44.ミツイ、竜騎士になる(その2)
御者の説明は簡潔だった。
竜石と化した病気の竜は、その病がどのように感染するものか分かっていない。そのため、念のため触れないように遠回りに馬車を動かさなくてはならないのだという。
御者に協力して馬車の位置を動かしていく。馬車の外から、竜石に触れないルートをナビゲートするのだ。
車輪の動きと相性が悪そうであれば、馬車を二人で押して位置をずらす。
その竜石は大きかった。体長何十メートルなのかは知らないが、生き物だとは容易に信じられないほどだ。
一塊の岩だと思うのでさえ、おこがましい気がした。山なんじゃないか、これ。とミツイは思った。
『ミツイ!ミツイ!』
脳裏に響く甲高い声に、ミツイはふっと視線を上げた。
エレオノーラに抱きかかえられて馬車の中にいるはずのチビスケの声だ。思わずキョロキョロと見回してしまったが、そばにいるはずはない。
だが、その警告が何のためにもたらされたものかはすぐに分かった。
上空から、黒い塊が落下してくるのが見えたのだ。
「なんだ、ありゃ!?」
思わず叫んだがすぐに知れた。それは巨大なドラゴンであった。
全身から紫色のオーラを漂わせたドラゴンは、巨大な翼を広げることもなく、ミツイの見ている前で落下した。
距離はかなりあったが、地面に落ちた振動が伝わり、馬がけたたましく鳴きわめいた。御者とミツイもまた、衝撃を受けてころころと地面を転がった。数十メートルは飛ばされたと思われた。
馬車がなぎ倒されなかったのは幸いだった。横倒しになった馬車を起き上がらせるのは骨が折れただろう。
『ミツイ!おかあさんが!』
「なんだって!?」
チビスケは馬車から飛び出してくると、ミツイの方へと数度跳ねた。
手元から飛び出されて驚いたらしいエレオノーラが続いて出てくる。さらには剣に手をかけたチェリオも続いた。
「何事ですか、ミツイさん」
「よくわかんねえ!けど、あっちの方に竜が落ちたんだよ。紫色だった!」
「紫……魔物化しているということですか?」
エレオノーラの表情が強張る。ミツイにはそこまでの判断はできなかったので首をかしげた。
「エレオノーラ様、いかがしましょう。すぐにこの場を離れた方がよろしいかと思いますが」
御者が言う。チェリオもうなずいた。
だがエレオノーラは自身で判断するのではなく、チビスケを見やった。
ぴぃぴぃと鳴くチビスケは、何事かをミツイに訴える。
ミツイはなだめるようにチビスケを撫でると、その瞳に向かって語りかけた。
「いいか、チビスケ。落ち着いて話せ。おかあさんってどういうことだ。今落ちたやつは、おまえの母親なのか」
『ソウダヨ!おかあさんが!』
「……紫色だったぞ。大丈夫か?」
『デモ、おかあさんが!』
チビスケの声は焦りを伝えるばかりだ。ミツイはわずかに迷い、そして決めた。
「エレオノーラさん、チェリオさんと御者さんと一緒に進んでくれ。できれば大回りに落下地点からは離れるようにして。落ちたってことは、もう飛べないんだろうけど、おれ、話をしにいってくるから」
「……危険だと思いますが」
エレオノーラは驚きを表情に載せたが、それを感じさせないような平静な声で確認した。
「竜石になっちゃったら、どうしようもねえんだろ?だとしたら、今しかねえもんな」
迷子になったチビスケを親元に届ける。ミツイの中で一番分かりやすい理由はこれだった。竜騎士と急に言われても、魔獣使いと言われてもピンと来ないが、迷子を連れて行くというのは納得がいったからここへ来たのだ。
チビスケを足元に置いたまま、ミツイは落下地点を目指して走り出す。チビスケもまた、飛び跳ねながら付いてくる。
その様を、チェリオが驚いたように目を丸くして見つめていた。
「エレオノーラ様、ミツイとは、どういう男なのです?竜の危険性を知らないわけではないでしょうに」
「知らないのかもしれませんね」
エレオノーラは答える。
ミツイは、エルデンシオ王国にやってくる前、どこにいたのか知れない男だ。どこか遠い国にいたようだが、そこはよほど平和な国だったのだろう。危険もない、働く必要もないような、奇妙な国。無知で、無防備に見えるのはそのせいだ。
「今のうちに移動できる支度をしておきましょう。チビスケ様抜きで目的地に着いても意味がないということを、お忘れのようですから」
エレオノーラは移動を選択しなかった。幼竜が失われるようであれば、先に進むよりも前に戻るべきだったからだ。
ミツイは落下した竜のそばまでやってきた。
わずかにクレーターが出来ていて、落下の勢いがすさまじいものであることをうかがわせたが、巨体が落ちてきたわりには小さなクレーターだと思った。
理由はおそらく、竜が生きていたためだろう。ぜいぜいという荒い息遣いが聞こえてくる。翼を広げているようには見えなかったが、なんらかの浮遊が働いていたのではないだろうか。
「チビスケ、声かけられるか?」
ぴぃ!と鳴き声で返答があった。
『おかあさん!』
チビスケの呼び声は、脳裏に響いた。目の前の巨体がわずかに身じろぎするのが分かる。
「なあ、チビスケの母さんよ、おれの声聞こえるか?チビスケのやつを連れてきたんだ……なあ、返事できる?」
ダメ元で声をかけてみたが、ミツイの声には返答がない。紫色のオーラが色濃くなっただけだ。
「おれの声は通じないっぽい。チビスケ、おまえがやるしかねえぞ」
『うん!』
チビスケは声をかけ続けた。母を呼ぶ子供の声に、巨体は苦しげに反応を見せる。
声はなかなか返ってこなかった。
反応があったのは、30分ほど経った後のことだった。その間、ずっと声をかけ続けたチビスケの声はもはや涙声であったし、立ち続けていたので空風を受けて寒かった。舞い踊る砂が髪の毛やら服やらを埃だらけにしているのもミツイにも物慣れないものだった。
だが、身じろぎを見せて声の主を探すそぶりをした竜に、ミツイは興奮した。
考えてみれば、ドラゴンなのだ。ファンタジーの定番である。チビスケも竜だが、やはり幼いし、丸っこい見かけはミツイの想像するドラゴンのそれとは異なる。だが、目の前のドラゴンときたら巨大すぎて全体が見渡せないが、ゴツゴツした立派な鱗といい、いかにも爬虫類でありながら翼がある姿といい、絵に描いたようなドラゴンなのだ。
巨大な瞳が開く。一抱えほどもある瞳は、紫色のオーラのためにどこか淀んでいたが、しっかりとチビスケを見据えた。
『どこに、いるの』
『おかあさん!ここだよ!』
ミツイは息を飲んだ。
「うわ、すげえ。聞こえた。今のがこの竜の声か」
母という以上はメスなのだろうが、声からはそれは判別がつかなかった。ハスキーとでもいうのか、低い声である。
『誰、です。あの子のそばに、いるのは』
「え。あれ?おれに話しかけてる?」
『あの子を、傷つける、なら、殺します』
「いやいや、物騒なのは止めてくれよ!おれはただ、チビスケを連れてきただけだってば。ああ、チビスケってのはこの子の名前で……」
説明しようとしたミツイの耳に、声がした。
『リールディエル。そう、呼びなさい』
「は?え?りーる?なに?」
『リールディエル。早く!!』
びりびりと鼓膜を破るような声が、直接頭に響いた。ミツイは思わず耳をふさぎ、目をつぶり、だが耳から聞いているわけではないので拒むことができなかった。たまらず叫ぶ。
「リ、リールディエル!」
その次の瞬間、ミツイは目を閉じていたのを後悔した。
遠目に様子を伺っていたエレオノーラはその瞬間を見た。
紫色のオーラをまとっていたドラゴンが、光り輝いたのだ。白く鮮烈な輝きがその場を満たした。
鱗に美しい艶が戻り、濃い緑色をした鱗は太陽を浴びてキラキラと生の息吹を輝かせる。
ドラゴンが首を上げた。大きく翼を広げると、その風がエレオノーラたちのいる場所まで届き、馬が怯えてヒヒンと鳴いた。紫色のオーラが霧散すると、もはやどこにも魔性の気配はなくなっていた。
『そこにいる人間たち。おまえたちもこの男の仲間ですか』
声は、エレオノーラにも聞こえた。
「はい。エルデンシオ王国第一王女、エレオノーラと申します。横にいるのは護衛役でありますチェリオ、それと御者のシウル。おそばに寄ってもよろしいでしょうか?」
『なりませぬ。わたくしのそばに来ては馬が怯えるでしょう。声は届きます、そこにいなさい』
「はい」
エレオノーラと竜とが会話をしている。それに気づいたミツイがようやく目を開いた。
「えーと……?」
喜ぶチビスケがミツイのそばで跳ねる。ぴぃぴぃと歓声を上げているので間違いない。
『おかあさん!おかあさん!』
『ええ、もう大丈夫。男、名乗りなさい』
「あ、おれ?ミツイだけど……」
『では、ミツイ。我が子を連れてきてくれたこと、及び魔力を分けてくれたことを感謝いたしましょう』
「え、魔力?」
『名を呼んだでしょう。わたくしの名は、リールディエル。病を拒む力が衰え、あやうく魔性に落ちるところだったのを救ってくれたことに感謝いたします。
わたくしともっとも親和性の高い、我が子の魔力を身に受けた男よ。我が子を勝手に連れ出したことについては、帳消しにしてさしあげます。ええ、本来ならば八つ裂きにして食ってやろうと思っていたのですが』
物騒なことを言われた気がした。ミツイは内心で冷や汗をかいたが、目の前の竜は気にしないらしかった。
ツン、と首をそっぽに向けながら言われた言葉をよくよく吟味してみる。
つまり、感謝された?
「チビスケ、連れ出したのはおれじゃねえからな?」
それだけは言っておかねば、と口に出したミツイは、リールディエルの息に吹き飛ばされた。
余計なことを言うべきではなかったらしい。




