41.ミツイ、魔獣使いになる(その3)
深夜である。
ヘルムントの屋敷に一晩泊まることを決めたミツイだが、幼竜チビスケの取り扱いについて屋敷の人間がいい顔をしなかった。幼くても竜である。恐れる者は多く、また世話の仕方が分からないと言われてしまえばどうしようもない。
アルガートに相談して、室内ではなく厩の一部を借り受けることになったが、今度はチビスケがミツイのそばを離れたがらない。そんなわけで、厩の中で一緒に寝るということになった。
「これ、囚人の時とどっちがマシな寝床かな」
厩の中には干草がたくさんあったし、屋根もある。家畜は綺麗好きらしく、またエルデンシオ王国首都の防壁の内側ということもあって清潔にしているため、不潔だという印象もないのだが。
臭い。獣臭さが充満していて、落ち着けない。
それでも地下水道よりはずっとマシなので良いだろうと思うあたり、ミツイも経験を積んできたと言えた。
「そもそも、なんでへるむんのとこじゃあ、馬を屋敷飼いしてんだろ?」
ミツイは、エルデンシオ王国へやってきて以来、防壁内で家畜を飼っている様子を見ていない。
聞いた話では牧場があったりもするそうだが、それは防壁の外側に柵を作ってあるという。馬車などの停留所も、すべて防壁の外側だ。
動物を防壁内に持ち込もうとすると衛視にいったん停められる。安全性の確保を行い、無害であると認められた場合のみ防壁内に入ることができるが、その審査の時間を惜しむ人々は防壁外に停留所を作り、行商人などの馬車置き場なども防壁外に施設がある。
なぜ、そうまでして警戒するかといえば、地下下水道のネズミ退治が依頼になっているのと同じ理屈であった。
都市国家になっているエルデンシオ王国首都では、防壁内の動物の持ち込みによる病気の発生を警戒しているのだ。
「病気、か……」
ぞくりとして、ミツイはチビスケのあご辺りをうりうりと撫でた。
元気にしているチビスケが、病気で苦しむ様子など見たくない。エルデンシオ王国に来てから風邪一つ引いていないミツイだが、日本にいたころはそれなりに病気をした。祖母は癌で亡くなっているし、幼馴染がインフルエンザで寝込んだ時などは、あまりに苦しそうで、このまま死ぬんじゃないかとヒヤヒヤした覚えだってある。
そもそも、病気というものは怪我ほど目に見えないのに良くなっているかどうか自分では判断できない代物だ。日本には医者だっていたし、内科、外科など症状に合わせて目的の場所に行けば良かった。目に見えないような小さな病魔であっても撃退する手段があった。
だが、エルデンシオ王国の医療事情がミツイには分からない。魔法があるのだから、病気治癒魔法くらいはありそうな気がするが、アルガートの説明を考えると竜がかかったという病については効果があるとは思われない。あるいは、効果はあるけど追いつけないほど病気の広がりが早いのだろうか。
漠然とした不安にかられ、ミツイはぶるりと震えた。
『……ツイ、ミツイ』
声がした。聞き覚えのあるものだ。
「誰だ……チビスケ、おまえか?」
腕の中で小さくなっている丸い塊に声をかけるが、チビスケはすぴょすぴょ眠っている。
『誰がチビスケやねん』
「!キャシーか!」
『せやせや。ウチみたいな可憐な声の持ち主が何人もおってたまるかいな』
「可憐て……。いやまあ、キャシーの声はかわいいと思うけど」
『真顔で言うない、照れるやんか!』
近くにいたらビシバシと叩かれているのは間違いない声音で言われた。耳を掴まれて叫ばれたかのように耳の奥がキーンとする。
『まあ、ええわ。ミツイ、竜と契約したんやってなあ?』
「あ、ああ。よく知ってんなあ。なりゆきっつーか。よくわかってねえんだけど。ここにいるぞ。チビスケ」
『見えへんっちゅーに。……ウチ、ミツイと契約せんかってよかったわ。そないな名前つけられたらかなわん』
「悪かったよ!まさかそのまま名前になるなんて思ってなかったんだよ!」
『名づけ親ゆうんはなあ、一生恨まれるもんなんやで。キラキラネームつけよって後々後悔してもしらへんで。白くて雪のように美しい姫っちゅー名前つけられたブサイク姫さんのこと知っとるか?すっかりひきこもりになってしもて、仲間内とちっぽけな小屋にこもりよってなあ。城の仕事もようさんと毎日おさんどんしとったっちゅー話や』
「え。それ、なんの話だよ」
『名前は重要やっちゅー話やな』
キャシーはこほんと咳払いをした。
『時間がないからさっさと済ますで。そのチビスケ、そばにおるんやな?』
「ああ」
『寝てる間、魔獣っちゅーんは無防備になるんや。主人のそばを離れると、存在が保てなくなったりする。そうなると元の世界に戻ってもうて、二度と来られんくなる。三日間くらいはそばに置いといてやりい』
「……そ、そうなのか?」
『まあ、魔獣にしてみれば契約した後でもやり直し気がきく期間やし、悪いもんやない。ほら、ゆうやろ、くーりんぐおふちゅーてな。ん?この国はないんやったかな』
「クーリングオフ?なんで知ってんだ、そんなこと?」
『っとお、時間切れや。じゃあ、ミツイ、またな』
「え。あ?おーい?!」
なんのために話しかけてきたのか分からなかったが、キャシーの声を聞いたミツイは改めてチビスケを見下ろした。
「キャシーも召還された当時エルさんと一緒に寝たのかな。想像できねえなあ……」
想像の中のキャシーは、ハロウィン衣装のようなコケティッシュな服装をした少女の姿だ。今の姿で一緒にベッドに入っていたら、姉妹というか母子のようである。一度だけ見た犬のような獣姿であればともかく……と想像して、ミツイは首を振った。大きさがとんでもなかったので同じベッドに入れるとは思わなかった。
さて、承諾したはいいが、チビスケと一緒に寝ると言うのは大変だった。
「痛たたあたたたたたったたたたたた!?」
噛まれた。手首まで口の中でもごもごされ、鋭い牙が手の甲に食い込んだ。
「ぎゃあああああああああああああああ!!!??」
もがれるところだった。手首を掴んだまま、口をくいっと動かされたのだ。肉食獣が肉を引きちぎるのと似ている。
「うひぃぃぃいいいいいいいいいいいい!!!!」
爪で腹を引っかかれた。もう少し鋭い爪だったら腹の中身が表に出ていただろう。
「ひぎいいいいいいいいいいいいいい!!!???」
頭を噛まれた。甘噛みだったから血みどろになるだけで済んだが、ミシミシと頭蓋骨を食い破ろうとしている牙に本気で命の危機を感じた。
「あぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ!!」
尻を噛まれそうになった時にはとっさに身をひねった。鋭い歯が並ぶ口が、名残惜しそうにガッチンガッチンと打ち鳴らされるのには恐怖を覚えた。
幼竜は成竜と異なり、その牙も爪も未熟であり、火を吐くことも空を飛ぶこともできないという。確かにもう少し鋭い牙であれば食われているだろうし、もう少し怜悧な爪であれば引き裂かれていただろう。炎で消し炭になることも、はるか上空から落とされることもあったかもしれない。だが、もしもの最悪のケースでなかったにしろ、頭から血をダラダラと流し、腹にはみみず腫れが出来、手には歯型が残り、腕のひねって青紫に腫れた部分は脱臼しかけというありさまは、無傷とは言えなかった。
ミツイはその日一睡もできなかった。
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ミツイ・アキラ 16歳
レベル3
経験値:99/100(総経験値:299)
職業:魔獣使い
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き、飛脚、剣闘士




