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第二十九話 北上

 翌朝、俺達は予定通りに遊牧民の集落を離れ、北に向かって移動を開始することにした。


 といっても、準備は全て明明(メイメイ)達と遊牧民が済ませてくれていたので、俺達はそれに便乗させてもらうだけである。


 明明(いわ)く、最初から繰り返し偵察できるだけの備えをしていたので、気にせず使ってほしいとのことだ。


 もちろん断る理由なんかあるはずもない。


 お互いの目的達成のため、ありがたく使わせてもらうとしよう。


中原(ちゅうげん)の外までは距離がございます。こちらの馬をご利用ください」


 遊牧民達が用意してくれたのは、数頭の立派な馬だった。


 他国出身の俺でも、彼らの生活と馬が切っても切れない関係であることは知っている。


 それほど大事なものを貸してもらうのだから、身が引き締まる思いもするというものだ。


「立派な馬ですね。本当にお借りしてもいいんですか」

「分かりますか! 選りすぐりの馬をご用意させていただきました!」


 自慢して当然の仕上げぶりだ。


 将軍が乗るような軍馬と比べれば小柄でも、足腰は見るからに頑健で(たくま)しく、長時間の労役に耐えうる力を持っていることがよく分かる。


「これに跨って乗るのか……馬車とは勝手が違うんだろう? 不安定で乗りにくそうに思えるのは僕だけかな?」


 雪那は珍しい表情で馬と睨み合っている。


 不安を覆い隠しながら、なおかつその事実を悟られないように誤魔化している、とでもいうのだろうか。


 どうして馬にそんな顔を向けているのかと考えれば、恐らく答えは一つしかない。


「ひょっとして、乗れないのか」

「失礼なことを言うな、君は。試みたことがないのだから、乗れるかどうかは不確定事項だろう」

「それを乗れないって言うんだよ。ぶっつけ本番でやれるもんじゃないぞ」


 不満そうに口を引き結ぶ雪那。


 海底に棲み、自由自在に空を飛べる龍が、わざわざ馬に乗る必要があるのかと言われれば、答えはもちろん(ノー)である。


 だから別に恥じることはないと思うのだが、本人は納得できていないらしい。


 ちなみにパーラは小柄な馬に悪戦苦闘しながらも跨っていて、シュリンガは要領よく手綱を操り、桃花はシュリンガの腕の中に収まるようにして相乗りしている。


 明明も思ったよりしっかり乗りこなしているし、お供の甲人も二足歩行の亀のような体格に合わせた専用の鞍を使って、意外なくらい様になっていた。


 甲人達の場合は、特別な訓練を受けた兵士というだけかもしれないが。


 ともかく、玄武領の偵察に向かう連中の中で、馬に乗れないのは雪那と桃花だけというわけだ。


「そういう君はどうなんだい?」

「もちろん乗れるぞ。一応、これでも王族の端くれだったからな。嗜みって奴だ」


 不適格であるとして追放された身の上だが、太子として教えられたことを忘れてしまったわけではない。


 天命の異能を考慮しないなら、割と器用な部類に入るんじゃないだろうか。


「ほら、早くしないと日が暮れるぞ」


 慣れた動きで馬に跨がり、雪那に手を差し出す。


 一頭に一人ずつ乗らなければならない理由はない。


 荷物はパーラにでも預けておけば、二人乗りでも隊列に遅れたりはしないだろう。


「……仕方ない。世話になるよ」


 雪那が俺の手を取り、後ろにひらりと跨って、何の躊躇もなく背中にしがみついてきた。


 不埒な感想が浮かんできそうになるのを、(すんで)のところで食い止める。


「ひゃあっ!? だ、大胆!」


 それなのに、明明(メイメイ)が余計な反応をしでかしてくれた。


 わざわざ言うな。適当に流してくれ。皆の視線が集まってきたじゃないか。


◆ ◆ ◆


 出発前のごたごたはさておき、玄武領偵察隊の道程(みちのり)は、驚くほどに穏やかで平穏なものだった。


 とにかく何もないのだ。


 見渡す限りの全てが草原と丘陵で、建物もなければ人影もない。


 事件が起こる様子はおろか、自分達以外の誰かと出会う気配すらなく、ただ淡々と北へ向かう時間ばかりが過ぎていく。


 今後の行動指針の確認も三周くらいしてしまったし、雑談の種もとっくに使い切ってしまった。


 明明(メイメイ)達の最初の偵察が失敗したのも、時間いっぱいまで何も起こらなかったからじゃないだろうか。


「……起きてるか、雪那。寝たら落馬だぞ」

「さすがに居眠りはしていないよ。けれど、ここまで何もないのは逆に想定外だね」

「到着までに妨害の一つや二つはあると思ってたからな。接近に気付いていないのか、それともあえて無視してるのか。どっちかはっきりさせてほしいもんだ」


 平穏無事もここまで来ると不可解だ。


 絶対に安全だと分かっているならいいのだが、そんな保証もない以上は、無駄かもしれない警戒を続けるしかない。


 これもまた、心身を疲弊させる要因の一つとなっていた。


「そろそろ休息を挟んだ方がいいかもしれないね。集中力が途切れる頃合いだ」

「だな。明明にも言って……」


 まさにそのときだった。


 隊列の最後尾にいたパーラが、突如として馬を加速させて俺達を追い抜き、先頭に立った途端に手綱を引いて急停止した。


「全員止まれ!」


 その(ただ)ならぬ様子に誰もが驚き、次々に馬の足を止めさせる。


 一体何があったのか――それを問い質すよりも先に、パーラは信じがたいことを言い放った。


「……血の匂いだ。北の方から漂ってきやがる」

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