45.ミツイ、竜騎士になる(その3)
さて、とミツイは思った。
チビスケもろとも吹き飛ばされたので、エレオノーラたちのところまで転がってきてしまったのだ。 地面を転がったわりには怪我がなかったのは、文字通り吹き飛ばされたためであっただろう。リールディエルの吐息は、勢いは強いが鋭くはないらしい。
「ミツイさん、リールディエル殿は、病が治ったとおっしゃいましたか?」
エレオノーラが尋ねた。ミツイは首をかしげる。
「よくわかんねえ。直接聞いてくれ。けど、チビスケに大丈夫って言ったってことは、そうなんじゃないか?」
『違います』
リールディエルの声がエレオノーラに答えた。
『わたくしの名はリールディエル。人間の国の王女よ、わたくしは病にかかっていたのではなく……病にかかりかけていただけ。そこは違わぬように』
「はい。申し訳ありません、リールディエル殿。
して、あなたはチビスケ様のお母上でいらっしゃるとのことですが。ここはすでに竜の里になるのでしょうか」
『そなたたちは里に用があっていらしたのですか』
「こちらのミツイが、チビスケ様と契約を結びました。魔獣使いの資格を得ましたので、叶うのであれば竜騎士への道を拓いていただきたいと、試験を受けに参ったのです」
ああ、そうだっけ、とミツイは思い出した。チビスケを親元に届けることは覚えていたが、それ以外を忘れていたのだ。
『竜騎士ですか。……その男にそこまでの価値があると?』
「分かりません。しかし、病に堕ちかけたリールディエル殿を恐れるのではなく、対話のために近づこうとしたことを評価していただけたらと存じます」
『……フン、よろしいでしょう』
リールディエルはわずかに鼻を鳴らした。
『馬車に乗りなさい。わたくしが、竜の里まで連れていってさしあげます』
「まことでございますか」
『その男の無謀な行いに対する、対価です。試験に落ちようと、それはわたくしの関与するところではありません』
ツン、とそっぽを向くように顔をそむける巨大な竜。それが、照れた顔に見えてミツイは驚いた。
「あ、おれからもちょっといい?」
ミツイが軽い口調で口を挟んだ。
「竜ってさ。竜石になったら、本当にどうしようもねえの?里に行って、チビスケが病気になったりしない?」
あそこの、とミツイは先ほど迂回する予定だった竜石を指差して続ける。
「あれも、治せるのか?」
『わたくしと違い、すでに竜石になっている者を癒す方法は、竜族にはありません。あれば、竜石になるまで放置することはないでしょうから』
わずかに湿り気を帯びた声は、リールディエルの無念を示していた。
『この病については、竜の里に行った後、長老から聞くとよろしいでしょう。竜の里はすでに半数が竜石となり、あるいは魔性に堕ちました。けれど、まだ無事な者もそれなりにおります』
「そ、そっか……」
ごくりとミツイは息を飲んだ。
『わが子については、あなたがそばにいる限りは大丈夫』
リールディエルは意外なことを言った。
『召還など様々な方法で名をかわし、人と契約を結んだ竜は、人に魔力を貸与します。それによって、竜の内側だけでは拒みきれない病を拒むことができるのです。
実際、竜騎士の竜が竜石になった例はありませんでした。病により、体力が落ちたことで、敵に討たれた者は多かったですが……』
「リールディエル殿も、それによって?」
エレオノーラの言葉に、リールディエルは再びツンと顔をそむけた。
『わたくしも、あなたが名を呼んだことで快癒しました。今後はわたくしの魔力もまた、あなたを護るでしょう、ミツイ』
一行は馬車の中にこもった。リールディエルの言う、『連れて行く』とは、馬車を彼女が爪で持ち上げるという意味であるらしく、竜に近づかれた馬たちがひどく騒いだ。御者の声も聞こえないほど怯える馬をなだめすかし、最後には強引にリールディエルが馬車を掴み上げたことでもはや失神状態である。後ほど復活できるかどうか怪しいとミツイは思った。
だが、強引にされてしまえば、馬たちは開き直るしかなかったらしい。御者にすがりつくような顔をしながら共に宙に浮く。
飛行時間はさほど長くはなかったが、窓から外を見ていたミツイが歓声を上げるほど、それは心地のいい移動方法だった。
吹きすさぶ風がうなりを上げているのに、なぜか竜に吊り下げられた自分たちには風が当たらない。どうやら風は竜の間近を避けているようなのだ。そのため、馬車も馬も、そして馬車の中にいる自分たちも、景色を楽しむ余裕すらあった。
唖然として下を見下ろすチェリオと御者に対し、ミツイは興奮していた。はじめて観覧車に乗った時や、高層ビルの展望台から見下ろした時に似ている。驚くほど地上が遠く、人が小さく、先ほどまでいた自分たちの世界が、こんなにも小さな場所だったのかと思う光景だ。
もっとも、荒野ばかりだったこともあり、上空から見た景色は色合いが一色だった。ところどころに黒い塊……竜石が見える。ミツイの視界には100以上の竜石が、荒野のあちこちでうずくまっているのが見えた。
これがすべて動かぬ竜の姿で、病に侵されていると考えるとぞっとした。紫のオーラを思い出す……あれは、魔物になろうとしているのか、あるいは竜石になろうとしているのか、どちらだったのだろうか。
「なあ、エレオノーラさん」
話しかけようとしたミツイは、エレオノーラが目を丸くしているのを見て、驚いた。普段から冷静な態度を崩さないエレオノーラは、滅多に笑いもしないし、また泣き顔を見たことも当然ない。そのエレオノーラは、静かに興奮していた。頬が上気し、景色を見て目を輝かせていたのだ。
「ミツイさん、チェリオ」
エレオノーラは呟いた。
「竜騎士になれたら、私も乗せてくれませんか」
「それはもちろ……」
チェリオが答えようとしたのを、ミツイが口を挟んだ。
「なら、エレオノーラさんも竜騎士の試験を受けたらいいんじゃねえの?」
「え?」
「おれが受かると決まったわけでもねえし。チェリオさんも受けるなら、まあ、確率は上がるだろうけどさ。エレオノーラさんなら、人任せにするより自分でやっちゃった方ができそうな気がする」
「エレオノーラ様は王女でいらっしゃいます。それを……」
チェリオが抗議しようとするのを、エレオノーラは止めた。
ミツイは深く考えて発言したわけではないらしい。不思議そうな表情には、自分の発言の内容を顧みようとする気配もない。
エレオノーラは答えなかったが、それは、彼女の表情をわずかに動かした。
「……竜騎士として認められるには誰かしらの立会いが必要です」
だがそれは、職業紹介所の職員は、試験を受けてはいけないという意味ではないと気づいたのだ。
竜の里は、山岳を越えた山の上にあった。
ミツイが漠然と考えていた竜の里というのは、チベットのような山の中の村で、人型に化けた竜族が人間と似たような生活をしている情景だった。そういった作品を読んだことがあったのとドラゴン形態での生活を想像できなかったせいだ。
だが実際の竜は、やはりドラゴン形態で生活しているらしかった。一匹で数十メートルの巨体が集落を作るというのはどういうことか、ミツイにはイメージできなかったのだが、それはつまり、人間が想像するよりもはるかに大きな一帯に、まばらに住んでいるということらしかった。
竜の巣、すなわち家は、一匹につき一つの洞窟を必要とするらしく、竜の里は巨大な洞穴がいくつも空いた、それはそれは大きな山脈一帯を示している。山脈に囲まれるように広い湖があり、これが彼らの水場であり、社交場らしい。一日に一度程度、水を呑みに出向き、世間話などに興じ、また家に戻るのだ。
彼らは成竜になるとさほど食糧を必要としなくなるらしい。これだけの巨体が毎日食事をしていればあっというまに世の中の動植物がいなくなりそうだもんなとミツイは思った。
ミツイにはイメージできなかったが、竜の里は日本で言うところの富士山三つ分くらいの規模だった。リールディエルは自身の家に招待するのではなく、ミツイたちを直接長老の下へと連れていくと宣言した。長老の家は、竜の里で一番良い場所、湖のそばにあるという。リールディエルが馬車を下ろしたのは、その湖の湖畔だった。
馬車を下りたミツイを待ち構えていたのは竜ではなかった。浅黒い肌をした美しい少女だった。年齢はミツイと同じくらいだろう。身に着けている衣装にどこか覚えがあり、また顔立ちも誰かに似ている。
「ようこそ、ミツイ様、それにエルデンシオ王国の第一王女エレオノーラ様。リールディエル様より念話をいただきまして、お待ちしておりました。
自分は竜の里の世話役……、ロイネヴォルク王国第一王女、ヒナージュです」
連絡が途絶えたアルガートの妹か。ミツイは考え、その無事を喜んだが、彼女が紫色のオーラをまとっていることに気づいて言葉を失った。




