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銀翼の翼  作者: kisaragi
要塞のダブルス
7/22

城にあるもの

 

 甲斐透が何故、藍夕高校に進学したのか。理由は幾つかある。まず、彼の元、ダブルスパートナーがいない高校で更に家から近く、そしてバドミントン部が無かったからだ。


 それも今日一日で全て崩れたが。


 自転車で10分という距離は近くていい。更に透は家族的事情で女性というものに、いや、生き物に夢も希望も抱いていなかった。

 帰宅すると、ハイヒールに、ローファー。つまり、姉二人は健在なのだ。

 溜め息を吐いて彼は自分の家に帰宅した。

 こそこそと逃げるように。足音を立てず。

 古い日本家屋の廊下は部屋を通り過ぎると光りが洩れていた。


「次は夏じゃああ!!!」

「おぉおおおお!!!」


 やはり、いる。


 透の隣の部屋は姉の部屋だった。

 うっすら開いた隙間から、中を確認するように覗くと、二人の姉、いや、女がいた。


「ふっふふ、まさか、我が弟が男子高校に入学するとは……」


 このいかにも、化粧品をサンプルで配ってそうなタイプの女性が長女の遥。

 実際、彼女は調理系の大学に通う女子大生だ。

「次は、次は、何のネタにしますか!」

 正面に座る、ショートヘアで大人しそうな女性が蓮。彼女は名門お嬢様女子高校に通っているもう一人の姉だ。


 そう。肩書きと見栄えはいいと弟の透も認めよう。しかし、問題なのは彼女達の趣味だった。


 いや、あれは趣味ではない。狂った嗜好だ。


「んなの、『密室でドッキリ、先輩と俺』で決まりよ!」

「と、透君は! ちな、透君はどっちですか!」

「そんなの、攻めに決まってるだろ!」

「きゃー!!」


 もう耐えられず透はその魔の部屋の扉を開いた。


「いい加減、俺をネタにするのはヤメロー!!」


「来たわ! 元ネタ! 高校はどうだった! 女子トイレないの?」

「普通にあるわ!」

「じゃあ、女子更衣室」

「それは……無かったような」

「さすが、姉! 使える、ネタに使えるわ!」

「しまった!」


 そう、彼女達は所謂、男性同士の恋愛を海より深く愛する腐った存在、腐女子なのだ。


「これで我ら、愛蔵帝国の次のネタも決まりね!」


 因みに、愛蔵帝国というのがこの姉妹のサークル……イベント等に参加する際の愛称だ。

 簡単に姉が作画を担当し、妹が内容を考える。


「そういえば、透君も部活やらないんだから、もっと協力的になってくれてもいいのに」

「そうだ、技術担当」

「誰が、技術担当だ!!」


 透は勢い良く襖の戸を閉めた。

 姉たちが中でぎゃーぎゃー騒ぐが、知ったことではない。


 まずい。非常にまずい。


 部活に入らないと、今度は彼女達の食い物にされる。


 今はまだ、技術担当で済まされている。

 何をするか。具体的には、作画のベタを入れたり、トーンを貼ったり。イベント当日に売り子をしたりする。


 嫌なら断ればいい。


 もちろん、断れるが、しかし、労働に見合った収入があるのだ。


 透の部屋は青で統一された殺風景な部屋なのだが、中には姉たちのお古のゲームとパソコン、そして、比較的健全な本がある。

 鞄を放り投げ、ベッドにダイブして透は考える。


 自分から、バトミントンを取ったら何が残るのだろう。


 身長? ……と、まさか、トーン貼りの技術?


「自分の才能、潰すなんて勿体ない、か……」


 そんな風に考えたことはなかった。


 近場にある本を捲って、透は勢い良く閉じる。


 それは昔、姉たちが作った本だ。


 こんなことは絶対にないし、こんな男は絶対にいない。

 こんな、ふわふわで可愛いだけの男なんて絶対にいないのだ。




 翌日、透は部活に行くことにした。

 普段、バトミントン部は室内競技部の中でも権力が無いのが丸分かりで、旧体育館の更に半面が活動場所だった。隣は演劇部で、ステージは合唱部だ。


「あ、来た」


 透としては、あ、いた、だ。


 今日はジャージと上は白いシャツ、やっぱり帽子を被った佐武将護がきょとん、とこちらを見つめている。


「ごめ……全員揃うのに体育館確保出来なかった!」


 兼平は隅でメソメソしていた。


「あー、いいっすよ。今日はそっちが使ったら。こっちはランニングでもします」


「え?」


「するんだろ? カルロスと勝負」

「知ってたんですか?」

「聞いたのは今日だけど」


 苦笑して将護は兼平を見る。


「けど……!」

「向こうは初心者。多少ハンデがあってもいいだろ?」


 問われ、透は頷く。


「構いません」

「と、いう訳で、コイツもらうぜ」

「え? ……え?」


 透は将護に襟首を掴まれ、やはり凄い力で引っ張られた。


 体育館裏では演劇部が複式呼吸をしていた。しかし、男ばかりの演劇部なので、どんな劇をするんだか、と透は好奇心で見つめる。

「ああ、ウチの演劇部、結構凄いんだよ。全国常連だぜ」

「あ、さっちーじゃん。今度、筋トレ付き合えよ」

「暇だったらな。今日は体育館ありがとよ」

「お前に腕相撲で勝てるかよ」

 そんな部員達に将護は気さくに挨拶をしている。透もぺこりとお辞儀をした。


 この先輩が一体、自分に何を教えるのか。少し興味があった。

「さて。お前、オフシーズンは何してんの?」

「……え、ランニングです」

「前から思ってたけど、お前って大きい癖に、ボーッとしてんのな」

「先輩は小さいのにキレッキレっすね」

「小さくねぇ。全国の172cm以下の男に謝れ」

「……はい、スミマセン」

 殺気を感じて透は素直に謝った。

「そういう先輩は?」

「シューティングゲーム全般、サバゲー、スケボー後、子育て」

「……子育て!?」

「年の離れた双子の妹がいんの。両親共働きだからさ」

 そう言いながら、将護はスマホのロックを解いて写真を見せた。確かに、同じ顔の人形のような女の子が二人。

「か……かわいい」

「だろ?」

「でも、あんま先輩に似てないんすね。髪の色とか」

 双子の女の子の髪は綺麗な黒髪だった。長い子と短い子。それぞれ神秘的な雰囲気だ。一方、将護は日の光りに照らされると完全に赤く見える茶髪だ。染めているようには見えないし、そんな人ではない気がした。

「双子は親父似。俺はお袋似。だから外見は似てないんだよ。髪の色もまんま、お袋。嫌になるぜ。染めてねぇっつうのに毎回、毎回」

 きっと、この人の母親は美人だろうな、と透は勝手に思った。

「多趣味ですね」

「いや、体動かすのが好きなだけ。よし、今日は親睦を深めるためにランニングでもするか」

「はい」

 この土地はコースさえ選べばランニングに適している。

 基本、車道が広く、自動車と自転車、徒歩用に分かれた道も多い。だからこそ、自動車が多く、道を選ばなければ危険でもある。

 言わずとも将護はその辺を理解していた。

 スマホではなく、使い古された地図をポケットから取りだしコースを透に説明する。

「川まで行くのは危ないし、軽く神社まででいいか?」

「任せます」

 将護はとにかく博識だった。水分補給の時間、トレーニングになるペース、ストレッチまで。無理せず、確実なランニングだった。

「先輩は博識ですね」

「親父が外科医だからさ。トレーニングにも色々うるさくって」

「へぇ。それで」

「お前ん家は?」

「鉄工所っす」

「あー、そんな感じするわ」

 将護はけらけら笑いながら、夕焼けに照らされた道を走った。


 戻ると、日が暮れていた。

 適当にクールダウンしろ、と言われたので、透は校内をゆっくり歩いて最後に水道で水を頭から被った。顔を上げると、上からタオルが降ってくる。


「え……?」

「この二日間で、お前が問題とすべき課題を二つ見付けた」


 将護にペットボトルを投げ渡される。透は驚くままに受け取った。


「……え?」

「それは自主性と信頼度。それがお前の課題だな」

「待って下さい!」

 それはまるで技術的問題では無かった。

「まぁ、俺と試合すれば分かるんだけど、何がお前のトラウマか分からないし、突然一年をボコボコにするのも可哀想だろ?」


 佐武将護はペットボトルを持って不敵に微笑む。


「……力がどうか知りませんが、俺が簡単に負けると?」

「勝てるよ。今のお前なら。お前、自分に何が足りないのか何も分かってねぇ。それが問題だ」

「俺は、別に足りなく……」


 言いかけた瞬間、透の胸ぐらが佐武に引きずり下ろされた。


「じゃあ、今すぐ部活辞めろ」


 凄い迫力だった。

 大きい瞳なだけに、睨まれると身長関係なく怯んでしまう。


 将護は放るように透の胸ぐらを放した。

 透は水道のコンクリートを背に沈む。


「問題一。ヒラヒラ流され過ぎだ。よっぽど、前のダブルスパートナーに依存してたな。お前の自主性ほぼゼロ。それでシングルのコートに立てるかよ」


 透は何も言えなかった。


「問題二。相手を信用出来なさ過ぎだ。つまり、自分で相手の強さを見定められない。敵も味方も。お前、中学三年間何やってたんだよ」

「俺は……俺は! ……壁です……」


 最初は叫んでいたが、最後には弱々しい声になっていた。


「泣くなよ。別に攻めてねぇし」

「泣いてません」

「けど、お前のそれは根本に根付き過ぎてちょっとやそっとじゃどうにもならん」


 将護はコンクリートに腰掛ける。生温い風が頬を伝う。


「……貴方と組めば、どうにか出来るんですか?」

「……さぁ。努力はするさ。お前が身を貸してくれるなら。それが相棒ってもんじゃん?」


 将護はタオルの上から透の頭を撫でた。


「……そうなんですか?」


 透はタオルの隙間から将護を見つめる。

 それは驚くほど純粋な瞳だった。


「俺は、な」

「……」


 時間がしばらく経って、電灯に灯りが点いた。ジジジ、と案外大きな音がして、虫が集まる。


「……俺は、バトミントン続けます。無くした自分を取り戻すために」

「……そっか」


 将護はただ、頷いた。


 否定も拒絶もせず。


「じゃ、よろしくな」

「……はい」


 差し出された手を透は握る。

 皮膚の厚い手だった。


「じゃ俺は帰るわ。部長に伝えといて」

「え、え?」

「そんで、妹の送り迎えがあるから俺は多分、勝負当日まで部活来れねぇわ」

「はぁーーー!?」


 じゃ、と将護は本気で帰る気だ。


「お前、気に入った。じっくり、俺のもんにしてやるから安心してな」

「いやいや、練習はー?!」

「お前は一週間、コートに立つな。他は好きにしな」

「え、ぇええー!?」


 将護はまた去って行った。

 去って行ったのだ。

 透は一人、体育館に戻る。


 そこにはカルロスと黒髪長髪のヤンキーがラリーをしていた。


「あ、ヤンキーだ」

「ヤンキーじゃねぇ! 射場だ!」

 そう言われても、凄まれてはあまり信憑性がない。

「あ、さっちーは?」

 と、呑気な兼平に尋ねられる。

「帰りました!」

「何か言ってた?」

「俺は一週間、コートに立つなと言われました」

「ふーん。なるほど」


 兼平が意味深に頷く中、当然、ラリーをしていた二人は怒った。

「んだと! 舐めてんのか!」

「そーだ、そーだ! 俺が初心者だからって!」

「知るか!」

 そんなの、透が知りたい。

「ふふふふ、流石さっちーだよ!」


 と、兼平の卑しい笑い声が響く中、透はただ、デコボコした不思議なラリーをしている二人を見つめた。

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