26.ミツイ、囚人になる(その1)
「……なんでこうなった」
冷たい石壁には染みのような汚れがついており、どことなく臭う。ジメジメとした湿り気のため、カビも生えているのかもしれなかった。底冷えする床に座る気にもなれず、冷たい鉄棒で作られた柵を呆然として見つめる。
部屋の片隅には箱が置かれていた。ツンと臭うところを見るとトイレであるらしい。魔道具が据えられているところを見ると水洗のようだが、下水道に繋がっているのかどうかは不明だ。何より魔道具が使えないミツイには宝の持ち腐れだった。
寝床として用意されているのは、固い繊維で作られた絨毯。表面がザラザラしていて、肌に障る。ずっと寝転がっているとダニがいるのではないかと疑いたくなってくる。毛布もあるようだが、これもまた湿った臭いがして、快適とはほど遠い。絨毯の上には、ミツイの荷物が置かれていた。小さな背負い袋だが、この中にもらったばかりの給与や着替えなどすべてが入っている。この他の所持品といったら、鍛錬用の杖が一本だが、これは武器ということで取り上げられた。
極めつけは手首である。両手の首に手枷がはめられており、それは鎖で繋がっている。
2メートルほどの高さに窓があったが、これもまた鉄棒の柵がはめ込まれている上、背が足りないので外が見えない。
ゴスッ!ガスッ!バキッ!!
現実逃避したかったのだが、目の前から聞こえてくる音がミツイの意識を無理やり引き戻そうと主張する。
冷たい石壁の部屋の中、数名の男たちが転がっている。一名は頭から血を流して倒れており、後の数名は腕や足を抑えてうめいている。血が流れているわけではないが、痛がりようからして骨の一本や二本は折れているだろう。
暴力を振るっているのは、衛視姿の男だった。右手の拳が赤く染まっており、彼自身無傷とは言えないのだろう。
「ったく、手間をかけさせてくれますね。酔っ払うのもいい加減にしてください。しばらくそこで休んでいればいいんです。これに懲りて酔って婦女子に乱暴するような真似は二度としないことです……。ああ、もう反省したところで遅いですが。前科何犯でしたっけ?よく知りませんが、数年は鉱山から戻って来れないと思いなさい」
もはや懐かしさすら感じるカークスの声が、冷え冷えとしていて異様に怖い。下種を見下ろす目で男たちに吐き捨てると、そばに立っていた男に対し、腰に挟んでいた書類を渡した。左手が『無い』ため右手を振るうと物が持てないのだ。不便しているはずだがこの力量を見るとさほど苦労しているように見えない。
「では、これが引き継ぎ書類です。よろしくお願いします」
「ああ、ご苦労さん。こいつらの拘留期間はどのくらいだ?」
「詳しくは書類に……、ですが、すぐに執行になると思います。数年、鉱山というところでしょう」
「強制労働か。国の役には立っても、あまり性根は改善されないのが難点だな。こういう輩は、もっと性格改造できるような過酷な刑のがいいと思うが」
「街から追い出せるだけでもまだマシですよ。城壁都市は、犯罪者を飼うような余裕はないんですけどね」
「それにしても片腕になったと聞くのに相変わらずじゃないか、カークス」
「散々ですよ。女の子が怖がって誘いに乗ってくれません」
「……相変わらずじゃないか」
「それじゃあ、お願いします。……彼については、どうなりそうです?」
「なんだ、ここまで顔出すなんて珍しいと思ったら、それが気になってたのか?……見てのとおりだなあ、まだ状況が飲み込めてないらしい。ハボック団長が連れてきた時の、まんまだ」
「……どうか不便の無いようお願いします」
「そうしてやりたいとこだが、任せろとは言えないな」
ちらりとカークスの視線がミツイを見た。その視線の意味を深く考える間もなく、一礼すると去っていく。引継ぎ書類を受け取った男も、倒れた男たちを引きずっていくのに忙しい。全員に手枷をつけて、文字どおりズリズリと引きずっていく。怪我をした者たちが呻く声が耳に残った。
我に返ったミツイが声を上げられたのは彼らが完全にいなくなってからだった。
「……なんだ、こりゃああああああああ!!!???」
牢屋だった。
□ ■ □
「あーあー、困惑は分かるが、落ち着け。後で調査員がくるからな。事情はそこで聞く」
ひとしきり叫んだ後、疲れて絨毯に横になったミツイは、鉄格子越しに声をかけられて顔を上げた。
衛視たちとは少し異なる制服を身に着けた男がいる。状況を考えると看守なのだろう。筋肉質の男だ。ハリウッド映画に出てくるアメリカの警察官みたいである。ぜひともサングラスをつけて欲しいとミツイは思った。
起き上がろうとしてジャラリと手枷が鳴った。金属製らしい。どおりで手首が冷えるわけである。
「いや、ホントにわけがわかんねえんだけど。おれ、捕まったの?」
「そりゃそうだろ。ハボック団長が連れてきたんだしな……、心当たりとかないのか?酒でも飲んで暴れたのか?」
「おれ、未成年だし。……いや、心当たりとか言われてもな。しばらく入っててくれと言われただけで、団長さんだって別に怒った雰囲気じゃなかったしなあ」
「へえ?じゃあ、任意同行か。ハボック団長なりに納得いかない罪状だったのかもな」
看守の物言いに、自分が見下されているわけではないようだと理解したミツイは、少しだけ平静さを取り戻した。看守の目に軽蔑の色がないため、これは何かの間違いだと思ったのだ。また、すぐに死刑になる等の理不尽なことではないらしい。
「……なあ、これ、いつ出られるんだ?」
「罪状によるだろう。後は、身元引受人がいれば比較的すぐに出られる。要するに事情聴取してる間とかに逃げられないように連れて来られたんだろうしな」
「身元引受人……?」
「親とか、職場の上司とかだ。おまえさん、何の仕事してるんだ?」
「エルさんの助手……ああ、いや、昨日一杯で契約期間が切れたんだった。つーと、今は、……無職?」
「そりゃあ気の毒に。仕事がないんじゃ、しばらくここで過ごせってことだろう。親御さんはどうしてる?」
「親は……」
ミツイは答えようとして言葉を飲み込んだ。
親は存命だ。おそらく父親は仕事に行き、母親はパートなどをしているはずだった。だが、それは日本でのことであり、エルデンシオのミツイには親と連絡をとる手段はない。仮にとれたとしても日本の親が身元引受人になってくれるかどうかについては、ミツイには分からない。
「遠いところに」
ようやくこれだけ言葉が出てきたミツイへ、看守は気の毒そうな表情を浮かべた。
「なるほど、おまえさん出稼ぎに首都に出てきたクチか。身分証明できないと、しばらく出られんぞ。
まあ、それならそれで、囚人生活を楽しむといいさ。見た目はよくないが、三食きっちり出るしな。風呂は無理だが、要望があれば水はいつでも提供できる。ただ、魔法はダメだ。その手枷、特殊な作りになっててな、魔法を使おうとするとその魔力を吸い取って持ち主に雷撃を浴びせるらしい」
「物騒なモン勝手につけるなよ!?」
「魔法を使わなきゃいい話だ、簡単だろう。それに、トイレの魔道具を起動するくらいの魔力は使えるしな」
「つったって、なあ……」
ジャラジャラン。手枷についた鎖が音を立て、ミツイは気分を害した。
(おれ、魔法使えないんだから、意味ねえのに。ちくしょう)
「ああ、それと、こいつに着替えてくれ」
ミツイは鉄格子の隙間から与えられた服を見てげんなりした。太い横線の服は、ザ・囚人服とでもいいたげなデザインである。色は白と黒だったのでさほどでもないが、囚人服だと思えばものすごく目立つ。
(けど、考えてみりゃロクに着替えがないんだしなあ。これも制服だと思えばいいか)
「これって、フリーサイズ?」
「……?『ふりーさいず』ってどういう意味だ?気になるならあっち向いててやるから早く着替えろ。おまえの体型なら問題なく着れるはずだしな」
「フリーサイズは通じねえのか……。そういや、ここに来てから言葉に不自由したことはねえんだけど、どうなってんだろ?日本語話してるような気もしねえんだけどなあ……」
「ごちゃごちゃ言ってないで」
「ああ、悪ぃ。着替えるよ」
白黒の囚人服は、ミツイの感覚で言えば男性服のLサイズだ。上着だけなら良かったが、上下セットなので、趣味の悪いジャージといった雰囲気だった。まだ高校生なミツイはさほど筋肉がついていないため問題ないが、同じ身長でももう少し体格のいい人間では着ることができないだろう。
「着替えたぜー。これでいいのか?ここって鏡とかある?」
「そこまでサービス良くねえよ。……ほう、意外と似合うじゃないか」
「いやあ、看守の兄さん、囚人服が似合うって言われて喜ぶやつなんかいるのか?」
「いるぞ。ほら向かいの部屋の爺さんとかは照れて喜んだり」
「いるのかよ!!」
思わずツッコんだミツイは、看守にうながされて向かいの独房に視線を投げた。見てみると、鉄格子越しにいくつか独房があり、そのうち二つには人が入っているようだ。一方が看守の紹介した老人、もう一方の住人は寝ているようで顔が分からない。どうやら看守が一人で監視できるよう、鉄格子同士が向かい合わせになっているようだ。
「よし、着替えたな。それじゃ、来客を呼んでくるから大人しく待っててくれ」
「は?客?」
ミツイが首をかしげるのには答えず、看守はその場を離れた。おそらく客とやらを連れてくるのだろう。
ミツイは困惑しながら、座して待った。
(おれ、捕まったんだよな?誰が会いにくるってんだ?……ああ、事情聴取とかで、団長さんか?)
時間にして数分だが、すっかりミツイが待ちくたびれたころに、客とやらはやってきた。
ミツイの生活を一変させる嵐と共に。




