まさかの名前
―――
「栗田君、今日でバイトは終わりだよ、お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
ついに、ついにバイトの全日程を終え、森山さんが労ってくれた。
「お疲れ様、柊斗」
「柚希もお疲れ様」
柚希も笑顔で労ってくれた。俺も笑顔で返す。
柚希のおかげでここまでバイトを乗り切れた。感謝しかない。
これでバイトが終わり、ホテルに泊まるのは今夜が最後。明日は午前中に帰ることになる。
終わった。やっと終わった。本当に長かった……1週間とは思えない、精神と時の部屋にでもいたんだろうかって思うほど長かった。
この1週間でイベント盛り込みすぎなんだよ。梨乃イベントも桃香イベントも苺イベントもこの1週間に詰め込まれるとは思わなかったよ。しかも誰も望んでないサードのおっさんまで出てきやがるし……いや、おっさんのことは記憶から消去すると決めてたんだった。
本当に大変な1週間だったが、俺にとってはこれからが本番だ。
すべてこの時のために頑張ってきた……早くもドキドキして足が震えてきた。
―――
ホテルで夕食を食べた後、柚希と一緒に部屋に戻る途中のことだった。
「おう」
「…………」
これから大事な時間だってのにまたしてもサードのおっさんが待ち構えていた。
仕事前も仕事後も邪魔してきやがって、俺はイライラしすぎで変身しそうになっちまった。
「あの、ホントに何なんですか」
「今朝の話が終わってねぇ」
「あなたと話すことなんて何もないですけど」
「なんだよ、お前らがメシ食い終わるまで待っててやったのに」
「待っててくれなんて頼んだ覚えはないんですけど」
「別に今は仕事終わってヒマなんだろ?」
「ヒマじゃないです」
「なんでヒマじゃねぇんだよ。もう夜だろうがよ」
「…………」
うるせぇなこのオヤジ。ヒマじゃねぇもんはヒマじゃねぇんだよ。
これから柚希とセックスするから忙しいなんて言えるわけねぇだろうが。とにかく今の俺は人生で一番ヒマじゃない。柚希と初体験することはもう決まっているのだ。たとえ神様でもこの決定事項は覆せないのだ。
スッ……
「!」
柚希がおっさんの前に立った。
「あの、すいませんけど柊斗が迷惑してるので待ち伏せみたいなことやめてもらってもいいですか」
柚希がおっさんにハッキリと言った。全くもって柚希の言う通りである。
柚希の方からも言ってくれたのはとても助かる。2人揃って『邪魔だから失せろ』オーラを放つ。
サードのおっさんは失せろオーラなど意に介さず、柚希を見てニッコリと笑顔を作った。
「やだなぁ、待ち伏せなんて人聞きが悪いですよ。そんなつもりはありませんよ、柚希さん」
……何こいつ。ついさっきまで凶悪ヅラと感じ悪い態度だったくせに、柚希と話す時だけめっちゃ笑顔で紳士的な話し方になりやがった。
男と女で全然態度違うタイプか? 女の子には媚びるタイプか? そういうの嫌われるぞ。どちらにせよ俺はこのおっさんこの世界で一番嫌いだけどな。
……ん? ちょっと待て。こいつ今柚希さんって言ったか?
「なんであなたが柚希の名前知ってるんですか。自己紹介した覚えはないと思うんですけど」
「あ、そういえば……」
俺の疑問に、柚希も同調した。
サードのおっさんは一瞬ハッとしたような表情をしたが、すぐに余裕そうな表情に戻った。
「ホラ……あれだよ。野球の試合中にお前が名前呼んでただろ」
「……そうでしたっけ……」
打球を顔面に受けて鼻血出て、柚希に介抱してもらった時のことを言ってるのか?
確かに『柚希さん』って何度か呼んだと思うが……それにしてもこいつの話し方にちょっと違和感を感じた。なんか名前を呼び慣れてるみたいな感じだった……
「まあ、そんなん関係なくもともと知ってるけどな」
「……!?」
なんだ? 何を言ってる? どういうことだ? 柚希のことをもともと知ってるってなんでだ? さっぱりわからん。
「どういうことですか? 私はあなたのこと全然知りませんしほとんど初対面のはずですが」
柚希も全然わかってないし何も知らない様子だ。柚希の反応を見る限りこのおっさんが柚希の知り合いということはない。じゃあ何なんだ、一体何者だこいつは。
サードのおっさんは軽くため息をついた。
「……わかってくれませんか……まあこの姿じゃ無理もないですね」
「?」
「?」
俺も柚希も『?』としか言いようがない。頭おかしいのかこいつ。このラブコメ世界になんかバグでも起きてるのか。
……バグ……? 俺自身も本来はこの世界の住人ではないバグのようなもの。バグは俺1人とは限らない。まさかこいつも……? こいつも転生してたりする?
……それとも、もしかしてこいつ……
神様……?
崇めたり憎んだり、俺の手のひらを何回転もさせたあの神様?
もしこのおっさんが神様だとしたら、やたら俺に当たりが強かったり柚希のことをちゃんと知ってたりするのも合点がいく。
それにラブコメ世界の神様ならたぶん女好きだろう。たぶん苺推しだし。ヒロインの1人である柚希にも甘いのはしっくりくる……
……なんて、まさかな。何の根拠もないしアホなことを考えるのはやめよう。
「……まあ、その、なんだ。ここは人がいるし、ちょっと場所変えようぜ」
サードのおっさんはそう提案して歩き出す。もうこんなおっさんほっといて部屋に戻りたいところだが、『ついてこないと殺す』というオーラがおっさんの背中から感じられる。無視したら何をしでかすかわからないし、ビビって逃げたと思われたらナメられそうで癪だし、柚希と一緒についていく。
ザザーン……
夜の海辺にやってきた。波の音だけが響き、暗いので人も全然いない。
夜の海というのもロマンチックでいいな。このおっさんさえいなければな。
「……で、まずはちょっと自己紹介しとくか」
自己紹介だと……? 別にこいつの名前なんて知りたくもねぇが、まあでも『サードのおっさん』って呼びづらいしな……
「まずお前、名前は?」
サードのおっさんは俺を指差した。あ、最初に俺が自己紹介すんのか? まずおっさんが名前を言う流れだと思ってた。
「……栗田柊斗ですけど」
「……プッ」
あ? 今こいつ笑った? 俺が名前を言ったらこのおっさん嘲笑したんだけど。
なんで? そんな変な名前か? この世界の主人公の名前だぞ。
「何がおかしいんですか」
「いや別に」
「で、あなたの名前は?」
「気になるか?」
「いや全然気にならないですけど俺だけ名前言うのもなんか気に入らなくて」
わざとやってるんだろうけどすげぇ回りくどくて無駄な会話だな。話しててここまでイライラする奴初めてだ。マジで早くしろよ。早く柚希と2人きりにさせてくれ。
「―――俺の名前は、栗田柊斗だ」
―――…………
…………
は?




