城の兵士
入学してからの一週間なんてあっという間だ。
初授業は忙しく、移動に教師に授業内容に新一年生はてんてこ舞いだった。
結局、あれから透は一度もラケットを握っていない。
軽い筋トレとランニングと、泥沼試合の審判のみだ。
試合の場所も様々で、新体育館の確率はほぼない。
もう一人の二年生、一馬も来るには来るが、カルロスの指導に随分手を焼いていた。
透から見た一馬は純粋に上手い、と思う部類だった。
確かに、パワーでゴリ押しだが、ちゃんとスマッシュを打ち分けている。兼平は本当に性格と同じく嫌らしいタイプの選手で、カルロスと一馬両方を相手にしておちょくるほどの余裕がある。フェイントの上手い選手だ。
練習なので二人が本気を出しているとは思えないが、それにしてもカルロスは動くには動くが、羽は様々な方向に飛んで行く。
一馬が激怒して、何度もレクチャーしているがあまり意味がない。
「だって、ぶちょーの羽が打ち難いんすよ!!」
ついに、カルロスはキレた。
「打ち難いように打ってんの」
予想はしていたが、呆れながら透は言った。
「……え?」
「やっぱり見えてた? すごいねぇ」
「何、どういうこと!?」
「大友先輩のスマッシュには変な音が出る。そういう風にわざと打ってんの。フォームは完璧だから普通のスマッシュも打てる。それでフェイントになってるんだ」
「……大したもんだ。俺なんて見極めるのに一年かかったぞ」
一馬に感心されて、目立つことが苦手な透は少し照れた。
「俺は見ていただけですし……」
「……そっか! コーンの時は変なやつなのか! 分かった!」
『……え??』
カルロスの言葉に全員が動きを止める。
「え? そうだろ? わざとコートに当たるぐらいの緩いやつだろ?」
「そうだけど。なんだ。カルロス君も見えてるの?」
「わざとだとは思いませんでした! 本当にぶちょーってぶちょーっすね!」
「何それ!!」
兼平はおかしそうにケラケラ笑っている。
そんなカルロスに一馬は話しかける。
「カルロス、お前、普通のスマッシュは打ち返せるんだよな?」
「うっす。返せるだけっす。どこに飛んで行くかは分からないんです」
「充分だ。変なやつは俺が担当する。お前は決め球だけ狙え」
「……決め球?」
「威力のあるスマッシュだ。佐武の最大の武器は、完璧な狙いと威力のあるスナイパーマシンガンスマッシュ。打ち返せなければ勝機はない」
「何それ、カッケー!!」
「カッケーが、恐ろしいぞ。インコースギリギリを最大威力でぶち抜く、ショットガンだ」
「でも、そんなすごい技、がばがば使ったら疲れません?」
カルロスの疑問に兼平が応えた。
「さっちーの決め球は今まで誰にも打ち返されたことがないんだよ。威力がさっちーの中で数段階決まってて、どこまでが対応可能か1ゲームで調整するからさ」
「スッゲー」
「そ。さっちーは強いだけじゃなくて相当頭の切れる子だよ。だからシングルよりダブルスが好きだってさ」
「俺みてぇな脳筋とは相性合わなすぎて常に喧嘩だけどな」
一馬は何を思い出したのか、疲れきった表情で応えた。
透はすることがないので、休憩時間に部員(3人)分のスポーツドリンクを作りに家庭科室に向かっていた。良くある補充ボトルを取りに行くと、長い髪を水で流し、一気に掻き上げる一馬と目が合った。
どうしたものか、と一瞬怯んだが、直ぐ様、近くにあるスポーツタオルを手渡した。
「サンキュ」
「……いえ」
しばらく、無言の空気が空間を支配する。
「お前、それでいいわけ?」
「……え?」
こうして見ると、一馬も相当、男前である。しかし、少し彫りは深いし、長い髪の毛のせいでヤンキー感が拭えない。
「いや、佐武さ。あれから一度も合わせて無いんだろ?」
透は頷いた。
「まぁ、カルロス、才能は認めるけど、やっぱ初心者だし、俺も強かねぇし余裕か」
「……違います! 決して、見下している訳ではないです」
「……お前、先輩が怖いのか? 俺が怖いのか? 佐武が怖いのか? ……まぁ、大友は信用なんねぇよな」
「……俺は」
透は、家庭科室のステンレスのキッチン台を眺めて考える。そこには虚ろな瞳をした己の顔があった。
「あ、別に攻めてねぇよ、ほら、やり方が気に食わねぇなら文句の1つでも言ってみろって……感じで……ぁあああ、俺、こういうの苦手なんだよ。大体、佐武の方が上手いのだろうに」
「……すみません。きっと、俺が臆病なだけです。踏み出すのが……怖いんだと思います」
「アイツも中々、……性格に問題あるからなぁ。お前が踏み込むまで待ってるんじゃねぇか」
「……え?」
「アイツにもアイツの問題がある。お前がアイツの中に踏み込む気があるのか、無いのか。試してるんだろ」
「……先輩の問題……そんなこと考えたこともなかったです。完璧な人なんだと……」
「んなわけあるかよ。完璧な人間なんぞいねぇ。だから文句も不満も言っていいんだぜ」
一馬はポン、と透の頭を撫でるように叩いた。
「佐武なら川だろうな」
「え、忙しいって……」
「アイツは真面目で根性だけは据わってる。試合があると分かっててトレーニングを疎かにするような奴じゃない……そこが問題なんだけど」
「どうしてですか?」
「何もかも。全力投球しすぎて息が抜けなくなってる。それが佐武将護の問題だ」
透は一馬に一礼して家庭科室を後にした。
そして走った。
なんて馬鹿だったんだろう。佐武将護は始めに言っていた。甲斐透の問題は自主性の無さだと。
結果がこれだ。こういうことなのだ。
切れる息で一気に走った。夕暮れ時の川原には、その夕焼けの色よりも赤い色をした髪が太陽の光に照らされてオレンジ色に光っている。
「先輩!!」
透は叫ぶ。
「……甲斐?」
驚いた様子の将護はやはり作業着の帽子を被っていた。白いシャツの軽装だ。
「どうした? 明日の予定が変更になったのか?」
「違います。明日の作戦を先輩と立てたいんです!」
透は必死に叫ぶ。
「……作戦、ね。俺がお前に合わせる。それで良いだろ?」
「駄目です!」
走ったばかりのせいもあって、透は息苦しく、肩が上下する。
「ちょっと落ち着けって。お前、先輩と組むダブルスが嫌なんだろ? そんな風にならないようにするよ」
「違う、そうじゃない」
思わず、透は将護の肩に手を置いて掴んだ。
「……違うって……」
「俺は……勝手でした。勝手に先輩に期待した。先輩は……違うんじゃないかって。でもそれは勝手な押し付けだ。俺を壁にしないでください。来た球は全部打ち返します。けど……違う、壁じゃない。ちゃんと、ちゃんと、俺は……」
最後の方は声が震えて上手く言葉を出せなかった。将護の肩の上に置いた手が震えて、透はその手で顔を覆った。
「すみません、上手く言えなくて……」
「……分かった。作戦を立てる。まず、俺がどういう選手かは知ってるか?」
「大まかに……射場先輩に聞きました」
「そう。俺のスマッシュには威力別に種類がある。その種類のサインを決めておく。決め球を打った時は必ず決める必要がある。打ち返されたらアウトだ」
将護は淡々と言った。
「……え?」
「本気で打ったら、俺が次の体勢を立て直すまで時差が出る。良くも悪くも一撃必殺。だからダブルスでの方が有効性があるんだ」
「そんなこと、俺に教えていいんですか!?」
辞めるかもしれないのに。
「ダブルスパートナーだろ。いいに決まってる」
将護はニシリ、と笑った。
川原は穏やかな風が吹いていた。
堤防下に腰掛け、透は将護のサインを簡単に確認する。
野球のキャッチャーがピッチャーに出すサインと同じだ。
「フェイントかける時もあるから、いくつか覚えてくれ」
「っす」
「後、お前その身長ならスマッシュも打てるだろ?」
「……一応、形だけっす。威力は射場先輩の方が上です」
「それでも使えるな。行けそうだと思ったらガンガン打ってけ。それでまぁ、負けはしないと思うぜ」
「……っす、……けど」
「ん?」
「鷹飛カルロスは油断しすぎていい選手ではないです。少なくとも、フェイントに対するいい目を持ってる」
「動体視力がいいのか」
「ええ。多分、瞬間記憶、記録能力も」
「馬鹿に見せかけた天才肌ってやつだ。いいね。面白い」
不敵な表情で将護は立った。シャツが風に靡く。
「それで、他には?」
「……ないです」
「練習したい、とか、偉そうだ、とか……なんか無いのか?」
「無いです。俺の力は試合で見せます」
「いいね。その心意気」
その後、妙な間があった。気になって、透は将護を見上げる。
「……お互いのことはさ。試合で分かって行こうぜ。少なくとも、それが一番近道だろ?」
「はい……」
「それから……」
「……?」
「お前から、来てくれてありがと」
将護は後ろを向いて、ぽそりと言った。それは、いつも切れのある将護にしては珍しい姿だった。




