33.ミツイ、剣闘士になる(その3)
剣闘ショーのため、ミツイは前日から会場入りすることになった。
ショーのメインはあくまで相手の国賓であるようで、対戦相手であるミツイはこっそりと会場入りして欲しいという意向であるようだ。メインは馬車とパレードを伴って入場するらしいと聞いて、絶対一緒にされたくないと思うミツイである。豪華とはいえ軟禁されていることには変わりない現状よりは精神的にもいいという理由で、ミツイは軽くそれを承諾した。
その際、手枷を本番用と交換してもらっている。どう違うかと言えば、錆びておらず、新品のようだった。また、囚人用は両手を一つに固定できるようになっているが、これは違うらしい。左右の手枷を統合する金具がついていないため、あくまで魔法の制御のみのようだ。せっかく練習した手枷を使った防御方法は使えなくなっていた。手枷が新品で誰が喜ぶんだと思ったが、鎖がジャラジャラ言う音も涼やかで、余計な金具もないために武器を持つのに邪魔にならない。見栄えという点においては有効のようだ。
「東京ドームみたいなもんかと思ったんだけど……。なんつーか、もすこし野外劇場なんだな」
円形劇場は、中央が舞台になっており、それを囲むように座席が設置されている。石造りかと思っていたが、土面だった。どの席からも見えるようにか、中央がくぼみの底になっており、座席は後部ほど高い位置に作られている。ミツイが想像していたドーム球場のイメージからさほど離れてはいなかった。劇を行う際は、役者の後部の座席には人が入らないようになっているらしい。役者の背側ばかり見える席というのは、確かにあまり良い席ではない。一番いい席は、一目で分かった。他の席がずらっと椅子が並んだ席なのに対し、区分けされて数名しか座れないようになっている席があったのだ。いわゆるVIP席なのだろうと理解して、ミツイは顔をしかめた。明日はおそらく、あのVIP席にミツイの戦いを見てやろうという物好きが座るのだろう。
時刻はもう夜だった。夕刻までは別の催し物からの設営変更作業があり、人目につくからと会場入りを断られたのだ。
空には星が瞬いていて、視界はどんどん悪くなる。魔道具には光そのものを発するものがないため、会場に用意されている魔道具はかがり火を点すものだけらしい。一般席を照らす明かりは魔道具ではない、ただのかがり火であるようだ。炎が作る明かりは、光量は少なめで、影は暗い。お世辞にも目に良くなさそうな明かりである。だが、祭りの夜のような雰囲気があり、不思議とミツイは楽しくなってきた。
自分が命がけで戦うのを、誰かが笑って見ているというのは気分が悪い。だが、祭りということを考えれば、剣闘ショーを楽しみにする人間の気持ちも理解はできた。テレビでバラエティを見る時、身を張った芸能人たちの苦境を、むしろ腹を抱えて笑いながら見ていたことを思い出す。それと、同じなのだろうと思えば、ミツイの不満は二点に絞られる。死ぬかもしれない、という点と、このショーによる見返りがない点だ。高額の報酬でも約束してくれれば、報酬に目がくらんでショーに出ることもあるかもしれないというのに。
「やれやれだ。さーて、確か控え室で寝ていいって話だったよなあ」
明日のために今日は早めに休むとしよう。そう結論付けて、円形劇場の地下へと向かおうとしたミツイは、剣戟の音に気づいて顔を上げた。
金属音、それも剣の音だ。
物騒な予感がして、ミツイは息を潜めながら音の方へと近づいた。少しでもヤバそうなら全力で逃げようと思いながらも、現場をチラとも見ないで逃げるのは逆に心臓に悪い。
音の方を覗き込んだミツイは、そこに見えた光景に目を丸くした。
剣戟の主は、一人だった。てっきり剣と剣とがぶつかってる音だと思ったのだが、金属の丸太のようなものを斬りつけているようだった。よくよく見ればその人物の持つ剣には刃がない。あらかじめ刃をつぶしてあるのか、金属の丸太などを斬ったせいで使い物にならなくなったのかは不明だ。
肌の色が浅黒く、精悍な顔立ちの男である。粗めのシャツにズボンというラフな格好をしている。右手で片手剣を持ち、左手には小さな盾を持っていた。ミツイには鍋のフタにしか見えなかったが、バックラーというタイプの盾だ。
覗き込んだミツイに気づいたのか、男はすぐに動きを止めてミツイをにらんだ。
「見覚えがあるな。君、俺とどこかで会ったことはないか?」
うわぁ、とミツイはのけぞった。にらまれたと思ったのは勘違いであったらしく、単に眼光の鋭い男であったようだ。だがミツイが驚愕したのは男の声だった。バリトンのものすごい美声であったのだ。どこの声優だ、と思いながら視線を返すと、男は剣を鞘に仕舞ってから近づいてきた。間近で見ると若い。身長が190センチ近いせいで気づかなかったが、ミツイと同い年くらいだろう。
「たぶん、会ってねえと思うけど。さすがに、あんたみたいなイケメン見たら忘れねえよ」
「イケ……?褒められたと思っていいかな、それは」
「うん、褒めた。で……、うん?」
ミツイもどこかで見覚えがあるような気がしてきて、首をかしげた。しばらくして、唐突に思い出した。
「へるむんの屋敷にいたヤツか。槍だかなんかを使ってなかったか?」
「ああ。俺は本来は槍……、それも長槍を使う」
男は肯定して、破顔して笑った。
「君、ヘルムントの屋敷の二階にいただろう。部屋の中で鍛錬するような者はあまりいないから、面白くてな。それに、あの屋敷では自主鍛錬に勤しむような者がほとんどいなくてつまらなかったんだ」
「そりゃ、あれは主人の家だろうし。護衛の騎士とかはしてたんじゃねえの?鍛錬場とかで」
「どうかな。正直なところ、ぜひともやりあってみたい戦士に会えてなくてね、この国は退屈なんだ」
「へえ。……エルデンシオのヤツじゃねえの?」
ミツイは首をかしげて尋ねた。この国は退屈ということは、別の国の人間なのだろうか。
「俺は、君たちが言うところの竜騎士の国……、ロイネヴォルクの人間だ。名を、アルガートという。よろしく」
「おれは、ミツイだ。こっちこそ」
差し出された手に握手を返す。それを、アルガートは楽しそうに握り返してくる。
「得物が手に馴染んでないらしいな。君は、戦いは苦手な方か?」
「は?」
「タコだよ。同じ得物を使っていると手に癖がついてくる。驚くほど君の手はやわらかい……赤子のようだな」
「褒めてねえよな?それは」
「まったく」
どうやらアルガートは正直な性質であるようだ。悪びれなくにこやかに笑いながら肯定する。
「だが、君は明日、剣闘士として出てくる予定だろう?ならば、多少なりの基本は覚えておいて欲しい」
「……は?」
「明日の得物に慣れておいてくれ、ということだ。言っただろう、俺は退屈していてね、あまりにも拙い動きをされると加減を間違えて殺してしまうじゃないか」
「……?」
「会えて良かった。俺も、剣と盾というものには慣れていなくてね。予習をしていたんだよ。君も参加してくれ」
強引に剣と盾を握らされ、ミツイはあれよあれよという間に金属の丸太の前に立たされた。いつのまにかアルガートも自分の分を手にしている。
「状況がよく分かんねえんだけど。おれの、明日の対戦相手ってのが、アルガートなのか」
「ああ、そうだ。君の幼竜誘拐という罪状に、自ら処分を与えようとする王子様さ」
冗談めかして笑うアルガートの姿は、王族だと言われても納得のいくものだった。シャツにズボンというラフな格好でなければなお良かったろうが、エルデンシオの洋風衣装よりは、アラビア風の王子にでも扮してもらいたいものだとミツイは思った。肌が浅黒いから似合うだろう。
ヘルムントから聞いて想像していたような、怒り心頭中といった雰囲気はない。穏やかで、どこか余裕のある空気は、高貴な身分故のおおらかさなのだろうか。
「幼竜誘拐の詳細については、又聞きでしかないからね。本人からきちんと聞きたいと思っていたから、それもちょうどいい。まずは、剣と盾の動きに慣れてくれ。……まず、適当でいいから構えてくれるか」
ミツイは半身になり、剣を腰あたりで、盾を顔の前で構えた。何も教わらず身構えろと言われたら、人間は拳を顔の前で構えるだろう。その拳が多少重みで下がっている程度の構えである。
「その体勢で剣を突き出せと言ったら、どうする?」
言われるままにミツイは剣を突き出した。アルガートは左足を引いてミツイの攻撃をかわすと、流れるように右手の剣を振り下ろした。ピタリとミツイの右腕の上で刃が止まる。止めなければそのまま、腕が切り落とされたと分かるほど、無駄のない動きだった。コン、とアルガートの盾がミツイの剣を弾いた。その音でミツイは我に返った。
「切りつけろと言ったら?」
もう一度、ミツイは構えに戻った。今度は盾でアルガートの剣をガードするつもりで、左の盾を目の前に据え置きながら右手の剣を振り下ろす。大振りに下ろした剣は、アルガートの剣で左へ受け流された。さらに盾で剣の持ち手を押さえ込まれ、気づいた時には剣先が背中を狙っている。
「今ので何か気づいたことはあるか?」
「……この盾って、受け流し用なのか?」
「半分正解。片手剣とバックラーの組み合わせなら、盾は受け流し用に使う方がいい。そのために、軽量で丸いんだ。だが、受け流し専用なんてことはない。真正面からの突きだって、力を流さなければ手が痺れる上、攻撃に転じることができないだけで、きちんと防げる。単に、受け流す方が効率がいいだけだ」
「……気になること、一個言っていいか」
「ああ、なんでも言ってくれ」
「これさあ、身長差あるのに同じ武装って不利じゃねえ?」
ミツイとて、同年代の日本人男子としては小柄だとは思っていない。170センチを越えているし、身長にコンプレックスを抱いたことはないのだ。だが、相手は190センチ近く、へたをすると20センチもの差があるのである。せめてこちらの武器が長物で向こうが短いのならいいのに。
「そうでもない。武装が同じなら条件は同じだ。拳の勝負なら、確かに体重が多い方が有利だけどな」
ミツイには半信半疑だった。20センチの差は腕の長さや足の長さにも影響する。片手剣の長さであれば、ミツイでも相手の頭上に剣が伸びるが、振り下ろす力はどうしても伝わらない。達人と言われる人たちならば、多少の体格差など物ともしないのかもしれないが、体格も技量も負けている相手に、どうやったらいいというのか。
常に盾を頭上に向けて、剣を振り下ろされるのに警戒しなくてはならない。狙いどころは空いた胴体だろうか。顎の下辺りを狙ってすくい上げるようにすれば良いのか。だが、急所の首をピンポイントで狙うのは、ショーとしてはどうなのだろう。殺意がありすぎて我ながら自重してしまう。
「なあ、あんたは、別におれを殺したいわけじゃないんだよな?」
確認をとるようなミツイの声音に、アルガートは笑った。
「どうしてそう思う?」
「へるむんの言うように万死に値するっつって殺したいなら、何も教える必要はねえだろ。それに、加減を間違えて殺すかもっつーことは、加減してくれる気があるってことだ。物は相談なんだけどさ、おれは別に勝ちたいわけじゃないが、死にたくはねえんだよ。だから……」
「お断りだ」
アルガートは笑った。にっこりと、悪びれない調子で言う。
「俺は、戦いに賭けを認めない。戦う以上、自分の命を賭けているんだからな、それ以上のチップなどないだろう。取引も認めない。俺は、戦いには戦い自体の価値しか求めていない。勝敗に余計なものを持ち込む行為は気に入らない。だが、君が『死にたくない』と言っていたということだけは記憶に留めておこう」
「……」
「さて、どうする。俺は、君を少しでも楽しい対戦相手にするために、努力を惜しまないつもりでいる。いくらでも鍛錬に付き合う気なんだが?」
「……あいにく、おれは睡眠時間を削ると動けないタイプなんだ。基本の型だけやってみせてくんねえか?それ見て、参考にするから」
「しかたないね。では、鍛錬に戻る前に一つ聞きたい。幼竜誘拐をしたのは、君かい?」
「ちげーよ。石化して捕まってたのを保護したのは、確かだけどな」
「石化?幼竜が、か。どんな魔力の持ち主だ、それは」
「知らねえよ。あ、いや、石化した犯人はもう捕まってるぜ。悪用された本人は別にいるけど……」
「仮にも幼竜だ。並みの人間に石化などされるはずが……」
「知らねえって。衛視団にでも事情を確認すりゃいいだろ。なんでしないんだ?」
アルガートは少しばかり迷った顔をした。
「君は、国の重役というわけではないようだね」
「ああ、ちげー。重役なんだったら、こんなことにはなってねえだろ」
ミツイは自分の手首にはめられた手枷を見せながら言った。
「他国内で行われている調査状況を、横から調べようなどとしたら国際問題になる。俺が聞くことができるのは、国賓対応に当たってる人物の口からに限られる」
「面倒なんだな」
「まったくだよ。……さて、でははじめようか。基本の型だけで良かったね?」
「ああ」
アルガートはその後、数パターンに渡って型を見せた。技の基本には相手が必要だったので、基本の動きだけだ。何度か繰り返してもらい、原理は分かったが、ミツイが数時間練習したところで身につくまい、ということが分かっただけだった。
収穫はあった。明日に備えて心の準備をするくらいはできるだろう。
「そういやあ、あんたは王子なんだろう?ロイネヴォルクって、どんな国なんだ?」
帰りがけ、背を向けたアルガートに向けて尋ねると、彼はにこやかな笑みをわずかに歪めた。
「山岳地帯だからね。食べ物に恵まれているとは言えないが。竜の里に近いこともあり、国民は皆、強者に憧れる向上心あふれる強い国、……だった」
「だった?」
「ああ。魔物に襲われ、今は見る影もない。竜騎士たちは、散り散りに逃げる国民の護衛をするのに精一杯、国を奪い返すような力もないありさまだ。俺が国を離れた後、最後に残った国王陛下も、どうなったことやら」
アルガートにはあまり悲壮な気配はなかった。だが、無念そうな気配は見てとれて、ミツイは首をかしげる。現実の王子というものは少なからず国への責任を持っているものだろうとミツイは思っていたのだ。魔物に国を滅ぼされたとなったら、涙と悔やみを持って復讐の旅に出てもおかしくはない。だが、目の前のアルガートは実にさばさばしたものだった。
「心配じゃねーの?あんたの国なんだろ?」
「心配だよ。だから、国に近づかないことにしている」
「……は?」
「国内に王族が残っていれば、抵抗勢力とみなされる。連中が民を弾圧するのに理由を作るわけにはいかないだろう」
ミツイにはアルガートの気持ちが良く分からない。
王族なんて責任の重い立場になったことがないからか、日本で平和ボケな空気にどっぷり漬かってきたからか。嘆いたり不幸そうだったりするのではなく、さばさばしているアルガートの気持ちを共感できない。
「……なあ」
もう少し話をしてみたい。ミツイはふとそう思ったが、残念ながら叶わなかった。
一通りの演武を見せたアルガートは、「そろそろヘルムントの屋敷に戻らないとまずいな」と呟いたのだ。明日、改めて馬車に揺らしてやってくる予定らしい。ご苦労なことである。
「そっか。なら、仕方ねえな。また明日」
「ああ。楽しみにしているよ」
心底楽しそうな笑みを浮かべながら、アルガートは円形劇場から去っていく。
その後姿に、ミツイは無性に腹が立った。
この出会いは一体、何のためだ。
ヘルムントのことが気に入らないミツイにしてみれば、ヤツが連れてくる対戦相手など、腹の立つ男で問題なかった。思いつく限り、無駄な足掻きをして対戦相手を貶めて、なんとか勝利してヘルムントの鼻を明かしてやろう、くらいの気持ちでいた。何しろ命がかかっているのだから、何をしようと文句を言われる筋合いはない。可能であれば隠し武器の一つや二つ用意しておきたかった……使いこなせそうにないので諦めたが。
だが、ミツイはアルガートのことが嫌いではないようだ。顔がいいのと体格がいいのと実力もありそうなのと身分まで高いのは業腹だが、話していて嫌な気分にはならない。遊び半分に組み手などしたらいい友達になれるのではないかとすら思う。そんな相手と、殺し合いたいわけがないだろう。
「竹刀に変更とか、できねえのかよ」
手元に残された片手剣と盾は、忌々しいほど実用品だった。




