49.ミツイ、探偵になる(その1)
長老の様子が落ち着くまで、ミツイはその場に留まった。じっと様子を観察し、紫色のオーラの動きを見やる。
竜の巨体にまとわりつくそれは、キマイラのものとは違っていて、竜自身の理性とせめぎあっているようだ。
「なあ、長老さん。名前教えてくれねえ?おれと契約したら、病気治るんじゃねえの?」
『断る。われの魔力は、人間の手には余ろう。竜2匹分の魔力を持つ者といっても、それ以上は難しい』
ミツイの言葉に、長老は黙って目を伏せる。
ミツイには理屈は分からなかったが、ダメだというならひとまず諦める、もしくは別の手段を考えるしかない。長老の病状がどの程度進行しているか分からないが、幸いにして魔物化する様子はないのだろう……竜石になったら終わりなのだから、出来ればその前になんとかしてやりたい。
紫色のオーラをどうにかすればいいのだと思うが、やり方が分からない。医者であれば話が違うのだろうが、この場にはいないのでどうしようもない。チェリオの回復魔法では、傷は治せてもチェリオが魔物化してしまいそうで問題だった。
改めて問題点を頭の中で上げたミツイは、大きく息を吐いた。
「なら、せめて教えてくれよ。病気の原因になりそうなものについてさ」
『人間の男、なぜそうも関わろうとする?それほど竜騎士になりたいのか』
「いや?そういうわけじゃねえよ。ああ、まあ、竜に乗ってみたいって野望がねえわけじゃねえけど。騎士みたく空中戦で戦えってのは、正直怖えーし」
『……わからぬ』
ミツイは高所恐怖症というわけではない。だから竜での飛行は可能だろう。だが、ずいぶん慣れたからといって戦い好きであったことは、かつて一度もないのだ。
「竜に乗るのはカッコいいしさ。できれば今度やってみたいと思ってるよ。この里って、上から見るとどんななんだ?馬車ごと運ばれてたときも、すっげえ綺麗だったから。今度は竜の背から見てみたい。リールディエルに頼んだら、乗っけてくれっかな?チビスケはまだ飛べないし……」
『それは、竜騎士としてではなく、か』
「竜騎士じゃなくたって、いいんだろ?」
長老はわずかにためらうような息を吐いた。竜の里にやってきて、竜騎士にならなくてもいいと言い切った男は、かつて一人もいなかった。
「リールディエルは、前の竜騎士志願者が来た時、ヒナージュの様子が変だったって言ってたんだけど、そいつは竜騎士になれたのか?」
『なれなかった』
「どうして?」
『卵が孵らなかったのだ。ヤツは、王女としばらく話して、その後国許に帰った』
「名前はなんて言うんだ?」
『知らぬ。王女ならば覚えているだろう』
長老の言葉に、ミツイは黙って控えているヒナージュへと視線を向けた。
静かにこちらを見やる姿は、口を挟む気はないようだと分かる。やってきた志願者の名前も覚えていないというのは意外だったが、それはつまり、長老やリールディエルといった竜とは関わらず、王女にだけ用があったのだろうかとミツイは思った。
赤い髪をした竜騎士志願の男。そいつが鍵を握っているような気がする。
どうしようかな、とミツイは思った。
「なあ」
ヒナージュに近づき、ミツイは続けた。
「もうしばらく、ここにいてもいいか?あんたも、どうにかできるならしたいって、思ってるんだよな?」
ゆっくりとヒナージュは顔を上げ、黙ったまま目を伏せる。
拒絶ではない、だが、積極的に協力を得られるわけでもないようだ。
「自分には、その権利はありません。竜の里を人里との間の仲介であり、ロイネヴォルク王国からの駐在人でしかないのです。是も非も、申し上げることはできません」
「……そっか」
ヒナージュの返答は、ミツイを歓迎するものではない。だからといって、それは、彼女が事態の収束を願っていないというわけではないはずだとミツイは思った。
『王女、客人のもてなしを』
「はい」
長老の口添えがあり、ヒナージュは再び淡々とした態度でうなずいた。
□ ■ □
エレオノーラたちをヒナージュに任せて、ミツイはチビスケを抱き上げたまま湖畔へと向かった。丸っこくて抱き上げにくい形をしているのだが、さすがに生き物。チビスケの方からしがみついてくるので落としたりはしない。
現在のところ、ダントツに怪しい場所がここだと見込んでいたからだ。
竜のすべてが毎日この水を飲んでいる。ヒナージュが夜にやってきたのもここだ。他に調査する場所がなかったとも言える。
「なあ、チビスケは里にいたころ、この水飲んでたんだよな?」
『飲ンダヨ!』
「おまえがここにいたころって、……病気が流行る前か、後か、どっちだ?」
『覚エテナイヨ!デモ、おかあさんは、大人からハナレテって言ッタヨ!』
チビスケの返答では、どちらとも判断はつかない。幼竜が『召還』され、この里から連れ出されたのがいつだったのか、ミツイは詳細な情報が思い出せない。ヘルムントが関わっているのだろうが、それとて当事者だったのか、単に事情を知っているのかが不明なのだ。とにかくそれによってミツイは誘拐犯に仕立て上げられたのだから、迷惑なことには違いないし、ミツイの『召還』と同時期であれば、すでにこの里が病に落とされた後ということになる。
「明るいうちは、なんもおかしなことはねえなあ」
紫色に染まっていたりすれば、さすがに長老に警告をと思ったのだが、そんなこともない。水の魔道具では竜族の水分をまかなうほどの出力がないため、代用品もない。
『あ、おかあさん!』
チビスケが腕の中でもぞもぞと動いた。空を見上げたミツイだが、上空には何匹かの竜が飛んでいるのが見えるだけで、どれがリールディエルだか分からなかった。
空をゆっくりと飛ぶ竜の中には、明らかにオーラが紫色のものもいて、ミツイの心を荒ませる。見慣れるにはまだ馴染みがない色だった。
「これ、竜と契約してる人間には、効果あんのかな?」
じいっと湖面を見つめたミツイは、ふと思い立ってチビスケを降ろした。
調べる方法があればいいのだが、そんな技術はミツイにはない。持ってきた杖でちょいちょいっと突くくらいが関の山だ。深そうな湖面を杖先で突きながら、ミツイは波紋が広がるのを見つめる。
よくよく見れば、湖面は風の影響を受けてあちらこちらに波紋を描いていた。鏡のように美しくというわけにはいかない。規模が巨大だからして当然か、と考えたミツイは、思い立って湖面に顔をつけた。
日本人の大半は授業で水泳を習う。気候が特殊な一部地域では例外もあるし、泳げるかどうかは個人の資質にも寄るが、ひとまずミツイは泳ぎは苦手ではない。
湖に顔をつけ、水中で目を開ける。湖中の様子は、ミツイが期待した以上だった。透明度が低ければ何も見えないだろうと思っていたのだが、それ以前に、竜を複数匹重ねたほどの深さがあり、ミツイの視界を通さない。
水を飲まないようにしながら、ミツイは湖中へと視線を向けた。水が、触るだけで影響を与えたりするものであれば危険であったが、竜が気づかぬうちに影響を受けるようなものが、刺激として分かるわけもない。
期待以上のものが見えた。
ヒナージュから漂って見えた紫色の影。それと、似た姿が湖中をゆらゆらと漂っている。どうやら紫色なのはこれだけのようで、紫色の影から時折流れ出る紫色の液体が、湖中に広がっているのが見えた。
ふっと紫色の影が、こちらを向いた気がした。
「ぷはっ!」
湖面から顔を離し、ミツイは首を振った。かなり長く水につけていた気がする。
「しまったな、鏡でもありゃ、紫色かどうか分かるのに」
湖面に映る自分の顔を見ながらミツイは首をかしげた。さすがに波紋を広げてしまった直後に鏡の役目は果たしてくれそうにない。試してはみたが、それで自分がオーラをまとったら何にもならないとは思ったのだが。
アルガートから聞いた限りで言えば、竜騎士が魔物化した話は出ていなかった。人間と契約した竜が病から逃れられるなら、竜と契約した人間もそうだろうと思ったのである。
だが、のん気にしていられるのもそこまでだった。
湖面がさざなみを作ったかと思った直後、湖から飛び出してきた水球のようなものがミツイの顔面へと飛んできたのだ。
「うわっと!?」
とっさに身を翻すことができたのは、まがりなりとも続けてきた鍛錬のおかげだろう。慌てたミツイは鍛錬用の杖を握りしめ、チビスケを背にかばう。
「な、なんだ、ありゃ!?」
水球は、ミツイの横を素通りして飛んでいき、木の一本に触れたとたん、弾けて消えた。
水球である以上は、おそらくは水の塊だ。ぶつかってもさほど問題はなかったかもしれない。だが突然だったから驚いた……そう思いながら湖面を見やったミツイは、さざなみがさらに生み出されようとしているのを見てぎょっとした。
チビスケを背にかばいながら後退するミツイへと、湖面からさらに二つの水球が飛び出してくる。
「あらよっと!」
こういう時に、杖というのはいいチョイスだった。飛んでくる玉を野球のボールに見立てて、バット代わりの杖を叩きつける。野球のボールにしては大きすぎたし、杖は細すぎたが、逆でなくて良かった。
ミツイに打ち返された水球は、そのまま湖面へと飛んでいき、水中へと沈んでいった。
「あっぶねー、打ち返す分には破裂しないんだな。てか、なんだ今の」
正確には、打ち返しが早かったせいで、破裂までの間にタイムラグがあり、間近で破裂しなかったのだ。時限爆弾のようなものかと思いつつ、とりあえず物騒な予感にミツイは顔を引きつらせる。
「……と、とにかくちょっと後退だな。うん」
さざなみがさらに増える。湖面の上に盛り上がってきた水球は、今度は10以上あった。
これをすべて打ち返すことは、ミツイにはできない。
「逃げるぞ、チビスケ!」
ミツイはそう宣言すると、チビスケを抱えながら全力で走り出した。




