30.ミツイ、待遇改善を希望する
私の名前はエレオノーラ。このエルデンシオ王国の首都にある、職業紹介所の職員である。
職業紹介所の上司、マクスウェルさんに向かって難しい顔をする私の横で、エル・バランさんが唸っている。
問題はもちろん、保釈作業中だったミツイの件である。容疑不十分という形で無罪放免のための手続きを行っていた矢先に、カルシュエル公爵子息の動きがあった。
幼竜誘拐の罪についての是非を一足飛びにして、国賓であるロイネヴォルク王国の王子自らによる処断という暴挙に出たのだ。暴挙は暴挙だが、もともとエルデンシオ王国では裁けない類の罪であるため、なんらかの形で容疑者をかの国に引き渡した後であれば向こうの裁判にかけられることは想像にかたくない。それが、たまたま我が国の国内で、しかも見世物としてショー仕立てに行われるだけなのだ。
円形劇場は国の施設だが、運営はほぼ民間に丸投げされている。カルシュエル公爵家は公爵子息の道楽により、かなりの金銭支援を行っているので、円形劇場側から彼の企画を断ることは滅多にない。
ミツイはエルデンシオ王国の人間ではない。そのため、国家からの保護はさほど期待できない。カルシュエル公爵子息は国側の人間であるため、なおのことだ。たとえそれが、私的な殺害のために利用されようとしていると思われても、はっきりと明言していない行いである以上、止めることができない。剣闘士による剣闘ショーで人死にが出るのは事故であり、それが目的ではないからだ。
「……問題は、ここまで根回しされてしまうと、撤回できないということです」
「カルシュエル公の子息は、よほど立ち回りがうまいのか」
「いえ、どちらかというと企画物が好きなのだと思います。政治が好きだという噂はあまり聞きません。姫君と婚姻を結ぼうという野心程度はあるようですが」
「まあ、そうでなくても公爵家くらいになると、対等な婚姻相手は早々おるまい」
「そうでもありません。野心がなければいくらでも。逆に選り取りみどりかもしれません」
「ふむ……?」
「公爵家と縁続きになりたい貴族の家はいくらでもありますので、相手が決まっているのでなければ断らないでしょうし、貴族でなければ玉の輿と言えなくもありません。公爵子息は無能というわけではありませんので、一代での没落は懸念する必要もないでしょうしね」
「ふむ」
エル・バランさんは一応の納得を見せたところで話題を変えた。
「……公の子息への面会申し出は断られた。忙しくて時間が取れないと言ってな。ただの名目だと思ったが、こうも動きが早いのであれば、忙しいのは確かのようだ」
「そうですね。名代としていらしている以上、公爵に代わって挨拶回りなどはあったでしょうし。とはいえ、ミツイさんの前の職場上司だと分かっているため、避けたということも考えられます」
「自分が抗議すると?」
「公爵子息も、自分がしていることが万人の支持を得られるものでないことくらい分かっていることでしょう。
ロイネヴォルク王国の処刑の場として提供するということは、我が国がかの国に媚びているととられてもおかしくないのです。魔物に襲われたロイネヴォルクへ、援助はしても介入はしないというのが我が国のスタンスのはず。それを変えようと考えているのは間違いないかと」
「なんのために?」
「第二都市は、この国で唯一、かの国からの難民受け入れ態勢をとっている都市です。そのため、援助費用の負担が増大していて、国庫から予算を確保して欲しいという申請がされている、という噂があります」
「まことしやかな噂話だな」
「まあ、一定以上の見識の持ち主であれば予想される反応なのでしょう。第二都市だけが費用を負担するというのも、確かにおかしな話ですし……。ですが、国への抗議として行うのが、ロイネヴォルクへの肩入れパフォーマンスとは、いささか道楽にも過ぎるというものです」
「効果があるのか?」
「分かりませんね。ですが、知名度は高まるでしょう。ロイネヴォルクの王子自身が出場するショーというのは。その会場で、彼が自分たちの境遇についてアピールすれば、同情票が集まり、国からの支援を求める声が市井から上がってくるということは、予想できます」
「なるほどな。その問題は別として、ミツイを助けるにはどうしたらいい」
「ええ、そのことなのですが……」
私はそこで、会話を切り、先ほどから空気になっていたマクスウェルさんへと視線を向ける。
「どうしたらいいと思いますか」
「そのためにこの場に私を呼んだのか」
「当然です。上司ですから」
「この件は、職業紹介所の権限を、遥かに逸脱しているぞ」
「存じております」
「……」
「法にお詳しい方と思い、相談しているのです。この件を、例外などを用いて解決することは、今後のミツイさんのためになりません。また職業紹介所としてもおかしな前例を作るべきではないと思っております。
ですが、この剣闘ショーへの出場を認めてしまうと、ミツイさんは、自らが幼竜誘拐犯であり、その罪を負った、ということを事実だと認めたことにされてしまいます。他国の王子が介入してきた問題に対して、後々無実であったとなれば、無実の罪を裁かせたということで、王子の評判に傷を作ったという汚点をエルデンシオ王国が負うことになりますし」
「……はぁ」
マクスウェルさんは溜息をつき、大きく首を振った。
「まず、だ。エレオノーラ、君はなぜミツイが死ぬと思っている?」
「それは……剣闘ショーだから、でしょうか。
ヘルムント殿が殺戮ショーを見たいがために企画したのは間違いないですし。剣闘ショーはエルデンシオ王国では何十年も行われていない催しですが、実施されるたびに何人もの剣闘士奴隷が死亡しています。剣闘士同士の戦い、猛獣との戦いなど様々ですけど、基本的に高みから命をかけた戦いを見たいという野蛮な催しですし。一時期行われていたトーナメントでは、チャンピオン以外は全員死亡したと聞きます」
「まあ、女性には理解しづらいものかもしれんが、野蛮と一言で片付けるのは乱暴だな」
私は眉根を寄せてマクスウェルさんを見返す。
「ぴぃぴぃっ」
私の足元でチョロチョロしている爬虫類。丸っこくコロコロしているため、遠目からは羽毛に包まれた丸い毛玉のように見えるだろう。だが、よくよく見れば鱗であり、触り心地はすべすべしているがやわらかくはない。
未だに名前はつけていないが、騒動の元凶になった幼竜は、幼い声を上げている。彼か彼女か分からないが、幼竜にも人の命がかかった会話をしていると分かるのかもしれない。どこか神妙そうにマクスウェルさんを見上げた。
「命がかかった戦いを見たい、というのは、男には理解のできる感情だ。数代前のエルデンシオ王国ではそれを野蛮だと談じる権力者によって、劇場での開催が禁じられた。そのため、……裏闘技場などでのみ開催される催しになっている。このあたりの法に触れる部分はさておいて、公爵子息も企画好きな人間だからな、機会を狙っていたのは想像にかたくない」
「……」
「まあ、そう睨むな。この傾向は平和だからこそ出てくる発想だ。常日頃から戦いの中にあり、いつ命を落とすか分からないでいる人間は、わざわざ金を出してまでそれを見ようとは思わん」
「……そう、かもしれませんが」
「剣闘士がなぜ死ぬのか。それは、命を落とすまで戦えと命令されているからだ。だが、公爵子息にだって、この平和なエルデンシオ王国でショーとして開催した場合、本当に命を落としてしまったら、観客から不快だと抗議が来ることは分かっている。だから、あくまで、ショーであって、殺すかどうかはロイネヴォルクの王子の考え次第だ」
「……ロイネヴォルクの王子は、好戦的と聞きますよ?血を見るのが好きな『血まみれの赤き竜』と呼ばれる男だとも」
「だが、王族だ。自国の民の安全を確保するためにやってきた国で、相手の国民を不快にしたら援助が受けられなくなることくらい、予想がつくだろう。パトロンである公爵子息の気持ちが満足する程度に『戦い』を見せて、それで勝負をつければミツイを殺すまではしないで済むはずだ」
「マクスウェルさんの目から見て、王子は理性的な人物なんでしょうか」
「……」
そこで沈黙する辺りが、ロイネヴォルクの王子への評価なのである。
ロイネヴォルク王国は、竜騎士の国とも呼ばれる。竜の里に一番近い場所にある国で、軍一つが竜騎士によって形成されるという国なのだ。もちろん、竜騎士以外の兵力もいないわけではないが、竜騎士のサポート役であって、メインが竜騎士なのは間違いない。竜騎士というものは視覚的にも戦力的にもピカイチであり、竜騎士を一軍分も保有する、ロイネヴォルク王国自体も脅威と考えられてきた。
この国で、トップ3に入る腕前だと言われているのが第一王位継承者であるアルガート。一般的にロイネヴォルクの王子といったら彼のことを指す。相棒である竜に跨り、高速で繰り出す長槍の腕前は一級品。また、彼が命を奪った敵の返り血で竜自体もまた血の色に染まり、ついたあだ名が『赤き竜』である。
全土に多数ある王国のうち、軍一つが竜騎士で構成されているのはこの国だけで、幼竜を育てる技術を持つのもこの国だけだ。ほかの国は、竜の里まで行って竜騎士の称号を得た者を雇い入れるくらいしか方法がない。あるいは、前の竜騎士が引退する際に、その竜を引き継ぐ者が新しい竜騎士になる、という具合。
年齢は20代で、精悍な顔立ちの、武闘派王子だという。
国が近いこと、年齢が近いことからエルデンシオ王国第一王女の婚約者候補の一人である。
「幼竜が言葉を話すことができれば、彼に罪がないことをロイネヴォルクの王子へ告げることもできましょうが……」
ぴいぴいと鳴く以外には言葉を発する様子のない幼竜を見下ろして私が呟く。
エル・バランさんは首を振った。
「一定以上の知能を持つ魔獣であれば、会話は可能だ。だが、この幼竜はまだ契約を行っていない。言うなれば野生に近い存在だからな。難しいだろう」
「契約者がいれば?」
「以前にも言ったが、野生の竜と契約を結べる者はそうはいまい。竜の里に近い、ロイネヴォルクの王子であれば可能かもしれんが、この場合に対戦相手である王子にそれを求めることは困難ではないか?」
「ミツイさんとの対戦前に、話をする機会があれば……ということでしょうか」
だが、それでは幼竜の処遇がロイネヴォルクに移るだけで、剣闘ショーを楽しみにしているであろうカルシュエル公爵子息の気を変えることができない。どちらにせよ幼竜についてはロイネヴォルクに還すことが決まっているのだから。
ロイネヴォルクの王子が理性的な人物で、短絡的にミツイを殺さないことを期待するしかないとは、なんとも頼りない。
「ミツイさんはこの国にいらしてから、職歴に『盗賊』が付いています。事情を確認する限り、何か盗みをしたというわけではなく、女盗賊を捕縛する際の行動によるもののようですが……、これでさらに幼竜誘拐による悪点が追加された場合、まともな職に就くことが困難になるんですよ」
「……エレオノーラが彼を援護したがるのは、そのせいか」
「ええ。ミツイさんは、私が担当して、職業紹介を行った人物です。彼の人柄を評価する上で、このような扱いを受ける人物ではない……と、思っています」
「その上で、職業紹介所としては彼の職歴を綺麗にしてやることはできん、と」
「それは職歴詐称ですから」
三人での話し合いは、しばらく続いたが、これといった打開策はまとまらなかった。
□ ■ □
「そういえば、カルシュエル公爵子息は、公爵令嬢とは面会したんですか?」
話し合いに疲れた私が、マクスウェルさんに話題を振る。同じく疲れた様子を見せる彼は首を振った。
「いや、知らないが……どうしてだ」
「表向きは石化の被害を受けた令嬢の引き受けということでしたし。第二都市で療養させる予定の公爵令嬢が、剣闘ショーに難色を示すようであれば、殺しまでは行かないのではないかと思いまして」
「公爵令嬢というと、サルヴィア殿だな?王女殿下の侍女をしている」
「はい。エル・バランさんは公爵令嬢とご親交がおありで?」
「いや。女盗賊の捕縛の際に面識があった程度だ。王女殿下とはそれなりに会話もあるが、公爵令嬢とはこれまで話したこともさほどなかった。だが……どちらというと嗜虐的な趣味がありそうなのだが、喜んだりはしないのか?」
「……」
三人での話し合いは、一向に打開案が浮かばないままだった。
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ミツイ・アキラ 16歳
レベル3
経験値:32/100(総経験値:232)
職業:無し(囚人)→?
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き、飛脚




