20.ミツイ、飛脚になる(その2)
山道を下りていった先で、ミツイは奇妙なものを見た。
馬車の残骸らしきものだ。車輪と幌とが砕け、転がっている。
道をふさぐように倒れていたので気づいたのだが、どうやら人気はない。
二頭立ての馬車には馬もつながれていなかった。
「なんだ、これ?」
思わず足を止めて、ジロジロと見やる。
見たところ人がいないので、馬車の持ち主はここに馬車を捨てていったのだろう。
気になるのは馬車の幌に、矢のようなものが突き刺さっていることだった。
「……これってさ。もしかすると……襲われた跡とかか?」
自分で口に出しておいて、嫌な気分になった。
念のため、もう一度だけ馬車を探り、人がいないかを確認してからホッと息を吐いた。探してはみたが、もし怪我人でも見つけたら厄介だったのだ。ミツイは薬も持っていないし、回復魔法なども知らない。助けられないのに負傷者を見つけるなんてことになったら、どうしたらいいか分からないので、できれば遠慮したかった。
「薄情と言うなら言え……、おれは命が惜しい」
口に出して言ったら、さらに薄情だな、と自分で自嘲しつつ、ミツイは馬車のそばを離れる。
再び駆け出して数分。
ミツイはまたもや顔を歪めた。
「余計なこと、言わなきゃよかったあああああああああ!!!」
馬車を離れてミツイの体感時間で数分。
徒歩で進めば一時間以上かかると思われる場所で、それは起きていた。
体長1メートル40センチくらい……ミツイの感覚では小学生中・高学年くらいの生き物が4体、一回り小さな生き物1体を取り囲んでいる。
遠目に見る分には小学生が集まっているようにしか見えないのだが、遠巻きに取り囲んでいる方の生き物が、錆びた剣やら黒っぽい皮鎧やらを着込み、青色の肌をしており、中央に取り囲まれている方の生き物は手に小さな籠を持った女の子であるとなれば、ミツイにも状況は把握できた。
青い肌の生き物の方は、ミツイの目には人間には見えなかった。顔立ちは醜悪なサルといった風なのだが、肌が青い時点で、ミツイの許容範囲を逸脱している。口元にケラケラとした笑みを浮かべ、錆びた剣で脅しているように見えた。
取り囲まれている小さな女の子は、服も顔も泥だらけだった。手に持った籠を、最後の頼みとばかりにぎゅうと抱え込み、ガタガタと震えながら怯えていた。逃げることが思いつかないのか、あるいは思いついたが逃げられなかったのかは分からない。
「……なんで見ちゃったんだ!アホか、おれは!!」
ミツイは自分の身を見返した。背負い袋に入っているのは着替えのみ。丸腰である。
相手は小さい。小さいが、武器を持っており、その腕前のほどは未知数だ。
「結論!」
ミツイはいったん立ち止まると、一つ深呼吸をした。
「そこのおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
思い切り叫ぶ。
「ギュイッ」となにやら喚きながら、取り囲んでいる方の生き物がミツイを見た。
だがミツイは彼らが振り向く余裕を与えるつもりは元からなかった。
叫ぶと同時に足を踏み込んだ。急激なストップ・アンド・スタートに、地面が抉れて土が舞い上がる。
ミツイは集まっている小柄な連中の中へとジャンプすると、女の子を無理やり抱きかかえる。ズシリと重かった。見かけが小さいからと期待ほど軽くはないらしい。無理やり抱きかかえたせいで腕が痛いがとりあえず無視をして、ミツイは再度ジャンプするのは諦めて無理やり囲みを抜けた。
醜悪な生き物たちがミツイの声に気を取られたのを良いことに、思い切りダッシュしてそのまま走り去る。錆びた剣の先が掠ったような気がしたが、それを気にするのもとりあえず後回しだ。
醜悪な生き物たちは、みっちり密集していたわけではない。女の子を囲み、ジリジリと追い詰めている最中だった。そのため、無理に走り抜けようとすればできた。向こうが構える前に走り出したのも良かった。
ミツイはそのまま一時間は走り続け。そしてバッタリと力つきた。
「……無理。駄目だ、もう走れん」
首都を出てから水すら飲んでいないのが致命的だった。頭がクラクラする。走るだけならともかく、女の子を抱えていたのが悪かった。支えていた腕がもう持ち上がる気がしない。
「お、お兄ちゃん、だいじょうぶ……?」
「う、うう。女の子の心配をもらうとか、けっこう嬉しいシチュエーションなんだけど、今は放っておいてくれ……眠い……」
「で、でも。さっきのやつらが、来ちゃうよ?ここ、道の上だから、かくれてないし」
「……」
「お、お兄ちゃぁん……」
「放っておいてくれ……。てか、君ひとりなら行けるだろ、とりあえず隠れて……、いや、大人を呼んでくるとか。つか、あの連中って、なに……」
「え?あの、ごぶりんだけど……」
「なんだと!?」
ガバッとミツイは起き上がった。目が輝く。
「ゴブリン!ゴブリンだったのか、今の!なんというファンタジー……。すげえ、もっとちゃんと見とけばよかった。青い顔してたってことしか覚えてないぞ」
「え?え?え?」
「あっと、そういや、君、襲われたっていう状況で間違いないか?思わず助けたけど、なんつーか、実はあいつらいいモンで、友達だったりする?」
「え。え。え?」
「えじゃわかんねえよ」
「あ、ごめんなさい……、……え?」
オドオドと困惑する女の子に、ミツイは自分が大人げなかったと反省した。改めて観察すると、泥だらけだけどかわいらしい顔をしているようだ。年齢は、6歳か、7歳か、そのくらいだろうと考える。目鼻のくっきりした西洋風の顔立ちなので、日本人のそれとは異なるが、さすがにこの年齢であれば見た目よりも年上ということもあるまい。中途半端に結ばれた髪が乱れてぐちゃぐちゃで、気の毒なことになっていた。
「あの、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「おなまえ、は? ようへいさんじゃないよね……?」
「は?ヨーヘイさん……?誰のことだ?」
「あ、あの……ごめんなさい」
話が進まない。ミツイは観念して、その場にしゃがみこんだ。女の子に目線を合わせてから、改めて咳払いをする。
「あー、コホン。おれは、ミツイだ。ヨーヘイさんって人じゃねえよ。この先にある村に手紙を届けにいく途中だ」
「村に、てがみ?」
「そう、この……」
言いかけたミツイは、ハタと気づいた。しっかりと手に持っていたはずだが、ない。
「あれ?」
両手をバタバタさせ、慌てて背負い袋の口を開いて中を確認する。だが、入れた覚えのないものが、入っているはずもなかった。
考えてみれば、女の子を抱えるのに両手を使ってしまったのだ。その際にでも落としたのだろう……覚えてないのだが。
「うああああああ!さっきのとこか!?落とした!?探しに戻れってかああ!?」
ひとしきり喚いた後、ミツイは地面に座り込んだ。
「駄目だ……喉渇いて走る気になれねえ……」
「お水…?お兄ちゃん、お水のみたいの?」
よろよろと顔を上げたミツイは、小さな籠の中からこれまた小さな水筒を取り出した女の子が、キラキラと輝いているように思えた。
水を分けてもらったミツイは、改めて女の子を向き直った。
「そもそも、どうしてこんなとこにいたんだ?」
「ばしゃがこわれちゃったの。お父さんとはぐれちゃって……」
馬車と聞いてミツイが思い出したのは山を下りたところにあった壊れた馬車だ。
「どこ行くとこだったんだ?」
「村にかえるの」
「村?」
「この先にあるの。たまにまものが出るけど、ようへいさんがまもってくれてるの」
「うーむ?なら、目的地は一緒か。まあ、もっと先の村かもしんないけど……」
首をかしげながら、ミツイ。
「どうすっかな」
選択肢は、いくつもない。先に手紙をとりに戻るか、先に女の子を村に連れていくかだ。
安全面を考慮するなら、女の子を村に連れていくべきだった。ゴブリンがいると思われる場所へ、足手まといを連れて戻るなど冗談ではないし、全力ダッシュで一時間もした場所だ、もう一度抱えてダッシュなどしたくないので、今度は往復で何時間かかるか分からない。ただ、ここから村へ戻るのに後どのくらいかかるか分からない。一度村へ女の子を連れて行った後、ここまで戻ってくるのが面倒だった。
「……ここから村まで、どのくらいかかると思う?」
「わかんない」
参考にならなかった。考えてみれば、この子は小学校に上がりたてくらいの年齢なのである。ミツイがそのくらいの年のころどの程度大人と会話ができたであろうか。頭脳は大人の名探偵でもなければ、冷静に物事を考えて判断できるような年齢ではないのだ。
それは、ミツイの出したもう一つの選択肢を取れない理由でもあった。
すなわち、女の子をここで待たせて手紙を取りに戻る方法だ。だがこの案は、女の子がふらっとこの場を離れた場合、女の子を村へ連れていくという方法をとるのが難しくなり、ついでに、女の子を放置したという点で、村についた時点でのミツイの株が大幅に下がる。
「くそう。なんでおれ、手紙落としたんだ。そうでなきゃ、手紙を届けるだけじゃなくて女の子まで助けた、みたいな、かなりポイント高い行動だったのに。どっちつかずっていうか、どっちもアウトみたいな状況は!」
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜながら、ミツイは諦めた。
「君、名前は?」
「あたし、ミーナ」
「そっか。じゃあ、ミーナ。君に聞くけど、おれが落し物取りに行くのをここで待ってるのと、先に一人で村に向かうのと、どっちがいい」
悩んだので、本人に聞いたのである。
「はやくかえりたいから、先に行く」
「よし。なら、この道をずっと歩いてけ。……たぶん、途中でおれが追いつく」
そこで一つだけ付け足した。
「またゴブリンみたいなやつに会うようなら、全力で逃げろ」
これを付け足すのは自分への言い訳だとは、気づいていた。




