第十二話 麓城
穹国首都、麓城――高い城壁に囲まれたその街は、故郷の首都に負けずとも劣らずの賑わいを見せていた。
特に人通りが多いのは、広く整備された大通りだ。
多種多様な背格好をした人々。
他国から持ち込まれた商品を乗せた荷車の列。
獣人らしき人影もちらほらと見えるが、そのほとんどは外套などで獣人らしさを隠していて、注視しなければそれとは分からない。
「さすがは首都。やっぱり広いな。当てもなく探すっていうのは大変そうだ」
「そこまで無策ではないよ。聞き込み先の候補はある。まずはそこを当たろう」
雪那と肩を並べて人混みの中を歩いて行く。
ちなみに、雪那も獣人と同じく外套と頭巾で顔を隠している。
ただし獣人とは違い、隠しているのは特徴的な白い髪だ。
ひょっとしたら宝珠を盗んだ犯人が潜伏しているかもしれないのに、分かりやすい特徴を露わにして歩き回るのはいかにも不用心だ。
(……そういえば、最初に会ったときもこういう恰好だったよな)
あの瞬間のことはきっと一生忘れられないだろう。
縁もゆかりもない奴に手を差し伸べてくれた嬉しさと、初めて垣間見えた素顔の――
「おーい、聞いてるかい?」
上目遣いの雪那が俺の顔を覗き込む。
綺麗な青い瞳に思わず見入ってしまいそうになりながらも、どうにか表情には出さずに誤魔化し切った……と思いたい。
「あ、ああ。聞いてる聞いてる。それで、何だっけ」
「さては聞いてなかったな?」
悪戯っぽく微笑む雪那。
「手始めに向こうの建物から聞き込みをしてみるよ。君は外で待っていてくれ」
「一緒に行ったらまずいのか?」
「気難しい獣人がやっている店なんだ。人間嫌いで有名らしいから、念の為、ね」
そういうことなら仕方ない。
人間と同じく獣人にも色々いて当然だ。
いつもこの前の宿のような扱いを受けられるとは限らない。
さて、聞き込みが終わるまで時間を潰すなら、店の前で待機するのが一番手っ取り早いだろう。
だが人間の俺がうろついていたら、獣人の客が入りにくくなるかもしれないし、気難しいという店主に見咎められてしまうかもしれない。
(……あの辺りなら、ちょうど良さそうだな)
店の斜め向かい。裏路地の入り口のすぐ隣。
あそこなら客の邪魔にならないだろうし、店の遠目に様子を伺う分にも都合がいい。
そうやって雪那の帰りを待っていると――
「御健勝で何よりです、黎駿殿下」
――薄暗い裏路地から、俺を呼ぶ声が投げかけられた。
反射的に身構えて振り返る。
そこにいたのは、無機質な仮面を身に付けた全身黒尽くめの人影。
普通なら悲鳴の一つでも上げて逃げ出しているところだったかもしれない。
だが、俺は最初の驚きの波が引くと、すぐに落ち着きを取り戻してしまっていた。
「……その法服、渓の法術士か」
謎の人物が纏っている装束は、黒一色に染め抜かれている点を除けば、渓王に仕える法術士の制服そのものだ。
普通の制服は白が中心の配色だが、色々な理由で別の色を許された法術士も多いので、黒いものがあっても不思議はない。
「お久しぶりです。霊廟でお会いして以来でしょうか」
恭しく頭を下げる仮面の法術士。
「霊廟で? ……ああ、黎禅と一緒にいた奴だったのか」
黎禅に踏み躙られた苦々しい記憶が脳裏を過る。
あのときは法術士の方まで気にする余裕がなかったが、こうして言葉を交わしてみると、何とも言えない気味の悪さ感じずにはいられない。
いくら仮面で顔を隠しているからといっても、年齢どころか性別すらよく分からないというのは、さすがに不自然としか言いようがないだろう。
「確か、法術寮の連中は法術で王族の居場所が分かるんだったな。父上か黎禅辺りに、俺の監視でも命令されたのか?」
「本日は陛下の御命令ではなく、拙の独断で罷り越しました。拙は殿下の追放に反対する立場でしたので、ご無事を確かめておきたいと思い、こうして馳せ参じた次第です」
胡散臭い。とてつもなく胡散臭い。
けれど裏があると断言できるわけでもなく、どうしたものかと思案してしまう。
「……見ての通りだよ。それより、一つ聞きたいことがあるんだが」
「はい、何なりと」
「この辺りで、怪しい霊獣が出たとか、霊獣の持っていた宝が見つかったとか、そういう話を聞いたことはないか? 妙な気配があったとかでもいいんだ」
仮にこいつが何か企んでいるとしても、それはあくまで俺の――渓国の内輪の事情に絡む問題のはずだ。
全く無関係な事柄について尋ねる分には、むしろ客観的な意見が期待できるかもしれない。
もちろん、安易に信用しすぎないのは当然の備えとして。
「申し訳ありません。この地にはつい先程到着したばかりですので、ご期待に添える情報は持ち合わせておらず……しかしながら、お役に立てずに終わるのは沽券に関わるというもの」
仮面の法術士は懐から無地の木簡を取り出すと、指でその表面を素早くなぞり、法術の作用で人名らしき文字を刻み込んだ。
「拙は姓名を孔雅と申します。兄弟弟子にあたる法術士が、この国の王族に仕えておりますので、拙からの紹介であると伝えれば助力を得られるやもしれませぬ。この木簡に記された名の男をお尋ねください」
孔雅と名乗る法術士の体が、黒い霧に包まれていく。
あの日と同じように、法術でどこか遠くに転移しようとしているのだ。
(安直に飛びつきたい情報源じゃないけど、手がかりは手がかりだ……雪那が戻ってきたら相談してみないとな……)
俺はひとまず木簡を受け取り、霧の向こうに消えていく黒い法服を見送ったのだった。




