48.ミツイ、転勤拒否を希望する
私の名前はエレオノーラ。このエルデンシオ王国の首都にある、職業紹介所の職員である。
所長でもあり、王女でもあるが、エルデンシオ王国を訪れたミツイと接する際は一度もそう口にしたことはなかったので、一職員と思ってもらって構わない。
「ミツイは何を考えているのです」
チェリオが呆然として呟いた。
紫色のオーラ……すなわち魔物化する寸前をミツイに助けられたチェリオは、ただただ唖然としてミツイを見つめている。少年だとばかり思っていたが、剣闘士として戦えるだけの力量はあり、チェリオを軽々と引き寄せたことから、相当筋力がついているようだ。
男性嫌いなチェリオであるからして、そもそも触れられたことへ怒りを見せるかと思ったが、さすがに魔物化する寸前であったという状況は違うらしい。チェリオのミツイへ向ける視線に、嫌悪は浮かんでいない。
「分かりませんね。しかし、無謀ではあっても悪意はないようです」
竜の長老相手にも無礼な態度を崩さないミツイだが、幼竜のためか、どうやら病を見過ごす気になれなかったらしい。方法も知らないのに首を突っ込むとは呆れて物も言えないのだが、竜の里を目指しはじめてからのミツイには、何か期待させるものがあった。
エルデンシオ王国と竜族との関わり合いは、希薄といっていい。国内に竜がほとんどいないのはもちろん、竜の里へと竜騎士候補を送ることも滅多にない。竜騎士という職種を目指すことが目的であれば、エルデンシオではなくロイネヴォルクへと移住した方が早い。竜騎士の資格を持つ者がエルデンシオへ就職を希望するのであれば好待遇を約束するが、それとて竜族への接触をとるきっかけになりこそすれ、実際にはほとんどしない。
そんなわけだから、竜族に対する感情も、好悪を論じるほど知らないということになる。馴染みの薄い近隣国、生物として世界最強、触らぬ竜に祟りなし。そんなところだ。
私は事態を見守っている残り二人、ヒナージュ王女と御者のシウルへと視線を動かした。
シウルはただただ事態に驚いているばかりで、そこに隠すものはなさそうだ。だが、ヒナージュ王女は静かな気配の中に何か別種の空気を漂わせていた。
ロイネヴォルク王国の王女が存命であった。これは朗報だ。
ヒナージュ王女はエルデンシオ王国を訪れたことがない。そのため、顔かたちや容貌が当人と同一であるかどうかについては確かなことは言えない。しかし、ロイネヴォルク王国王子と同様の肌色をしていることや、どこか似た顔立ちであることから血縁であることは間違いないだろうし、竜の里に滞在するという重要な役職をこなせる人間が何人もいるとは思われない。
だが、気配が語るとおり、彼女が魔物化の影響を受けていることは確かだろう。
ミツイには詳細を伝えなかったが、昨夜のヒナージュ王女はおかしかった。
真夜中の屋敷のことである。
第一王女という立場がそうさせるのか、私は王宮外で寝入る場合、深い眠りには落ちない。
常日頃暗殺やその他諸々の危険に付きまとわれているため、護剣がそうさせるのだろうと思われる。護剣を身にまとう以前は、短時間でも深い眠りにつくことが回復の鍵であると教わっていたはずだが、今ではそのような器用な真似ができなくなった。
ヒナージュ王女は夢を見るようにふらりと起き上がると、湖へと向かった。
チェリオを起こし、私が後をつけたことはなんらおかしなことではない。護剣のおかげで脅威とは無縁でいられる私は、不測の事態に対してなにも対抗策を講じないという手段はとらない。
道中、ミツイがまた、ヒナージュ王女の後をつけていることに気づいた。私とチェリオには気づかないようで、下草をガサガサさせながらついていく様子は、尾行の才能は皆無だと思わせるに足りた。
ヒナージュ王女は湖にたどり着くと、その身の内側より 紫色をした人影を露にした。
湖に向かって、何事か会話をする人影。さすがに会話内容までは聞き取ることができなかったが、会話を終えると満足したようにヒナージュ王女の中へと戻っていく。
ヒナージュ王女がその場を離れると、ざわざわと揺れていた湖面が元通りに静かになった。
またふらふらと同じ足取りで屋敷へと戻りはじめた王女を見送り、私は黙り込んだ。
「王女殿下は、いったい何をしていたのでしょう?」
「チェリオ、今の一件は見なかったことになさい。決して公言してはいけません」
「はっ、かしこまりました……」
私の言葉にチェリオは頭を下げ、納得いかないなりに黙ることを承知した。
ヒナージュ王女は自分を魔物化していると考えている。ゆえに、目の前でその話をされたところで動じない。だが、推測が正しければ、これはもっと深刻なことだろう。見当違いなことを口にするわけにはいかない。
「あれは、魔物化ではありません」
私はそれだけ言葉にした。
ヒナージュ王女は魔物化しているわけではない。魔物に憑かれているのだ。おそらくは、寄生するタイプの魔物なのであろうが、魔法に詳しくない私には正体が分からない。
魔物化した人間は、その精神か肉体かに欠損が生じる。本能のままに行動したり、あるいは姿かたちそのものがおかしくなる。いずれにせよ世界の脅威と落ちぶれ、もはや元には戻れない。
ヒナージュ王女はどちらでもない。
ヒナージュ王女の動きに合わせて、湖面は応えるかのように揺れた。
今にも湖面から何かが飛び出してきそうな、そんな予感をさせる動きであった。
その時点では何も出てこなかったが、私の予感が正しかったことを告げる事態は、すぐそばまで来ていた。
「竜の里の湖に、何者かが潜んでいるようです」
「まさか。毎日竜が水を飲みにやってくる場所なんですよ?そんな大胆な真似をするような者がいるはずありません」
「確かに、平常な精神の持ち主であれば、竜のそばに近寄るだけで足がすくむものです。気さくに声をかけることすらおこがましいというのが当然の発想でしょう。
しかし、竜族はささいなことにはこだわらない。自分たちに危害を加えないのであれば、そこにいたところで気にかけないということは、ありえますね」
私は、世界において、そのような大胆な真似をしそうな存在を一つだけ知っていた。
『魔王』である。
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ミツイ・アキラ 16歳
レベル4
経験値:99/100(総経験値:399)
職業:竜騎士→?
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き、飛脚、剣闘士、魔獣使い




