43.ミツイ、竜騎士になる(その1)
チビスケを連れたミツイがヘルムントの屋敷入り口で待機していたのは昼ごろのことであった。
待ち合わせ時間は午前中だったのだが、噛まれ、裂かれ、血だらけとなっていたミツイである。医官による治療が終わるまで外出はまかりならんとなったのだ。見送りにやってきたエル・バランも同意したので、ミツイは大人しくその決定に従うことにした。
ヘルムントの屋敷にも医官はいたが、治療を行ったのはエレオノーラが連れてきた女性だった。
職業紹介所の制服を着て、髪の毛をきっちりとまとめたエレオノーラと共に馬車を降りてきたのは、男装をした女性であった。髪の色は黒く、ベリーショートの活動的な雰囲気の女性だ。腰に剣を佩いているところを見ると、護衛であるようだ。チェリオと名乗った女性は、ミツイのもとに黙って近づくと、回復魔法と思われる何かでミツイを治療した。
「ちょっ、待って。今、何したんだ?ぽわっと光ったり呪文唱えたりとかじゃねえの?」
「なぜ光る必要があるのでしょうか?」
「え、だってそういうもんかと。火なら赤とかって最近習ったばっかなんだけど」
「そう言った意味合いでしたら、光りましたよ。気づかなかっただけかと思います」
「え。そ、そう?」
ズキズキする頭を押さえながらミツイは首をかしげた。
男装の女性、チェリオは、ミツイの傷口を、思いっきり殴りつけたのである。
殴られて抗議しようとした時には傷が治っていた。だから、回復魔法だったのだろうがわけがわからない。
「エレオノーラさん、どうなってんだよ、これ?」
「チェリオは男嫌いなのですよ。触れるのが嫌なのです。しかし触れないと治せないものですから……。良かったですね、殴られただけで」
「え。もっとひどいこともあんの?」
「カークスさんは剣で斬られましたね。もとの傷は治ったのですが、もっと大きな傷ができましたので、あまり意味をなさなかったということで、改めて別の医官に治療されていました」
「どう反応すりゃいいんだよ、それは!?」
「カークスさんに呆れるとよろしいのでは?」
「どっちかっつーとチェリオさんに呆れたよ、おれは!」
初対面からしてそんな風だったので、ミツイはチェリオに対して一定の距離を置いた。
用意された馬車と御者は、ミツイのためのものではなく、またエレオノーラのためのものでもないと言われてミツイは目を丸くした。
「エレオノーラさんはお姫様なんだろ?」
「はい。ですがあまり関係ありませんよ。これから向かう先は途中から馬車が使えなくなりますし。馬車をご用意させていただいたのは、そちらのチビスケ様に配慮するためですから」
「チビスケ、様付け!?」
「国賓に近い扱いをするようにとなっておりますし」
「その割には撫で方がただのペット扱いなんだけど!?」
「気持ち良さそうなのだから、良いではないですか」
チビスケはエレオノーラの膝の上に乗せられ、やわらかい鱗を撫でられていた。
ぴぃぴぃ鳴きながら、時折ミツイへ声を寄越してくる。チビスケの声はやはりエレオノーラやチェリオには聞こえないようで、それがひそかに嬉しく思ったが、独り言をしていると白い目で見られるのは居心地が悪かった。
馬車の席はミツイが一人で座り、その向かいにエレオノーラとチェリオが座る形で落ち着いていた。チェリオがミツイの隣を嫌がり、また王女であるエレオノーラの隣にミツイが座るという状態を渋ったからだ。
御者台と後部座席との間には仕切りがあり、カーテンで見えないようになっている。後部座席はボックス席で、合計四名が向かい合わせに座れる計算だ。ミツイが一人、エレオノーラとチビスケ、チェリオの配置なので、多少アンバランスだが、かといっておかしいというほどでもない。
ミツイの荷物は、鍛錬用の杖と、当座の着替えの入った袋と、エル・バランから贈られたサンド・ウォーム避けの雑草袋。それにチビスケである。チビスケは同行者だが、心情的にはペットであり、荷物に近い。ミツイとチビスケの食料は馬車に乗せてもらうことになった。後部座席の座席下が収納になっていて、エレオノーラとチェリオ、御者の分の荷物もそこに入っている。水は例によって魔道具を用いるようで、空の樽と中身入りの樽とが用意されていた。
ミツイとしては魔法を無効化してくれた手枷ももらっておきたかったのだが、あれは囚人用だったということで回収されている。エル・バランによればあの手枷は魔法を「封じる」ものであって「解除する」魔法文字のそれとは効果が違うものであったらしい。似たようなものだろうと思い込んでキマイラの口に手を突っ込んだが、望む効果が現れたとは限らなかったと聞かされて肝が冷えた。
□ ■ □
首都の外壁を越えるのは、これで二回目である。一度は飛脚の仕事だったのであまり周囲を見る余裕はなかった。
エルデンシオ王国は穏やかな気候の国である。日本でいうならば春や秋に近い。暑すぎず、寒すぎず、風もさほどない。草木の色は淡い緑色で、草原があれば寝転びたくなるような雰囲気だ。だが夜は一気に冷え込む。特に野外に外にいると、冷たい風によって指先がかじかみ、物を掴むのも困難になってくる。しっかり着込んでいなければ身体の芯まで冷え切ってしまい、翌朝を迎えられなくなりそうだ。
聞いたところ、年中こうというわけではないらしい。日本と同じように四季があり、今は春に当たるというだけの話。だが日本と異なり、春と秋が長く、夏と冬はとても短い。
エルデンシオ王国以外にはもっと極端な気候の国もある。
「エレオノーラさんは、よその国ってよく行くのか?」
尋ねたミツイへ、エレオノーラは首を振った。
「第一王女というものは、滅多によそへは出向きません。エルデンシオ王国は王子の方が継承順位が高いですが、私もまた王位継承権を持っています。よその国へ嫁ぐことがなければ当分の間は行く機会はなかったでしょう」
「それが、どうしてまた今回は?」
「幼竜たる存在を竜の里に送り届けるという仕事は、上位貴族でもなければ行えない任務でしたので。カルシュエル公爵家よりも上位に当たる貴族と言いますと、王族になりますからね」
「はぁ……」
「よく分かっていらっしゃらない、と」
「うん。まあ、そうなんだけど」
「では、こう考えてください。チビスケ様をお見送りするには、王族でないといけなかったんです。国王は論外、第一王子も同様の理由で却下、第二王女は職務が特殊なため不可、となりますと私しかおりません。竜の里は、病気によって滅亡の危機という噂が立っていますからね。そのような場所に行かせるわけにはいかないでしょう。
それに、ミツイさんが竜騎士として認められるには誰かしらの立会いが必要でした。エルデンシオ王国としては幼竜を国へ送り届けるのとミツイさんが竜騎士を目指すのとは別問題ですので、別にミツイさんだけ馬車から降りていただいても結構ですが。どうせなら一緒にしてしまえばよろしい、という効率の問題です」
「なるほど」
「特に気にせず、馬車に乗っておればよろしいかと」
「そうするよ」
馬車がガタガタと進んでいくにつれ、景色は変化していった。草木の数が減ってきたのだ。
山岳地帯であるとアルガートは言っていたが、ミツイの考える山岳とは険しい山だが緑にはあふれているイメージだった。だが目の前のそれはどちらかというと禿山であり、荒野である。ゴロゴロと岩肌が露になっていて、水気も少ない。強い風が吹くと砂が舞い上がり、目に入ってものすごく痛かった。
サンド・ウォームに遭った峠を十倍以上に広げたようなイメージである。まさか出てこないだろうなと戦々恐々していたのだが、雑草袋もあるし同行しているエレオノーラが平然としているので一人ビクビクし続けることはなかった。
馬車の中に閉じこもって窓をきっちりと閉め、ガラガラと砂地を駆け抜けていくのを待つ。時折、魔物が姿を見せていたようなのだが、馬車の中にいたミツイには分からないことだった。
その道中のことである。
風が砂を舞い上がらせる他、障害物のなかった一帯が黒い岩により進行を妨げられるようになった。
エレオノーラによれば今日一日は馬車を停める必要はないだろうと聞いていたミツイは、時折馬車が足を止めるのを不審がってはいたが、御者が何も言ってこないので深くは気にしないでいた。
「エレオノーラ様」
馬車を停めた御者が声をかけてきて、エレオノーラが視線を前方へ向けた。
馬車は、御者台と後部座席との間に仕切りがついている。エレオノーラの視線を受けたミツイがカーテンを引いた。
御者台との間の仕切りを失くせば、後部座席からも前方が見える。
ミツイの視界に飛び込んできたのは黒い岩だった。先ほどから幾度か見た岩なので、さほど気にせずミツイは御者を見やる。御者の表情は明るくない。これまでならば馬車の進行方向をわずかにズラして避けるので、馬車が揺れるがどうか気にしないでくれ……その程度のはずだったのだが。
「どうしたんだよ?」
「まことに恐れ入りますが、ミツイ様もご協力いただけますでしょうか。あれだけの大きさとなりますと、私だけではどかすことができません」
「?いいけど」
御者に名指しで頼まれ、ミツイは目を丸くした。
馬車を降りる。突風が砂を舞い上げ、ミツイは目をぎゅっと閉じた。少しうつむき加減にするのがポイントらしいと気づき、おそるおそる目を開けた。口をあけていると中に入ってくるのでぐっと閉じる。
「こちらです、これが……」
御者に促されるまま、黒い岩に近づいたミツイは唖然とした。ぞくりと背中を這い上がる何かに足が震える。
それは岩ではなかった。
鱗が黒く変色し、ゴツゴツとした岩のようになった塊。身じろぎ一つせず、巨大な風除けと化した巨体。
瞳は閉じられていて、もはや開く気配もしないが、いつ動き出してもおかしくはない、そういった期待を抱かせる顔立ち。爬虫類特有の造形は、哺乳類であるミツイの根幹へ恐怖を与えるものだ。それは遺伝子に刻まれた恐竜への恐怖だという説がある。しかしながらこの場にあっては、それは種族への恐怖ではなく……。
「竜石と呼ばれるものですね。……病気に侵され、死を待つばかりの竜の塊です」
御者の説明を受けて納得した。
ミツイが感じていた恐怖は、得体の知れない死というものへの恐怖なのだ。




