11.ミツイ、掃除夫になる(その1)
エルデンシオ王国の首都は王城を中心として発展してきた。元々は砦であったのだが、ミツイにとってはディズニーランドのシンデレラ城を取り囲むように街が広がっている、という感じだ。文字通りの城下町。日本の城下町も似た作りのはずだが、天守閣が残っている城が少ないのと、目の前にある城が西洋風であるために、今ひとつ比較ができない。
「ミツイさん、お掃除終わりました?」
「あー、ごめん、まだ途中。廊下本体は終わったんだけど……つかこの柱、大きすぎない?太すぎない?柱一本水拭きするのに丸一日かかるって、冗談だろ!?」
「ふふ、面白い方ですねぇ。窓を大きくとるために、柱はどうしても太さが必要なんですよ。そこを疎かにして王城が崩れたら、わたしたち皆生き埋めですし」
「なら、窓を小さくするとかさ!もしくは掃除をもっと効率よく業者に頼んで……って、あれか、おれが今はその業者なのか。くそう」
「窓を小さくしたら、暗くて大変ですよ?昔の城は技術がなかったので、窓を小さく、壁で天井を支えていたんですって。昼間でも真夜中みたいに暗くて、常に明かりを手放せなくて、ランプの煙で窒息することもあったとか」
「……マジか」
「後は壁に描かれた絵に使われたインクが、体に有毒で、掃除中に病気になった使用人がたくさん出た、なんて話も聞きます。それに比べたら、水拭きできる柱なんてかわいいものですよ」
「イヤホント、サボりたがってごめんなさい」
「まぁ、休憩は必要ですよね。お昼ごはんを分けてもらってきましたから、一緒にいかがです?」
うなだれるミツイにからかうような笑みが返ってくる。
エル・バランの屋敷に侵入者があった翌日から、ミツイは王城へと上がることになった。驚きの超展開だとミツイは思ったが、残念ながらやることは大差なかった。掃除である。渡されたのは雑巾とバケツのみ。希望してエル・バランの水差しを持参している。
王城というだけあり、建物の規模は桁違いだった。柱一つを磨き上げるのに数時間かかる。廊下をすべて水拭きするのにかかるのはいかほどだろうか。幸い、毎日ピカピカに磨き上げる必要はないらしい。柱一本ずつを毎日進めていけば、いつか磨き終えるし、その後はまたはじめから磨いていけばそこまで汚れを溜め込まない、ということらしい。ミツイの担当エリアは廊下一箇所だが、途中に太い柱が左右に7本ずつ、合計14本あった。
服装は支給があった。魔法使いの助手の格好ではなく、掃除夫の格好だが。下男というか、使用人というか、とにかく街中の一般人と大差ない格好で、ミツイはがっかりした。
王城というだけあり、メイドもいる。朝起きてから晩に寝るまでの間に、出会う使用人の数は男女合わせて十数人。だが残念なことに若い者はあまりおらず、年配ばかりだ。他にもたくさんいるらしいが、ミツイの働く場所とはエリアが違うらしく、遭遇することはない。食堂も使用人用を用い、トイレもお風呂も使用人用だが、魔道具の使えないミツイにはありがたいことに、魔道具仕様でないものもきちんとある。
昼食の差し入れを持ってきてくれたケイトは珍しく若いメイドだ。ミツイと同い年くらいだろう。栗色の長い髪を後ろで三つ編みにしており、メイド服もクラシックなものなので、どちらかというと地味だが、笑顔がかわいらしい。どうせなら華のある職場環境が希望のミツイとしては心のオアシスだった。
掃除道具を片付けて、昼食を広げる。人通りのある廊下の真ん中でとはいかないので、壁に隠された扉から従業員用の小部屋へと入る。表の廊下には塵一つない分、掃除用具やら休憩用の椅子やら、その他雑多なものはすべてこうした小部屋に隠されている。また、来客が来た時に見苦しくないよう、従業員には専用の廊下もある。狭いし暗い廊下だが、掃除は最低限でよいため、いちいち磨き上げる必要もなくくつろげる空間だった。小部屋は城の随所にあり、すべて把握しておればかなりショートカットして移動が可能だ。
「それに、こういう通路は逢引とかを聞き耳立てるとかには便利なんですよー。身分の高い方はプライドがありますからね、通路は使いませんけど、人目を忍んで逢引とかしようとしても、たいていの場合誰かしらが通路にいて、目撃してます」
「げげ、そういうもんなの?」
「ええ。何代か前のお妃様も、時の宰相と密会したところを目撃されてて、王様に告げ口されたことで離縁になったとか聞きますねぇ」
「……へ、へえ?」
「昔むかーしは、後宮とかがあって、そりゃもう大変だったらしいですよ。ご側室同士のバトルには、各陣営のメイドたちが刺客として暗躍したらしいです。当時のメイドは口が堅く腕っぷしがよく、容姿もよく、かつメイドとしても有能でないといけないので大変だったとか」
「戦うメイドさんって、ホントにいたのか……」
「まあ、昔の話ですよ。エルデンシオ王国ではもうずいぶん前から側室制度は有名無実になってますしね、今の国王陛下には王子様がお一人、王女様がお二人いらして、お妃様との仲も良好なので、面白いゴシップはそんなにありません」
「王様なのにハーレムとかないんだ……」
「もしかしたら愛人の一人や二人囲ってらっしゃるかもしれませんけど、制度としてはないので、私生児がいても王族としては認められないでしょうねぇ。それに、生活費は国庫から出ているので、彼らのお小遣い程度じゃ女の人を囲うほど経済的に余裕はないんですよ」
「……世知辛い」
「お若いころにはエル・バラン様との仲を噂されたものなんですが……ただのお噂だったみたいで残念です。あ、でもでも!今は騎士隊長様の周囲もにぎやかですよー、この方は恋人と別れたばかりだとかで、恋人志願者が山ほどプレゼント攻勢中だって話です。メイド仲間によれば……」
ケイトの弱点はゴシップ好きなところだろうか。身分の高い人間のゴシップが好物らしい彼女にとっては天職であるらしい。街中にいたころにはまったく届かなかった各種ゴシップについては、真偽のほどはともかくいろいろ知っている。
「姉姫様は国政に興味がおありで、お忍びもお好きで、よく街に下りていらっしゃるとか。お傍付きが大変だってこぼしてましたね。妹姫様は、ザ・姫様!って感じの可愛らしい方ですけど」
「ちなみにいくつなんだ、その王女?」
「様、ですよ。ちなみに姉姫様が18歳、妹姫様は11歳だったかな?婚約者候補はおありになるけど、まだご結婚予定はないですね。ミツイさん、わたしの前だからいいですけど、言葉遣いはもすこし気を使った方が良いと思います。王族相手にうっかりタメ口とかしたら、不敬罪で処分されても文句言えないですからね」
身分が上と知りながらゴシップネタにするのは不敬罪ではないんだろうか、とミツイは思ったが賢明にも口にはしなかった。正直なところ他の男のモテ話なんてちっとも興味が沸かないのだが、貴重なお喋り相手なので機嫌を損ねたくないのだ。
「そろそろお昼が終わりますね、仕事に戻りましょうか」
「うええ、もうか……。も少し休んでたいなあ……」
「いけませんよ、ミツイさん。お給料いただいている身でサボったりしたら」
「くそう、正論すぎて言い返せねえ。……あ、昼飯ありがとな。助かった」
「いえいえ」
ケイトの長所は、メリハリが利いているところだ。仕事は仕事、休憩は休憩できちんと分ける。
手早く昼食に使った茶器を片付けると、「それじゃ、また」と言って去っていった。
「仕方ねえなあ……。続きをするか」
ふう、とため息をつきながら立ち上がり、従業員通路から廊下に戻ろうとして……ミツイは耳を澄ませた。
カツン、カツン、カツン……
足音だ。廊下を歩いてくる人間がいたら従業員用通路に隠れろ、とケイトからは忠告を受けている。身分のある人間は、自分が歩いている時に目の前で掃除をしている人間を見ると機嫌を損ねるのだそうだ。
そんな心の狭いやつは知らん、と言ってしまいたかったが、エル・バランの顔に泥を塗るのも避けたいので、ミツイはおとなしく通路内で息を潜めた。
廊下を歩いてくる人物は、ミツイが潜んでいることにはまったく気づいていないようだ。ゆっくりなペースで進む人物は背が高く、衣装も煌びやかだった。遠目に見ても良い素材なのが分かり、また装飾がふんだんに施されていて歩くたびにシャラシャラ鳴っている。
だが、歩き方がおかしい。ぎこちなく足を伸ばし、一歩一歩、カクカクしながら歩くのだ。自分の足で歩いていないかのような雰囲気と、ギクシャクした仕草に首をかしげたミツイは、その人物の顔を見て顔を引きつらせた。
衣装は豪奢だが、その人物には表情がなかった。マネキンのように顔らしきものはあるが、灰色をしていてまるで石で作った人形だ。またぎくしゃくと動く手足には、細い糸のようなものがつながっている。糸を辿るように見上げて……ミツイは声を上げそうになってあわてて口をふさいだ。
天井に張り付くように、黒ずくめの女がいた。わずかに覗くのは大きな目だけで、顔はまったく分からなかったが、どうやらその女は、操り人形を繰るようにしながら人型を動かしているようだった。
カツン、カツン、カツン……
(な、な、なんだよ、ありゃあああああああ!?)
心の中だけで絶叫して、ミツイは身を縮めた。従業員通路にいるとは言っても、あんな異様な光景に係わり合いになりたくない。
さっさと通り抜けて欲しい、と思うのに、足が遅すぎて移動は遅々たるものだった。その間息を潜め続けていたミツイは泣きたくなってきた。
(何か、何かないか?この通路を使って逃げることは可能……だと思うけど、どこ行きゃいいんだ!?)
必死に頭を回転していると、にわかに騒がしくなってきた。廊下の入り口方向で誰かが走っているらしい。複数の足音と声とが近づくのを聞いて、天井に張り付いていた人物に動きがあった。
(天の助け!)
天井に張り付いた黒ずくめは、小さく舌打ちすると、あろうことか窓から身を翻した。軽やかな移動には体重を感じさせない。ぴひゅうん!と小さな風音が聞こえた。その全身が緑色の光を帯びている。
ガランガラン……
崩れ落ちるように豪奢な服を着た人型が廊下に倒れる。糸の切れた操り人形、といった表現がこの上なく似合うだろう。ミツイは周囲の様子を伺いながら廊下へ姿を見せると、人型に近づいた。
(ああ、くそ。やっぱりじゃねえか)
間近で見た人型は、灰色をしていた。服の下の肌も灰色。顔も手も灰色だ。服を着ているために一見そうとは見えないが、石化している。
ミツイは間近でジロジロ見やり、人型に欠損がないことを確認した。腕に損傷を受けているとか、耳が片方欠けているとか、そういったことはなさそうだ。
(よし)
身に着けた使用人用の服の下、首から提げたお守り袋を取り出すと、中から一枚の紙を出す。ほのかに白く光る、それは、『解呪』の魔法文字が描かれたものだった。
紙を人型に触れさせ、息を飲んで見守る。
ミツイの目の前で息を吹き返した人型は、豪奢な衣服がこの上なく似合う美少年へと変化した。金の髪も白く透き通るような肌色も、先ほどの違和感を覚える美しさとは桁が違う。ミツイはものすごく不条理な気持ちになりつつ、目の前の美少年が目を開けるのを待った。
「あ、あれ?ここは……どこだ。君は誰?」
声まで美少年だ。ミツイはさらに理不尽な気持ちになった。同じ生き物とは思えない。こんな生き物が世にいていいんだろうか。こんなにかわいらしい少年とくればお姉様方が放っておかないに違いない。
お守り袋に畳んだ紙を戻しつつ、ミツイは自分の役回りをエル・バランに訴える気持ちになる。
「ここはお城で、おれはただの掃除夫だよ、王子さん」
美少年へ答えたミツイは、ひとまず今日の襲撃は終わりだろうと安堵のため息をついた。




