移魔法だろうと見当をつけたミツイが目を閉じようとした瞬間、賢者が驚いたように目を見開き、何事か叫んだ。
「……なんだ、これは!?」
何か不測の事態が起こったのだと気付いた時には、ミツイはすでにいずこかへと運ばれていた。
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ミツイ・アキラ 16歳
レベル???(エラー表示)
経験値:???/???(総経験値:???)
職業:珠拾い
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き、飛脚、剣闘士、魔獣使い、竜騎士(暫定)、探偵




