要塞の楯
高校に入学した所で何が変わる訳でもない。
女子がいるか、いないか、の違いだ。クラスメイトは中学生からの知り合いが多い。工業高校なだけあり、少し授業は難しいが、一年の一学期では早々大きな変化は見られない。
この高校に入学したのは単純に家から近いからだった。
工業高校というだけあり、多くの資格試験があるし、就職率も高いし、いいか、という程度だったのだ。
部活にも特に興味はなく、身長もあるしどこでもいいか、と考えていた。
どうやら昼休みに部活動勧誘の放送があるらしい。
クラスメイトが騒ぐ中、甲斐透はぼんやりと教室で弁当を食べながらその各部活動のスピーチを聞いていた。
主に部活は運動部と文化部と同好会に分かれている。
ありきたりな紹介文のスピーチが続く。
その放送を聞いた時、透は驚いた。
『えー、え~っと、男子バドミントン部部長の大友兼平です! ……えーっと、部員募集中! 初心者大歓迎だよ~!』
そのぬるっとしたスピーチに透のプチトマトを掴む箸の手が止まり、トマトが弁当箱に落ちる。
「バドミントン部……?」
「なんだ、甲斐、知らなかったのかよ? この高校バドミントン部の名門らしいぜ。だから入学したのかと思った」
クラスメイトの言葉に透は狼狽える。
まさか。
この高校にはバドミントン部はないはずだ。
もう一度生徒手帳を捲り部活の欄を確認する。
元々、寡黙な透の様子を見てクラスメイトは勝手に喋り出した。
「えーっと、去年の先輩がこぞって引退して人数が足りてないんだよ。それで一応今年の生徒手帳には記載されてないんだって」
「……なら、廃部も同然だろ?」
「所が、どっこい。この高校、実績のある部活なら二、三年廃部猶予があるんだって。まぁ、年によっては野球部のスタメン揃わず、って時期もあるからな。少子化だし」
「……な、なんだって……」
「だから、お前が入部すれば……」
「俺は、バドミントンはやらない!」
透はドンッと机を拳で叩いた。その音の大きさにクラスメイトはビビる。慌てて透は咳払いで誤魔化した。
「そ、……そうなのか……まぁ、部員は部長含め三人しかいらしいし、どっちみち今年は活動出来ないだろうなぁ」
何故、バドミントン部がこんな田舎に。
部活なんてまともに活動してなさそうなのに。
「へ~。何で甲斐君はバドミントンやらないの?」
その時、机の下から、ぬるっと放送の声の人と同じ人が顔を出し、パニックで透はフリーズした。
「……」
「あれ?」
「駄目っすよ! 透はこう見えて繊細なんで、急に驚かしたりしたからフリーズしちゃったじゃないっすか!」
「何それ! おーい、甲斐君?」
「バドミントン。ダブルスヤラナイ」
「ほらぁあ!」
「あれ? じゃあ、シングルスならやるの?」
「…………え?」
突然の大友兼平の言葉に透の瞳の色が戻る。
「ねー、ねー、どうなの?」
「なっ、だ、……やりません!」
何なんだ、この人は。
透は目を白黒しながら兼平を突っぱねる。
「じゃあ甲斐透君、マネージャーは?」
しつこい。
この大友兼平という男は嫌になるほどしつこかった。
「マネージャーでも部員募集中だよ!」
昼休みが終わり、放課後にも現れ透の周辺をうろちょろしている。
「あの、何度も言いますけど、バドミントンはやりません」
「だから、何でさ。ダブルスジュニアで全国4位の甲斐透君」
「……」
「おやぁ、だだでさえちょっと背が高くて怖いんだから、そんな睨まないでよ」
「人が嫌だというのに強引に聞き出そうとするのが悪いのでは?」
「……ふーん。そう、分かった。君、トラウマ持ちでしょ?」
と、軽く指差され透は固まる。
「……え?」
何故、分かったのだろう。顔に出ていた、のだろうか。
「未練があるならウチにおいでよ。後悔はさせないよ」
なんて言葉を残して去って行った。行った癖に、だ。
いざ、体育館に行くといるのは透と同じ一年。しかも初心者一人だった。
ラケットの持ち方を見れば分かる。
何故なら、その男はラケットでギターを弾く真似事をしていた。
ぶつかってよろける一年を無視して兼平に詰め寄る。
「本当に、ここはバドミントン部ですか!」
「そうだよ! そうなんだよ! 本当は二年生が後、二人いるんだ!」
焦った表情の兼平を疑わし気に見下ろすと、後ろが何やら騒がしい。
「ちょっ、ぶつかっておいて無視かよ!」
「……悪い。見えなかった」
「何だとー! ちょっと大きいからって!」
「はい、はい。今日から、同じ部の仲間なんだから仲良くね」
『はぁ?』
二人は同時に叫んだ。
「鷹飛カルロス、なんて名前、中学の時聞きませんでしたけど」
「……え? お前、初心者じゃねぇの?」
「……」
そして二人は同時に兼平を見た。
「え……っと、ほら! 鷹飛国雪なら知ってるでしょ?」
「……え? 全国帝王の?」
透はもう一度、カルロスを見た。確か、鷹飛国雪は純粋に生粋の日本人だ。カルロスは銀色の髪に緋色の瞳。完全に外国人に見える。
「……んだよ。シンセキですが」
「……そう」
何やら、面倒そうな事情がありそうで透は目線を逸らす。
「……ほら、カルロス君がいないと人数足りないからさ、どっちにしろ救世主だよ!」
「……そっか!」
カルロスは単純に頷いた。
「……え?」
透は兼平を睨む。
「そうやって、何人騙したんですか」
「だ、騙したなんて人聞きの悪い……ほら、じゃあ、少しだけ。ちょっとカルロス君の練習相手してあげてよ、ね?」
「それで、もうこれ以上、俺に関わらないと約束して下さい」
「する、する」
透はしばらく考えた。とにかく、兼平は信用ならない人物だということは理解した。
しかし、ラケットを素振りするカルロスはどう見ても初心者で、実際に後、二人部員がいるのだとすればこの男がある程度試合をこなせるようになれば自分の必要性は無くなる。
まぁ、いいか。
と、透はラケットを取り出し、構えた。
「なんだよ、結構やる気じゃん」
「好きに打って来い」
「俺をただの初心者だと思うなよ!」
カルロスは勝手にサーブを打った。
まるで初心者だ。
しかし透は更に顔をしかめる。コースも何もない、ただのへろへろスマッシュだ。
素早く動き、透はラケットに当てる。
「あ、くそ、返された!」
カルロスはどう見ても無駄な動きが多い。透は来る羽をただ返しているだけだ。
良く動くし、運動神経は良さそうだが、効率が悪い。
気が付けば兼平の姿が消えていた。
「あの野郎、放置しやがった!」
「無視すんな!」
また、強引な強打を透は腕を上げて簡単に返す。
「……くそ、なんでスマッシュが入らない!」
「……お前、それスマッシュじゃないが」
「……え?」
それに、強打ばかり来ると分かっているのだから、打ち返すのは簡単だ。
端から見れば、カルロスは壁に跳ね返った羽を追っているように見えるだろう。
その時だった。
また返した透の羽を今度は誰かが打った。
カルロスが打つ前に。
透は長年の勘で体が動く。
これがスマッシュだ。
靴音が体育館に響く。
拾えると思った。実際にラケットには当たった。けれど、そのラケットが吹っ飛んだのだ。
透のラケットは体育館の床を転がり、手はラケットが弾かれた感覚に震えた。
「なんだ。初心者だけだって聞いてたけど、経験者いるじゃん」
そのスマッシュを打ったらしき人物は兼平ではなかった。
大友より少し小柄な、体育館の光で短い髪が赤毛に光る少年だった。
「今の、すっげー! 先輩ですか?」
「ああ。二年の佐武将護」
「今の、今の教えて!」
騒ぐカルロスを無視して透は呆然とその二年生らしき人物を見つめた。
どう考えても、この小柄な人物が先程のスマッシュを打ったとは思えない。
それほど、強烈な一撃だった。
「お前、名前は?」
カルロスの頭を押さえてその二年生が真っ直ぐ透を見つめる。
やはり小さい。
170cmちょっとだろうか。
「……甲斐透」
「……甲斐? 聞いたことあるな。甲斐透……ああ、要塞の壁!」
「壁?」
カルロスはぴょんぴょん跳ねながら尋ねた。
「なんだ、こっちが初心者か。そうだよ。知らずにやってたのか? コイツは……」
透はその二年生の話を聞いていられず、体育館から出た。
やはり、バドミントンは辞めよう。
「どこに行くんだ? 壁の甲斐透君」
「その名で呼ぶな!」
思わず、叫んで振り返ると相手は見下ろす程小さいので思わず困惑してしまう。
その人は作業着で帽子の位置を弄りながら透を見上げた。
「何、もしかして呼ばれたくない二つ名なのかよ?」
「俺はバドミントンはやりません。ただ、カルロスの練習相手をしていただけです。他に経験者がいるなら俺は帰ります」
それでも相手を睨んで言った。
「……ったく、大友先輩のヘビめ。何が君にピッタリの相棒見付けた、だ。悪い。俺も少しはしゃいだ」
しかし、申し訳なさそうに謝られ、今度は困惑する。
「……え、あの……」
「俺は二年だし、思いっきり出来るの最後だからさ。悪く思わないでくれよ」
と、片手を上げて謝られ、更に困惑する。
小さくて可愛い癖に、なんてスマッシュを打つんだ、と思ったが、次には一つ一つの動作が男前で不思議な先輩だった。
「いえ、別に……」
「しっかし、勿体ねぇな。それだけの腕なら全国狙えるだろうに」
気が付けば日が暮れかけていた。体育館の外は微風に木々の葉が揺れている。
あんな、少しの運動で汗をかいていたことに透は驚いた。
目の前の先輩は汗一つ見えず、体育館に戻ろうとしている。
思わず、その腕を掴んでいて透は混乱した。
「……何?」
「……もしかして、先輩は先程のスマッシュを打てる相棒を探しているんですか?」
「まぁな。っていうか、ダブルスパートナーがいればいいな、って」
佐武将護は器用にラケットをくるくると回す。それをカルロスは横目で眺めて瞳をキラキラさせて見ていた。
「シングルは?」
「やれなくはないけど、全面、全試合見込んでのあのスマッシュは流石に疲れるんだ」
「……去年はどうしたんですか?」
「相手との性格的不一致で全国16位」
「性格的不一致?」
「アイツとはもう組まん」
佐武は苦虫を潰したような顔をした。
それでも、関東予選は優勝し全国で16位。
「それで、お前はバドミントンを辞めたい理由が何かあるのかね?」
「あります」
「ふーん。どんな理由か知らんが、そのトラウマのせいで自分の才能一個潰すなんて勿体ねぇと思わねぇ?」
「……え?」
「俺はそんなことするぐらいなら、そのトラウマ作った奴見返すまで辞めないけどな」
じゃあな、と佐武将護は入り口の段差を上がり、透の頭を撫でて去って行った。
そう。その男は去って行ったのだ。部活に参加しないのか、と透は目を白黒させる。
体育館の中に戻ると、兼平に文句を言っているカルロスの姿があった。
「ずるい! ぶちょー、ずるい手ばっか!」
「あの人、帰っちゃいましたけど……」
「ああ、そうなの。さっちーは色々事情があって……たまーにしか来ないんだ」
「へぇー。そうなんすか」
透の代わりに、カルロスが答える。
「っていうか、二年は色々訳あってあんまり来ないんだ。だから、君たちに期待しているよ!」
「マジっすか!」
そんな言葉を聞いて、透は勝手にラケットを仕舞って帰る準備をした。
そんな彼を目ざとく見付けた兼平は彼の手を止める。
「一年で良いからさ。彼の右腕、やってみない?」
「何故、俺が……」
「そりゃあ、君が実力者だからだよ」
「だったらシングルでもやれます。ダブルスは懲り懲りです」
しかも、相手はまた先輩だ。
「そう? そうは思わないけどなぁ」
その時、兼平はうっすら瞳を開く。
サラサラの黒髪。顔も、部類で言えばイケメンなのだろうが、何故か透は背筋が寒くなった。
「とにかく、俺はダブルスはもちろん、先輩と、だなんて組みません」
「そう。いいよ。一週間後、カルロス君に勝てたらね」
『……はぁ!?』
二人は同時に兼平を見て叫ぶ。
「一週間後?」
「そうだよ。一週間。カルロス君を初心者から脱却させる。もう一人の二年生とね」
「えー、さっちー先輩がいいっす! さっきの格好良かった」
「ふーむ、うちには今、二年生が二人いるんだ。さっき来てくれたのが、ゴ……力技スマッシュの佐武将護。テニス歴もあってダブルス歴も長いオススメの先輩だ。もう一人が射場一馬。こっちは元々、シングルやってたんだけど、足を故障して一年だけダブルスやったんだ。今はゴ……全快のパワフル選手。もちろん、初心者にオススメ」
「……つまり、どっちもパワーでゴリ押しじゃねぇっすか……」
透は呆れた。
「そうとも言う。けど、だから公平でしょ?」
兼平は開き直る。
そして、鞄から百円玉を取り出した。
「恨みっこ無し。これで決めよう。当てた方が先に選ぶ」
「そんな、勝手に……」
勝手なことをして、その二年生は怒らないのか、と透は思った。
「表!」
しかし、カルロスは勝手に答える。
「じゃあ、裏で……」
「ほいよっと」
キンッというコインが跳ねる小気味良い音がした。コインが回転して兼平の手に戻る。
正直、どちらでも良かった。
「……裏だ」
「あー! 負けた!」
「……」
「どうぞ。好きなコーチを選ぶといい」
これはずるいのではないか、と兼平を睨んだ。
「さっちーにしときなよ。何度も言うけど、悪い先輩じゃない。君がシングルプレーヤーになりたいなら足りないものを見付けてくれるさ」
「……分かりました。もういいです。それでコイツを倒せば俺は自由だ」
「む! 負けないぞ!」
「どうだか」
透はスポーツバックを持って去った。
「いいなー、あれ、格好いい!」
「買うのは一週間後にしときなよ。結構するよ」
「マジっすか!」
そんな会話を遠くで聞きながら。
何が先輩だ、と透は思った。
数個歳が違うだけで圧倒的な決定権を持ち、人を蟻のように使い捨てるのだ。
自転車を転がしながら透は思う。
弱小部。人数も少ない。経験者も少ない。
「別にコーチなんていらない」




