34.ミツイ、剣闘士になる(その4)
剣闘ショーの朝は晴天だった。主催者のヘルムントはよほど日ごろの行いがいいようだ。そもそも昨夜、星が瞬くほど天気が良かったのだから、朝になって曇天になっている可能性など低かった。
ぞくぞくと客が入っているようで、円形劇場はざわめきが包んでいる。
ミツイがいるのは控え室だ。そばには世話役の男が立っている。芸能人のマネージャーのようなものなのか、進行に合わせてミツイを会場入りさせるのが仕事らしい。円形劇場には地下があり、部屋や通路がさまざまに入り組んでいた。現代で言うところの奈落のような仕組みを作るために、あらかじめ地下にスペースを設けてあるらしい。話によれば、水を張って水泳や船を浮かべたりという演出もできるそうで、ミツイはむしろ観客側で来たかったと思った。
「対戦相手は、もう来たのか?」
「まだじゃないでしょうか。主催者が連れてくる演出になっているようなので」
開始時間を確認しながら世話役が答える。まったく待たせてくれる、とミツイは椅子に座り直した。
今日のミツイはショー用の衣装であった。といっても、『野蛮な奴隷剣闘士』役なので、上半身裸に、下はズボン、足元は靴というスタイルだ。当初、腰巻のようなものとサンダルを用意されて、ミツイは必死に抗った。蹴りでも放ったらいろいろと見えてしまうではないか。サンダルも履き慣れないものを使うと踏み込みが悪くなるので、ただの靴で代用した。未開人のイメージをつけたかったらしく、毛皮だの腰みのだのを用意する計画もあったそうだが、観客席に王女も招待する関係から、粗野なイメージで留めたそうだ。上半身が裸なので、剣先が少しでも掠ったら大惨事である。タイムリミットがあるのかどうかも不明だが、どこまで逃げられるかが勝負であった。
手にした片手剣と盾との確かめる。持ち手のところが試合中に取れたりしたら困るからだ。当日の持ち物に悪戯がされているような嫌がらせはなかったようで、ミツイは内心ホッとした。
「予定は、どうなってんだ?」
「開会式が10時からありまして。ヘルムント殿下がご挨拶されます。招待客としていらっしゃる王族の方からも挨拶があると聞いてます。その後、剣闘士紹介がありまして。試合は11時からですね。試合時間は最長で1時間を設けられてますが、一対一の場合、そこまでかからないのが普通です」
「そうなのか?」
「はい。疲れますから。1時間の枠は用意してありますが、開始10秒で決着がつくことも、ないわけじゃありませんし」
開始10秒での勝負と聞いて、ミツイの脳裏をゴングが鳴り響いた。どう考えても、開始早々のノックアウトだ。だがボクシングだって当たり所が悪ければ試合中に死にかねないし、ノックアウトでやられた場合、試合後に後遺症が残って死ぬケースだってある。そして、ミツイの場合、気絶では済むまい。心臓を一突きされて死ぬことは避けたいところだ。
「ルールの話だけど、持ち込める武具は片手剣と盾のみ、衣装は用意されてたこの格好のみ、でいいんだよな?向こうも同じだよな?」
「はい。技量の差が明確なのでなんらかのハンデを設けた方がいいのでは、という申し出があったと聞きますが、今回の試合は賭け事じゃありませんので、公平にする必要もないので」
「……」
「会場外でやる分には問題ないですけどね。オッズがどのくらいか分かりませんが、たぶん、いつものとこが胴元してるでしょう。ミツイ選手の勝ちが当たると一攫千金みたいです」
まあ、そうだろう。とミツイは思った。自分だって勝てる気がしない。
「なあ、その賭けって、合法?非合法?」
「非合法では、ないですね。ギリギリ。あ、でも、選手の方は参加できませんよ。わざと負けたりされると盛り上がらないので、そういうのはナシってことになってます」
「……なーんだ」
どうせなら、自分の所持金全部を賭けておこうと思ったのに。
円形劇場の地下に歓声が響く。どうやら開会式がはじまったようだ。
戦い開始が11時ということは、1時間近く挨拶が続くということで、誰が喜ぶんだと思いながら、ミツイは体をほぐしていた。急な運動で筋を痛めるのは遠慮したい。
ミツイは、時間が近づくにつれて、緊張してきた自分に気づいた。
時間です、と声をかけられ、ミツイは円形劇場の地下から地上へと上がった。
客入りは良いようだ。全面に渡って観客席が埋まっている。
逆光に目を細めながら、ミツイは自分が紹介されるのを聞いた。名前と身長程度だ。観客はミツイの素性には興味がないと考えているのかもしれない。
アルガートは昨夜とは異なり、上半身裸にズボン、そしてマントの代わりにたすきがけの布のようなものを身に着けていた。豪奢な装飾が縫い取りされているところを見ると、身分に配慮した装飾なのだろうかと思ったが、それが余計なお世話であろうと思うのは、布のせいで左腕の動きが鈍いせいだろう。邪魔そうにしながら、肩から落ちかけた布を戻しているのが見える。
体格差があるのは知っていたが、こうも肉体美が異なるのかとミツイは思った。アルガートは絵に描いたような細マッチョだった。
片手剣と盾を構え、開始の合図を待つ……、と、空に影が走った。
(……あ?)
晴天が翳ったのかと思い、ミツイはチラリと頭上を見上げた。雲ひとつない空に、何かが頭上を横切る。
試合開始の鐘が鳴り響く。ゴーンというその音の、三音目が鳴った瞬間が、試合開始だ。
『アブナイよ!』
脳裏を甲高い声が響いた。
(……ッッ!)
脳天を割るような一撃が振ってくる。とっさに身をひねろうとしたミツイは耳の辺りに衝撃を受けて、地面に沈んだ。




