24.ミツイ、飛脚になる(その6)
ミーナを無事に村へ届けた後、ミツイは傾き始めた太陽に顔を引きつらせた。
まだ夕刻には早すぎるが、昼は過ぎてしまったらしい。
エル・バランの魔法が解けるまで、半日も残されていない。
お礼を、と言ってきた行商人へ挨拶もなしに、とにかくミツイは走り出した。
(まずい。まずい。まずい!魔法が切れたら、サンド・ウォームのエリアが抜けられねえじゃねえか!)
ミツイが知る限り、道中に現れるサンド・ウォームは一匹だけだ。体長20メートルの生き物が何匹もいてもらっては困るのだが、それ以上に逃げられなくなるので複数は勘弁願いたい。
辺りは段々暗くなっていく。轍の刻まれた道を頼りに進んでいたミツイは、薄暗くなる周囲に恐怖を募らせた。
変化が少しずつなため、最初は気づかなかった。だが、ハッと気づいた時には、辺りはだいぶ暗くなっていたのだ。遠くを歩く生き物がよく見えないし、足元の轍の跡がはっきりしなくなってきた。10メートル先くらいまではまだ問題ないが、距離が開いた先は薄暗くて分からない。この調子では土が盛り上がる様子を事前に確認するなど、できない気がしてきた。
(まずい……)
村まで往復する間に、掘り返された土のエリアは広がっていたらしい。轍のない耕された道が、先ほどからミツイの足元を彩っている。道に迷ったわけでは、おそらくない。
サンド・ウォームは耕作に向かないのか、畑であれ草原であれ、人間がせっかく維持していた道であってもおかまいなしに移動をしているようだった。もしこれがトラクターであれば、このような無作為なことはありえない。
村に戻ったついでに食事と水分補給をしたが、携帯食糧も買っておけばよかったとミツイは後悔した。
(あと、ダウンジャケットだ。野宿しようと思ったら絶対必要。次にサバイバル生活を送るハメになるなら絶対用意しとこう。あれがあれば、別に毛布だのテントだのがなくてもなんとかなる)
無いものねだりをしてもしかたがないのだが、ミツイは考えるのを止めるわけにはいかなかった。
(うう、寒い……!なんだこれ!夜風とか寒すぎるぞ!?昨日はここまでじゃなかったよな!?)
昨夜、傭兵たちと一緒に村に向かって歩いた時には感じなかった底冷えがミツイの身を包んでいた。
手先、足先がジンジンと冷たく、真冬に防寒具なしに外を歩いているような感じだった。
(ああああ、裏地!上着とズボンに裏地があれば!じゃなきゃブーツ!いや、むしろ家で大人しく寝てたい!!)
依然としてミツイは走り続けていた。
周囲は暗く、もはや道が判別つかないのだが、かろうじて足元だけは分かる。轍の跡から外れないように、ただそれだけを思って走っている。
(灯り!懐中電灯くらいは必須だった!ってか、そうか……。灯りくらいなら、たぶん)
一旦足を止め、ミツイは背負い袋から携帯電話を取り出した。エルデンシオに来て以来、圏外になっていたので電源そのものを切っていたのだ。電源を付けっぱなしにしていると、何もしないうちに充電が切れるだろうと思ったからと、つながりもしないのにネットにつなげたくなるからだった。
携帯電話のライトで、足元を確認する。さほど明るくはならなかったが、暗闇に慣れた目ならばこの程度でもずっとマシだった。足元を確認したミツイは、そこに轍の跡が見えないことに顔を引きつらせる。
気を取り直し、ライトで周囲を照らして状況を確認しようとした。
山の斜面の方向が分かればいいが、もしその段階から間違えていた場合、あさっての方向にどこまでも走り続けるハメになる。
幸い、山の斜面はすぐに見つかった。土砂崩れの跡もそのままだ。ミツイの周り、見渡す限りに渡って、すべてが耕されているという、期待を大きく外した光景ではあったが。
ももももっっっっ……
近い。足元から伝わる振動に、ミツイは焦ってライトを向けた。土が盛り上がっていく様子が、薄ぼんやりと視界に入ってくる。
逃げなくてはと思うのと同時に、逃げられないと理解する。
足元から地面が無くなり、自分が吸い込まれていくのが分かった。
(やべぇ、死んだ)
呆気なく、ミツイは穴に落ちた。
地面の暗闇は、夜の暗さにとけこんで、境界線が分からない。
踏み込みの強くなった足が、支えを失って宙を泳ぐ。
バランスを崩したまま浮遊感がミツイを包んだ。
(あ……)
事故死する寸前は周囲がスローモーションで動くというではないか。その根拠はなんだったか。エル・バランの魔法により速力が増している今のミツイは、走っている際周囲との間に時間的差異を感じなくも無い。これがスローモーションということか。だとすれば自分は昨日からずっと死ぬ寸前だったのだろうか。
益体もないことを考えたミツイは、やわらかい土の上にバウンドしている自分に気づいた。
(……え?)
見上げれば、巨大な生き物が、ぐねんぐねんと身を揺らして、地中に戻っていくところだった。
大きく開いた空洞は赤く、そして闇色をしており、確かにそれに飲み込まれようとしたのは分かるのに。
ミツイはべたべたした液で包まれていた。髪や肌にねっとりとした粘液のようなものがまとわりつき、空気に触れて固まろうとする。このまま放っておけば、この粘性の液によってガチガチになることは間違いない。
「……あ、あれ?」
状況がよく分からない。身じろぎしたミツイは、どこにも痛みがないのを確認しつつ起き上がろうとした。
(ど、どゆこと?え。まさかおれ、食われそこねた?いや、むしろ拒否られて吐き出されたっぽくねえ?)
脳裏に浮かんだ答えにミツイは地味にショックを受けた。
命が無事であるようなのは嬉しいが、素直に喜べない。ゴブリンでも丸呑みする生き物に、ぺっと吐き出されたのだ。胃液か何かでべたべたになった状態である。一度は食事に認定されたというのに拒否。
(あ、あれー……?な、なんでだよ。おれってそんなにマズイのか!?)
考えるとますますショックを受けそうだったので、とにかくこの場を離れて水場を探そう、とミツイは立ち上がった。どさっ、と背中の背負い袋が落ちた。紐が切れてしまったのだろう。ねっとりとした粘性の液でべたべたになっている。袋の一部が裂け、そこから服と草が見えた。
それは、ミーナが見せた雑草だった。このようなものを背負い袋に入れた覚えのなかったミツイは、草の入っている袋を見て合点がいった。エル・バランに渡せと言われた預かりものだ。
(そ、そうか。そういうことだな?あの雑草をエル・バランに渡せってことだったんだ。んで、あの草の匂いが苦手なサンド・ウォームは、おれを食おうとして背中の袋に入ってる草に気づいた。草が嫌だったから、おれごと吐き出したんだ。そういうことだな?)
冷静に回答を導けば、ミツイも多少は納得がいった。
「……だよな?別に、おれがすっげえマズかったんで、思わず吐いちゃったとか、そういうんじゃ、ねえよな?」
ますますショックを受けながら、ミツイはとぼとぼと首都を目指した。
□ ■ □
風呂で全身を洗い、新たに購入した服に着替えた。
サンド・ウォームの体液は、やはり胃液に似た成分が含まれていたようで、首都に着いたころには着ている服も靴も背負い袋もあちこちボロボロになってしまったのだ。
エル・バランに預かりものを渡した後、「背負い袋に入れずに持ち歩けば襲われることもなかっただろう」と言われて落ち込んだが、命があるので良いということにした。
無事に戻ってきたことを労われ、道中起きたことについて質問をされて……回答している最中だった。
ミツイの全身を、それが襲った。
「ぬぐおおおおおおおおおおおお………………………………!!!!!!!!!」
筋肉痛である。
腕が、足が、腰が、背が、首が、太ももが、口元が、とにかくあらゆる部分が、痛い。
ビキビキときしむそれが酷すぎて、思考することもできない。息をするのも嫌なのだが、悲鳴を上げて気を紛らわせたいといった、そんな、無駄な努力と言われてもおかしくない精神状況である。
「あがががががが……」
「効果が切れたか。
『スレイプニルの脚』は、初級の魔法の中では強力な身体能力増強の魔法だが、副作用が避けられない。メリット・デメリットのある魔法の一つだな。効果の程は、実体験してみて分かっただろう。
この他に、腕力が強化されるものなどもある。
初級の魔法としては他にも、火や水、風、土といったものの初歩的な契約ができる。これらは本人の特性によって可否が変わってくるのでな、必ずしも希望の系統が身につくというものではないが……。
先日、次は機会があれば魔獣との契約について話そうと言っていたはずだな。そもそも魔獣というものは、召喚によってこの世界にもたらされる生き物の総称で……」
ミツイは断念した。
何を断念したか、今はまだ語れない。ミツイ自身もよく分からなかったからだ。
だが断念した。とりあえず、今は、思考することも身動きすることも、エル・バランにツッコミを入れることさえ、ミツイにはできなかった。
後日、正式に教えようかというエル・バランの申し出に、ミツイが丁重に辞退したのは言うまでもなかった。二度と使う気になれない魔法を、覚える気にはなれなかったのだ。
□ ■ □
ミツイ・アキラ 16歳
レベル3
経験値:25/100(総経験値:225)
職業:飛脚
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き
次回から2章になります。




